親不孝日記
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非戦以前ヨーロッパ正戦論(神の意志に基づく正義の執行として正当な戦争のみが容認される)による戦争抑止の議論が実効性をもたないこと、つまり宗教的権威が国際秩序を維持していく機能を持たないことを、30年戦争が実証。その結果、結ばれたウエストファリア条約では、あらたに国家に、戦争を起こす外交決定権などの独立主権が認められた。主権概念そのものは、中央集権国家形成を妨げる封建的な教会や王朝貴族などの諸勢力を排除するための抗議概念として機能した。国家権力の至高性が相互に確認され、国家間主権の平等が原則とされると、正戦論は成り立たない。そのため、無差別戦争論=戦争合違無差別論が支配的になっていった。この戦争合違無差別論の下では、戦争に訴えること自体、何ら違法でなかった。そのため、国際法の機能は、交戦中の残虐行為を減少させることと、参千国を制限して戦争規模の拡大を防ぐことに限定された。国力に差があるヨーロッパで、第一次世界大戦勃発まで安全保障の基本政策になったのは、国家間同盟をつくり、戦争を抑制しようとする勢力均衡政策であった。勢力均衡政策を維持してゆくためには、国際情勢を的確に判断し、自国に有利な陣営を作り出す外交交渉能力が、国力の主要な要因でもあった。しかし、勢力均衡政策は、戦争こそが国際紛争を最終的に解決する手段であることを前提に成立していたことから、戦争という手段にいつでも訴えることができるために常備軍の存在が不可欠だった。そのため、勢力均衡政策による「平和」には、軍事力が肥大化してゆくことを抑制するメカニズムは内部的には働かない。その結果、軍事力の増大と同盟関係の網の目が植民地を含んで極大化すると、他国の戦力や開戦意図についての誤算、偶発的事件が、均衡による平和を一挙に突き崩すことになった。ヨーロッパで悲惨を極めた第一次世界大戦である。勢力均衡政策とは、軍事力によって平和を生み出そうとしたことによって、平和を目指しながら戦争を生むものだったのである。いろいろな政治体制の主権国家であったが、国家財政を担う市民層が大当氏、納税者として国家の決定権への参画要求が高まってくると、社会契約論などを媒介としながら国家を構成する人民全体の集合体が主権の所有者であるとするルソーの人民主権論が有力となってきた。ルソーは、人民の福祉を真に保障するためには戦争を廃絶する必要があり、国際平和を確立するためには人民が主権者となる革命が必要であるとし、人民主権による政府樹立と国際平和の確立を関連付けて捉えていた。被治者とされた人民こそが国家の主権者でなければならないという議論は、国民が憲法を制定し、主権は国民代表が代行、行使するという国民主権論として普及する。ただし、ナポレオンの広めた国民国家は、国民を主権者として参政権を与える代わりに、兵役義務を課した。ナポレオン戦争は、国民皆兵制=徴兵制と、抵抗運動としてのナショナリズムを生んだ。こうして、国民国家は、国民を統合し、敵国を非難し、自国を賛美する愛国心やナショナリズムを糧として、安いコストで大量の国民兵士を動員できるため、戦争を生む装置として機能することになった。国民主権による自己統治という実態を伴わない時、また主権者自らの理性的な自己統制が働かなくなったとき、国民国家は、どこまでも歯止めのきかないままに戦争に駆り立てるシステムとして機能する。日本では、明治憲法下で、国民主権を欠いたまま、少ない財政負担によって必要な兵力を強制的に確保するために徴兵制が導入された。そのため、政府からみれば、徴兵された兵士は、社会的・政治的問題をもったまま軍隊に入り、常に武器を政府に向ける可能性を秘めた警戒すべき存在であった。そのため、日本の軍隊は、外敵よりも、まずは天皇に忠誠を誓わせ、ついで政府に従わない国民を威圧するものである必要があり、「忠君愛国」、排他的愛国心を注入することが必須条件だった。戦争をするのに必要ではあるが、天皇主権の下では自発的には育たない「愛国心」「使命感」を、天皇への忠誠こそ愛国であり徳目だ、として教え込んだ。兵営内では、私的制裁によって命令への服従が強制され、服役期間外も教育機関、地域ぐるみで「忠良なる兵士」としての規律化が常態化した。国民ではなく、政府を守るものとして出発する軍隊は、「自衛」といえども作戦遂行が最優先される。であるから、日本国憲法における平和主義の機軸となる平和的生存権は、国内における「戦力」から危害を加えられることに対する抵抗権も含むことを、確認することは大事である。
2008年05月21日
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