宇宙は無限の三角形で出来ている

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とだのおいちゃん

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2009.07.15
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カテゴリ: その他



あなたはどんな愛を求めますか?

「かむなからの神」は私が望む愛などはくれませんでした。
国内はもちろん、海内にも行ってくれと無理難題を要求してきました。
少しは「病気治し」や「商売繁盛」などのご利益を見せてくれれば
「この神様は本物だ」と信者を集められ、お金も集まってくれるのに。
ところがやればやるほど体調不良になり、お金は消えていきます。
だれがこんな神様についていくでしょうか?

それでも心のどこかで、いつかは神様はご褒美をくれる。
神様は愛情深くて、必ずや目に見える幸せをくれる。
人間は神の宝であると、つねづねおっしゃっている。
神様が苦労して早世に成功された人間には、愛情があるに決まっている。

どこかに絶対的な「甘え」があるのでしょうね。

しかし「かむなからの神」の『愛』はそんなものではなかった。
マイナスや暗闇も『愛』であるということを
現場神業という体験を通じて教えてくれたのです。

<光と闇>
私たち人間は、物質の塊です。
その元である素粒子は、なにもないと考えられるところから
ビックバンにより創出された。
量子論によれば、今でも何もないとされる真空空間で
電子を始めとする素粒子は創成消滅を繰り返しているという。
その物質で出来ている人間の視座は、どうしても物質側にあります。
これは生きている人間としては当たり前の視座です。

この視座が、光と闇を考える時にも適用されます。
物質は光と同義であり、真空は暗闇といえます。
光は正義であり、暗闇は悪です。
それゆえ自分の心の中に「暗闇」を感じれば、罪悪感を感じていしまいます。
暗闇を「悪いもの」として隠そうとします。
それは光を「愛」とし、闇を「悪」と捉える視座を持つからです。

科学的、物理的視座を持てば
光は闇から押し出されて初めて、「輝く」ことが理解できるはずです。
「闇」がなければ「光」は存在しないのです。
「光があるからこそ闇がある」わけではなさそうです。
心の中にある「闇」を恥じる必要はないのかもしれません。

あるとき、神はこういわれたのです。


なあ、あなた、

本当に闇を愛せるか?

それが出来たら旅は終わりだ。





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Last updated  2009.07.15 12:01:02
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