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私が司法試験受験界に入ったのは1986年10月1日でした。
前日の9月30日をもって野村投信を円満退社した翌日です。
実は、当時認知されていなかったパニック障害に罹患し、どこの病院に行っても「異常なし」、しかし満員電車に乗ると脂汗は出るし、心臓はバクバク鳴るし、吐き気はするし・・・で、これ以上サラリーマン生活が続けられないと決断したことが司法試験受験の動機だったのです。
それ以前から予備校のパンフレットは吟味してたので、10月下旬からスタートする早稲田セミナーの「後期論文講座」(週2回の答練です)を申込み、前年度の講義テープを答練のスケジュールに合わせて聴いていくことにしました。
仲間を作るために予備校のゼミにも入りました。
確か15人くらいだったと記憶していますが、とても面倒見のいい当時40歳のWさんが懇切丁寧に「業界事情」を教えてくれました。
教えていただいた業界事情とその後私自身が見聞した結果、正直言って「とんでもない世界に足を突っ込んでしまった」という思いでした。
予備校の自習室は早朝から満席で、講義や答練を受ける以外は夜中までほとんどの人たちが勉強していましたし、先のW氏も毎朝5時に起床して勉強を続けているとのことでした。
年末年始は「正月特訓」というのがあり、大晦日も元日も講義があります。
(ちなみに、最初の関門の択一試験は5月です)
石川達三著「青春の蹉跌」どころではなく、性別年齢関係なくみんなただひたすら寸暇を惜しんで勉強しているという印象でした。
それでもなかなか受からない・・・10年、20年受験生活をしている人たちはザラにいました。
ただひとつ。
「試験の下の平等」だけが保たれていた時代でありました。