烏 森 神 社

2006年11月23日
XML
カテゴリ: 神道豆知識
国旗


「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」として昭和23年(1948年)に制定された国民の祝日です。
戦前はこの日が祝祭日の「新嘗祭<にいなめさい>」(宮中では天皇が新しい米などを神殿に供えた祭事)が、戦後に「勤労感謝の日」として国民の祝日になりました。

新嘗祭は、五穀の収穫を神に感謝する祭礼で、「しんじょうさい」ともいわれます。
新嘗祭の「新」は新穀を、「嘗」はご馳走または食べるを意味します。
宮中では天皇が新穀を神々にお供えし、自らも召し上がります。
『古事記』に天照大御神<あまてらすおおみかみ>が新嘗祭を行った記述がみられるように、たいへん起源の古い祭礼です。
古来、農業を産業基盤とする日本では、春のはじめに「祈年祭<きねんさい>」で五穀の豊穣を祈願し、「神嘗祭<かんなめさい>」で初穂(新米)を最初に神々に捧げ、収穫を終えて「新嘗祭」で神々に感謝を捧げました。
ここで「神嘗祭」と「新嘗祭」の違いを考えてみましょう。

こちらも戦前は祭日でした。
神嘗祭は皇祖である天照大神を祀る伊勢神宮に天皇が幣帛<へいはく>を捧げ、宮中からこれを遙拝する儀式です。
神嘗祭は伊勢神宮で行われ 、10月15~16日(外宮)、16~17日(内宮)でその年に収穫された穀物や酒などを天照大神に供えます。
「新嘗祭」はこの「神嘗祭」からおよそ一ヶ月遅れて行われます。
内容は重複する部分が多いのですがよく考えると違いもあります。
それは 神嘗祭が「神に供える」だけなのに対して、新嘗祭は「神を祀り、自らも食す」という点 です。神嘗祭は感謝を申し上げるだけですが、新嘗祭は感謝し、その新穀の生命力・霊力を天皇自らが食し、体内に入れる儀式も兼ねています。

明治6年(1873年)から昭和22年(1947年)までは「新嘗祭」の祭日とされておりました。
天皇が新穀を天神地祇(天上の神様・地上の神様)に勧め、また、親しくこれを食する祭儀です。
明治5年までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていました。
明治6年から太陽暦が導入されましたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になることもあって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととし、明治6年ではそれが11月23日でした。

戦後は皇室典範からこの儀式は除外されましたが、法的にはこの儀式を行う必要はなくなっても、皇室においては重要な宮中行事として継続されています。
皇室での儀式は、23日の夕方から始まり翌日の未明まで行われます。
また、各地の神社での新穀感謝の祭事は続いております。
当社「新嘗祭」は18日に斎行申し上げました。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年11月23日 15時23分37秒
[神道豆知識] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: