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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。本年最後となる、久し振りの更新です。更新は少ないが、一応十年以上続いているこのブログ。昨日とある方のメルマガを観てビックリ!!「ご先祖様、ただいま捜索中! - あなたのルーツもたどれます 」(中公新書ラクレ新書 - 丸山学 著タイトルが似ている。。。。一瞬、自分が本を出版するのかと勘違いしそうになりました。それにしても、「う~ん!」複雑な心境!! → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2017.12.30
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。久し振りのブログ更新ですね。今年も1月2日に「皇居一般参賀」に行ってきました。昨年より30分早い8時半から並び、第一回目(10:10)には無事正面やや左前のポジジョン。第二回目(11:00)には、さらに前方正面近くに移動して撮影(写真は、第一回目)いい写真が撮れたし腰も辛くなってきたので、帰宅しながら写真を確認。ベスト写真が「無い!ない?」アプリがうまく作動していなっかたようだ。あの混雑のなかで、いちいち操作を確認しながらの撮影は素人には厳しい。と痛感。来年はもっと早くから並ぼう!!昨年度は、佳子様。今年度は、雅子様のオーラが輝いておりました。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2017.01.04
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。今年のの5月に父親の戦時中の本籍地に「軍事履歴証明」の発行依頼をし、当時の所在や履歴確認のために二週間ほどかかり、役所から送られてきたのが6月始めでした。それによると昭和19年1月 二等兵として通信教育隊入隊同年の半年後の7月 一等兵その一年後、昭和20年7月 上等兵。その月末に他部隊に転属し、昭和20年9月2日 奉天にて武装解除。日本が降伏してから半月以上も、色々な意味で緊張状態が続いていたと思います。その後、同年10月にタシケントに送られ、11月から作業に従事となっています。その収容所での話は、・当所の担当官が、中年の女性・食料不足で雑草を塩茹でにしてよく食べていた・たまに外出も許可され、アルコールも楽しんでいた等々。所々ではありますが聞いてはいました。 昭和23年6月3日 収容所出発同年7月11日 ナホトカを出航し、故郷に復員してきたのが、7月15日でした。明日の自分がわからない、2年7ヶ月間の収容所生活は長く感じられたと思います。 ともかく無事、父が4年半振りに故郷に戻ることができたので、こうして私がブログを書けています。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2015.08.30
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。旅記録はその都度整理しないとえらいことになりますね。今は、過去のものをひっくり返してあたふたしています。 一昨年の、神宮のご遷宮の後。親戚を訪ねる前に参宮してきたものです。 鳥居を抜け、五十鈴川で手や身体を清め「いざ!」 当然ながらの「人、人、人」 その後は、「猿田彦神社」 「月読宮」をまわり、鳥羽の親類先に挨拶して日帰り(だったと思う?)しました。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2015.08.22
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。出雲大社の鳥居を潜って参道をゆっくり下っていくと(下って本殿にいく参道は珍しい)「大国主命」の像がお出迎えしてくれています。「本殿」とその前にある「赤い円の印」。古代に空中本殿(推定高さ30~40m)を支えていた柱が発掘された場所に残されています。 こんな感じで「三本一対」で一つの柱を形成されていたようです。 「古代出雲大社本殿復元図」http://www.tomomori-kogyo.co.jp/iz-taisya/izumo-taisya-cg.htm 大注連縄。通常とは反対にまかれているそうです。しかし、デカイ!! → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2015.08.16
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。一昨年の出雲大社遷宮の年の12月に行った時の写真が全然整理できていなかったので、突然アップしてみました。神無月に全国の神々が上陸してくる稲佐の浜です。一説では、この浜で国譲りが行われたと言われています。国譲りをせまられた際に「否(イナ)」か「さ(そうするか)」から「イナサの浜」と呼ばれるようになったともいわれています。ここの砂浜を持って、出雲大社の本殿裏にある「スサ社」にまき、「スサ社」にある砂を持って帰り、自宅にまくと災害除けになると言われています。私も実行してもちかえりましたが、砂はもったいないと思ったので未だ保管しています。気のせいか少しづつ砂が減っていると感じるのは??? → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2015.08.14
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。昨日は、「家系研究協議会 設立35周年 記念大会」に出席してきました。昨年までは、博物館学芸員の資格取得で参加できていなかったので、三年ぶりの参加になりました。宝賀会長のご挨拶では、最近報道されている、「沼津市の道路拡張工事による「古墳」の取扱について」のお話のポイントは、・東国物部一族の流れをくむ初代「駿河国造」等の先祖の墓ではないか。そうすると、・現在の静岡県民の方々の遠い先祖の可能性があるので、確実に調査が完了できる時代まで現存保存が望ましい。とのことです。 一度破壊したものは、元には戻らない。幾度も経験してきたことだが、未だ同じことを繰り返してきている。そんな印象が残りました。 メインは、「 だれが信長を殺したのか 」の著者であります、桐野作人(歴史作家)さんの公演を二時間半傾聴することができました。多くの史資料のレジュメを確認しながら、「光秀が本能寺へ向かう十日間」の「行動・心情・出来事」読み解いていく内容でした。 その後の懇親会や帰宅途中の桐野先生との時間もあっという間にすぎ、帰宅後はバタンQでベットの倒れこみました。 → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2015.08.09
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。以前、TV東京の「YOUはなにしに日本へ!」を観た際に訪れようと思っていた「横浜海外移住資料館」へ、先週末に行ってきました。当初は過大な期待はしていなかったのですが、ところが。。。係の方に海外のデータを調べて頂くと、曾祖母とその家族のデータが見つかりました。そのデータを基に家族ごとの移民名簿で探していると、その中に曾祖母の名を発見!!「あった!」と思わず声に出てしまい、心臓がドキドキしてきたのを感じました。 名簿には、・旅券番号、渡航許可日、家族構成、氏名、生年月日(和暦・西暦)、原籍、年齢が記載されていました。その後、係の方が色々な資料やサイトで調べる度に色々教えて頂けました。 その資料やデータから判明したことが、・昭和2年8月17日に、「もんてびでを丸」で神戸を出航・同年10月3日にサントス着・息子家族総勢6名で移住・小さいながらもコーヒー農園を営んでいたことがわかりました。 今まで父親や親類からの大まかな言伝程度しか聞かされていなかったので、僅かな痕跡の発見でも、自分の足で探し、自分の目で確認できた感動はこの上のない思いがします。 → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2015.03.19
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。師走のバタバタする中、兄と初めて、田舎の親類先や本家への挨拶に出かけてきました。兄は、数十年ぶりに会う従兄弟・叔父叔母や初めて会う本家の方に、少し戸惑っているようでもありましたが、自分のルーツの本貫地を訪れて、少し興奮しているところもあったようです。 私は、本家の方から「先祖から伝わり保管してきた『古文書・家系図』を預かってもらいたい」という依頼を受け、喜んでお受けし預かってきました。こんなに早く、「学芸員資格取得で学んできたことを実践し役立てる機会」ができるとは思っていなかったですが、先祖達の何百年という責任の重さをひしひしと感じてきています。 → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2014.12.23
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。今年も台東区役所の参観申込をしたのですが、先日落選の知らせが来てしまいました。毎年申込をしているのですが、応募者が多くなかなか当たりません。 実は、昨年抽選に当たり初めて徳川将軍家霊廟を参拝してきました。当選確率10%強!実際に参拝できたのは、・五代 綱吉公、八代 吉宗公、十三代家定公、家定室天璋院の方々です。遠くから十代家治公、家基公(家治嫡男)、浄光院(綱吉正室)。すぐ近くで徳川家達(十六代)、徳川宗家墓を確認できました。写真撮影禁止なのが残念ですが、ネットで確認できるので。。。 最近では、寛永寺独自でも人数が揃えば参拝が可能になっています。ただ平日はなかなか人が揃いません。増上寺では、参拝料を支払えば参拝が可能となっています。 {寛永寺で徳川歴代将軍霊廟の特別参拝}http://www.city.taito.lg.jp/index/bunka_kanko/torikumi/uenonoyama/tokubetsusampai.html「徳川家霊廟」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E9%9C%8A%E5%BB%9F → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2014.10.05
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。実に4年以上ぶりの更新になります。自宅のリフォーム、引っ越し等々。実家でも色々ありでこんなに時間が空いてしまいました。で、突然ですが。。。昨年度から「博物館学芸員資格取得」のため、二年間に渡り夏季に集中して大学に通っておりました。先々週に必修科目、先週末にようやく選択科目の講義が終了し、9科目19単位の資格取得過程を満了しました。必修科目の講義・試験・レポート。博物館実習は、実に四週間(必修は三週間)。じつに通算六週間。平日の半分を講義に費やし、延べ200時間をゆうに超える講義でした。仕事もあったので、想像以上に身も心もハードだった実感があります。最終的には、講座を満了した勉強仲間や講師の方々とのつながりもでき、予想以上の成果を得ることができました。今週からは、また以前の生活リズムになっていますが、講座の内容が充実し集中すぎたせいか、まだ講座ロス状態から抜け出せていません。なお、講座に関する撮影した写真は、大人の都合によりサイトにアップができないのが残念です。(参 考)「早稲田大学 学芸員資格取得課程 夏季集中講座」 http://flas.waseda.jp/curator/https://www,facebook.com/pages「早稲田大学 学芸員資格取得課程 夏季集中講座」 → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2014.09.17
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。少しずつ落ち着きそうで、何か落ち着いていない。そんな中で見つけた「私の気になるニュース」のご紹介です。「古墳をレーザーで丸裸、3次元画像で形状くっきり」航空レーザー計測による3次元画像を作製し、立ち入り制限が厳しい陵墓などの精密な墳形がわかり、「大型古墳を研究する上で画期的な手法」としている。また、「築造当時に近い姿が再現でき、その美しさもわかる」としている。確かに、中央の古墳の周りにも小規模な古墳が並び、築造当時の雰囲気が立体画像から感じられます。日本古代史研究家にとっては、歴史学・考古学的にも今後に期待大です。 「都市・東京の記憶」東京都中央図書館HPの古写真を扱った、新たなリンクサイトです。近現代の東京が「場所」や「暮らし」の中で感じられるようなっています。 「シベリア特措法が成立 元抑留者に給付金、対象7万人」平成22年6月16日に成立した法律です。 第2次世界大戦直後に旧ソ連によってシベリアやモンゴルなどに抑留され、強制的に働かされた元日本兵らに特別給付金を支給する内容です。私の父親も、もしかしたら対象者になっていたかもしれません。2ヶ月程成立が遅すぎました。私がこの法案が成立しそうだと知ったのは、昨年の秋口ころだったと思います。鳩山政権が発足し、早期の成立施行を期待していたのですが、ようやくこの時期になって成立しました。しかし、遅すぎます!今街頭では、政治家が「地域密着・国民のために・・・」などと連呼していますが、国会では消費税・与党案反対等々が前面に立ち、結局このような国民にとって重要な案件が後回しになっています。こういうものこそ与野党協力して成立させなければならないと思いますが、自己の利益ばかりで本当の政治家が居ない日本では難しいことなのでしょうね。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2010.06.27
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。平成22年6月1日から「戸籍法施行規則等の一部を改正する省令(平成22年法務省令第22号)」により、、除籍簿等の保存期間を現行の「80年間」から「150年間」に伸長されます。(戸籍法施行規則第5条4項参照)これで少しは、落ち着いてルーツ調査が行えますが、既に除籍簿が破棄されてしまったところも多いと思います。失われたものは戻ってはきませんが、「保存期間80年経過」により交付されなかった役所に再チャレンジしてみようと思います。これで新たな情報が確認できたら最高です。。。ちなみに今から「150年前」は、「西暦1860年(安政6年12月~万延元年11月)で、第14代将軍・徳川家茂の頃です。主な出来事は、 ●咸臨丸が、サンフランシスコへ到着。 ●桜田門外で、大老・井伊直弼が暗殺される。 ●リンカーンがアメリカ合衆国大統領に当選。等々何と遠い昔の事か!→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2010.05.28
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。父親が写っている古いアルバムは、戦後の混乱期に破棄されたり、川の大洪水で流れてしまい現在はほとんど残っていません。どこかに少しでも残っていればと思い、父の故郷の教育委員会に昔のアルバムさがしをお願いしてみました。三週間ほど経った先週。教育委員会から「残念ながら、卒業者名簿やアルバムは残っていませんでしたが、地域の郷土博物館で古写真展を開催していましたので確認をしたところ、展示写真の一部を写真集にまとめた冊子がありましたのでお送りいたします。」と連絡があり、先週末に到着しました。開封してみると、父親が卒業した学校の沿革や該当する写真まで丁寧に調査され、冊子も本来有料なものをプレゼントしていただきました。早速父親に見せてみると「お~!この校庭の後ろの校舎がまさしく通っていた学校だ!!」と驚きながら喜んでおりました。また遠く離れた地方の方々に大変お世話になってしまい有り難く感じます。感謝!感謝!です。現在、写真集は半永久的に父親に貸し出し中です!→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.11.24
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。先月末から結構ドタバタしている中、母の実家のある田舎へ行ってきました。事前に古文書類の調査を市の教育委員会や市立図書館へ問い合わせをしていたので、資料を手に入れることができました。この資料は、地元の公民館の立替整理の際に市の教育委員会へ渡された史料の目録で、現物の史料はまだ教育委員会で整理中とのことで、目録の一覧のコピーをいただきました。その一覧には、・名寄帳写(享保十四年・1729年)・石高帳(享和二年・1802年)・宗旨御改長(明治二年・1869年))・頼母子講や富士講(幕末~明治初年)・村絵図(江戸中期頃) 等々その他参考になりそうな史料が数多くあります。それでも史料の大部分は、雨漏りの被害や虫食いで保存状態極めてが悪く、判読できない物が多いそうです。来年以降公開されたら、絶対に一週間程時間をとって「古文書」調査の出かけようと思います。丁寧にこの史資料を探していただいた市立図書館や教育委員会の方々には、感謝を申し上げます。ルーツ調査ではこのような協力がないとなかなか先に進むことができません。地方ではこのように史料が未だ多く、未整理状態でどこかに保管されていると思うと、その史料の保存・整理には公的機関を利用しないと、貴重な史料が破損・散逸し、後世に伝えていくことが難しいと思います。国の事業仕分けでと同じように、予算が削られていくことが心配です。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.11.23
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。来月14日(土)に母の実家がある三重県に行ってきます。母の遺志によりお寺で供養をしてもらい、実家の墓地に散骨してきます。家族。親類が多く眠る場所なので、落ち着くことができると思います。母の実家には、昔の写真や足跡などは既に無く、手続のついでに母の足跡を辿ってみるべく、通っていた女学校や勤務先に失礼かと思いながら、いきなり電話して調査してみました。突然の電話にもかかわらず、事情を説明すると快く応対をしてくださり、小一時間後には調べて連絡をくれました。卒業年度や勤務期間は名簿によってわかったのですが、やはり60年程前のことなので当時のアルバムは保管してなく、母の当時の写真を確認することはできませんでした。でも、この調査でようやく母の今までの足跡がわかっただけでも有益であったと思います。同じように父親の足跡も現在調査中です。今週中には、役所から連絡があると思います。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.10.21
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。ようやく仕事もプライベートも落ち着きを取り戻しつつあります。先週、芸能界を揺るがす大事件の中、「迎賓館(赤坂離宮)」へ行ってきました!といっても、当然招待などされるはずもありません。「一般参観」応募の抽選に当たったので、見学に行きました。朝からの猛暑の中、JR四谷駅を降りて徒歩5~6分。目の前に迎賓館正門が 飛び込んできました。 遠くからでも格調のある威厳さを感じてしまいました。そして、正面右側からある通用口から入り、厳しい荷物チェックの後ようやく内部を見学です。 ふかふかの柔らかく赤い絨毯の上を歩いていると、自分自信が偉くなったような錯覚に陥ってしまいそうでした。一つひとつ部屋に案内され説明を聴いているのですが、部屋の景観や色調の美しさにただ呆然とするばかりでした。なんでも、ボランティアの方の説明ですと「今年は3年間の修復を終えたばかり」で、「明治期の建設当時の色合いや格調」が見事に再現されているそうです。ただ内部は撮影禁止のため紹介できませんが、下記のサイトで確認してみて下さい。「迎賓館赤坂離宮写真集」「迎賓館赤坂離宮本館(政府インターネットテレビ」内部の見学の後は、南口にある庭園を見学です。 このような噴水がある庭園を散策してえいると、パリに来ている雰囲気になります。(ちなみに、私は海外旅行には一度もご縁がありませんが。。。) この建物の一階の一部が、国賓随行者等の宿泊施設になっていて、高級ホテルの超スイートになっていました。(残念ながら、こちらも撮影禁止でした。) 迎賓館の大きさが少しでもお分かり頂けるのではないでしょうか?建物を一週すると、迎賓館正面入口に戻ってきます。 正面入口まで近づけそうだったので、てくてく歩いて行き こちらが皇室の方々や国賓、招待者の方々が通られる玄関口となります。 正面には「桐の紋」が装飾されていて、金色が眩しく輝いていました。 追伸この場所は、昔は紀州徳川家江戸中屋敷だったところです。その敷地の一部にこの迎賓館はあります。同じ敷地内には、皇室の方々の邸宅もあります。その屋敷の広さには、徳川将軍8代・吉宗~14代・家茂までの紀州系徳川家の権威を実感できます。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.08.10
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。今月17日未明。急に母が居なくなって、また一人ご先祖さまが増えてしまいました。今日で十日ほど経ちます。ようやく手続き関係も一段落し、気持ちも落ち着いてきました。亡くなる一週間前に定期検診のため、父と一緒に病院に送迎したのが最期となってしまいました。後悔ばかりが募っています。そんな私への最期の言葉は、「ありがとう。」でした。一つひとつ思い出す度に、まだ目頭が熱くなります。少しでも母の意思を叶えようと、遺骨を一欠片分けていただき、故郷に眠る母の父母や仲の良かった妹の傍に散骨してこようと思います。昔から母は「私は、田舎で眠りたい」とこぼしていたのを覚えています。その母の色々な手続きのため、役所で戸籍を請求してきました。その際、戸籍謄本(抄本)が「全部事項証明(個人事項証明)」となっていました。私の住む杉並区でも昨年末に戸籍が電子化され、今迄の手書きの戸籍は「平成改製原戸籍」となっています。仕事柄戸籍を扱うこともあるので、電子化された戸籍は珍しくありませんが、いざ自分の戸籍を眺めていると、手書きの戸籍が懐かしく思うのは郷愁からでしょうか。。。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.06.28
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。今月、毎週日曜の午後(14:00~16:00)地元の郷土博物館で「古文書講座」(全4回)を受講しています。毎年応募者が多く抽選になるそうですが、運よく受講できることになりました。30名程の人数で、大学講師の方の講義を受けています。色んなところで同じような講座を受講しましたが、講師の教え方が非常に私に合っていて、初心者にも分かり易いです。古文書の特徴や変体仮名についても、ちょっとしたコツを覚えるだけで、読み下す事ができるようになっています。得てして「古文書」は、漢字の崩し字から入ってしまいがちですが、急がば回れの如く、容易な平仮名から練習して慣れていくことが肝要と実感しています。これなら、本家にあった「古文書」も読み下すことができるのでは?っと、思えるようになってきています。ちなみに私の通っている講座は杉並区郷土博物館」主催で、費用は「400円」とお得です。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.06.15
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。最近手に入れた、「尾張国諸家系図」(加藤國光著・展望社)に記載されている、二流の「國香流北條氏族佐治氏系図」によると、1)佐治駿河守宗貞-上野介為貞-八郎為興-与九郎信吉2)佐治遠江守宗安-駿河守宗貞-上野介信氏-八郎為興-与九郎信時・「佐治宗貞」~駿河守。尾州知多郡大野村住、三万石。宮山城主。・「佐治為貞」~上野介、左馬允。為平、信氏。・「佐治為興」~八郎。為成、信方。妻ハ織田信秀女ニテ信長妹。・「佐治信吉」~与九郎。為吉、為次、信時、一成。母織田氏。妻ハ信長女。とあり、「佐治遠江守宗安」については「江州甲賀住。」とあるので、「大野佐治氏」としては1)、2)両系図とも大きな相違はないようです。 一方「常滑史話索隠」(瀧田英二著)に紹介されている系図によれば、3)為継(法名道契)-為綱(伊佐野上野介、法名道忠、尾州に入ル)4)初代駿河守-二代上野守-三代上野守嫡子八郎-四代八郎嫡子與九郎5)佐治宗貞~始メ小佐治城主。後尾州知多郡中郷城主宗綱子無シニヨリ宗貞をモッテ養子ト為シテ大野庄宮山城に遣ワス。とあります。これらのことを自家系図(為継-為氏-高為-為延-為元-道忠(伊佐野・大野佐治)-為貞-信方(佐治八郎為興・織田信長妹婿)-一成(与九郎・織田信長婿)と照らし合わせてみると、・大野佐治初代が「宗貞or為綱(法名道忠)」・二代目について「上野守or上野介」・大野佐治以前の「近江佐治氏」の系統に異説が見られることがわかります。「常滑史話索隠」によると、「近江系系図は元々『近江佐治氏一門』の系図を記すことが目的で、特に『大野佐治氏』の系図を目的としてつくられてものではないことが大きい」としています。また、「近江系系図に見える大野佐治についての記述は、尾張系系図お存在はまるで顧慮されず。作為の施されたまま伝えられてきたものかと思われる」と著者は述べています。こうなると「近江佐治氏」と「大野佐治氏」とを結ぶ接点の比定は、素人の私にとってはかなりの難題になりつつあります。その他・同じ尾州の「内海佐治氏」との関係図・尾州から作州へ移り住んだ経緯(私は、縁戚を頼って「因州」に移り住み、「作州」へ移動したと考えています)の調査研究が現在の課題となっています。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.05.31
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。昨年末頃解散した「日本家系図学会」が、本年3月に宝賀寿男新会長のもと新生「日本家系図学会」として再発足されました。早速、私も今月入会いたしました。「日本家系図学会公式サイト」から抜粋してご案内 【ご挨拶】「多くの研究者が連繋し組織的な活動をすることによって、史料・情報と知識などとを共有し、系図研究水準の向上など系譜学の発展・大成に向けての活動をしていくこととしており、会員の研究発表の場も、会誌『姓氏と家系』を適宜、発行することなどにより提供していきます。幅広い連携による系図研究を通じて、わが国の歴史の厚みと基礎・背景を知ることもできると思われます。」として広く会員を募集しています。ご興味のある方は、下記までご連絡してみては!【連絡先】事務局宛(〒195-0072 東京都町田市金井4-1-16(芳文館内)日本家系図学会)メールでの問い合わせは、研究編集部のメールアドレス:「jpkakei@infoseek.jp」まで。詳しい応募方法は、「日本家系図学会公式サイト・会員の募集」をご覧下さい。 公式サイトは、立ち上がったばかりですが、「リンク集」は系図研究で大変参考になるものがありますので、一度覗いて見る価値はあると思います。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.05.18
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。先日「東京大学史料編纂所」のデータベースで、家系調査の史料を検索していたところ、思わぬところで先祖の肖像画を発見しました。「佐治一成」の肖像で、明治31年に模写されてもののようです。 「東京大学史料編纂所」のデータベースでは、色々な史料が検索できるのですが、数が多すぎてなかなか使いこなせていません。図書室に伺えば閲覧が可能なのですが、今年いっぱいまでは耐震工事で使用できなくなっているようです。それにしても、どことなく自分の父親に見えてしますのは、思い込みからでしょうか???【佐治一成略歴】( ウィキペディア(Wikipedia)永禄12年(1569年)、佐治信方の嫡男として生まれる。通称は與九郎。母は織田信長の妹お犬の方。後年の一成は叔父の織田信包の家中におり、信長の娘である於振を正室に迎えたと伝えられる。於振との間に嫡男為成がいる。寛永11年(1634年)9月26日、京都にて死去。享年66。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.05.13
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。4月末、晴天の心地よい日だったので江戸城址を見学しようと「皇居東御苑」に出かけてきました。地下鉄・大手町駅を出て、登城門である「大手門」から入場。管理事務所でチケットを受け取り「いざ、登城!」(入場無料です)同心番所の前を通りぬけると大きな「百人番所」の建物が目に付きます。 実際には百人が詰めていたかどうかは未確認ですが、それでも十分ゆとりのある建物でした。奥に見えるビル群が時代のギャップを感じさせます。そして、いよいよ本丸です。 現在は往時を偲ばせる建物は在りませんが、広大な緑地公園となっていて、その広さには感嘆します。近くのベンチでは、外国の方々がのんびりと時間を過ごしていました。どこかの外国にあるパークに居るような感じもします。 下の写真が忠臣蔵で有名な「松之廊下跡」です。この付近で「あの事件が起きたのか」と思いを馳せながら、案内文に見入っていました。下の写真は天守閣跡から見た「大奥跡」と「天守閣跡」です。一説には最大「3,000人」の女性達が暮らしていたとも言う場所です。一体どのような生活をしていたのでしょうか?参考文献でも探してみます。確か!私の祖祖母の親類も幕末、この「大奥」で働いていたと聞いています。写真はありませんが、この裏側に大奥の方々の出入り口でもあった「平川門」があります。一度門をくぐってみると「大奥」の方々の気分が味わえるのでは???又この門は別名を「不浄門」ともいわれ、「罪人」や「無くなった方」の退場門で、先程の「松之廊下」で刃傷を起こした「浅野内匠頭」もこの門から城外に出されていきました。江戸城天守閣は、江戸初期の大災(振袖火事だったかな!?)で消失し、保科正之の意見により、再建はされなかったと思います。最後に「二の丸址」を散歩し、北桔橋門を抜けて北の丸公園を通り、帰途につきました。この二の丸庭園は、往時を偲ばせてくれる場所のひとつです。周辺をボランティアの方々が綺麗に清掃されていました。 この「皇居東御苑」は大東京の中心地にも関わらず、広大な敷地のせいか、外の雑音もほとんど気にせず心身伴にリラックスできます。そのおかげか散策をしていると、途中何度かお目にかかる方と自然にコミュニケーションをとっている自分に気が付きました。内外を問わず観光で訪れた方々も多く、しきりと記念写真を撮っていました。またお昼時でもあり、近くのサラリーマンやOLの憩いの場所でもあるようです。実際に散策してみると江戸城本丸は小高い丘になっていて、「結構。坂が急だな。」「この高さだと当時は江戸市中が一望できるな」など、本や図面では分からない感覚を味わえて十分満足できました。【参考】皇居東御苑江戸城史跡めぐり→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.05.06
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。なんと!三ヶ月もブログをお休みしてしまいました。この間仕事が集中したりちょっと身体の不調もありましたが、少しづつ調べものを進めていました。家系調査を初めて足掛け三年。知識や実体験も蓄積されてきています。そうして改めて収集した戸籍、史資料、文献や現地調査の確認をしてみると、今まで見落としていた事実も判明してきました。集めた古い戸籍(除籍簿・改製原戸籍)も、初めの頃よりは読み込むことができ、・取得できる改製原戸籍、除籍簿を発見できました。これは、旧字やくせ字でなかなか判読できなかったのがようやく分かり、・戸主の変更により、別の戸籍に移った形跡がある・直系尊属の氏名が判明・戸籍の改製がおこなわれていることにより取得可能ではないかと思い、今年の現地調査で役所に出かけて、問い合わせてみようと思います。戸籍の読み込みは時間を掛けて、じっくり取り組まないとこうした見落としもあります。「役所から送られてきたものが全てだ!」と思い込まないことが重要です! その他、佐治氏の調査自体はあまり進んでいないのですが、「史誌・村誌・町誌」も再読していると、また新たな発見が!当家に養子に来た、高祖父の実家(佐治氏)の子孫の方が、明治末~昭和初期まで隣村の村長をされていたことが分かりました。現在もその子孫の方が、本家のすぐ傍(徒歩10分程)にお住まいになっているようです。このことは、当家の本家の方もご存知なかったようです。今年の訪問予定にしました。さて、本年の現地調査はいつ頃にしようか?思案中です。(多分、夏から秋口かな?) 【追記】先月、調べもので国立公文書館に行ってました。特別展「旗本御家人」(無料)に関する史料が展示されており、多くの方が見学されていました。長谷川平蔵の「先祖書」、役人同士のいじめの記録や役人の似顔絵の展示などがありかなり興味が注がれました。その他、主な城の「古絵図」も「1,000円」とリージナブルな値段で販売されていました。ちなみに私は「津山城」の絵図を土産に買いました。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.05.05
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。当家の「佐治氏」の基礎知識として「姓氏家系大辞典 第二巻 太田 亮」より抜粋しました。「佐治氏」一、桓武平氏北條氏流近江国甲賀郡佐治荘より起こり、佐治城(佐治荘佐治村)に興る。康平中、上総介平維時の子業国始めて本荘を領して佐治氏というと伝えらる。名勝記に「康平五年、上総介平維時の子業国始めて佐治郷を領し、四郎左衛門為行に至りて佐治氏と改む。その裔為定六角氏に仕え、城を築きてここにこもる。美作守と為る。その後越前守為重、美作守為政を経て、織田信長に属し、蒲生郡市子荘羽田荘の代官を兼ぬ。それより越前守為之、美作守為祐に至り衰亡す」と見ゆ。二、桓武平氏尾張知多郡の豪族にして、大野城に興る。これも近江の佐治郷発祥という。桓武平氏北條氏流の族か。尾張志に「佐治駿河守・近江国甲賀郡より来たり,此の地に居城して近辺を領知す。その子上野介為貞、その子八郎信方(信長妹婿)。その子與九郎某まで、四代相続のよし、」と。佐治系図には「平姓。紋軍扇。為綱(伊佐野と号す。江州甲賀より行きて、初めて尾州大野に住む。法名道忠)ー為勝ー為次ー為平(佐治左馬允と号す。信長公の旗下に属す)-為興(佐治八郎、後に信方と改め、信長公の妹婿と為る。天正二年甲戌九月二十八日、勢州長島において討死、二十二歳)ー一成(佐治與九郎と号す。尾州大野に住して、六万石を領し、後織田信包に属して、柏原に住し、後剃髪し、加州より孫主水(後に與右衛門)を呼び取り、隠居す。寛永十一年甲戌九月二十六日卒、年六十六)」と見ゆ。又宮山城は「一色氏の居城なりしが、家人佐治駿河守宗貞、古主を逐いてこれに代わる」など見ゆ。又織田系図に「信秀の女、佐治為興室」、又「信長の女、佐治與九郎室」と。又一成の弟は中川久右衛門秀休という。秀次に仕え、後前田候に仕う。又主水(與右衛門)一置の後は、京極家に仕う。三、伊勢の佐治氏太閤記に「佐治新助が篭りし亀山の城をば、秀吉の先鋒として取巻かせ給う」と。四、平氏江戸幕臣にして、寛政系譜に見ゆ。家紋丸に七本骨日丸の扇子、丸に鷹の羽打違。五、蒲生氏族蒲生俊守、近江国甲賀郡佐治に住して佐治と称すといい、又蒲生系図に「権五郎俊-修理俊寛-俊守(佐治八郎)-佐治太郎-佐治三郎」と。六、尾張氏族因幡国智頭郡佐治郷より起こる。本姓尾張氏にして、中世佐治郷の地頭職なりき。元祖佐治四郎、佐治五郎尾張忠重、佐治孫四郎重泰あり。七、その他津山藩士分限帳に「四十五俵佐治十左衛門」。その他、丹波国足立氏族、甲賀伴姓、鎮西佐治氏がある。【当家に伝わる佐治系図】「桓武天皇-葛原親王-高見王-高望王(平)-良望(国香)-貞盛-維将-維時-業国(小佐治)-国弘-国泰-為泰-為氏-為頼-氏継-為継-為氏-高為-為延-為元-道忠(伊佐野・大野佐治)-為貞-信方(佐治八郎為興・織田信長妹婿)-一成(与九郎・織田信長婿)-一重-本重-本好-本延-本實-清泰-為礼-實延-盛次」 【佐治参考系図】武家家伝(佐治氏)日本の苗字七千傑(佐治氏)系図総覧(国書刊行会)【参考文献・資料】尊卑分脈(第4篇)新訂増補普及版群書系図部集(第4)姓氏家系大辞典(全3巻セット)常滑史話索隠→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.01.31
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。昨年末から「家系図」の整理を始めていますが、なかなか先に進みそうにありません。昨年末に本家から撮影してきた「三種類の家系図」が、微妙に差異があることから・系図上の「同一人名」から、「同一人物」か「複数の人物」かの判断。・系図資料から、世代間にて「名」の錯綜や誤記。・親子、兄弟間の世代の確認。・途中で、何代かの抜け落ちがある。・系図上での、出自に疑問。・本流、支流間での系図の錯綜。 等々限りある手許資料からは、判断しかねる事項が山積みとなっています。その一つの系図をそのまま直系のみ簡単に書き出すと、「桓武天皇-葛原親王-高見王-高望王(平)-良望(国香)-貞盛-維将-維時-業国(小佐治)-国弘-国泰-為泰-為氏-為頼-氏継-為継-為氏-高為-為延-為元-道忠(伊佐野・大野佐治)-為貞-信方(佐治八郎為興・織田信長妹婿)-一成(与九郎・織田信長婿)-一重-本重-本好-本延-本實-清泰-為礼-實延-盛次」と続いています。最後の「佐治直吉盛次」が幕末に家名継承のため当家に養子に入り、名を「諌夫」と改め・好夫(長男・東京へ)-祖父-父(三男筋から養子)-私・本家継承(次男) ↑・操夫(三男・他家へ養子)-祖父-父と現在まで続く三家の祖となりました。個々の詳細については、現在文献を読み漁っているので、追々発表していきたいと思います。【佐治参考系図】武家家伝(佐治氏)日本の苗字七千傑(佐治氏)系図総覧(国書刊行会)【参考文献・資料】尊卑分脈(第4篇)新訂増補普及版群書系図部集(第4)姓氏家系大辞典(全3巻セット)常滑史話索隠→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2009.01.31
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。ルーツ調査の四日目のご報告です。11月24日(月)曇りのち晴れ 気温15℃この日で大体の調査が終了となりました。6:30 ちょと早めの起床。9:30 叔父の案内の車で昨日と同じ本家がある地方で移動。午前中は、またまた叔父の車で史跡探しの散策。地図でおおまかな場所は分かるのですが、場所を特定する事がなかなかできませんでした。11:50 昼は近くの食堂で一人でオムライスを頬張ってっていました。毎日「うどん」だったので、なぜかご馳走に感じました。13:00 東京から電話でアポを入れておいた役場の方・神社総代の方と役場の応接でお話を伺いました。当家の本家は、この地方では名の通った家で、役場の方も総代の方もすぐに「先生のところのご親戚ですか」と理解していただきました。役場のご担当者の方が「うちの家も昔、先生のところと縁続きだったんですよ」と思わぬところで親類の方にお会いする事にもなりました。約1時間半の話の後、総代の方が車で、当家の所縁の場所を案内していただけました。加賀尾城址・・小高い山の頂上に昔、当家の先祖が城を構えていたそうです。残念ながら入り口には扉で閉ざされており、普段は入山できないようです。その後、何箇所か回ったところ、当家と名字を同じくする家の墓所二箇所を案内していただけました。(写真がアップできないのが残念ですが。。。)この墓所は、この地方では著名らしいのですが、私の事前の調査では判明しておらず、本家の近隣で、このような古くからある墓所の存在を初めて知りました。総代の方もおっしゃっていましたが、おそらくこの家々は、古い時代に本家から分かれた家ではないかと思います。本家以外にあたらなければならない場所をまた発見できました。八幡神社の拝殿を右に行った、竹やぶを抜けたところに、かなり昔(時代は特定できません)当家の先祖が住んでいた場所だそうです。竹で覆われていましたが、かなり広大な場所でした。蛇足ついでに、この場所の近くに「和泉式部墳墓」なるものもありました。総代のお話では、この地で亡くなり埋葬された言い伝えがあるそうです。(詳細不明)それにしても、この総代の方のおかげで、午前中全く場所を特定できなかった場所が分かり、大変ありがたかったです。この総代の方は、以前この地方の文化財保護の調査員をされていたそうで、この地方の古墳・遺跡・歴史には造詣が深く勉強になりました。総代曰く「この地方では、おそらくあなたの家が古くからの有力者だったのでしょう」とのことでした。総代の方はこの日のために、この地の古老にお話を伺ってまとめてきてくれました。感謝で一杯です。それから、この調査に快く付き合ってくださった「叔父」にも大感謝です。調査報告終了。。。(ブログの調子がよくなく、写真がアップできませんでした)→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.12.12
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。ルーツ調査の三日目のご報告です。11月24日(月)曇りのち雨 気温8℃(かなり寒かった!)この日は、待ちに待った「ご本家訪問」での調査です。7:00 前日と同じ時間に起床。朝食を済ませ、8:30 ホテル出発!駅からのバスに揺られる事40分。先祖が神官を勤めていた「神社」に到着。この場所を探すのに20分くらい周辺をウロチョロし、通りすがりの方に教えてもらってようやくたどり着けました。周辺が木々で覆われていたので外からは確認が難しかったようです。そして、鳥居をみつけてビックリ!想像していた通りの景観で、あたかも以前この場所にきたことがるような錯覚にとらわれました。 ここがその神社です。拝殿の奥に本殿があり、鎌倉初期にこの地に建立されたようです。10:20 町立図書館にて調べもの。かなり立派で近代的な建物でした。12:30 昼食(きつねうどん) 。土地柄からか毎日うどんばっかり食べています。13:25 ご本家訪問。今回この調査の目的である「古文書・家系図」をデジカメに収録する作業に没頭。 これが写した家系図の一部です。桓武天皇から始まる「桓武平氏」のものです。写していく段階で、東京で調査した家系とは明らかに違っており、頭の中は「???」状態でしたが、次第にどこの家系か判明する事になりました。ご本家の話と家系図で判明したことは、・先祖は「菅家党」に深く関わっていた。(ご本家の曾祖母の方はあまり口外したがらなかったそうです)・当家は代々男子の数が少なかった。→養子を迎えることが多かったのでは?・私の高祖父は、他家から家名や祭祀を継ぐために当家に養子に入った。この関係で、当家の血筋はこのとき、絶えてしまった。・本家にある家系図は、この高祖父の実家の系図である。・高祖父は若い頃、備前に学術修行に出ていた。(履歴書で確認)・高祖父が寺子屋を開いていた場所は、現在の本家がある場所。etcそしてこの家系図で私は衝撃的な事実に遭遇ししました。 佐治信方(上の家系図の右端) 織田信長の妹婿。 佐治一成(上の家系図の右端) 織田信長の婿。この二名に関しては、この家系図で見るまで、その名前すら知りませんでした。まだ詳しくは調べていませんが、ネットでの調査では、「佐治一成」の最初の正室は、後に徳川二代将軍・秀忠の正室、三代将軍・家光の生母となる「小督・江」(淀殿の妹・お市の方三女)ということも分かってきました。思いもよらない事実を確認し、新たな調査を開始しなければならない喜びに小躍りしながらご本家をあとにしました。もしかして!?私の中に「信長の血が??」続きはまた次回へ。。。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.12.11
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。ルーツ調査の二日目のご報告です。11月23日(日)晴れ 気温17℃前日と同じくらい、昼間は暑いくらいでした。7:00 起床。おにぎりに二個とトン汁の軽い朝食(ホテルのサービス)後、チェクアウト。8:30 向えにある三泊予定のホテルへ重い荷物を預けついでにチェクイン。9:30 叔父運転の迎えの車に乗って、叔父の案内で墓参り。昨年亡くなった伯母の墓所にお参り後、同じ敷地内にある祖母方の実家のお墓参りと合わせてツーツ調査。代々の墓石名を確認し、写真を一枚。かなり古そうな一基がありましたが、残念なことに墓石名は判読不能でした。10:30 そして、叔父と一緒に祖母方の実家の本家の捜索に出発。叔父も子供の頃に二・三度しか訪問したことがないということでしたので、「だいだいこの辺りだろう」という所で車を止め、農作業中の方々に聞き取り調査を開始。おおよその見当はついたのですが、時間の関係で今回は訪問を諦めました。(東京に戻ってから、住所は判明)11:30 叔父のご馳走で近くのうどん屋で食事。その後叔父が都合があるので、昼過ぎからは単独行動。12:30 やはり津山城を登り(結構きついです)、城近くの民族資料館・郷土資料館めぐり。民族資料館では、資料を寄贈した商家の貴重な品物が陳列されており、その中で私の目が釘付けになったものが、その商家の家系図でした。ガラス越しに見えるその家系図では、当然のごとく代々の氏名や津山まで来た経歴も確認でき、家系図の状態もかなりよかったです。14:15 ご先祖様のひとりである、森忠政公墓所(本源寺)にお参り。やはり大名墓所ということで、史跡指定されているので扉は硬く閉ざされておりました(外から合掌)その後、市立図書館にて調べもの。ここで本家の墓所周辺が、県の遺跡に指定されていることを発見!翌日の本家訪問に期待が膨らみました。夕食後、本家へ訪問の確認電話。翌日のため早めに就寝。しかし、ホテルから最寄のコンビニまで往復30分の道のりは、東京生まれでその利便性に慣れ浸っている私には、昼過ぎからの歩き疲れもあってこたえました。続きはまた次回へ。。。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.12.09
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。ルーツ調査の旅から戻って約二週間が経とうとしています。今回の調査では、以前から疑問に感じていたことも解消でき、また新たな発見もありの思っていた以上の成果もあり、なかなか資料がまとまりません。年末年始にまとめ作業に入ろうと思っています。と言うことで旅の概要だけでもご報告です。11月22日(土)晴れ 気温14℃早朝5:30に自宅を出発。6:30東京駅到着。かなり早めに着いてしまいましたが、連休初日とあって、駅の新幹線改札は、人・人・ひとでごった返していました。7:30東京駅発。今回はグリーン車に乗っていたおかげで、思わぬ人に遭遇しました。一人の初老の方でご自分の席を確認しながら、ゆっくりと私の隣の席に一礼をしながら着席され、「あれ?この方はもしかして・・・。」と思い出してみると、「前厚生労働大臣の坂口さんでは!?」。名古屋に着くまでの間、じっくりと「後期高齢者医療・年金問題」の記事を何度も読み返して読んでおられました。同じ車両には、民主党の河村議員も同乗されていました。10:50岡山駅到着。すぐさま津山線に乗り換えて、12:13津山駅到着。宿泊先のホテルに思い荷物を預けて、岡山ラーメンを昼食に、叔父の自宅へ挨拶へと出掛けました。叔父宅では、・父親の経歴、抑留の事、昔の写真の所在などを伺い、祖母方の手書きの家系図を預かってきました。この家系図は、10年程前に親類の法事の際、親族から聞き取り調査をして作成したもののようです。戸籍だけでは判明しない、親族関係や先祖の氏名がよく記されておりました。その後、曽祖父母・祖父母の墓参りをし、夕方から近くのすし屋にてご馳走になり、初日は終了です。ホテル内は夜でも暖房がよく効きすぎていたのか、熱くてあまり寝れませんでした。翌朝から本格的な調査の開始となりました。続きは次回へ。。。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.12.08
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。明日からの五日間。やっとルーツ調査の旅に出掛けられます。 明日早朝(5:30)から出発です!!昨晩、明日からの「三連休」が全く頭に入っておらず、今朝方JRに慌ててチケットの購入に走りました。。。おかげで「グリーン車」しか残ってなく、人生初の自腹を切って「グリーン車」に乗り込むことになってしまいました。ともあれ、無事に出発できます。遠い祖先の古墳群址・城址も当地の図書館にて場所も確認できました。ちなみに明日からの予定です。22日(土)叔父宅訪問・・墓参りと家系調査。法事。23日(日)津山初代藩主・森家の調査24日(月)ご本家訪問・・墓参りと古文書、家系図調査。25日(火)史跡巡り。役場訪問。総社さんの面談で先祖の業績調査。26日(水)法務局にて地籍図確認。図書館にて史料調査時間の許す限り歩き回ってこようと思います。ただ、あまり良くない天気予報が心配ですが。。。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.11.21
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。今朝一番で、お役所の地誌関係を管轄している担当者から連絡が入りました。「○○神社の代表者の方とアポがとれましたので、当日役場担当者までお越し下さい。」との連絡でした。これで先祖が当時管轄していた「神社」の話を、現在の総社代表者の方から伺うことができます。ダメ元で場当たり的に各方面へ電話連絡し、ようやくここまでたどり着けました。色々ご無理を聞いて下さった役場の方々に大感謝です!!「行き詰ったら行動あるのみ!」を実践し、良い結果がでて「ホッ!」としています。その他、先祖と思しき墳墓址や屋敷跡も確認済みです。「どこまで辿れるのか?」「どこまで確定できるのか?」四泊五日のルーツ調査。。。今から心が躍っています。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.11.12
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。ようやくルーツ調査が再開できそうです。ただし、ご本家宅のアポは取れていませんが。。。今月21日~25・6日まで現地に行ってまいります。今回のメインは、「法事」で出掛けるのですが、言うまでもなく、本家の家系図・古文書調査も実行してきます。本家のアポが取れなくても、ご先祖が神官として何百年(確か、600年程)も守り続けた「神社」が特定できたので、その神社に赴こうと考えています。その他、父方の祖母の実家である「大名森家」の故地にも足を伸ばそうと思っています。戻り次第また研究結果を報告します。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.11.07
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。「福沢諭吉。20代後半の写真発見!」福沢諭吉が「文久2(1862)年」、文久遣欧使節の通訳として渡欧した際に撮影された写真が、東京大学史料編纂所の谷昭佳さんの調査で、オランダのユトレヒトの貨幣博物館で発見されたそうです。「文久2(1862)年」といえば、当家では私の「曾祖父」が現在の「岡山県勝田郡」で誕生しています。今から「146年前」のことです。こうした古写真の発見ニュースを見る度に、本家にも「何か古写真が残っていないか?」とルーツ調査再開の日を待ち遠しく思っています。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.10.26
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。「寺田屋は再建」京都市は、寺田屋は「すでに焼失したと考えるのが妥当」とする調査結果を発表しました。 私も高校生の頃、父親と京都の史跡を探索したときには訪問出来なかったのですが、約10年前に初めて近くを通りかかった際、一度外見だけ確認してきました。確かその際も、建物の隣の庭の入り口に「寺田屋遺址」と書かれた碑があったのを覚えています。書籍で見たときは「当時の建物」のような思いがあったので、「この建物は当時のままではなかったのかな?」と感じましたが、深くは詮索しませんでした。新しい見解が出たところで、当時の寺田屋がどうのようなものであったか?「龍馬が過ごした寺田屋」や「お龍が駆け上った階段」図面やCGなどで再現されるのを心待ちにしています。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.09.27
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。以前からちょくちょく覗いて見るサイトがあります。「日本の名字七千傑」。このサイトでは、「皇別・神別・諸番」と主な姓氏の簡単な系図が一覧できます。私の関係する「姓氏」では、「桓武平氏・繁盛流・常陸大掾氏」・「菅原氏・美作菅家党」・「清和源氏・義隆流・森氏」となります。系図を研究していると、多種な系図本を買いあさって、多様な系図を確認することができます。その結果、資料的に確定している部分と、未だ研究が進んでいない部分、資料が乏しく研究者ごとで意見が分かれる部分などが次第に理解できるようになってきています。自家の系図研究でも、「言い伝え・史資料・史跡」などから「この系図のこの部分は、もしかしてこのように繋がっているのでは?」「この言い伝えを信用すれば、当家の本当の家系は、この流れではないか?」と思考や推理力を働かせていくことが多くなってきています。そのため最近、現在分かっている戸籍や過去帳から、個人ごとにまとめた「家系譜」を作成し始めました。個人ごとの生年・没年・親子兄弟関係・事跡を作成するのは、かなり大変です。しかし、この作業が系図を確定していく上で、目に分かる貴重な財産となっていくことが実感できます。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.09.08
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。本日の面白記事照会!●「三くだり半 福井県文書館の保管分が日本最古と判明」福井県越前市に住んでいた次兵衛さんが、貞享3年(1686)に書かれたものだそうです。ご自分で書かれたものかどうかは分かりませんが、達筆(?)すぎて不勉強の私には所々しか読み下せません。●「家康寄進の地、ようやく浅間大社へ」徳川家康が富士山本宮浅間大社に寄進したとされる土地が、大社側に無償で譲り渡されるそうです。記事を読むと、戦後に古文書などを元に無償譲与を申請し、30年程前の訴訟で最高裁でも勝訴していたそうです。全然記憶にありませんでした。こんなところでも「古文書」が活かされるのかと、初めて知りました。現在でも「古文書」を大切に保管されている家々は、全国に数多くあると思います。一度整理してみては如何でしょうか。ご先祖さまから思わぬ贈物が授かるかもしれません。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.08.28
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。本来なら今月の今頃は「本家調査」に出向いている頃でした。なかなか仕事の調整が付かずまた先送りとなってしまいました。話は変わって、先週久し振りに姉と飲む機会が有り、曽祖父についての新たな話を聞くことができました。以前から戸籍を調査し、系図を作っていく段階で、不思議な現象に頭の中が「???」状態だったのが、この姉の話で「!!!」と頷くことができました。プライベートな内容なので書くことはできませんが、こういった情報が意外と身近な人からもたらせることが実際にあるものだと思いました。親類からの聞き取り調査も一度や二度だけでなく、迷惑の掛からない範囲で何度も確認する必要がありますね。追伸家系図作成ツールで良さそうなものを発見しました。「家系図ツールズ」あまり複雑ではない「家系図」作成に適しているようです。実際に操作してみると、かなり簡単に作成できます。写真も入力でき、配置も容易に移動できます。ただし、兄弟関係・養子縁組・年号などは詳しく入力できないようです。フローソフトもあるので、まずはお試しあれ!→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.07.28
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。仕事がかなり忙しく、久しくブログを更新していませんでしたネ。そこで、今日はこんな記事のご紹介です!「ブラジルで移住100周年記念式典、皇太子さまがスピーチ」「6月18日」で日本人がブラジルに移住を開始して丁度「100周年」になりました。100年前は、日本では「明治41年」、「挂太郎内閣」が発足し、世界的には「ロンドンオリンピック」が開催され、「 愛新覚羅溥儀が清の皇帝」になった年になるそうです。私の「曽祖母(元治元年・1864年生)」も後にこの移民事業に参加して、ブラジル・サンパウロに移住し、昭和9年に70歳(数えで71歳)で彼の地で亡くなりました。戸籍では「没年・没地」が判明しなかったのですが、父親や親戚の方の話・墓所調査でこのことが分かりました。墓所には遺骨はありませんが、墓誌に「没年・享年・戒名」が書かれていて、「曽祖父・祖父母」と一緒に叔父が大事に管理されております。ただし、ブラジルの何処に住み、どこの土地で亡くなったのかという詳細は未だ不明です。これを機会に「移民者名簿」を手始めに調査を開始しようかと思っています。【参考】 「外務省」追伸「苦難と業績、改めて評価=日本移民100周年-ブラジル」この記事を読むと「曽祖母」達の苦労が感じられ、胸が熱くなりました。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.06.19
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。今日で「4月」も終了です。明日から「5月」に入り、暖かい日が続きそうです。昨年も5月に「本家」を訪問し、今年もお伺いしようと意気込んでいたのですが、先方の都合でその予定がづれ込みそうです。おそらく夏場(7~8月)になりそうです。今回は、1)「家系図」「古文書」の写真撮影と複写。2)先祖が管理していた神社の調査。3)「地籍図」「土地台帳」の調査。4)時間があれば、祖母の実家である「大名・森家」の調査を考えています。これだけでもかなりのボリュームになります。最低限「1)・2)」は終了したいと思っています。5月は時間をつくって、当家の元々の発祥地であろう「桓武平氏常陸大掾氏」の調査で、茨城県・石下地方に行ってこようと考えています。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.04.30
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。東京地方は、明日あさってで桜見に時期も終わりそうです。私は先週末に花見を済ませているので、今日と明日は部屋の大掃除と冬物の片づけで終わりそうです。愛息・ベイ(豆柴・♂・8才)と毎朝散歩している自宅裏の「枝垂れ桜」は、、 先週までは閑散としていたのですが、今朝は綺麗に咲いていて、愛息・ベイも心地よい風を浴びながら「枝垂れ桜」を見上げておりましたが、散歩から帰ってくると「花より団子」とばかり、食事を待つベイでした。 → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.04.05
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。一昨日、土曜日の昼下がり恒例の「花見」に参加してきました。前日の雨が心配でしたが、気候もよく「お花見」日和でした。15~16人ほどでお酒やつまみのデリバリーサービスを利用しての宴会は、日ごろの忙しさを忘れるくらい、楽しいひと時を過ごす事ができました。散会後は流れで2・3次会と続き、最後は締めにラーメンを食して帰宅しました。最後の方はほとんど覚えていません!(いつものことですが)下の写真は花見に利用した宴会場付近の桜です。 → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.03.31
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。一週間前の朝日新聞の記事の要約です。『都心掘れば、ご先祖さま 建設現場に人骨相次ぐ』「東京都心のマンションやビルの工事現場から、かめや木おけに入った江戸時代の人骨がひょっこり見つかる例が相次いでいる。江戸の街では、遺体を葬った墓地をそのままにして寺院が移転してしまうことが頻繁にあったが、近年の建設ラッシュで、その跡地が深く掘り返されることもあるためだ。・江戸時代は土葬が主流で、遺体を一人ずつかめやおけに納めて埋めることが多かった。・かめは武士や富裕な町人、おけは庶民用。 ・徳川家康の江戸入城や明暦の大火(1657年)などを機に江戸は都市整備が進んだ。・街の拡大に伴い、幕府の命で寺院は引っ越しをさせられ、その際、ほとんどの墓地が放置された。 専門家によると・人々の遺骨への執着も薄かった。・「大量に人が流れ込み、そして死んでいく。子孫も続かないことが多く、いちいち構っていられない。それが都市の合理性」とのこと。・墓は死者をまつるよりも「死体処理施設」の機能が強く、発掘された墓地跡からは、古い墓の上に新たに墓が作られた例も確認されている。 」江戸時代も現在とあまり変わらず、地方から都会に出てきて働き、そして定住していく。しかし、子孫が続かなくなり無縁仏も増えていった結果ではないでしょうか。先週早々と父と二人でお彼岸のお参りに行ってきました。その墓地でも、現在お参りされていない古いお墓があります。「親族が居ないか、子孫が移転して当初のお墓の場所すら分からなくなってしまっているのか。」そのようなお墓を父は「昔お世話になった方だから。」と、お彼岸の際には「お花と線香」をたやしません。そう言えば、田舎でも「みんな都会の出て行って、無縁仏が増えている」と叔父がポツンと寂しそうに嘆いていたのを思い出しました。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.03.17
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。「ヘレンケラーと家庭教師サリバン先生」『ヘレン・ケラー(左)と寄り添うアン・サリバン(米ニューイングランド歴史系図協会提供)。120年前に撮影した写真。ケラーの子供時代の写真はほとんど残っておらず、同協会は「最も重要な写真の1枚」としている』120年前というと日本では「明治20年代初頭」ということになりますね。私の祖父が生まれた年代です。年表を見るとこの頃は「大日本国憲法発布」や「第一回帝国議会召集」などの記事がありました。系図調査で忘れてならないのは「明治19年式戸籍」ですね。海外では「歴史系図協会」なるものがあるのですね。日本でも同じような組織があるといいのだけれど・・・。(私が知らないだけ?)そういえば、東京・広尾の「ユタ系図協会」が有名でした。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.03.06
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。『「本能寺の変」名場面はウソ? 信長、宿泊は専用御殿』ネットの記事から見つけました、要約は以下の通りです。「「本能寺の変」(1582年)で、織田信長が宿泊していたのは寺の建物ではなく、ごく小規模な専用御殿だったという新説を、今谷明・国際日本文化研究センター教授(日本中世史)が発表する。昨年、旧本能寺境内で相次いだ発掘調査の成果などから、「建物は最大40メートル四方クラス」と判断した。発掘調査は昨年夏、住宅建設のため2カ所で実施され、東側の調査地からはL字形の堀(幅約6メートル、深さ約1メートル)や焼けた痕跡のある文字瓦などが見つかった。西側調査地からは、建物跡などは出なかった。この結果、東側の堀は西に延びず、約40メートル四方の建物を囲むものと分かった。」伝説や風聞、日記などの史料で当たり前のように思っていたことが、こうした発掘調査から新たな歴史が登場することがよくありますね。それにしても、これからの時代劇は、どのように描写されるのでしょうか?→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.03.04
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。先日ご案内した、下記書籍で「家系図」に関する項目を抜粋してみました。「11 系図にみる東西1)女系系図の世界「若狭国鎮守一二宮禰宜代々系図」で注目すべきは、12世紀後半ごろの系図が、男系だけではなく、女系系図を多く含んでいる点である。姻戚関係にある他氏の系図もある程度書き入れられ、諸系図の断片を包含することとなっている。また、女性の嫁した夫もほとんど例外なしに注記され、子供たちの母についても、少なからず記載されている。このようなことは、系図作成者が姻戚関係をきわめて重要視していたことだけは、確実である。その結果、この一族が、国分寺の僧、総社の神官、在庁官人、国御家人にいたる広範囲の人々と網の目のような婚姻関係を結んでいた事が分かる。女系系図と姻戚関係の重視。これは、姻戚を重んじる母系的な西国という指摘と見事に符合する。2)男系系図の世界「大中臣氏略系図」。これは、実は常陸の豪族的微視段である「那珂氏・中郡氏」の系図で、鎌倉末期から南北朝期に作成されたことは確実なものである。鎌倉・南北朝期の武士たちのなかには、東西を問わず、摂関家流藤原氏にみずからの祖を結びつける傾向が、かなり強くあったのでないか。鎌倉・南北朝期の古系図は、室町・江戸期の系図と比べると、全体的に女性の比率が高い。それは、東国・西国を問わず、女性が所領に対する自立した権利を保持していたことに理由があることは明らかである。この系図では、惣領を中心とした一門で、惣領が郡内の諸郷を子孫に分け譲っていく東国的武士団の実態をよく表現した男系の系図であり、東国の系図の特徴をよく示しているものである。3)東西、婚姻のかたち 結合と拒否鎌倉・南北朝期までに作成された古系図には、男女の妻と夫、および母の注記が詳細である。西国圏では、東国の御家人等に対抗していることも影響して、西国出身者との婚姻を結んでいる事実がここにある。東国の豪族的武士団の場合、清和源氏、桓武平氏、秀郷流藤原氏などにみられるように、京都の貴族の末裔の東国土着いわれる現象がどこまでが事実なのかは、系譜学から検討する余地はなお残っている。東国人は東国人又はと東国出身者と主に婚姻関係を結んでいる傾向が見られる。また、公家・武家・寺社の中のさまざまな家格のあり方、地頭・御家人・名主・百姓、などの改葬問題、海民・山民・商工民などの非農業民と農業民との関係などについても、婚姻圏あるいは婚姻関係の側面からメスをいれるべき問題が無数に残されている。事実、さきの東西の問題も、地頭と御家人の階層間の問題が多少とも影響していることは間違いないと思う。おおまかではあるが、中世の東国人と西国人との婚姻には、多少なりとも拒否的な力が働いていたことは間違いないと思う。近年の統計上にみられる東西間の婚姻率の著しい低さは、確実にここまで遡る事ができるのである。」かなり、内容を端折りましたが、「家系図」の考察もこうした見方や研究をしていくと、自家の歴史を掘り下げていく一つの方法だと思います。東と西の語る日本の歴史 → よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.02.29
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。東と西の語る日本の歴史「東と西のことばの違い」「考古学からみた東と西」「源氏と平氏」「系図にみる東西」「東国国家と西国国家」 etc文化の違いから、領国経営の違いなどを主に中世史史料から読み解いていく興味ある一冊です。この本を読むと「日本という国が東西にはっきりと区別れていた」と実感できます。その思いは謎の多い古代史にも遡りそうです。十年ほど前に出版され、現在第27刷のロングセラーです。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.02.25
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎「日本の県境は豊臣秀吉が決めた?」「なぜ県名に旧国名がない?」「四国に二県しかなかった時代がある」 「西東京市は埼玉県だった?」「富士山は誰のもの?」 etc最近購入した書籍です。趣味程度にスラスラ読み通せる内容で、ちょとした雑学にも応用できます。家系調査をしていると、旧県名や旧郡名などが戸籍調査で判明します。「なぜ?このような区分になっていたのか?」「この地域は、現在のどの場所?」などの疑問にも、この本の知識があれば解決の糸口にもなりそうです。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.02.17
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。本日の日経朝刊の記事です。(記事要約)「宮内庁は15日、日本考古学協会など考古学、歴史学の計16の研究団体に、奈良市の神功皇后陵(五社神古墳)への立ち入り調査を許可し、22日に調査が実施されると発表した。 墳丘の外観を目視で観察するのが中心。立ち入りは墳丘第一段目の平らな場所までで、発掘は認められていない。 4月上旬に奈良市でシンポジウムを開き、調査結果を公開する。」「来年度以降も、全国の陵墓調査を申請する方針」で、これまで天皇陵墓の調査は、宮内庁からなかなか許可が降りませんでした。古代史ファンにとっては、これを契機にちゃんとした調査を実施し、日本史の確実な歴史が判明していくことを願っています。【神功皇后】未だに謎の多い人物です。「仲哀天皇の皇后で、第15代応神天皇の母」と言われていますが、各説があり確定していません。摂政として長く統治していたような記録もあり、実際には女帝として即位していたのではないかとの考えもあります。また、「卑弥呼」や「卑弥呼の宗女・トヨ(イト)」ではないかとの意見もあります。この皇后には「武内宿禰」との関係も重要ではないかと思っています。神話や古代史を解明するには「神武天皇・崇神天皇・神功皇后・応神天皇」だけに共通の「神」という文字が付けられた人物の調査・研究が急務です。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.02.16
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人気ブログランキング(←ここをクリック)に参加しています。我が家の古写真6枚目です。 明治から大正時代にかけての当時の新聞配達員のスナップです。我が家は「某大手新聞社の新聞専売店」としては、「東京で一番古かった」と聞いています。だから珍しくこのような写真が残っていたのでしょう。皆さん写真撮影に慣れているのか、ポーズが極まっている感じです。当時は法被を着て、走り回っていたのでしょうね。→ よろしければ 人気ブログランキング のクリックお願いします。
2008.02.13
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