無色透明

無色透明

2006.04.25
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カテゴリ: スピリチュアル
今日の屋久島は、晴れてはいるけれども霞んでいる。


昨夜、NHKハイビジョンで「百仏巡礼・アジア仏の美100選(前)、至高の名宝を訪ねる」というのをやっていた。
仏教発祥の地インドから、セイロンやアンコールワットのある東南アジアに広がった小乗仏教。
ガンダーラから中国、朝鮮を経て日本へやって来た大乗仏教。
それぞれの名仏を紹介していた。

2時間番組だったが、20分ぐらいで消してしまった。
仏像は場所や時代によって姿が異なる。
時間の経過と共に、ご当地化される。

お釈迦様は、日輪や菩提樹などで象徴的に示されていた。
しかし、異民族に仏教を広めるため、徐々に仏像というものが作られるようになった。
やがて、それは美しい仏教芸術となっていった。
特に大乗仏教では、釈迦如来の他に大日如来や阿弥陀如来、弥勒菩薩や観音菩薩、不動明王や毘沙門天など、たくさんの仏像が建立された。

人々は、それらの仏像に救いを求めた。
苦界である娑婆世界から西方浄土に思いを馳せた。
それはあまりにも苦しみの多い現実からの逃避だった。
信仰とは、すがること。
救われるために、何かを信じること。

信仰する姿は美しい。
信仰のために命をなげうつ姿は尊くさえある。

お釈迦様は、自分を信仰しろと言っただろうか。
釈迦入滅の際の言葉は、「これよりは法によって生きよ」ではなかったのだろうか。
法とは、真理。
釈迦が説いた真理を理解し、真理を生きよというのが釈迦の教えではなかったのだろうか。
それがいつのまにか仏像を信仰するようになってしまった。


過去世でさんざん信仰してきたように感じる。
仏教もキリスト教も神道も・・・
でも、今生では信仰はしない。
現実から逃げない。
西方浄土に救いを求めない。
来世に逃避しない。
今ここでの救いを実現する。

何かにすがるというのは、やはり心の弱さではないだろうか。
世の中が混乱すればするほど、宗教に走る人が増える。
それは歴史的事実。
人は混乱からの救いを求める。
人は混乱のままではいられない。
人は混乱した現実に素手では対応できない。

社会の混乱の中で自分まで混乱し、混乱していないものを求める。
それにすがって自分の混乱を収束させようとする。
それが信じるということ。
人は心のやすらぎ、心の安定を求める。
人は混乱と共に生きられない。
それは人の弱さだろうか。

混乱と共にあって、混乱を見極め、混乱を収束させる。
信仰に逃げない。
揺るぎのないものに逃げない。
自分の外に確固としたものを想定し、それに依存して生きることをしない。
何ものにも頼らない。
そういう生き方が可能だろうか。

何かにすがり、何かを信じている限り、人は自立してはいない。
信じるものに依存している。
その拠り所によって、人は自分を維持しているだけ。
それが宗教であれ信念であれ、金銭や財産であれ地位や名誉であれ・・・
何であれ、何か依存するものがある限り、人は自立してはいない。
その依存するものが脆(もろ)くも崩れる時、人は自分を見失う。
自分とは何かが、再び問われることとなる。

すべては移り変わる。
この世に変わらぬものはない。
信仰だけが変わらずにあり続けることはできない。
信仰は常に現実から試される。
結果は、信じることよりも、現実の方が強い。
なぜなら、現実は事実だから。
信仰は、思い込みだから。

チベット密教では、何かの儀式に際して砂で曼陀羅を作る。
何人もの僧がお経を唱えながら、長い時間をかけて作る。
祈りを込めて作られた曼陀羅は、すばらしく美しい。
しかし、儀式が終わる時、それは無惨にも壊されてしまう。
膨大な時間と労力の結晶が、惜しげもなく無に帰す。
それはこの世が無常であることの象徴でもある。
無常を深く自覚するために、曼陀羅は即座に破壊される。

瞬々刻々の無常の変化と共に生きるのと、何か変わらぬものにすがって生きるのとでは、まるで波動が異なる。
一方はビデオの早送り、他方はスローモーションぐらいの差がある。
瞬々刻々に生きるのは厳しい。
細やかで精妙な波動が必要となる。
何かにすがって生きるのは、イージー。
他者依存は、そんなに速い波動を必要としない。

千変万化の無常の世界と共に生きることができるだろうか。
変わりゆくものに囚われず、変わりゆく事実と共に生きることが可能だろうか。
この世は波動が遅い。
だから何かにすがっていられるような気になる。
しかし、事実は動いている。
遅いながらも変化していないものはない。
結局は、思いだけが取り残される。
それが執着となる。

三次元は波動の遅い世界。
だから、一見固定しているように見える。
固定しているように見えるものを十二分に味わう世界。
ゆっくり体験する世界。
それでも変化していない訳ではない。
ただ遅いだけ。

信仰も信念も、いかなる思い込みも現実から取り残される。
それが執着となり、囚われとなり、こだわりとなって残る。
そこから苦しみが始まる。
現実と思い込みとのギャップ。
事実ベースで生きないが故のギャップと苦しみ。

リアリティの世界に依存はない。
事実と共に生きるだけ。
極めてシンプル。
神も仏もない。
キリストもハイアーセルフも想定しない。
もちろん、いかなる信念もない。
自分の内にも外にも何も依存するものを想定しない。
ただ事実と共に生きる。

事実から逃げない。
何も思い込まない。
何も信じ込まない。
何も想定しない。
ただ目の前の事実と共に生きる。

その時、リアリティがある。
思い込みではないリアリティがある。
あらゆる依存、あらゆる思い込みを排除した時、リアリティが現れる。
思い込みの世界にいる限り、見ているものは自分の思いを通したもの。
けっしてリアリティではない。

静かに心を落ち着けて、ただ事実と向き合う。
いかなる思いも付着させないで、ただ事実と向き合う。
その時、すべてがシンプルになる。
そうなれば、もう仏像は必要ではなくなる。
何にも依存しない心には、仏像もキリスト像も聖書もコーランもいらない。
信念も信仰も価値観も、何もいらない。
依存する何ものも必要とはしない。

孤独に耐えられない?
何か拠り所がほしい?
やさしく抱きしめてくれるものが必要?
それは子供の頃の思い出だろうか。
母の胸のあたたかさの名残だろうか。

人は独りでは生きられないのだろうか。
母親のような依存するものが必要なのだろうか。
人はパートナーが必要なのだろうか。
家族や友人や会社や社会に、なんとなく依存していないと生きられないのだろうか。
宗教や信念や価値観がないと、自分を維持できないのだろうか。

何もなしで、人は独りで生きられるだろうか。
何も持たないで、何ものにも依存しないで、人は生きられるだろうか。
瞬々刻々に変化する無常の世界で、人は何ものにも依存せずに生きられるだろうか。
その答は、自分自身で見出すしかない。


『現実に ついてゆけずに 信仰や 過去や未来に 逃げようとする』

『信仰は 信じたものに 依存して 自分の責任 放棄すること』

『現実の 厳しさ辛さ 避けるため 救いを求め 信じ込むだけ』

『美しい 仏の像も キリストも 人の思いが 為せる代物(しろもの)』

『方便が いつのまにやら 信仰の 対象となり 拠り所となる』

『イージーに 自分以外に 依存して 逃げて生きれば 波動は落ちる』

『いち早く 思いの世界 抜けないと どこまで行っても 幻想世界』

『これからは 変化がますます 速くなる 自分の波動 高めるしかない』

『どこまでも 求め続けて 真実を 自分自身で 把握すること』

これが479日目の心境です。


* 今夜9時からNHKハイビジョンで、「百仏巡礼・アジア仏の美100選」の後半が放送されます。







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Last updated  2006.04.25 15:45:17
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難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
ポプラ@ ヒマラヤグリーンDTマスター 私もこの水晶を毎日のように眺めてはぞく…
風の彷徨者@ Re:2716日目 - 運命の水晶 「その秘められた可能性を理解すること…」…
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