曹操閣下の食卓

☆歴史的教訓と警句




 Strategy・ストラテジーという英語の語源は、「航海法」という意味の古代ギリシャ語に由来する。
 そこで、アテネのような海洋都市国家では、国家元首の「将軍」をストラデゴス(今のパイロット)と呼んだ。

 そして、これと組織経営と同じような発想方法は全世界の古代文明において、ピラミッドの建設を実現した社会にも、万里の長城の建設に当たった集団にも、ほとんど完全な形式で展開されていたことが古代文献の上で確認されている。

 そこでは彼らが現代科学にも通用するような戦略的な発想方法と、計画性に基づく組織行動、命令系統などの組織内部の情報伝達の習熟を実現していたからこそ、ピラミッドが崩れたり、万里の長城が跡形もなくなるということはなかったのである。
 もちろん、あの当時にピラミッドをつくるのが良かったか、悪かったかをも検証するのが戦略論議の一つだが、そのような賛否両論も、人間集団の最大限のエネルギーを一つの目的に集中し、初歩的な科学技術しかありえない古代に、あれだけの成果を後世に遺しえたという組織行動の実績の前には、口先の評論は全く意味をなさないといえよう。

 今から2220年前の秦の始皇帝の時代の墓(湖南省睡虎池秦墓)から発見された竹簡(竹の札に墨で書かれた当時の記録)には、《工律》という次の短い三つの法律が銘記されていた。
一、 国営工場の製品は、必ず設計図通りに製作し、指示された納期と数量を厳守せよ。
二、 不良品は一つたりとも工場の外に出荷してはならない。
三、 所期の品質・納期・数量が達成されない場合は、工場長と担当幹部を更迭し、罰金を科す。

 現代の大量生産システムが部品の品質管理と、その組み立てによって成り立っていることを考える時に、この短い三ケ条の法律が明示するものは驚異的である。
 始皇帝の時代、このような法律制度を完全に実行していたとするならば、近代的工業社会と同じソフトウェアが機能していたことを意味する。あの始皇帝兵馬俑にみるような究極の大量規格生産システムが具体的に浮かび上がってくる。

 始皇帝時代の青銅剣はクロムメッキされたステンレス製なので、二千二百年以上錆びることがなく、土の中から発掘されても、キラキラ光沢を光らせ、そのまま人肌を切るのに十分な刃先が残っている。
また、始皇帝から百年ほど後の西安市未央宮遺跡で発見された兵器の複雑な部品は、河南工官など八ケ所の別々の国営工場で生産、調達され、宮廷工場の少府尚方局で組み立てられ、部品交換と修理がなされていたとはっきり記録されている。しかも、その部品の一つ一つには、各工場の製造番号や複数の製作責任者・品質管理責任者等の連署までも刻印されているのである。

 われわれは古代文明というと、大きな遺跡とか建造物のイメージ、すなわち古びたハードウェア系の知識だけを尊重しすぎ、それを実現した人々の発想や社会的な制度、実行組織の実態などについてはあまり知識を持とうとしなかった。
 あるいは、そのようなソフトウェア系の学識は、ほとんど説明する必要もなかったし、疑問さえ感じなかったということも言える。
 しかし、これからはそうではない。最近のテレビの歴史番組も、歴史的人物の行動に細かくスポットを当てていくうち、どのような判断で行動したのか、何を根拠にそう言えるのか、そうした細かい説明に立ち至るものが多い。

 歴史学という膨大な専門学識の新潮流も、このような歴史的な事物における《ソフトウェア系の重視》に動きつつあるようである。
 あのエジプトの大ピラミッドについても、農業ができない乾燥期の失業対策のために公共事業を集中させた結果だという結論が、最近になって古代文献の照合によって定着した。
 この説をいちはやく唱えたのは、国家財政における公共事業の主導的な役割を主張した経済学者ジョン・メイナード・ケインズの弟子の一人であった。
 ここで現代と古代が全く同じ知恵の一本の線でつながる。

 古代中国では「春秋左氏伝」という歴史書に、紀元前600年前の記録がある。そこには「農業恐慌が発生したら、その年は辺境の軍事施設を修理して、国民に仕事と食料を平等かつ十分に分配しなくてはならない。
 これが伝統的な政策の要領だ」という貴族政治家(君子)の指示の発言が見られる。同じく中国の古典、「晏子春秋」には、儒教の祖・孔子と同時代に農業恐慌に直面した斉国の晏嬰という宰相が、「豪華な宮殿を建設せよ」という暴君の絶対命令を逆手にとって、この大規模公共事業によって、民衆に臨時収入と食料分配を実現して、経済再建に成功したというエピソードが載っている。
 この文献も1976年、山東省銀雀山の前漢時代の墓から竹簡が出土している。

 幾何学がピタゴラスの定理から始まるように、社会諸科学の法則や原理も、同じものが古代や中世に存在し、当時の社会をダイナミックに動かしていたのである。こうした歴史を検証することは、本講義の趣旨からはそれるが、大いに興味をかきたてられる。

 それは社会科学が一部においては再現性のある真理に基づいており、単なる歴史的な教訓ではなく、科学的な真理性に接近できるのではないかと考えられるからである。

 戦略学という分野は、社会的な実験や組織的な経験における成功と失敗の分かれ目が明白であり、その成果のフィードバックの影響も甚大である。誰も何も指導せず、責任もとらないような仕組みの中で社会や組織が失敗に直面しても、「運が悪かったな」という一言でかたずけられてしまうことがある。

阪神大震災に際して、一国の指導者の座にある人物が、本人の言葉でいえば「初めての経験だった」ということで、現地からの報告を待ちつづけて丸一日も何も決断せずにいたり、兵庫県知事が公用車を待って八時間も自宅待機していて、つい昨年まで現職の地位にあった。
 神戸市長が連絡不通の場所にいて、長時間にわたり行方不明だったということもあった。そのために六千人以上の人々が苦悶の中で生命を絶たれ、数万人の市民が生活と財産を奪われた.
 それでも「運が悪かった」というのだ。

 しかし、今は違う。
 首相たる者は、他者からクレームがつくような不用意な偏向発言は、一言一句も許されない。
 国が関わる事故や緊急事態に際しては、散髪やゴルフや会食なども許されないのだ。

 誰かの発言が政策決定に大きな役割を果たしたとか、「自分が責任を持って実行する」と明言して国家社会を動かし、国民の生命財産を左右するような強力な指導力が発揮された場合、もはや「時機が悪かった」とか、「運がよくない」という不合理な理由は一切通用しない。

 「成算ある戦略を持たずして国を動かしたのか」とすると、その責任は重大な犯罪のように徹底的に追及されなくてはならない。まさに自分自身が、この世の地獄に落ちるかも知れない立場で、冷静かつ正確な判断を下さねばならないのである。
 そういう意味で、「甘えの構造」とか、「日本的なあいまいさ」に隠れて続けていた日本の政治も変革の時を迎えている。

 前記の孔子や晏嬰より少し以前に成立したと考えられる「孫子兵法」の巻頭は「兵は国の大事なり」という戒めの言葉で始まる。
 気楽に学んでもいいけれども、それを実際に応用する時に、貴方は決して無責任な立場ではいられない。
 これは古代も現代も共通する重要な真理なのである。

 そこで私の開講の言葉も、まず戦略学を学ぶ皆さんに対する戒めから語るべきであろうと思う。
 新約聖書のヤコブ書にいわく、「あなたたちの多くは教師にならないほうが良い。なぜなら教師の罪は万人より重いからである」と。


ban_kanzaki

next


© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: