いつかどこかで
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私は楽天的な人間だから、くよくよ落ち込むということはほとんどありませんが、この頃、自分があまりにぐうたらなことで自己嫌悪に陥ります。何か見つけようと始めたブログも、何かを見つけられたのか、単にぐうたらを助長しているだけなのか分かりません。最低限の家事のみ済ませ、あとは映画を観る、本を読む、ネットをうろつくことに時間を費やします。あっという間に1日が過ぎてゆきます。しかし考えてみればそれも今始まったことではなく、遅くとも大学時代にはこのぐうたらを自覚しておりました。それでいいと思っているわけではなく、かといって打開を試みるのでもなく。そういう時、昔からなかば無意識に心の中で繰り返すのが、この詩です。高校時代に出会ってからずっと、人生のBGMのように、繰り返し流れます。特に、V章、VI章。特に、最後の一文。「 それにしても辛いことです、怠惰をのがれるすべがない 」まあ、” すべ ” がないわけではないし、” 逃げ ” ” 甘え ” と言われてしまえばそれまでですが、快いのですよ。この、「 引っ張ったゴムを手離すように、自分に帰る 」 感じが。そっくりそのまま今の心境というのでもありませんが、紹介します。からすのBGM.。憔 悴 中原中也Pour tout homme ,il vient une e' poque ou l'homme languit. ― Proverbe.Il faut d'abord avoir soif …… ― Cathe'rine de Me' dicis.私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた起きれば愁(うれ)はしい 平常(いつも)のおもひ私は、悪い意志をもつてゆめみた・・・・(私は其処に安住したのでもないが、其処を抜け出すことも叶はなかつた)そして、夜が来ると私は思ふのだつた、此の世は、海のやうなものであると。私はすこししけてゐる宵の海をおもつた其処を、やつれた顔の船頭はおぼつかない手で漕ぎながら獲物があるかあるまいことか水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく II昔 私は思つてゐたものだつた恋愛詩なぞ愚劣なものだと今私は恋愛詩を詠み甲斐あることに思ふのだだがまだ今でもともすると恋愛詩よりもましな詩境にはいりたいその心が間違つてゐるかゐないか知らないがとにかくさういふ心が残つてをりそれは時々私をいらだてとんだ希望を起させる昔私は思つてゐたものだつた恋愛詩なぞ愚劣なものだとけれどもいまでは恋愛をゆめみるほかに能がない IIIそれが私の堕落かどうかどうして私に知れようものか腕にたるむだ私の怠惰今日も日が照る 空は青いよひよつとしたなら昔からおれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ真面目な希望も その怠惰の中から憧憬したのにすぎなかつたかもしれぬあゝ それにしてもそれにしてもゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた! IIIIしかし此の世の善だの悪だの容易に人間に分りはせぬ人間に分らない無数の理由があれをもこれをも支配してゐるのだ山蔭の清水のやうに忍耐ぶかくつぐむでゐれば愉(たの)しいだけだ汽車からみえる 山も 草も空も 川も みんなみんなやがては全体の調和に溶けて空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ…… Vさてどうすれば利するだらうか、とかどうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと要するに人を相手の思惑に明けくれすぐす、世の人々よ、僕はあなたがたの心も尤もと感じ一生懸命郷に従つてもみたのだが今日また自分に帰るのだひつぱつたゴムを手離したやうにさうしてこの怠惰の窗(まど)の中から扇のかたちに食指をひろげ青空を喫ふ 閑〈ひま〉を嚥(の)む蛙さながら水に泛(うか)んで夜は夜とて星をみるあゝ 空の奥、空の奥。 VIしかし またかうした僕の状態がつづき、僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、自分の生存をしんきくさく感じ、ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。そして理屈はいつでもはつきりしてゐるのに気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑(をくづ)が一杯です。それがばかげてゐるにしても、その二つつが僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。と、聞えてくる音楽には心惹かれ、ちよつとは生き生きしもするのですが、その時その二つつは僕の中に死んで、あゝ 空の歌、海の歌、僕は美の、核心を知つてゐるとおもふのですがそれにしても辛いことです、怠惰をのがれるすべがない!
June 7, 2007
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