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www.nicovideo.jp/watch/so32797246?ref=search_key_video&ss_pos=1&ss_id=f8b4783e-9372-4501-a2a2-dd848ea56948 この動画を見て、たいへ豊かに学びました。 次の説教でも言及すると思うので、 感謝を込めて、以下のように 岡田斗司夫さんにメールをしました。 **** 2月25日のニコ生、拝見しました。大変勉強になりました。 牧師をしており、「神学博士」を名刺に刷って暮らしている 一応「専門家」である身にとって、とても刺激的な立論でした。 やはり定説や正史では見逃される点が多くあることを思います。 とりわけ、ゴシック建築への「専門家」の説明に 常に足りなさを感じておりましたので、大変興味深く拝見しました。 しかしそれ以上に今回の放送の重要性は、 ブロックチェーン以降の世界を考えるヒントを 提示してくださったことです。 野口悠紀雄さんの最近のインタビュー www.videonews.com/marugeki-talk/881/ を見て、世界がすでに変わりつつあることを 直感しました。しかし、どう変わってきているのか、 はっきりしないところがありました。 今回、「石の書物」という鍵語が、 大きな示唆を持っていたと思うのです。 抽象概念を手に入れたホモサピエンスが 他の人類を駆逐して万物の頂点に君臨した。 その「抽象概念」をどうアーカイブし、 そして、どうやって正確に伝達するか。 古来人類は、 石に刻んでアーカイブとし、 歌に歌って伝達した。 500年ほど前、人類は、 印刷という技術を手に入れて アーカイブと伝達を一体化した。 しかし、印刷技術による製作物は、 そもそも改ざんが可能であり、 アーカイブの強度を上げようとすると 複製をたくさん作る必要がるために 信用が保証できなかった。それで、 現代の私たちが言うところの 「事務」のシステムを作り、 人間がそれに参加することが求められた。 そして今、ブロックチェーンが登場し、 堅固なアーカイブと正確な伝達を 技術が保証できるようになった。 AIが「臨機応変」を代替しつつある今、 いよいよ、人間の役割はなくなっていく。 ・・・と、「石の書物」という言葉から 展開できました。感謝を覚えています。 蛇足ですが、ゴジラで指摘されていた 「責任ある科学」のお話は、 蒼天航路の華佗と曹操の対決を思い出し、 サブカルの有用性を改めて思わされたことでした。 長くなりました。 感謝を込めて、 一筆啓上申し上げました。 腰の痛み、早く治りますように。 (私は、背骨の病で、 もう20年来針灸に助けられています。 一度、ご検討を!) 神学博士 川上直哉
Feb 28, 2018
2018年2月25日の、レントの説教です私は、1:完全原稿を作成する2:キーワードだけのメモを直前に作る3:レジメを作るの三つのやり方を、それぞれ試しながら、毎回、説教しています。 1の完全原稿は、時間の枠組みがしっかりしている場合(学校など)や、聴覚に不自由を覚えていらっしゃる方がいる場合に、用います。長所は、精錬された言葉遣いになること、短所は、ライブ感がなく霊的躍動感にかけること。 2のメモでする説教は、上記の短所をクリアするためのものです。もともとは、急に頼まれるスピーチの現場で編み出した、即興の技芸です。短所は、その日のコンディション(心身・霊肉ともに)の良し悪しにひどく左右されることです。 3の「レジメ」は、上記の1と2の中間としてやってみているものです。昨日は、これをやってみました。録音を聞いてわかったことは、発音のユルさです。聞きやすいとは言えない。1の完全原稿のように聞きやすく、そして、2の即興のライブ感を残しつつ・・・ということが、いつかできるようになるといいのですが。まだまだ、努力が必要です。 今回の聖書箇所はマルコ福音書で***2:1幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、 2:2多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、イエスは御言を彼らに語っておられた。 2:3すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。 2:4ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。 2:5イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。 2:6ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、 2:7「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。 2:8イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。 2:9中風の者に、あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。 2:10しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、 2:11「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。 2:12すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。***が、著作権フリーの「口語訳」です。教会では「新共同訳」を使っているのですが、またまた、翻訳で困ったことに。 2:3にある「 " 人々が " 病気の人を四人の人に運ばせた」というのを、新共同訳では「四人の男が中風の人を運んで来た」としてしまっている。私のつたないギリシア語能力では、なぜ「人々が」を抜いたのか、簡潔に説明することができない。英語訳のほとんどは「人々が」あるいは「群衆が」四人に病人を運ばせたと訳しているのに。 それから、もうひとつ。2:5にある決定的な用語「ゆるされた」は「赦される」としてしまっている。「許」の可能性を排し、原文が現在形であることを意識している。それでいいのかな。本源的なところで伝統に日和ってしまっている問題が、手近なところの工夫で解決できる、というものでもないだろうにな。大体、日本語として変だし・・・ と、いろいろ、考えさせてくださる点で、翻訳の問題は、素晴らしい可能性となりました。(具体的には、「罪」とほぼ誤訳されている「ハマルティア」と、「赦す」とほぼ誤訳されている「アフィエイミ」を、現場に立って解釈する=神学する機会を得ました)。
Feb 27, 2018
昨日のお話です。タイトルは「イエスの『テロ』事件」。所謂「宮清め」のお話です。聖書箇所はイザヤ書でした。56:1主はこう言われる、「あなたがたは公平を守って正義を行え。わが救の来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ。56:2安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、悪しき事をせず、このように行う人、これを堅く守る人の子はさいわいである」。56:3主に連なっている異邦人は言ってはならない、「主は必ずわたしをその民から分かたれる」と。宦官もまた言ってはならない、「見よ、わたしは枯れ木だ」と。56:4主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、56:5わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える。56:6また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は――56:7わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。56:8イスラエルの追いやられた者を集められる主なる神はこう言われる、「わたしはさらに人を集めて、すでに集められた者に加えよう」と。
Feb 12, 2018
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