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今日も他人事
Caligula Overdose SS それぞれの流儀
1
「味は、どうですか?美味しいですか?」
鈴奈が少し不安げに隣に座っている部長に問いかけた。
卵焼きを頬張っていた部長がにっこりとほほ笑み、頷き返す。
「美味しいよ、鈴奈ちゃん」
「よかったぁ……」
「鈴奈ちゃんって本当、料理上手だね。凄いよ」
「そんなことないですよー……えへへ」
部長が感心したように言うと、鈴奈は頬を紅潮させて嬉しそうに笑った。
いつものおどおどした素振りはまったくない。
びっくりするぐらい、明るくて愛らしい。
「しっかし、鈴奈、部長にべったりだな。
そんなんで現実に戻ったらどうすんだ?」
「え?」
鼓太郎の何気ない一言に、皆僅かに押し黙った。
「鼓太郎君、今はいいでしょ、その話」
琴乃がたしなめるように言うと、鼓太郎は不満そうに唇を尖らせた。
「もう俺ら会えないかもしれねーんだぜ?
みんな同じ学校にいるわけじゃねーだろ?
なぁ?」
「何いってるんですか?先輩はずっと一緒にいてくれますよ?」
不思議そうに鈴奈が鼓太郎を見つめ返す。
側で聞いていた笙悟と琴乃がはっとした表情を浮かべた。
「何ってよ」
鈴奈の返答に、鼓太郎は困ったように言葉を濁らせる。
なんとなく、皆、それ以上、そのことを話題にするのを避けた。
「あ、部長。こっちのカラアゲも食べてみてください」
「ありがと、いただくね」
部長はあまり気にした素振りを見せず、鈴奈との食事を楽しんでいる。
彩声は自分の髪を軽く指先に巻きつけながら、二人の様子を見つめていた。
それから、少しだけ唇を噛み締めた。
2
「それじゃあ部長、彩声先輩。
今日もご一緒してくれてありがとうございました。その、また明日っ」
「うん、バイバイ」
「またね、鈴奈ちゃん」
鈴奈がぺこりと頭を下げる。
名残惜しそうにしながらも、その顔はとても喜色に満ちていた。
……かわいいなぁ。
そう思ってしまう自分に、彩声は少し腹が立った。
実際、鈴奈は、最近可愛らしくなったと思う。
いや、元々可愛かったんだけど。
以前の鈴奈は、自信無さ気な印象の方が先に見えてしまうところがあった。
今の彼女は違う。明るくなったことで、ますます可愛さに磨きがかかっている。
……そのことを素直に喜べない私がいる。
はぁ、と思わず、小さな溜息が漏れた。
「悩み事?」
隣を歩いていた部長が彩声の顔を覗き込む。
それがなんだか腹立たしい。
「……誰のせいで」
「え?」
「仲良いね。部長と鈴奈ちゃん」
そっぽを向きながら、彩声は不機嫌に言った。
「そう見える?」
「すっごく」
「私の事、信頼してくれてるのかな、鈴奈ちゃん」
「信頼ってレベルじゃないと思うけど」
多少の棘の籠った彩声の口調に、部長はきょとんとした表情を浮かべる。
だが、すぐに何かを察したように口端を僅かに持ち上げた。
「ははん。彩声、もしかして妬いてる?」
「妬いてない」
「ふぅん」
「何よ」
「妬いてる彩声も可愛いなって」
「妬いてないってば」
からかうような部長の反応が気に入らず、思わず強く返してしまう。
「あはは、ごめん、ごめん」
「……部長さ、鈴奈ちゃんのこと、どう思ってんの?」
「うーん、かわいい後輩、かな」
「かわいいって、どのくらい?」
「えー、難しいよ、それ」
「じゃあ……ずっと、一緒にいてあげるぐらい?」
彩声の問いに、部長は即答しなかった。
何気ない沈黙が、なぜか今は妙に落ち着かない。
思わず彩声が口を開きかけた時、うん、と短い呟きが耳に入った。
へぇ、と思わず、彩声は呟き返してしまう。
―――じゃあ、私はどうなるの?
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「そうなんだ」
できるだけ平静を装いながら、彩声はなんとかそう言い返した。
3
「はぁ」
翌日、学校の屋上で彩声は大きくため息をついた。
昨日の部長との会話以来、ずっとこんな調子だ。
二人で部屋に帰ってからも、どこかぎこちなくなって会話が長続きしない。
……昨日までは、一緒に過ごすのがあんなに楽しかったのにな。
知れず、また溜息が出てしまう。
フェンスにもたれながら、彩声は青空を見つめた。
μが作ったメビウスの空はどこまでも抜けるように青い。
……そういえば、お父さんのこと、部長に話したのもここだったっけ。
自分の過去を、日向のことを、家族の話を。
誰かに話したのはメビウスに来て以来、後にも先にもあれっきりだ。
……部長のこと好きだって、自覚するようになったのもあの時からだったと思う。
どうしても何かお礼をしたくて指輪を模した護身用グッズを買ったり、呼び出しの手紙書いたり……自分の気持ちを正直に伝えたり。
あんなにドキドキしたのっていつ振りだったかな。
中学の頃、好きになった女子の先輩にラブレター書いた時以来かも。
もう十年以上前の話だ。
お父さんやお兄ちゃんとも普通に暮らせて。
日向とも学校で馬鹿話で盛り上がったりして。
あの頃は、本当に平和だった。
……七年前、あの事件が起きるまでは。
思わず、フェンスを掴む手に力が籠る。
あの暴行事件が切欠で、彩声の人生は変わってしまった。
そして、こんな世界(メビウス)に墜ちてしまった。
今でもあの事件の光景がふとした時に脳裏に浮かび、その度に身の毛がよだつ。
この感覚が蘇ってくる限り、自分は決して男という生き物を許せないだろう。
……それでも一歩を踏み出せるようになったのは、部長がいてくれたからだ。
「あれ、彩声じゃん。こんなとこでなにしてんの?」
甲高い声を上げて、彩声の眼前にちんまいマスコットのような少女……アリアが急に現れた。
「珍しいね、今日は部長と一緒じゃないんだ?」
「ちょっとね……そうだ、アリアは何か知らない?」
「へ?」
「鈴奈ちゃんと部長の間に何があったのか」
う、とアリアが言葉を詰まらせるのを彩声は見逃さなかった。
「やっぱり、何か知ってるんでしょ。ねっ、教えてよ」
「でも、勝手にユーに言っちゃっていいのかなあ。
本人のプライバシーにも関わることだし」
困ったようにアリアが首を捻る。
確かに、アリアの言う事はもっともだけど。
でも、ここで引き下がる訳にはいかない。
ここで引いたら、ずっともやもやした思いを引きずることになる。
それは絶対に嫌だ。
「お願いっ。アリアだけが頼みなの。
別に周りに広めたりしたいんじゃない」
「うーん……知って、どうするの?」
「知りたいだけ。何も知らないまま見てるのは……辛いよ」
拝むように頼み込むと、アリアは大きな息を吐いた。
「好きなんだね、部長のこと」
「……うん」
「伝わって来るよ、ユーの想い。
二人の関係が気になって、どうにもならない気持ち。
彩声、あたしが話したこと、言いふらしたりしないでよね」
「アリア」
「ユーは鳴子みたいに口が軽い訳じゃないし。
今回だけの特別だかんね!」
そう言って、アリアは語り出した。
鈴奈が抱えてた悩みを。
部長とアリアの頑張りを。
鈴奈は部長に問うた。
ずっと一緒にいてくれますよね、と。
「一緒にいるって答えたんだ、部長」
彩声は複雑な思いで呟く。
「うん。
あたし、部長に言ったんよ。
これで本当によかったのって」
「部長、なんて?」
「鈴奈のこと、傷つけたくないって……ねぇ、彩声はどう思う?
部長の答え、正しかったのかな」
困ったように尋ねるアリアの言葉に、彩声はすぐに答えを返すことができなかった。
やっぱり、鈴奈にも過去のトラウマが、心に負った傷があったのだ。自分と同じように。
傷付いた人に寄り添って、側で支えてあげること。
多分、それが部長の優しさなのだと思う。
私もそんな部長の優しさに助けられたからそれは否定しない。
でも、それでも、私は……。
4
「彩声」
名前を呼ばれ、彩声は階段を下りる足を止めた。
夕暮れの校舎。部長が階下から彩声を見上げている。
「部長」
「帰ろう、彩声」
「うん……もしかして探してくれてた?」
「当たり前でしょ」
部長が小さく微笑む。
その仕草があまりに自然で、彩声は思わず見惚れてしまった。
それから、取り留めのない会話を重ねながら、二人して学校を出て帰宅の途につく。
何気ない会話だけど、昨日よりも自然と言葉が出た。
少なくとも、昨日よりぎこちなさは解消されている気がする。
いよいよ自宅が見えてきた時、彩声は意を決して部長の手を掴んだ。
「部長はさ、鈴奈ちゃんを傷つけたくないから側にいてあげるの?」
流れ出た声は自分でもびっくりするぐらいに、落ち着いていてはっきりとしていた。
部長の眼が大きく見開かれる。その瞳を彩声は、じっと正面から見つめた。
二人の間に沈黙が落ちる。しばしの間を置き、部長は苦笑いを浮かべた。
「うん。変、かな」
「変じゃない。優しいよ、部長は」
本心からそう思う。
「でも、私は、鈴奈ちゃんが一人でも歩んでいけるようになった方が良いと思う。
部長がずっとそばにいてあげなくても、鈴奈ちゃんは大丈夫だと思うから」
これも本心だった。
「強いね、彩声は」
部長は足元に視線を落としながら、低い声で呟きを漏らした。
「彩声の言うことも分かるよ。
でも、それでも私、怖いんだ。
私の言葉が、あの娘の心を踏み躙ってしまうかもしれないって。
だから……私には言えない」
部長が微笑を浮かべて彩声に笑いかけた。
それが、どこか酷く寂しげに思えてならない。
彩声はううん、と首を横に振った。
「こっちこそ、偉そうなこと言ってごめん。
部長がそう決めたんでしょ。なら、それでいいんじゃない?
部長に自分の意見を押し付けたいわけじゃないんだ。
私の気持ち、知っておいてほしかっただけだから」
――部長のこと、好きだから。
「……でも、一人で抱え込み過ぎないでね。
私にも何かできることあったらちゃんと言ってよ。ね?」
その時、部長の顔に浮かんだ表情をなんといえばいいのだろう。
気恥ずかしそうで、どこか切なげで……なのに、なぜか申し訳なさそうで。
「彩声、私」
部長が何か言おうとして、口を開きかける。
けれど、何故かその先は言葉にならず、僅かにごめん、と呟いただけだ。
「変なの。なんで、部長が謝るわけ?」
「ううん、なんでもない。ごめんね」
「ほら、また」
彩声が笑いかけると、部長もつられたようにくすっと笑った。
何を言いかけたのか少し気になったが、それは部長が言いたくなった時に言えばいい。
「止めちゃってごめん。さ、帰ろ」
言いながら、そっと彩声は右手を部長の左手に滑らせた。
手と手が絡まり、部長の指先の感触がはっきりと伝わってくる。
―――あ、指輪。
ふと、部長の右手にはめられた指輪に目がいった。
正確には指輪ではなく、メリケンサックなんだけど。
それは付き合い始めるちょっと前に、彩声が部長に護身用として贈ったものだ。
……ちゃんとつけてくれてるんだ。
なんとなく嬉しくなり、彩声の口元に思わず、微笑が浮かぶ。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない」
眼を閉じたまま、彩声は部長の指先の感触に身を任せた。
誰かに見られるかもしれないが、今はどうでもよかった。
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