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こんにちは。科学忍法焼鳥です。前回から間が空いてしましました。すみません。前回まで、とりあえず幼少期の環境と、自分がストレスに感じたことを書きました。そんな中、自分が奇行に走り始めたなという記憶をたどってみます。ある日、父母は仕事、うえも幼稚園に行っていてぽつんと2階に取り残された私は、「暇だなー」と思いながら、広い空間で大の字に寝てみたりしてました。そのうちゆっくりコロコロところがって、うつ伏せになった時にじゅうたんにあるものを見つけました。パンくずでした。忙しい自営業だった我が家のこと、そうそう毎日は掃除機かけられる環境ではなかったし、ご飯の時に落ちたのが残ってたんでしょうね。そして、何となくそのパンくずを拾って食べたんです。美味しかった訳ではありませんが、何故かそのパンくずを探しては食べ、探しては食べ。うつ伏せだった姿勢もそのうち頭を横にして完全に寝た格好で、パンくずを求めてずりずりと移動していました。そうこうしているうちに、母親が2階に上がってきて、私のその姿を見られました。怒られるかなーと思いながらも、私はパンくず拾いをやめずにいました。そんな私を見た母親は一言。「お腹すいてるなら、台所にパンがあるからそれ食べなさい」そう言われて仕方なく私は起き上がり、一階の台所に行き、パンの目の前に立ちました。でも、手は伸びませんでした。お腹がすいてるわけでも、パンが食べたかったわけでもなかったんです。結局何も食べず2階に戻ると、そのうち母親が1階に降りたので、私はまたパンくず探しを始めました。多分、私はこの時、この姿を見た母親にもっと違う言葉をかけて欲しかったんだと思います。怒鳴られないだけまだマシだったとは思いますが。でも、パンを食べろと言われて台所に行った時、ものすごい惨めだったというか、空虚だったというか、「何か違う」という感覚に襲われたのは覚えています。たまたま起こった「クセ」と言えばそれまでなんですが、覚えている限り、私が発したSOSだったんだと思っています。つづく。
2024.04.04
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こんにちは。科学忍法焼鳥です。前回は、幼少期のしつけについて書きました。少し前後しますが、幼少期の環境について少し思い出したことを書きます。覚えている範囲では、子供の寝室と夫婦の寝室は少し離れたところにありました。といっても同じ2階で、リビングの正面に夫婦の部屋、リビング横切ってちょっとだけ曲がったところに子供部屋の入口がありました。だから、お互いの部屋は直接見えませんし、子供は夫婦の部屋に入った記憶がありません。(従業員さんの部屋は1階と2階の間にありました。)そのせいか、お互いの部屋の会話等はあまり聞こえなかったと思います。父と母の関係ですが、のちに聞いた話だと父は母に上からものをいう人だったようで、とても苦労していた、というかストレスをためていたそうです。そして父は、母が物知り(?)で母に言い負かされていると感じて「俺をバカにしている」とよく切れていたそうです。だからたぶん、子供の見えないところで夫婦喧嘩はよくしていたのかなと想像しています。多分、声は子供の部屋に聞こえていたのでしょうが、あまり覚えていません。つづく。
2024.03.12
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こんにちは。化学忍法焼鳥です。ひとつ前の日記で、幼少期の環境を書かせていただきました。ベースはごく普通、というかわりと不自由のない家庭だったと思います。でも、「教育」や「しつけ」の面ではちょっと受け止めきれないなということがありました。例えば。割と小さいころからオルガンを習っていて、その後きょうだい(以後「うえ」と言いますね)と一緒にピアノを習うようになりました。道のりは覚えていませんが、当時の私にとっては結構な距離の先生の家まで、うえに連れられて通っていました。割と厳しめな先生だったかな?という記憶があります。ただ、それ以上に母親のほうが恐怖でした。家で練習していると、うしろから怒鳴るんです。「遅れてる!早い!」「つぶがそろってない!」などなど。当時の私には「つぶ」が何なのかそもそもわかってなかったので、わけもわからず怒鳴られてるとしか思えず、ピアノの練習がどんどんいやになっていきました。それでも「やめたい」という意思表明すらできない年齢でしたから、ものすごくいやいやながら続けていたわけです。音楽というのはそういう感情が如実に表れるものですから(現在私は「音楽」自体は続けているので、それはいやというほどわかります。)、余計下手になっていって、余計母に怒鳴られ続けました。思えばかなりのストレスでした。もう一つ、例えば。当時はご近所さんの関係もわりと密な時代で、こどもの私たちも結構かわいがられていました。それで、店が忙しくて両親の手がふさがっているときなんかに、退屈だったうえと私は、時々家を抜け出してはご近所さんのところに遊びに行ったりしてました。そうするとまあ、親が「お世話になりました」とか「すみません」とかご挨拶したり頭を下げに行ったりするわけです。そしてそのあと、滅茶苦茶怒られるんですね。うえが。それから、ふたりでつまみ食いしたりとか、1階のお店にお客さんたくさんいるのに2階の居住スペースでふたりで走り回ったりしてやかましくしたりとか悪さをすると、やっぱり滅茶苦茶怒られるんですね。うえが。私はなんかやんわり注意されたくらいで済むんですが、うえがこれでもかってくらい怒られてるのを見て、「ああ、大きくなって悪いことをするとあんなことになるんだ。」と思いながらおびえてました。反面、「悪いことをしなければ、悪いことがばれなければあんな目に合わずに済むんだ。」なんて、どんどんこズルいこどもになっていきましたけどね。多分幼稚園上がる前くらいからこんなだったんで、早くから結構歪んでたと思います。つづく。
2024.02.24
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こんにちは。科学忍法焼鳥です。とりあえず、とても古い記憶から絞り出してみます(笑)私は1970年、とある地方で自営業をしている家に生まれました。2人きょうだいの下のほう。自営は主に父がしていて、住み込みの従業員がひとり。それでも忙しくなったら母が手伝う、という形態で営業していました。モノゴゴロついた頃からの家庭の記憶。母は店を手伝いながらもマメな人で、食事はもちろん、時々服やお菓子、バンも手作りしてました。私達もパンやお菓子は手伝って、好きな形作ったりして遊びながら学んだように思います。父は、基本職人カタギで、営業中は私たちが店に顔を出したり、店に出ている時の母を呼んだりすると、閉店後にとても叱られた記憶があります。しかし閉店後は、一緒に店の掃除をしたり、道具の整理を見せてもらったりして、「自営」の一面を見せながら仕事中の大切さを話していたように思います。従業員のお兄さんはとても控えめな方で、仕事中以外は余程の用がない限り家族の中に首を突っ込んできたりしないし、かと言って寡黙でもなく子供たちには笑顔で話しかけてくれる人でした。とりあえず家族や家庭の構成は、こんな感じでした。続く。
2024.02.21
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こんにちは。はじめまして。タイトルに書きました通り、名前は科学忍法焼鳥と申します。現在は双極性障害の悪化により療養中の身です。自己紹介にもありますとおり、これから、幼少期から「思い返してみれば鬱の症状だった」ことを思い起こしつつ、はじめて病院で「鬱」と診断されたこと、そして改めて「双極性障害」と診断され、その後急激に悪化して現在に至るまでの経緯をぼちぼちと書いていこうと思います。体調に左右されるので不定期で更新いたします。あと、過去のことは深いところからめっちゃ掘り起こして思い出しながらなので時系列が前後するかもしれません。あくまでもわたしの場合ですが、「こういう症状が出たよ」「こういうことで楽になったよ」「逆にこういうことで悪くなったよ」といったことを伝えられたらと思います。また、おこがましいですが「もしかして鬱?いやいや甘えかも」のように思い込んでしまっている方が、思い切って病院へ足を運ぶきっかけにもなったらいいなと考えていたりします。とりあえずご挨拶の書き込みしてみました。今後共もよろしくお願いいたします。
2024.02.18
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