無色透明

無色透明

2006.01.22
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カテゴリ: スピリチュアル
ホームワーク [恐怖] 1よりの続き


次は、優しい気持ちさんですね。

>身を守るための本能として存在する恐怖が、なぜこんなにも問題のあるものになってしまったのだろうか。

本来肉体的な自己保存のためにある恐怖、目の前に起こる、ただその時の状況に対して、恐怖感をいだき、その危機的な状況を回避しようと対処することには問題がありません。
恐怖を経験したときの状況から対策を学び、頭にインプットしておくことも問題ないと思います。

しかし、人間の思考は、仮想の出来事、将来起こるかもしれない出来事を想定して、頭の中で恐怖感をいだき、
まだ起こりもしない事象に対し準備や対処しようとするから問題なのではないかと思います。
それによって「今ここ」を生きるということから外れていくのだと思います。
「今ここ」に対する意識が無いということです。


昔は肉体的な死が恐怖の対象の大部分だったと思いますが、 現代社会では社会的な死というものも、とても大きな恐怖となっているということはないでしょうか。

また、生きている限り、いろんな恐怖がありながら、ただ一つの恐怖に思考を縛り付けることで現実から逃避しようとするということもあるでしょうか。
思考による現実からの逃避です。」

確かに、恐怖というのは、一つの現実逃避ですね。
今の目の前の事実から目を逸らし、遠い未来の恐怖に逃げ込む。
そうすることで現実に直面しないですむ。
今を生きたくないのでしょうか。
今を認めたくないのでしょうか。
恐怖というのは、今ここから外れることです。
過去か未来へ逃避することが恐怖です。

それは思考のイマジネーションの世界に逃げ込むことです。

現実から逃げたつもりが、今度は自分が思い描いた恐怖の現実に縛られるのです。
幻想の恐怖が現実の恐怖に変わるのです。
そういう事実を理解する必要があります。
理解して、その泥沼から抜け出すのです。
思考の底なし沼です。


戦争も飢餓も思考の誤った使い方の結果でしょう。
誤った使い方とは、恐怖です。
必要以上の恐怖をつくり出し、その陥穽(かんせい)にハマってしまうのです。
思考の暴走に歯止めをかける必要があります。
思考は野放しにしてはいけないのです。
きちんとその性質を理解し、有効に活用すべきなのです。
それが今の人類の緊急の課題ではないでしょうか。

次は、やちよさんですね。

「何を恐れているのか。何が怖いのか。
 人が怖い。
 人の態度、人の言葉、人の目、人の心が怖いです。
 自分にとって心地好くないと思い込んでいる態度・言葉・目・心です。

どうしてそんなに恐れるのか。
 自分の過去の反応を思い出すから。
 その反応とは、誰にも会いたくなくなる。絶望感に支配される。
 ゴハンが喉を通らない。胸が苦しい。胃が痛い。生きる事が嫌になるなど。
 さらに、その反応を知られることが恐怖ですね。ダメ人間に決定されてしまう恐怖です。
 理想の自分は、かわいがられ、褒められて、いつも心地好い自分だから。

 それと...過去世にひどい事をされたのではないかと思っている自分がいます。
 異常に「恐怖」を感じてしまう自分が少し不思議なので、それで納得しようとしてるかな。

恐怖が、なぜこんなにも問題のあるものになってしまったのだろうか。
 恐怖からは、「戦争」「殺人」のようなものしか生まれない。
 人には「思考」があるばっかりに、間違った方向へ進んでしまった。」

ダメ人間と見なされることは、生きにくくなることですね。
かわいがられ、褒められ、心地よい自分であることは、生きやすいのですね。
それも元をたどれば自己保存の本能に行き着きます。
それはそれで否定する必要はありません。

では、何が問題なのでしょうか。
それは弱さでしょうか。
あなたまかせというか、周りの人に左右されているというか・・・
自分で環境をクリエイトしていく力強さがあまり感じられないことでしょうか。

周りから嫌われないように。
みんなに好かれるように。
周りからどう思われるか。
そういう受け身のスタンスでしょうか。
それが恐怖をつくり出しているのでしょうか。

もちろん思考が恐怖をつくり出していますが、それは思考が悪いからではありません。
使い方を誤っているだけです。
思考がなければ、今の文明は成り立ちません。
思考は必要です。
正しく使えば、とても役に立ちます。
使い方を誤ると、人を殺すことにも戦争にもつながります。

思考に使われないで、思考を使いこなすことでしょうか。
主体性を持って、自分の世界をクリエイトしていくことでしょうか。
思考に振り回され、恐怖に翻弄されないでください。
思考を理解し、思考を縦横に使いこなしてください。
すべては、あなたにかかっています。
思考が問題ではないのです。
それを使う主体の問題です。
思考を理解し、人生を自由にクリエイトしましょう!

次は、せきせきさんですね。

「世界はいつも怖かったです。
被害者になるか、加害者になるかの中だけの世界に浸かっていたから。
病になってからは、人が離れていったり、お金の事や、必要のない人になる恐怖。
体の変化と痛みの恐怖。
考え出せば、どこまでも恐怖を増やせた。
痛みの恐怖で、葛藤し宗教も入った。
人を勧誘すれば、体が良くなるとも聞いた。
やれなかったし、とても学びも多かったが、恐怖に支配されると何でもやるという追い詰められる気持ち、突き進む力を知った。
そして恐怖から逃げることは、恐怖を増幅させることが今はわかります。

でも、恐怖体験をしたのに、恐怖を増やすことのできないこともあった。
執拗に狙われてサスペンス劇場の様な危なさだったのに。
何が違ったのだろう。
たぶん私は考えなかったから。
その時は体で精一杯で色々重なったから、考えなくて事実をたんたんと対処したから。
どうも恐怖とは、すごい体験だから恐怖が大きいわけではないみたい。

私がもし、痛みの恐怖で宗教にはまり、無理やり勧誘し他の宗教の批判をしていたら
それは世界の宗教の争いと変わらないかも?

犯罪被害にあって、家から出られなくなるほど警戒したり、武器を大量に家に持ち、外からガードしたら、それは、戒厳令を発令することや、国のミサイル保有と変わらないのかも?
(実際、沢山の防犯グッズをかかせないし、スタンガンもほしかったし)
私の中に、今の世界の出発点がある。

皆恐怖がある?
だから、学校では、枠を出さないような方法をとり、法律内に収める?
人を下にみようとしたり、怒りで威嚇する?
パワーゲームのように?

そう、怒りをぶつけられた私も震えていたけれど、狂乱して怒る人も震えていた。
力と侮辱で脅すようにする人や、追い詰めるようにしていく人も。
涙がでました。私の恐怖に。その方達の恐怖に。
ありがとうございます。」

考え出せば、どこまでも恐怖を増幅させることができますね。
逆に、考えなければ、恐怖なしで生きることもできます。
ただ事実と共に生きられれば、恐怖はありません。
必要もないことを考えすぎるところから恐怖は生まれます。
事実に恐怖はありません。

恐怖が増殖していけば、原爆があっても水爆があっても足りません。
何があっても恐怖の増殖には追いつけないからです。
次々に新しい恐怖が生み出され、恐怖から自由になることは永遠にできません。
それは恐怖という枠内でゲームをしているからです。
いくら強い武器を手に入れても、相手が更に強いものを手に入れたらどうしようという思考が働けば、強い武器は無力となります。
事実と共に生きる。
取り越し苦労をしない。
それを徹底するしかありません。

それが徹底されれば、恐怖や不安から生み出される戦争や病気は一掃されることでしょう。
心身は光の下で健(すこ)やかに育つでしょう。
もう闇は姿を見せることはないでしょう。
理解することです。
恐怖のシステムを。
理解して乗り越えることですよ。

次は、ぴあのさんですね。

「この瞬間、今ここを白紙で生きていたら恐怖はありませんよね。
kimiさんに 今ここ、白紙 と言われ続けて?早一年・・・(笑)
かなりな恐怖が私の中から消えていった とみられます。

本能としてインプットされている恐怖は別として、
思考が作り出す恐怖におびえていた日々。
実際 起こってもいないことを あれこれ取り越し苦労をしていたり・・・
すべて、意識が 今ここ にないときに起こりますよね。
それらは、先のことを思い煩うから でありました。
あるいは、過去の様々な記憶、周りからのインプットを思い起こしてしまう。
イメージ、妄想、幻・・・
それらに囚われてしまい、自分を縛ってしまう。

もし、自分にとって恐怖に値することが実際現実に起こったら、
その時 その場で勇気を持って立ち向かう それしかないように思います。
(・・と、きっぱり書きましたが 最後のこの二行は理想です)」

ほぼパーフェクトな回答ですね。
唯一、もう一つ付け加えるならば、勇気の他に注意力でしょうか。
日々、注意深く生きることですよ。
それに尽きますね。
思考の渦に巻き込まれないように、注意深く生きる。
思考に翻弄されないように、しっかりとした主体性を持つことですね。

最後は、陽風さんですね。

「恐怖を見つめてみました。

最初は 
恐怖→怒り→悲しみと続いて気が付きました。

恐怖=思い込み?
自分が創りだした現実にただ恐怖を抱いているのではないかと…。
自分を縛り付けているのではないかと。」

その通りでしょうね。
恐怖とは、思い込みです。
自分でつくり出しているだけのものですよ。
実体のないもの。
フィクション。
幻想。
イリュージョン。

事実と共に生きれば、恐怖はありません。
肉体的・本能的恐怖はあるかもしれません。
しかし、それは永続するものではありません。
それは極めて短時間のものです。
なぜなら、そんな危ないところに、いつまでもいないからです。

永続する恐怖は思考の中だけに存在します。
それは思い込みということです。
それ以外に永続する恐怖などというものはありません。
ただ事実があるだけです。
そこには恐怖はないのです。
恐怖のない世界というのが、本当の世界です。

山や森や海では、常に危険が付きまといます。
ですから、常に注意が必要です。
でも、恐怖心はありません。
注意深くさえあればいいのです。
それが恐怖を乗り越えるのに、最も必要なものです。








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Last updated  2006.01.22 18:14:09
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難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
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