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2021.03.20
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前回のブログで、岩崎弥太郎は 1835 ( 天保 5 1 月生 ) 、五代友厚は 1836 ( 天保 6 2 月生 ) 、渋沢栄一は 1840 ( 天保 11 3 月生 ) で、渋沢栄一は岩崎弥太郎より 5 歳年下となります。(西暦と和暦がずれていますがそのまま記載しました)。

若いころの 3 人のプロフィールを調べてみました。

「渋沢」は現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれた。家業の畑作、藍玉の製造販売、養蚕を手伝う一方、幼いころから父に学問の手ほどきを受け、従兄弟の尾高惇忠から本格的に論語を学んでいる。

「岩崎」は土佐藩のもともと郷士の出身だったが、曽祖父が郷士の資格をうり、地下浪人となっていた父岩崎弥次郎の長男として誕生した。若いころから学び、江戸の昌平坂学問所の見山塾に入塾している。その後 1855 年に父親の投獄に抗議したかどで投獄され、獄中で同房の商人から算術や商法を学んだことが、後に商業の道に進む機縁になったと言われている。



[1835 年~ 1866 ]

1864 ( 元治 1 ) に渋沢は「一橋慶喜」につかえる。岩崎は 10 代後半から 20 代前半まで学びに務めていた。同年、土佐藩開誠館へ派遣される。五代は 1863 年寺島宗徳とともにイギリス海軍に捕縛され、横浜に護送されている。また 1865 年グラバー商会が手配した蒸気船で欧州に向けて旅立、同年 9 月フランスへ。幕府と薩摩が万博に参加し対立。いよいよ、三人三様で歴史の舞台に登場し始める前夜という感じがします。



[1867 年~ 1885 ]

1867 ( 慶応 3 ) は大政奉還・王政復古の年であるが、渋沢 (27 ) は徳川昭武に従ってフランスへ出立 ( パリ万博使節団 ) 、岩崎は長崎開誠館長崎商会の主任となる。グラバーなどの世界の商人を相手に経済官僚として奮戦。海援隊の事業を支える。五代は小松、グラバーなどと小菅修船場建設、いろは丸沈没事故の土佐藩と紀州藩の仲介、幕府が崩壊する中で、御納戸奉公格という商事面を担う。

1968 年渋沢はフランスから帰国、翌 69 年には静岡藩に「商法会所」を設立、その後明治政府に仕え、「民部省租税正」、「民部省改正掛掛長」を兼ねる。岩崎は開誠館大阪出張所へ異動、九十九商会開設。土佐藩の権少参事に昇格。五代は会計官権判事として横浜に転勤を命じられるが、 2 か月で退官し下野する。

1871 年廃藩置県、渋沢は前年富岡製糸場設置主任となっている。主に大蔵官僚として活躍したが、 1873 年に大蔵省を辞め、第一国立銀行開業、総監役となり、ここから実業界での活躍が始まっていく。岩崎は 71 年大阪の土佐藩邸の責任者 となる。 73 年には九十九商会を三川商会に社名変更し、その後三菱商会となる。

五代は大阪での経済活動を積極的に始める。 71 年までに大阪通商会社、為替会社の設立、大阪活版所の創立、造幣寮(現大阪造幣局)を竣工など進めた。 73 年には鉱山事業手がけていく。

以降はざっくりとした記述で申し訳ありませんが、渋沢は東京を中心とした実業活動、実業界のリーダーとして活躍。また東京府養育院などの福祉事業にも手掛けており単なる実業家というよりも、あるべき国の理念をもちそのための実業での活動が見て取れます。岩崎は 1874 年の台湾出兵の軍事輸送を受命、三菱蒸気船会社に改名、 13 隻の大型船を運航することになり大きく発展していく。 1877 年の西南戦争でも社船徴用を命じられ、国家の信頼を得るとともに三菱の一大発展の財政的基盤を作ったと言われている。よく言われることだが、政治とのつながりの強い「政商」として大きく発展をしていくのである。

五代は政府の要人の要請にもかかわらず、大阪の経済基盤の確立、発展に向けて活躍していく。 78 年大阪株式取引所の設立、大阪商法会議所設立、初代会長、教育面でも大阪商業講習所(現、大阪市立大学)創設など大阪の実業界、教育面でもその活躍は大きいものがあった。

その後の 3 者のなかでのからみは、 1882 年、渋沢と岩崎の日本経済を代表する実業家が対峙することになる。まったく異なる経営信念をもった二人の間で、共同運輸会社と郵便汽船三菱会社の戦いが始まった。歴史年表をみると共同運輸会社は 82 7 月に五代の手で設立されているが、その辺のの細かな動きは私にはわかりませんが共倒れを危惧した政府の仲介で両社は合併を決定、明治 18 年に「日本郵船」が発足する。



[1886 年~ 1931 ]

「渋沢」に比べて「岩崎」「五代」 50 歳前後で早逝されている。二人の実業界の偉人がもう少し長生きできたらもっと社会に貢献されていたこと思うと、日本にとって大変残念なことだと思います。

以下は渋沢栄一の晩年までの功績です。何か、人物のスケールの大きさを実感します。



※次回③は、渋沢、岩崎、五代の生涯についてちょっと詳しくご紹介できればと考えています。 以上






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最終更新日  2021.03.20 19:26:17
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