わたしの金光教の信心道

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2010.10.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類

カメさんが、盛んにコメントして下さいますが、よく分からなくて困っています。私が頭が悪いのかもしれませんが、言葉の定義が、全く違っているので、理解不能なのだと思います。例えば、神ですが、どのような概念なのでしょう。私は、宇宙そのものが神であり、教祖は、太陽、月、地球を御神体の一部であると認識されていました。そして、太陽や月や地球の物質的なものが神ではなく、それらを包み込み、命が躍動しているエネルギー体のようなものが神である、という認識なのです。そして、その大神霊が、人間に分け御霊を与えられた。ですから、人間も神と同質のものをもったものなのです。
ですから、意識を宇宙大にまで広げられます。宇宙即我という意識は、そういう意識なのです。
ですから、人間は、既に神であるとも言えるのです。カメさんが、神になったと言われるのは、どういう状態になったということなのでしょうか。自己確立と言われますが、自分が神である、ということが自覚できる状態なのでしょうか。阿部敏郎の「いまここ塾」というブログがあります。1日に2万アクセスに近いアクセスがある、人気のあるブログですが、そこで語られているのは、自分はもっと偉大な存在で、自分が自分の物語を作っている、映画監督のようなものである、つまり、神のようなものであることに気づくことがいるし、今、気づきつつある時代である、と述べられています。教祖が言われた、「世界は我が心にあり」という認識だと思うのですが、カメさんが、そこまで分かられての言葉なのかどうか分かりませんが、ただ、今のような表現では、多くの人に理解してもらえないと思います。<
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ヒロサト先生のコメントをこちらへ張り付けさせて頂いて、少し思うところを書かせて頂きます。

>例えば、神ですが、どのような概念なのでしょう。私は、宇宙そのものが神であり、教祖は、太陽、月、地球を御神体の一部であると認識されていました。そして、太陽や月や地球の物質的なものが神ではなく、それらを包み込み、命が躍動しているエネルギー体のようなものが神である、という認識なのです。<
ーーーーーー
私もだいたいそのように理解していますが、創造主の想像力と人間の想像力と言うエネルギーに違いは無いと思います。思考力と言う力が有りますが、思う力と考える力があり、信心の力は思う力だと思います。力には弱い力と強い力が有りますが、道理に適う信心の稽古を積み重ねて力強い信心が出来るようになりました。その力が溢れ出して他者のブログへ書き込むように成ってしまった。
だからその行為が私の意見を押し付ける結果に成ったのかなと思います。
信心の力が強くなると、思いが溢れ出してしまう。それも物の道理として考えられます。
プロの選手、力が弱いと勝てません。
信心も力強く成れば、信心対決を挑みたくなる。それも道理に適う信心です。
でも現実的な話では無いですね。昨晩亀山教会へ月の初めのお礼参りをしてきました。夜の御祈念が8時からですが、1時間の道のりをかけてお参りしています。教会では先生に信心対決なんて言葉を発する訳にはいきません。若い先生でも金光大神の言葉として承る事に成ります。
ブログの世界では、そう言う人間的な素性は一切問われる事が無いので、平等な立場で信心に対する思いを書く事が許されると思いますので、頂いたお陰話を書きたい一心で御迷惑をおかけする事に成りました。
宇宙の始まりも、何かが生まれてからの説明は科学で出来ますが、その何かがどうして生まれて来たのかは誰も知りません。科学力の及ばない、情報として成立しない事でしょう。
ですから人間には理解不可能だとも考えられます。
ところが想像力と言うエネルギーの話になると、人間も発明が有るように想像力と言うエネルギーを
認める事が出来ます。その力はその結果を見て初めて分かるモノです。
宇宙の姿を見て、そのエネルギーを感じる事は自然だと思います。
道理が無ければエネルギーも感じられないと思います。
そこに至るプロセス、筋道が無ければ結果は生まれない。
その元の力と言うモノの存在は元々から有るもので、その力が物事の始まりと言う事でしょう。
力はその力そのモノを見る事は出来ません。
人間は見えない力を感じる事が出来ます。
そこに創造主としての神の存在が有ると信じます。神とはエネルギーの元なんだ。
それが人間の精神力だと理解しします。

>カメさんが、神になったと言われるのは、どういう状態になったということなのでしょうか。<
ーーーーーー
全部神様にお任せして生きる稽古をしなさいと教えられます。
何が起きようとも、神様にお任せしてあるのだからおきた事を全て受け止めさせて頂く信心、生かされるがままとは成り行きに従う生き方です。我情我欲を捨てよと説かれています。
それは人間としての生き方を説いたモノでしょう。
人間は神様に生かされているのであるから、神様の御意志に従わなければならない。
その信心の道が先生方の説かれる道理に適う信心だと思います。
生かされるがままに生きて見ると、生かしている主の存在を感じるように成ります。
そして物に対する意識が変わり、自分とは物では無くて精神的なモノなんだと言う心境の変化が生まれます。そうなると当然はっきりした答えが出せるようになる。
そして自動車の比喩が浮かんで、自分とは人間の運転手的存在なんだと、その運転手の姿が見えないので=「無」と言う答えが確立されたのです。
神に成るとは完全な自然体の心に成ると言う事です。
神と言う文字を書くと、その神なるモノは神では無くなります。
神は見えないからこの世の現実にはいないと言うのが、人間的な理屈です。
だから人間としてこの現実に生きるには、そんな神や仏に執着するモノではない。
道理に沿って人間として正しく生きる事に成ります。
自分とは肉体と言うモノでは無くて、そのモノを生かす(運転する)主なんだ、それを神と説明する事に成ります。神思う心に神は生まれ、思わなければ神は何処にもいない。
自分と言う存在も、そう言うもので、思わなければ普段は自分はいません。

道理とは物事の筋道、話の筋道、筋道を書き上げる事でドラマが生まれて来ます。
映画監督のようなモノだと捉える人もいるでしょう。
私は人間を乗り物と捉え、その乗り物を生かす運転手に成る事が道理にかない、物の道理という道に沿って生きる事が神様の御意志に沿う生き方であり、その道の訳を知る事で人間と言う乗り物を正しく生かす事が出来るようになる。そうなれば難儀な氏子が救われて力強い信心が出来るようになる。

その道理に適う信心をせよとなぜ金光様が説かれたのか、その心が分からせて頂きました。
自己確立も神に成る話も、みんな人それぞれの心の中の世界観であり、運転手は車体から降りて自動車の世界の道を歩き出せば、自動車の理屈は壊れます。

神に成ったと人間の世界で吹聴する行為は、人間の世界の人間の道を神の理屈が通る話でそれは道理から外れる行為と成り、宗教が社会に問題を投げかける事に成る。

そう言う物事の道理を発信したいと思っています。

カメ





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Last updated  2010.10.02 23:44:07
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