無名絵描きジジイのつぶやき

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2024.05.05
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一条天皇が「道長の甥」伊周の関白就任を阻んだ訳  一条天皇が「道長の甥」伊周の関白就任を阻んだ訳 道隆は我が子をどんどん出世させたものの… | 紫式部と藤原道長が生きた平安時代 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net) 道隆は我が子をどんどん出世させたものの

「手段を選ばなかった、という意味では、父の藤原兼家にも勝っていたかもしれない。
兼家の長男にあたる藤原道隆のことだ。 
兼家の死後、政権を握った道隆は、自分の身内をどんどん引き上げていく。
円融天皇の中宮にあたる藤原遵子がいるにもかかわらず、道隆は遵子を皇后として、自身の娘である15歳の定子を一条天皇の中宮とした。 
すでに皇后、皇太后、太皇太后が「中宮」と称されているなかで、4人目の中宮を強引に誕生させることとなった。
藤原実資は日記『小右記』にて「皇后4人の例は聞いたことがない」(皇后4人の例、往古、聞かざる事なり)と記している。呆れる表情が目に浮かぶようだ。・・」

【光る君へ 大河絵(光る君絵)】第17話 家族のため…父をもしのぐ“狂気”酒と権力に溺れた道隆の最期(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

それにしても、平安期の権力争いは、相当なものであるな~^^



兄の道隆とは、才覚の違いの速さが、遅かったのか・・

兼家の三兄弟の運勢の比較をしてみると・・

道隆は、才覚はあったものの、短命運であったゆえに、才の発揮が
中途半端に終わった。

道兼は、大凶数の同格があったため、運勢の抑圧を受け、残りの
兄弟より、短命運があった分、運が悪かった印象。

道長は、人生前半の運勢に弱いものがあり、力を発揮できなかったが、
総格に吉数があったので、後半に力を発揮する印象。

こういうほど、大差はなく、ちょっとしたことが、運勢の
分かれ道になったようだ。






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Last updated  2024.05.05 21:10:07
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