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2013.11.19
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カテゴリ: 家族のこと
(盛大な愚痴です。反転します。)


















 退院の度に大変ではあったが、もう入院しなくていいとなると母の傍若無人っぷりはノンストップだ。
 基本的に家の家事や、2011年4月に骨髄移植をした父の身の回りの世話、父の家の掃除(1LDKの、キッチン、トイレ、風呂付の離れ)、勿論、父の衣類の管理や寝具の管理等も全て私がやっている。
 その上、昭和の日本家屋の母屋も管理しているが、元々家事を殆どやらなかった掃除が全く出来ない母は、今は「癌」という大義名分があるため、大手を振って好きな事だけをやって生きている。家事は気が向いた時に好きな事だけをやる方式。
 なるだけ母の意思を尊重しているつもりだが、私の母は、人から何かをやって貰って満足するという事は無い。やって当然だし、私にはやって貰うだけの価値がある人間だと本気で思っている。
 先に、母は家事を元々殆どやらないと書いたが、私は母に何かをして貰うということは、幼いころからもう諦めていた。だから、小学校3年生の頃から、学校に提出する雑巾すら自分で手縫いして持って行っていたし、母が全く畳まない洗濯物も、見かねて畳んだりしていた。
 洗濯もいい加減で、時々酷く匂うし、人の洗濯をシワシワぐちゃぐちゃにしても問題だとは思っていないので、私は中学時代の夏服の洗濯も自分でやっていた。 
 常に不機嫌でヒステリー性の母に、何かをねだるというのはとても難しいことで、それがたとえ必要な物であったとしても、学校からの通知文でもない限りはなかなか言えなかった。だから、靴が小さくなってしまっても買ってとは言えなかったし、冬には防寒着を持っていなかったので毎日同じセーターを着ていた為、担任に心配されたくらいだ。勿論、問題になったら困ると思い、私は「この服が好きなんです」と答えていた。
 私は母に苦労を掛けられていたという記憶が多いが、母の性格を考えると仕方のない事で、これが自分の母親なのだと今では思っている。思わざるを得ない。
 ただ、兄妹の中でも私が一番母と生活を共にしているだけに、私は母にとっての、日常の小間使いでなければならない。逆に言うと、母に仕事をやらせると、愚痴とヒステリーがうるさいので自分でさっさとやった方が楽なのだ。
 だが、今は闘病中という事もあり、自分の体の具合が悪いと、身近な人間に当たる。つまり、私だ。私しか家にはいないのだから。
 感謝をして欲しいとは思わないが、いわれのない疑いを掛けられたり、思い込みで怒鳴られたり、嘘つき呼ばわりされたり、記憶の混同と改ざんにより私の記憶を真っ向から否定されたりと、ともかく気を遣う生活をするのが辛い。ハッキリ言って苦痛である。
 ぼけ老人の特徴に近いと思う人もいるかも知れない。そうではなく、アスペルガーなのだろう。母はそういう病気なのだと思うしかない。

 一昨日のことだ。夕飯後、母が電気カーペットの上に布団をかぶせていつものように居間で寝ていたのだが、途中で暑くなって起きてきた。時間は夜の9時半くらい。
 その時私は、廊下や階段等の拭き掃除をしており、ドアの開閉もしたりしていた。その音を聴いて勘違いしたのかどうか分からないが、起きてきた母が私にいきなり怒鳴り散らした。「何で(母が寝ていた部屋の)ドアを閉めるんや! 暑くて気持ちが悪くなったやないか!」等々。閉めてないと言うと、「お前、さっきこっちの部屋に入ってきたやないか! その時閉めたんやろう!」。私は、「いや、確かに行ったけど、こっち側は元々閉まってたから出る時も閉めただけ……」と言っている途中に、畳み掛けて怒鳴り散らす。
 なるべく分かりやすく、ドアを閉めてもいないし、反対側のドアも閉めていないと説明すると、自分の分が悪いと思ったのか、「それならなんでさっきこの部屋に入ってきた時に、“あ、ドアが閉まってたらお母さんが暑いんやないか”とドアを開けとかんのや!」と怒鳴るので、「そんな事言われても分からんし、勝手な事をしたら怒るやんか」と。
 母は結局怒りが収まらず、今度は私がまだ風呂に入っていない事を怒り出した。「お前、風呂は9時半に入るって言っとったやないか! まーだ入っとらんのか!」と。
 私は冷静に、「今まで廊下や階段の拭き掃除をしてたの。明日、妹とその子ども達が来るやら? 掃除して無かったら、とっくに入ってたわ」と返すと、段々暑さが取れてきたのか、怒りが少しずつ納まり始めた。
 で、私が風呂に入っている間に洗面所へ歯を磨きにやってきた母は、私に「さっきは本当にしんどかったわ」とだけ言った。つまり、しんどいから周りに当たり散らしても、それは仕方のない事だ、という事を言いたいのだろう。私は返事をせず、黙って髪を洗っていた。(逆に下手な事を言わない方がいい)

 とにかく、何も出来ないくせに、自分は何でもできるし、家事も料理も天才的に出来る。自分より優れた者はいない、ぐらいに思っている母なので、自分の病(悪性の癌)に関しても、どれだけ自分が重病なのか、周りに分かって貰いたくて仕方がない。
 だから、私が訪ねてきた人に、勝手に「もうすぐ退院します」とか、「今退院しています」などと言おうものなら、烈火のごとく怒る。何故、“一時退院”と言わないのか、と。
 どのような対応をしても、母は怒る。母の中では、自分は全ての人から憐れまれるべき重病で、どんなに大変な病気と闘っているのか皆に知らしめたい、という思いがあるようだ。
 確かに母は厄介な癌の病名を告げられたが、医師がビックリするほど抗がん剤が効いて、抗がん剤治療も6クールもやったのにピンシャンしている。私より元気なくらいだ。母は幸運にも、完治する見込みが高い。だが、周り中には自分を心配してほしいし、助けてほしい。また、身の回りの事は全部やって欲しい。そういう人だ。
 だからと言って、勝手な事をすると怒られる。料理を作ったとしても、抗がん剤の影響で味覚がおかしくなっていることもあり、味が薄いとか、こんなマズイものは食えんとか、罵詈雑言は当たり前だ。また、親切心から作ったとしても、「食べたくもない物を、食え食えしつこいし、美味しいと言わんと機嫌が悪くなる」とか言われる。これらも全くの事実無根だが、証明する手立てはない。だから、母から請われない限りはなるべく作らないようにしている。母の扱いは難しいのだ。

 だが、もう本当に私は疲れてしまった。
 今日もひと悶着があった。私が散々怒鳴られて、けなされて、母の機嫌が回復するのを待つ。いつものパターン。それに、本当に疲れてしまった。
 母は、同居させた自分の父母(私にとっての祖父母)の介護すらしなかった人間だ。祖母は私が中学2年生の頃に亡くなったが、今になっても母に、「お前はおばあちゃんの風呂の介助すらしなかった薄情な人間や!」「おばあちゃんの世話を何にもしんかったやないか!」とののしられる。
 妹が祖父母の部屋で寝起きしていて、祖母の風呂介助を時々していた事と比べて言っているらしいのだが、育児も介護もほぼ放棄していた母が、何故、今でも私に言うのかよく分からない。

 私は罵られる事に慣れてしまって、今となっては全てが些末な事のように思える。勿論、母から感謝されたいとも思っていない。やってやったとも思っていない。
 ただ私は、親不孝者にだけはなりたくない。そう思って生きているだけだ。それ以上でも以下でもない。

 そんな私に、一昨日の一悶着後に母が言った一言がこうだ。
「まぁ、お前は家の掃除とかをやっとる方やないか?」
 母にとっては、私を褒めたつもりなのか、私を理由もなく怒鳴り散らしたことへの謝罪のつもりなのか。
 全く嬉しくない余計なひと言は、私をもっと疲弊させる。

 そろそろ私は、自分の為に、自分の未来の為に、生きたいと思う。
 ただ、今の状況で、誰がそれを許してくれるだろうか。







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Last updated  2013.11.19 23:54:34
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ksaya @ Re:私も貰いました(08/30) こんにちは~書き込み有り難うございます♪…
kako2236 @ 私も貰いました そのメールは8/22に届いてたのに今日…
ハルタンパン @ Re:到着!「BUZZ-ex*ボリュームMAX福袋」(07/23) なるほど・・・・確かに!! 洗濯気を…

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