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November 5, 2006
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テーマ: 闘病日記
カテゴリ: カテゴリ未分類
前回の日記からあっという間に一ヶ月以上が経ってしまいました。
久しぶりに自分の日記を見ると、まだ父の手術前の日記だったのですね。

今も父は入院しています。
正確に言うと、今月に入ってから別の病院に入院しました。

と、いうのも、前回の脳腫瘍の手術の結果、「おそらく髄膜腫」という所見のままに手術をしたのですが、開頭した結果、髄膜にできた腫瘍ではなく、脳そのものにできた腫瘍という事がわかりました。
また、その形状から、執刀した先生から
「ほぼ間違いなく悪性、おそらく転移性の脳腫瘍ではないか。で、あれば別の所に末期の癌がある。そういう状況だと、余命6ヶ月という所だろう」
と、いきなり言われたのでした。
しかも動脈の周りは腫瘍が取りきれなかったというではないか…。

それって、手術前からあったなら、ナゼ髄膜腫と判断したのか?!という不信感は残りました。

衝撃の報告を受け、まだICUにいる父に面会したときには
「無事に手術が終わってほっとしたよ」といいながら涙が止まりませんでした。

その後、どうやって父に告知するのか、原発があるとしたら何癌なのか・・・などと家族で涙ながらに話合っても、どうしても父のライフスタイルから他の場所に末期癌があるとは思えず、とにかく父の生命力を信じながら対策を考えようという事になりました。

2日後、目の焦点が合わないと言い出した父。
すると先生は脳幹部の腫瘍のせいだから、すぐにガンマナイフ(局所的な放射線)で腫瘍をたたこうと言い出した。
そこで、父にも先生から髄膜腫ではなかったことと、ほかにも腫瘍があることが告げられた。

本当にすぐにガンマナイフをするべきなのか。
家族で悩みに悩んだ。先生は症状がでているのだから一刻を争うという。

しかし、「本当に転移性の脳腫瘍なのか?」という疑問がどうしてもぬぐえない。

そこで、取った検体の病理検査が出るまでは、ガンマナイフの治療を見送りたいと申し出た。

と言われたけれど、どうしてもガンマナイフに踏み切れなかった。

手術から一週間後、病理検査の結果が出るという日。
その日はT大からの先生も同席されていた。すると、
「術後の経過も良いし、本人がイヤと言う治療をしても仕方がない。一度退院して考えられたらどうでしょうか。」という。少し驚いたが
「いや~何が問題かって、この病理検査の結果が『不明』なんですよ。悪性とも良性ともわからないってなっているんだよな~。困ったな」と。

とのお言葉。
「もしかして良性かも?」なんて淡い期待を寄せるも「それはないですね」と一掃される。

そこで、原発の癌を探すべく、体全体のCTや血液検査、レントゲンなどが行われたが、どこにも癌は見つからない。

そのまま結果がでるまで一時退院となった。
家に戻った父は表情も良く、このまま良くなってしまうんじゃないか?とさえ思うほどだったけれど、一週間後の10月中旬、病院から連絡が弟に入った。

その結果は「悪性リンパ腫」というものだった。

どこにも癌が見つからないときに先生たちは既に悪性リンパ腫を疑ってはいたけれど、インターネット等で調べる悪性リンパ腫の症状にはほとんど当てはまらないので、まさかとは思っていた。

悪性リンパ腫と分かった以上、化学療法(抗がん剤)しか方法がないので、即入院してくださいというものだった。

そこで、まずは兄弟会議。
仕事の後で弟と会い、「どうやって伝えるか。今後の治療方針をどうするか。」について問題点を挙げて話し合った。
治療方針については「どこの病院で受けるのか、病院によって治療実績に差がでる病気か、抗がん剤以外の治療法は本当に無いのか、そもそも診断は正しいのか」など。

そこで、自分達の知っている中での一番の専門家、あまりにも偉大な方過ぎて簡単に相談できなかったけれど、今回ばかりは相談しようという事でK名誉教授に相談する事とした。
両親への告知としてはあさって、兄弟全員で帰って、事実と病気について調べられた事の全て、そして、準備した方策を伝えようということになった。

父もそうだが母もきっと落ち込むだろう。
病気慣れしていない父の精神力は持つのだろうか・・・などと心配をしながら、その日はやってきた。
それまでに弟がK先生と話をし、その経過も伝えられる状態となった。

弟2人と私、3人が家族を伴わずに実家に揃う事なんて珍しい。
そんなワイワイした雰囲気の中、夕食後に弟が切り出した。

「いや、今日帰ってきたのはね、病理検査の結果が出たんだ」

「悪性リンパ腫」であったこと。
「悪性リンパ腫」とは。「悪性リンパ腫による脳腫瘍」とはという情報。
それには化学療法しかないこと。
今の病院から即入院を言われているが、まずはK先生と相談中であること。
悪性リンパ腫による脳腫瘍であれば、病院も選んだほうが良いといわれたために、他の病院も交渉中であること、などを一気に話した。

父は一応淡々と聞いていたが、「どうしてそんな事になってしまったのだろう」と漏らした。
突然の病に襲われた人は皆そう思うのだろう。
私も「どうして父が?」という納得できない思いでいっぱいだった。

しかし実際に症状はまた悪化、一人で歩く事も出来なくなってきて、頻繁に軽い顔の痙攣も起こるようになっている。
最初から訴えている目まいは一向に良くならない。
早く治療を受けなければ、限界かな・・・とさすがに思えてきた。

そんな中の10月末、交渉していただいていた病院に入れることになった。
ちょうど手術から1ヶ月が過ぎていた。
すぐに父を連れて行き、入院。そこでの検査の結果、驚くほどに腫瘍が大きくなっている事もわかる。

「手術した部分が、もう既に大きくなった腫瘍で埋まってしまいそうです。あと一週間したら手術した甲斐もなくなっていましたね」
「脳幹にある腫瘍は脊髄の近くまで広がっています。脊髄に転移していないか調べましょう」
「病理のプレパラートも見ましたが、悪性リンパ腫に間違いありません。前の病院での手術前の写真も見せてもらいましたが、悪性リンパ腫の特徴がでていました。私たちならばわかりますが・・・」
「ここまで大きくなっているとは私たちも驚いています」
「PETで転移状況も調べましょう」
「ガンマナイフをやっていたら面倒なことになってましたね、やらなくて正解でしたよ」
「血液の状態などは良いようですから、抗がん剤には耐えられるでしょう。明日からすぐに始めます」

・・・絶句という感じ。

最初からこの病院に来ていればと悔やまれるが仕方ない。今はこの病院に入れたことに感謝するしかない。
そして抗がん剤治療が始まったのでした。

今まで仕事人間だった私ですが、今は父を最優先にしていて、土日の出勤はなし、平日も休みと早退などを繰り返し、入社以来ほとんど使ったことの無かった有休を初めてこんなに使っています。
幸いなことに上司も部下も「家族を優先してくれ」と言ってくれていますが、やはり実績面でみるとやや落ち込んでいるのが現状ですし、私がいない分、同じ役職の同僚に仕事が増えているのも事実です。

本当に申し訳ないけれど、やはり私には家族が一番大事。
その上で仕事もできる限り頑張る、本当なら迷惑かけないようにやりたいから、私の体力の限界までの努力はするつもり・・・。

ところが・・・なかなかそうもいかなくなってきました。

そろそろ来年の人事も動き出す頃です。
また時期をみて書き込みします!





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Last updated  November 6, 2006 12:43:41 AM
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たこ焼き@ Re:父が脳腫瘍に・・・(09/24) 初めてのコメント失礼します。 私は今高校…
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