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2020.11.02
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カテゴリ: 82旅行

2 日目 10 23 ( ) の最初の目的地であった北近江の「小谷城跡」を後にして、一般道で次の目的地である「関ヶ原 ( 古戦場 ) 」に向かいました。関ケ原は、新幹線で京都や、大阪に行くときには車窓から眺めて通過するくらいで、実際は訪れたことはなく、戦国の TV ドラマ等の映像で「関ヶ原の戦い」として観る程度でした。小谷城からは姉川、米原を抜け関ケ原に到着しました。距離では 25km 、時間は 40 分程度でした。

※関ヶ原の戦い:安土桃山時代の慶長 5 9 15 日(西暦 1600 10 21 日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。 主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。
(出典:wikipedia)


(出典:関ケ原観光ガイド)

「関ヶ原」はカーナビで「関ケ原町歴史民俗資料館 ( 現在歴史民俗学習館 )」 をセットし、向かいました。関ケ原に入ると史跡の看板が多く目に入ります。町全体で「古戦場」を親切に紹介してくれています。新型コロナウィルス対策でオープンを延期してきた「関ケ原古戦場記念館」が運よく 10 21 ( ) に開館し、事前に予約を済ませていたのでどんなところか楽しみにしていました。自宅に戻ってから整理していたら、この記念館は戦国時代に詳しい歴史学者「小和田哲男」さんが館長をされていることを知りました。

関ケ原は天気が良ければ、関ヶ原駅前の「関ケ原駅前観光交流館」でレンタサイクルの電動自転車を借りて wife と名所旧跡を回る予定でいましたが、あいにく傘をささないといけないくらいの雨降りで、レンタサイクルは止めにして、古戦場記念館近くの陣地等を中心に歩いて巡ってみました。


( 撮影筆者、 JR 関ヶ原駅 )

はじめに、「 JR 関ケ原駅」、その前の「観光交流館」に行ってみました。そこから、再び「古戦場記念館」にもどる途中で「東首塚」に寄りました。関ヶ原の戦いは両軍合わせて 15 万人余といわれる兵が集結、戦い、おびただしい数の戦死者数がいたものと言われています。翌日、徳川家康が戦死者を埋葬し東西 2 か所に首塚を設けたと言われています。戦いの後に敵味方なく供養を行うのは当時の習わしであり、東西戦死者の供養は、現代に至るまで時代を通じ丁重に行われているようです。


( 撮影筆者、東首塚 )

また、ここは徳川家康の四男松平忠吉と徳川四天王の井伊直政が 6 千の兵を率いて布陣した場所でもあります。忠吉は初陣で直政は後見役を務めた。家康にとって東山道を経てやってくる秀忠軍が信州上田城(真田昌幸)攻略にてこずっていた中で、直政は徳川勢としての存在感を示すべく奮闘し、忠吉と直政は合戦の見聞と称して先鋒を預かる福島正則隊に抜け駆けをして「宇喜多秀家陣」に発砲するなど戦いの先鞭をつけている。また、終盤島津義弘が徳川本隊めがけて脱出を試みた時(島津の退け口)に忠吉、直政は追撃しその時に発砲され傷を負い、それがもとでその後まもなく命を落とすことになったと言われています。直政としては、徳川勢の軍勢が揃わないなかで、豊臣恩顧の武将たちだけが戦いに貢献したということにならないようにその存在感を高めるための獅子奮迅の活躍をしたものと思われます。


(撮影筆者、松平忠吉、井伊直政陣跡)


徳川家康の布陣は当初の桃配山から陣を前進し、最後の陣跡といわれるところは「古戦場記念館」の近くで、笠尾山の石田三成陣地からわずかなところまで陣を進めていました。西軍はいわゆる「鶴翼の陣」で東軍を迎えたにもかかわらず、実際に戦闘をしたのは大将石田三成、島左近、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継くらいで、松尾山に陣をとった「小早川秀秋」は裏切り、毛利、吉川勢は動かず、島津義弘は独自路線で、いわゆる「ワンチーム」には程遠い状況にあったと思われます。ひとつのまとまっている「徳川家康」の東軍には開戦前に勝負は決まっていたのではないかと想像されます。


( 撮影筆者、家康最後陣地 )

この後、「関ケ原決戦地」に向かいました。天気が雨だったせいか、そこには誰もいない静かなたたずまいを見せていました。戦いの火蓋が切られ、両軍の雄たけびが聞こえてくるようです。世界の三大古戦場のひとつと「関ヶ原の戦い」はいわれています。そのほかはナポレオン最後の戦いの舞台となったベルギーの「ワーテルロ-(ナポレオン戦争)」、アメリカ南北戦争最大の激戦地「ゲティスバ-グ(アメリカ南北戦争)」と共に世界三大古戦場といわれています。いずれにしても大軍勢同士の熾烈な戦場になったことろです。


( 撮影筆者、決戦地跡 )

そのまま、「笹尾山交流館」に寄ってみました。ここは三成が本陣をおいた笹尾山の麓にある「交流館」で昔の小学校のあとのような建物でした。


(出典:観光ガイド)

この笹尾山交流館は、甲冑体験やお土産店などがあり身近に楽しめるところだと思います。



(出典:観光ガイド)

笠尾山の石田三成陣地跡、島左近陣地跡を踏みしめながら、何か後ろ髪を引かれるような気持で、「古戦場記念館」に向かいました。最近、戦国武将の誕生、没年をここの武将ごとに調べています。すると、当然のことながら、石田三成、小西行長、 安国寺 恵瓊 の没年は同じ 1600 11 6 ( 西暦 ) となっています。西軍首脳の3人は敗戦後、京都六条河原にて斬首され、共に梟首に処せられています。

※安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗の僧で、武将および外交僧。道号(字)は瑶甫、法諱(諱)は恵瓊、号は一任斎または正慶。一般に広く知られる安国寺恵瓊の名は、住持した寺の名に由来する別名であり、禅僧としての名乗りは瑶甫 恵瓊(ようほ えけい)という。
毛利氏に仕える外交僧として豊臣(羽柴)秀吉との交渉窓口となり、豊臣政権においては秀吉からも知行を貰って大名に取り立てられたとするのが通説だが、異説もある。(出典:wikipedia)


( 撮影筆者、島左近陣地跡 )


( 撮影筆者、石田三成陣地跡 )

11 時から「関ケ原古戦場博物館」の見学の予約をしていたので早めに博物館に行きました。集合時間まで時間があったので、別館の「お土産店」で時間を過ごしました。




最上階から関ケ原が、フルに見渡すことができること、展示品が充実していること、合戦の映画 ( 劇場)が音声のすごさばかりでなく、座席の振動などもあり、すごいリアル感がありました。ここはじっくりと見学したい施設だと感じました。



(撮影筆者、最上階から見た関ケ原)


~あとがき~

関ケ原は戦国時代を総括する戦いの場ともいえると思います。本来はじっくり歩いてみて回りたかったのですが、雨降りで一部しか見て回ることができませんでした。自宅からそれほど遠いところではありませんので、天気の良い日にもう一度行ってみて回りたいと思っています。「関ヶ原の戦い」は戦国時代を代表する断面としての出来事でしたが、秀吉が全国統一から文禄、慶長の役を経て、秀吉が亡くなった時代やその後の「家康」と「三成」を両軸とした一連の軋轢などをみていくと過去を俯瞰している感じになります。その意味で両者の関係をみるものとして、映画『関ヶ原』(せきがはら)は、ぜひ見たい作品です。 2017 年制作の日本映画で石田三成と徳川家康を主人公に、豊臣秀吉の死から天下分け目の関ヶ原の戦いに至るまでの過程を描いた司馬遼太郎原作の歴史小説『関ヶ原』の映画化作品です。岡田准一さんの石田三成、役所広司さんの徳川家康のリアルな演技には魅せられましたし、史実にかなり沿っていると思いました。亡くなった多くの方々に合掌。以上






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最終更新日  2020.11.02 05:54:39
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歴史学者並みの旅日記でした  
たのさんです さん
何時も、拝見しております。

  今回も力作で、感心させられました。

  映画を見てみたい気持ちになってきましたよ。 (2020.11.03 06:47:39)

Re:念願の「関ヶ原古戦場」を訪問しました☆彡(11/02)  
学び活かす  さん
コメントありがとうございました。関ケ原はやはり見ておくべきだと思います。高々420年前にこの日本において東西の勢力15万人余が決戦をした場所です。戦争という観点から、過去の歴史をみると、「仲良く」とか「協調」だとか「民主主義」などは程遠く、「いう事をきくかきかないか」で、強いものが弱いものを飲み込み、また、強いものと強いものが争う繰り返しですね。世界の戦争もしかりです。世の中きれいごとではなかなか長い間維持することは難しいようです。でも、その原点を忘れてしまうと、「悲惨な戦争」が繰り返されてしまいます。その被害は以前とは、桁外れで、一瞬にして人を殺りくする爆弾や化学兵器などが既にあり、その人的な被害は想定のつかない規模になってしまっています。同じことを繰り返してはいけませんね。映画「関ケ原」はぜひご覧になることをお勧めします。 (2020.11.03 09:29:21)

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