伊豆下田を散策と撮影をする旅(6)
唐人お吉記念館の紹介
(唐人お吉について)
唐人お吉は本名を「斎藤きち」といい、天保12年愛知県知多郡内海に
船大工市兵衛の次女としてこの世に生をうけました。4歳の時家族が
下田に移り住み、14歳で芸こと成りました。評判の美貌でしたが
それが奉行所の目にとまる所と成り17歳の時、法外な年俸と引き換えに
心ならずもアメリカの総領事タウンゼンとハリスのもとへ侍妻として奉公
に上がる事に事に成ります。その後は幕末、維新の動乱の中、芸ことしてるろうの果てに下田に戻り鶴松と暮らし髪結い業を始めますが、ほどなく離別。 さらに小料理屋を開業するが2年後に廃業しています。
「唐人」という相も変らぬ世間の罵声を浴びながら貧困の中に身をもちくずし、明治24年3月27日豪雨の夜、遂に川へ身を投げ、自らの命を絶ってしまいます。波乱に満ちた 51年の生涯のあまりにも悲しい終焉でした
お吉は身寄りもなく、宝福寺の住職が境内に手厚く葬りました。
お吉の悲劇的生涯は人間の偏見と権力、その底にひそむ罪の可能性と愚かさを身をもって私たちに教えているようです。
唐人お吉記念館正面 左隣が宝福寺
お吉のマネキン像(ガラス越し)
お吉のお墓
お吉のお墓の正面
お吉が晩年まで着ていた着物(ガラス越し)
お吉の使っていた手鏡(ガラス越し)
お吉が使っていた簪(ガラス越し)
お吉が使っていたお歯黒入れ(ガラス越し)
「唐人お吉記念館」と「宝福寺」
静岡県下田市1ー18-26 0558-22-0960