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某猫雑誌今月号の自分の猫を紹介するというコーナーに、私たちの猫が掲載されました応募したことすっかり忘れていたので、こんな形で一ヶ月後に最愛の子にまた会えて感無量です。ちょうど一ヶ月前のまるで11月と思えない暖かくて青空の日に、一年間私たちと一緒にいてくれた最愛の子が天に召されました。その日のこと、天国に行く日に至るまでのことは、まだ書き記すこと、そこに気持ちを戻すことはつらすぎてできないのですが、発症してしまうと2,3日で死にいたることもあるという白血病を6月に発症してから五ヶ月、主治医の先生に「病院始まって以来の長さでしたよ」と言っていただいたくらい、私たちのためにがんばってくれました一年前の今頃、同じアパートの人が半分めんどうをみていた??猫が彼の部屋に来るようになって、ご飯をあげるようになって、泊まっていくようになって、 そのアパートの人は飼っているのかなんなのか、いつも猫はお腹を空かせて彼のところに来るし、第一冬の冷え込みがつらくなってきているのに、夜外で寝かせているので、これは飼っているのじゃないんだろう・・・と、思うことにして、とりあえず猫を病院に連れて行き、風邪を引かないようにワクチン、血液検査をして、そしてこれ以上外は病気や怪我の危険があるからと、彼の部屋で完全室内飼いにすることに決めました。獣医さんの見立てでは推定2、3歳。それまで外で自由にしていたオス猫なので、トイレを家でさせること、家から出さないようにするのは、なかなか根競べでしたが、「猫の安全のために絶対室内飼いにする」という決意の元、私たちの猫になってもらったのです。大げさでなく私の人生の中で絶対に必ずやってみせる。と思ったのは、このこと、「この子を室内で飼う」ということが初めてだったと思います。それくらい、何にもかえられないほどいとおしく、可愛い子でした。それからは、彼が毎日面倒を見て、私は週末会いに行くという生活が始まりました「部屋に猫の毛がつくなんて絶対嫌だ」と言っていた潔癖症の彼が、部屋に猫の毛どころか、あっというまに必ず一緒にベッドで寝るようになっていました本当にとにかく良い子で、粗相もいたずらも全くなく、ただ私たちにべったり一緒にいたいという様子のただただ可愛い猫。いつも名前の後に「えらいねー」って言っていたので、すっかり「えらいねー」が自分の名前だと思ったみたいです。彼も男の一人暮らしなのに、すごく面倒をみたと思います。あんなに寝坊だった彼が、毎朝猫のごはんをあたためて、ゆたんぽをいれて出勤して。猫のほうも彼にべったりで帰ると必ずお出迎え、何もわがままをいわず、ただただ一緒にという毎日。私が行く週末は三人で本当に幸せに暮らしていました。十年も二十年もずっと一緒に。。。と思っていました。この猫のためにペット可の部屋に引っ越そうと決めたのもこの頃ですそんな六月のある日突然の発病。。。。。ワクチンをした時の検査で、白血病感染はないと出ていたので、外にいたのに本当によかったと感謝して、安心して暮らしていた時でしたから、まさかそんな今更白血病だなんて言われても信じられず、あの時のショックは言い表せないものでした緊急入院をして、もう帰ってこないかもしれないと言われた時のことは、もうショックすぎて記憶がないほどです。でももし別れないといけないとしても、とりあえずこんなにいきなりではなく、とにかく今回だけは私たちの元に返してほしいと、すべてのことに祈りました。立川の猫返し神社と言うところに行ったのもこの時です。そんな祈りを叶えてくれて、猫は一週間の入院から私たちのところに帰ってきてくれたのですあの時願いをかなえてくれた先生、猫返し神社様すべてに感謝いたします。あのままいきなりの別れだったら、私は今こうしていられなかったと思いますそれから毎月通った神社。。。それからは本当に頑張ってくれたの一言です。毎日の投薬、、、嫌なのにそれでもちゃんと飲んで、終わるとちょこんと私たちのそばにくっついて。。。週に二日の点滴、注射、二、三週間に一度の輸血、、、、早く家に帰りたいからすごく痛いのに我慢して、何も抵抗もしないで治療を受けて、終わるとキョロキョロキャリーバックを探し、いそいそと自分からキャリーに入って「早く帰ろうよ」とおとなしく待っていた姿を思い出すと涙が止まらなくなります。病気のために口内炎もひどく、食べられなくてつらかったのに、本当に本当に頑張ってくれました。猫の白血病は治すことが出来ない、、と先生に言われても、もしかしたら治るかもしれない、治らなくてもこのまま治療を続けてこの状態で、生きてさえいてくれれば、どんなことをしても、何に変えてもどんな風でも、私たちのそばにいてさえくれればただそれだけでいいと思っていました。闘病のなかにもすやすや寝てくれているとき、その姿を彼と二人で見つめながら「こんな大切な子をうしなうなんて絶対にできないよね」と語り合ったものです。この子にとっては大変かもしれないけど、治療を続けて一緒にいられるなら、なんでもしようね。と。そして頑張って頑張って、五ヵ月後の11月13日天に召されていきました。それは子のこのために決めたペット可の部屋に彼が引っ越す二週間前のことでしたなんとか一緒に引越ししたいと思っていたのですが、本当にもう限界だった。。というか限界まで私たちのためにがんばってくれましたその時の顔は本当に安らかで可愛くて、つらい治療も私たちがさせてしまってけれどもでも幸せだったと言ってくれたような気がしましたあれがあの子の寿命で、もう亡くならないといけないのだったとしたら、ほんとうに私たちのところに来てくれて、私たちの子どもとして天国に行ってくれた事に本当にありがとうと言いたいいつまでも、時空を超えて、ずっと私たちの子供でいることを、あの子が選んでくれたのだと思いたいし亡くなった時の顔を思いだすと、そう考えていいのだと思えますでも泣き虫でだめな私は、やっぱり毎日あの子がいないことに打ちひしがれ、泣いてばかりいました。ちゃんと違う場所から私たちのことを見ているし、私がこんな様子ではあの子がよろこばないとわかっていても、現実にいないというつらさ、苦しさは、言い表せない毎日でした巻き戻して考えるのはいけないことだと判っていても、あのときああしたほうがよかったのではないか、ああしてあげればよかったと、ともすれば自分を責めてしまうこともありました 。つらいのに頑張らせてしまった私たちを好きでいてくれただろうか。。と自信もなくなってしまう日もありました。そんな風に一ヶ月を過ごしていて、くしくもあの子を空に上らせたお寺に、昨日いつものお参りに行った帰りに買った雑誌の中ページに、あの子を見つけたのです。その雑誌の中のキラキラした瞳は「大丈夫?大好きだよ」と言いに来てくれた様に思えました。それまでの自分を責めた苦しさも少しなくなりました。その写真も、偶然あの最初の入院から帰ってきてくれた時のものだったこともありあの子が私たちのためにありったけのメッセージを、こういう形で伝えに来てくれたのだと本気で思います。あの子が私たちに残してくれたこと、学ばせてくれたこと、無償の愛、想い、それは言い尽くせないほどありますが、本当の意味でのいとしさということを、はじめて教えてもらったと思います彼の新しい部屋にはもちろんあの子の場所があり、彼が毎日変わらず、ごはんをあたため、面倒をみています。引越しして、車の新しいナンバープレートを「396」にした彼。。。そんな彼の想い、仕事をしながらずっと朝早く、夜遅く病院に連れて行き、面倒をみて、ペット可の部屋を探した彼がかわいそうに思います。彼はできるだけのことをしたのだから。。。と言っていますがやっぱり寂しそうです。でもずっとずっとあの子は、彼のひざにいるような気がします。いつかまた必ず三人で暮らそうね。愛しているよ。「いつもくっついてた」
2006年12月18日
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