住宅展示場の歩き方

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2011/04/04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
いま自分たちにできること、という言葉がたくさん使われている。

でき、何をすべきなのかということだろう。

そこで、建築家に期待することを私なりに書いておきたい。

それは、文字通りの「土地の復興」だ。

1755年、ポルトガルの首都リスボンを大地震が襲った。
大方の建物が崩壊し、地震から40分後に第一波の大津波が襲い、
高台で難を逃れた人々を火災が襲い、6万人ともいう死者をだした。

復興に当たったのが宰相セバスティアン・デ・カルヴァーリョ。

怖れて反対を押し切って、大量の遺体を沖合で水葬にし、軍隊を
城壁に配備して、街を逃れる元気な男たちを阻止して、復興の労力に
したという。

さらに、建築家を沢山雇い、安心な建築の研究と街の復旧に着手、
シャンゼリゼに倣った、幅広いリベルターデ通りなどをつくり
1年のうちに被災地は消え、建築ラッシュとなった。

さて、ここで参考になることは、
1、津波で襲われても街を放棄しない、ということ
2、100年単位のグランドデザインをすること、だが時間をかけない
3、建築家の知恵を結集すること

だろう。(ただし、放射能地域は別途、検討が必要だろう)


いまの政府、国交省や組織すら壊滅的な地方自治体では無理だろう。

世界の集合知でできないだろうか。
オープン・ソースの協働フレームワークでこれを検討してはどうか。
いま、放射能の影響等を内外の専門家がネットワークで
情報提供しているが、それと同様に世界の専門家たちの知恵を


たとえば、どのようにどんな幅と形状の道路網をつくれば、車でも逃げられる
街になるか。あるいは歩いて逃げられる街になるかなどを具体的な
都市毎に適性解を出していく。
都市計画や数学者やなどが、案を検証して問題点を潰しつくりあげていく。

あるいは、今回の倍の津波に耐える防波堤のデザインと景観をコンペする。
むろん、無料コンペだ。

役人が考えたら、たとえ立派な構造物ができても牢屋のような街になりかねないし
書類書類、伺い伺い、会議会議、で長い時間がかかるだろう。
それよりも、世界的な建築家達がデザインを持ち寄り、構造計算の専門家が検討し
施工会社の技術者が問題点を指摘し、改良する。
その複数案の中から住民の投票で選んだらいいのではないか。

ポルトガルのポルトの郊外、マトジーニョスの海辺に立つ、50年も前にできた
レストランBOA NOVAにはいまだに世界中から客が訪れる。
それは、世界的に有名な建築家アルヴァロ・シザが若い頃に設計したレストランだからだ。
そう、著名な建築家の手掛けた構造物は、長く観光資源になる。

世界的建築家(勿論、SANAAのような日本の建築家も含む)が設計し、
アーティストが壁画を描く。そんな堤防は鎮魂から希望の砦に成りはしないか。

国交省は、検証の計算と金の算段をすればいい。あるいは建築費用の一部も
世界から募ってもいい。

もうひとつリスボンに学ぶことは、土地を放棄しないということ。

逃げる算段をしながら、したたかにまた街に住む選択をゆるす方がいい。
逃げる備えはして、あと70年は津波は来ない、と思う大胆さはあってもいい。
その発想は責任を問われる政府、役人には無理だ。
だから、世論を形成して、街に早く戻ることを選択させるようにしていくべき
ではないか。

その際に、重要な点が、街並みの計画だ。

三井所清典さんが手掛けてきた、有田の景観づくりが手本になる。
東大大学院のころから、有田の景観計画に関わってきた三井所さんの功績で
大きいのは、有田に建築確認申請をしていた全ての建築家に手紙を出し、
街並みの研究会を組織したことだ。

そして、皆で有田の街を歩き、残すべき有田らしいデザイン要素を抽出し
記号化し、省くべき修景の要素を確認して、みなで共有していったことだ。

これこそが、市井の設計者の「協働」に他ならない。
このネットワークによって、新しく有田に建つ建築物は、有田らしい表情に
管理されて、素晴らしい景観が生まれることになった。

いま、東北の街を思う時、地元の方々が懐かしいと思える記号はなんなのか。
そのことを古い写真から抽出し、その街らしい、懐かしく、新しい景観を
造っていくことが必要だと思う。
それを住民の意見を集め、役所に提案し、復興の青写真に採用してもらう
ことができるといい。

その作業ができるのは、その地方出身で別のところにいる建築家ではないか。
できれば、三井所さんたちのように手法に長けた方々がウェブのプラット
フォームを立ちあげてその地域の景観の決まりごとを纏めることが必要だと思う。

それは、細かい決めごとではない。バンクーバーでは、屋根やガラスに
緑青いろのブルーグリーンが使われていて、街のカラーになっているが
それは、はじめに出来た大型のホテルが雪山のイメージのブルーグリーンの
尖がり屋根にしたことによる。

だから、コンセプトを表す言葉と、屋根、壁の色と何かの記号的意匠
くらいの緩さであってもいい。そこで建築に携わる、メーカーも含めた
技術者が地域復興のイメージを共有することが大事ではないか。

そうすれば、何十年後かに世界で有数の美しい港町として観光地に
なれるかもしれない。ナザレをイメージしよう。
沢山の業者がてんでのデザインを主張して、アラカルトの街ができては
悔やんでも悔やみきれない。

「いま、私たちにできること」 

を建築家にあてはめると、こうしたことではないかと思う。

※勿論、坂茂さんのように、被災地に入れなくてもという意味です。






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Last updated  2011/04/05 09:25:52 AM
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