曹操閣下の食卓

☆キッシンジャー戦略




 キッシンジャーという人物は、知れば知るほど面白い人物である。
 坂本竜馬など、知れば知るほど面白いという歴史的な人は数多いが、現代人となるといかがであろうか。
 もちろん人の好みもあろうし、彼自身も若さにかまけて、鼻持ちならない言動をくりかえした時期もあったであろう。
 彼は長く独身だったが、
 「女性はホビーだ。だが、私の趣味ではない」と女性蔑視のような発言をしていたし、ついにモデルのような美人の奥さんと結婚したとき、有頂天になって彼は 
 「権力は最高の媚薬だ」といった。
 少し目立ちたがり屋なんだね。

そしてベトナム反戦運動が盛んだったとき、キッシンジャーはまさに非難の標的であった。
 ただウォーターゲート事件でニクソンが失脚した時も、奇跡的に彼は関わりを持たなかった。
 しかし、文化大革命の最中の北京に出かけ、周恩来と握手をした時の写真をながめると、彼があの時の中国を奈落の底から救った立役者であったことを低く評価することは不可能である。

 多くの人々は誤解している。
 彼はアメリカ人で、政府の高官も歴任した。
 だからアメリカ一極集中のグローバリゼーションを歓迎しているだろうと。
 しかし、この問題について、彼の見解は歴史学者のように、実に冷ややかである。
 「アメリカは歴史的に、自分がリーダーだと思い込んで先走る時期がある。しかし、全世界がそう簡単に動かせないとわかると、自信を喪失して壁にぶつかり、今度は自分勝手にやってみるという。それもうまくいかないと、今度はブロックで世界を分割する。分割競争で、勝ち負けが明確になると、また自分がリーダーだと思い込んで走り出す」
 キッシンジャーはドイツ系のユダヤ人である。だからイスラエルを支持するかといえば、そんなことはない。
 「イスラエルはパレスチナ国家と共存し、共栄する方向に、国の成り立ちを転換しなければならない」という。
 「根本的な錯誤は、イスラエル人とハレスチナ人が互いに領土と、相手の譲歩を要求していることだ。つまり答えの出ない対立にとどまっていることだ」という。

 キッシンジャーがニューヨークの外交評議会で新進気鋭の政治学者として頭角を見せたのは、核を使わない通常兵器戦争の限界を戦略的に分析した業績である。
 ここに一冊の本があり、『軍備管理・軍縮・安全保障 "Arms Control, Disarmament and National Security"』という題名だが、その執筆陣の豪華さに、私は驚いた。
 キッシンジャーだけではなく、未来学者ハーマン・カーンHarman Kahn、哲学者のエーリヒ・フロムErich Frommや元イギリス労働党委員長で、ノーベル平和賞を受けたノエルベーカー卿Philip Noelbaker、そして同じく後にノーベル経済学賞を受けた元ICU教授のケネス・ボールディングKenneth Ewert Boulding、また後にニクソンと大統領選挙を争う運命にある民主党の上院議員ヒューバート・ハンフリーHubert H.Humphreyまでが名前を連ねているのである。

 この書の中で、キッシンジャーは『限定戦争の再評価-通常兵器か核兵器か?_"Limited War, Conventional or Nuclear? A Reappraisal"』と題する論文を掲載し、次のように述べている。
「われわれは、核兵器が自分たちに対しては使用されないという想定で戦略を策定したり、われわれの生存を賭けたりすることはできない。」
「空軍は限定核戦争を<制空権Defend Air Space Control>だと考える。陸軍は地上作戦に影響をもちうる戦術目標(交通の要所など)を破壊するのに不可欠だと考え、海軍は何より第一に港湾施設の排撃に関心を持っている。・・・・限定核戦争についてのわが三軍の見解の不一致は、わが同盟諸国との外交関係においても再現されている。われわれの同盟諸国の大半は核兵器を保有していない。核保有国は、報復攻撃を強調するあまり、核戦争の戦術的側面を重視しなかった。大部分の同盟諸国の世論は、いろいろな機会において核兵器反対のために動員されてきた。」
「このような環境の下では、ソ連の圧力に直面しながら、同盟諸国にも受け入れられ、われわれも確信を持って保持しうるような戦略・戦術両面の理論を調和させることは次第に難しくなるだろう。・・・・もし西側諸国が完全に核戦略に依存するなら、戦争開始前と戦争中の核脅迫に対する西側の脆弱性は相当大きいものになるだろう。」
「一つの理由には、核兵器はかなりの距離から正確に(ミサイルで)到達させることができるようになるので、主要な核戦略部隊を戦闘地域に進出させる必要はなくなると思われる。さらに重要なことだが、これまで制空権と考えられてきたものを手に入れる唯一の方法は、敵の中距離ミサイルと大陸間ミサイルの大半をやっつけることである。このような作戦は、戦争を限定しようとする試みと調和させることが難しくなるだろう。」
「核実験停止のもたらす結果がどのようなものであれ、実験停止は、限定戦争において核兵器を使用することに対して、既存の世論の強い嫌悪感をさらに増大させるであろう。このような状況で西側諸国が(世論と対立したまま)基本的に核戦略に依存するままであれば、きわめて不安定な内外情勢をつくり出すことになるであろう。」
「したがって、今後数年間、西側諸国は通常兵器による軍事力の大幅な強化を行わなければならない。・・・・この西側の通常兵器による軍事力は、ソ連が威嚇政策だけで利益を得ていた多くの機会を除去するであろう。通常兵器による軍事力は、わがアメリカの外交の柔軟性を補強し、核兵器の軍備管理について、ソ連と自信を持って交渉することを可能にするであろう。」
「侵略者は通常兵器による限定戦争で勝利を得ようとし、手に入れた勝利を核兵器によって守ろうとするかもしれない。こうして、われわれは敗北を受け入れるか、それとも核兵器の使用を否認させるだけで侵略を黙認してしまうか、あるいは勝利を手に入れる前に侵略者から戦利品を奪えないようにする干渉戦争に乗り出すか、現実のディレンマに直面するであろう。もしソ連が通常兵器部隊でヨーロッパあるいはイランを軍事侵略することに成功すれば、ソ連は核兵器で自分の侵略地域を防衛し、反撃を阻止すると脅かしつつ、自分たちに都合のよい和平を提案することができる。」
「これに応じて、われわれは戦略ドクトリンを調整しなければならない。しかし、われわれが重要な地域において通常兵器による戦争で敗北するかもしれないという印象を与えることはきわめて危険なことであろう。・・・・われわれが通常兵器による軍事戦略と、核戦略の関係について採用する戦略方針は、アメリカの外交と同時に、われわれの戦略が今後進むべき方向を決定するだろう。これは軍備管理交渉において明白である。」
「今後、われわれが採用すべき方策は、限定戦争能力と通常兵器の軍事力を同時に再建しながら、きわめて重要な軍備管理交渉に乗り出すことである。アメリカの指導層は、われわれが軍備管理交渉に熱心な努力を傾ける一方で、軍事支出を増大しなければならないことを世論に理解させねばならない。この二つの努力のうち、どちらを軽視しても、その危険は非常に大きい。」

 この共著(1960)に前後してキッシンジャーはハーバード大学の政府論講座の准教授・防衛問題研究プログラム主任という立場で核軍縮論の専門家として名声を確立して、アイゼンハワー大統領とニクソン副大統領の下で統合参謀本部で兵器体系評価の報告書をまとめあげ、対ソ軍縮戦略を研究していた。
 彼の経歴で最も興味深いのは、この民主党ハンフリー上院議員との関係と、後のケネディ大統領による米ソ大気圏核実験制限条約に関する貢献である。
 つまり彼は一時期、ケネディ政権内部にも、軍費管理問題の専門家としてコミットメントを持っていた。

 しかしケネディ暗殺後、このキッシンジャーの軍縮交渉路線は完全に否定され、ベトナム戦争への本格的介入と軍拡政策が急遽決定された。
 オリバー・ストーン監督の映画《JFK》では、元国防総省幹部の告白で、米ソ核軍縮交渉と、ベトナムからの駐留米軍撤退計画の打ち切りを事実上の「クーデター」だと衝撃的に描いている。

 しかし、われわれがこのキッシンジャー論文を再読して発見することは、すでに《冷戦終結》に向けた必要なシナリオが完全に記述されていることだ。
 もちろん当時の彼は、自分の戦略理論がソ連をどこまで追い込めるかについて、それほどの確信はもっていなかったであろう。
 しかし、
 「ソ連が通常兵器部隊でヨーロッパあるいはイランを軍事侵略することに成功すれば、ソ連は核兵器で自分の侵略地域を防衛し、反撃を阻止すると脅かしつつ、自分たちに都合のよい和平を提案する」という予測は、ソ連のチェコ侵攻(1966)やアフガニスタン侵攻(1980)などでまさしく的中した。
 これは彼が仮想敵国・ソ連のコンバット・フォーメーションCombat Formation(戦闘様式)の行動原理を完全に把握していたからである。

 さらに、彼のアメリカ国内に対する分析も正確であった。
 朝鮮戦争後のアメリカは、まだ戦勝国としての威厳に満ちていたものの、度重なる戦争の連続で、国民の大多数の中には厭戦気分が広がっていた。
 朝鮮からベトナムへ。ベルリンからキプロスへ。カイロからイスラエルへ。アメリカの軍事的な舞台がアメリカ本土からどんどん離れていくにつれて、国民の不安は増していった。
「核実験停止は、限定戦争において核兵器を使用することに対して、既存の世論の強い嫌悪感をさらに増大させるであろう。このような状況で西側諸国が(世論と対立したまま)基本的に核戦略に依存するままであれば、きわめて不安定な内外情勢をつくり出すことになる」

 平和運動の政治的発言力の拡大をキッシンジャーが冷徹に予測したのは卓見であった。後に彼自身も、その平和運動の勢力に負いまわされるために大変な労苦と代償を支払ったのである。

 アメリカは建国時代にトクヴィルが指摘したように、マスコミの国であった。
 マスコミ、ハリウッド、電力、エネルギーなど、アメリカ社会には特有の血管と神経のDNAがあった。
 マスコミが国民の政治運動に押されて、「平和」を語り始めたら、大統領も抗しきれないことをキッシンジャーは見抜いていたのである。
 そこで彼は次のような政治原則をアメリカ大統領に求めた。

 (1)平和実現の具体的プロセスを国民に明示するために、核問題の軍縮交渉をすすめること。
 (2)ソ連とその同盟諸国の脅威を明示し、兵器体系の更新と軍事予算の増加を推進すること。

 彼のこの政策方針が明確に採用されたのはレーガン政権である。
ここでニクソン政権に引き続き、レーガン大統領はゴルバチョフに対して核弾頭削減の条約交渉を提案しつつ、いわゆる「スター・ウォーズ計画」という究極の軍備拡大方針をとった。
 アメリカ国民はたくみに世論誘導されて、スター・ウォーズ計画についてはほとんど関心を持たなかったし、深刻な反対運動も起きなかった。
 また核弾頭削減という進行中の平和交渉を継続することによって、この交渉に妨害をしてはならないという自己抑制を、レーガン政権に対立する勢力にも芽生えさせた。

 このことがニクソン政権でうまくいかなかったのは、キッシンジャー自身がベトナム戦争からの撤退のために板ばさみになっていたこと、そして平和勢力を自分の側に取り込むことができないニクソン自身の保守的な狭量さが、反体制主義側に偽悪的に利用され、政界にも、マスコミにも、多くの政敵をつくり出してしまったことである。

 料理中に料理人のフライパンに手を出すことを、常識人は手控えるものである。
 もし料理人が料理中に、「おい、塩を忘れているぞ」とか「鍋が焦げているじゃないか」と、当たり前のことでまわりから罵声を浴びたりするとしたら、それは結局、料理人自身の稚拙と不手際なのである。
 しかし、冷戦終結・ソ連崩壊の立役者は、レーガン大統領ではなく、ヘンリー・キッシンジャーであったこと。これはハッキリさせておかねばならない。

つい最近になって、こんな驚くべき事実も判明した。
アメリカ国立公文書館が1972年当時のニクソン大統領らの会話を録音したテープ・500時間分を公開したが、その中には再選に向けてあせっていたニクソンが、ベトナム戦争の局面打開のために、核兵器使用の意向を漏らしたというすさまじい内容である。

それによると、ニクソンは72年4月25日、ベトナム戦争の拡大方針について協議する中で、安全保障担当補佐官のキッシンジャーに対して、おもむろにこう切り出した。

「むしろ私は核爆弾を使いたいんだがね。"I'd rather use the nuclear bomb,"」
この経緯が録音で鮮明に再現された。

そのとき、キッシンジャー博士は真面目になって、
「それはあまりにもやりすぎだと私は思いますよ。"That, I think, would just be too much," 」とはっきりと反対した。

 が、ニクソンはしつこく核攻撃案に固執して、こうも言った。
「核爆弾だぞ。(ベトナムに多数の死者が出ても)構わないじゃないか、君。"The nuclear bomb. Does that bother you?" 」
「君、こういうことは大胆に考えてほしいもんだね。 "I just want you to think big."」

 しかし、キッシンジャーは(あまりにも小声なので聞き取れないが)最後まで同意しなかったので、ついにニクソンも無謀な核攻撃談義は引っ込め、提案することも相談することもやめたという。

 閣下はこのときの博士の気持ちはよくわかる。
 キッシンジャーの構想には、ソ連の首脳(レオニード・ブレジネフ)と核兵器・大陸間弾道ミサイル制限交渉という外交カードがあった。
 だから、ニクソン政権が、こんなふうに、たまたま気まぐれで、核兵器の使用をしてしまった場合は、反戦運動どころか、全世界を敵対させる結果になったはずだ。
ベトナム戦争は交渉どころではなくなったであろう。

 キッシンジャー博士が、青年研究者の時代から、核兵器使用に否定的な戦略問題の専門家であったことは、まさに世界と全人類の幸運であった。

 今日の午後だが、東京12チャンネルで、日高義樹のワシントン・リポートが放送された。
 そこでヘーゲル上院外交委員長が質問に答えたが、彼は非常に言葉を選び、そして韓国に対する不満を示しつつも、「韓国政府を信頼する」とくりかえし強調した。
 日高さんは、よくキッシンジャーを訪問して、いろいろインタビューをこなしてきたが、きちんと戦略理論を研究した人ではない。
 確かに良い知人ではあるが、「弟子だ」とは自分でも言わないだろう。
 その意味では、ヘーゲル委員長のしっかりしたヴィジョンと、これからの外交展望について、彼が高水準の情報環境にあることを、閣下は少しうれしく思ったのである。



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