これが私の生きる道・・・?

これが私の生きる道・・・?

2005.12.30
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カテゴリ: あの日のコト
とりあえず、思い出して書きなぐるように綴っていますので
読み流してくださいませ。


***************************************************

何だかよくわからないまま過ぎていった月日。

「あの日」からお葬式が終わるまでの3日間は、
つい昨日のことのようでもあり、遠い昔のことのようでもあり、夢の中の出来事のようでもある。



あの日の私は、パニックに陥っていたり、どこか冷静になったり、
なんだか自分が自分でないみたいだった。


様子がおかしい彼を発見したとき、救急車を呼ぶまでに間があった気がする。

救急車を呼んで、待っている間、どれくらいあったんだろう。
何をしていたんだろう。

救急隊員の人たちの顔を見て、安心してしまった私。
これで、助かったと思ってしまった私。

家を出るとき、彼の保険証を持っていかないといけないなんてことは
頭になかった。
なのに何故か、彼の携帯だけは持っていった。

病院について、別室で一人で待たされている間、まだ「死」なんて思っていなかった。
なのに、様子を伝えに来てくれた看護士さんから、
「ご家族に連絡を」と言われて一気に力が抜けた。

義母と私の母に電話した。

私は、義母の携帯番号知らなかったから・・・。

私がかけた電話は、たぶん何を言っているかわからなかったと思う。
病院に運ばれたこと。
とにかくすぐ来てくれ ということ。
それだけ言うのに精一杯。


すぐに来れるわけもなく、一人で待っていると、
医師が説明に来た。
「心臓はもう、自分の力では動いていません」
「もうしばらく処置はしてみますが、無理だと思います。」
「15分後に、確認お願いします」
そんなようなことを、無表情に、淡々と言われた気がする。
そして、私は、何を言われているのか、よくわからないまま聞いていた。

義母も母も来ないまま、一人で死亡確認をさせられた。
なんだか、何を言われているのかよくわからなかった。
ドラマでは、駆け寄って泣き叫ぶシーンがよくある。
私は、声も出せなかった。
ただ、立っているのが精一杯で、看護士さんに支えられていた。

その後の処置があるからと、また別室に戻る時、義母が来た。
そこで私の糸は切れた。
泣き叫ぶ私に代わって、看護士さんが義母に伝えてくれた。
私はそのときの義母の気持ちを考えている余裕はなくて、
何を聞かれても、ただ泣いていることしかできなかった。

それからは、何がどういう順序であったのか、よく覚えていない。
義母は義父や義弟や親戚に連絡していた。
私は、会社に連絡したりしていた。
母がいつ現れたのかも覚えていない。
父や義父がいつ現れたのかも覚えていない。

きれいにしてもらったかずくんに対面したときも、
まだ、状況をのみこめていなかった。
ほんとうに死んでしまったの???
ただ、寝ているだけじゃないの???
何で目を覚ましてくれないの???
そんなことを思っていた。

医師から、説明があった。
原因は不明。
解剖すればわかるかもしれない。
でも、解剖は断った。
してもらって、原因を追究したほうがよかったのかな。
そのときはただ、身体に傷をつけられるのがイヤだった。

「葬式はどうするのか」という話になって
初めて私は「そうか、お葬式するんだ」ということに気づいた。

「どうしたい?」と聞かれたって、私にはわからない。
「マンションに連れて帰る?実家に連れて帰る?」と聞かれたって、
私には、どうするのがいいのかわからない。
「マンションに連れて帰って、ちゃんとできる?」
と言われたって、そんなことわからない。
何をどうすればいいのか、私にはわからない。

結局、実家のおじいちゃんが亡くなったときからお世話になっている
お寺さんに連絡して、近くの斎場を紹介してもらったらしく、
実家に連れて帰ることになっていた。
一応、私に聞いてくれても、私には決断権なんてなかった。

涙も止まらないまま、ドタバタしているうちに、
検死をすると聞かされた。
自宅で、一人で亡くなっていたから・・・ だって。
そういうもんなんだね。

警察官が来て、いろいろ聞かれた。
泣きながらも、淡々と答えることができてしまった私。
そのときは、もう自分の感覚がわからなくなっていた。

私の職場の上司が駆けつけてくれた。
ただ泣いている私に「何も言わなくていいから」と言ってくれた。

かずくんの会社の人も来てくれた。
この人は私にかずくんを紹介してくれた人。
私の友達の旦那様。
かずくんの上司でもないのに、何故この人が来たのかはわからないけれど、
他の人が来てくれるより、嬉しかった。


なんだかんだとあって、実家に連れて帰ってもいいことになっていた。
いつの間にか、葬儀社の人が来ていた。
私は言われるままに動くだけ。

私の旦那様なのに。
私の好きなようにはできない。
でも、お葬式とかどうすればいいかわからない私は、
義両親に従うしかなかった。
というか、何が何だかわかっていなくて、
ただ、流れに流されていた。





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Last updated  2005.12.30 15:52:37
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柊子5113 @ Re:3月(03/13) 覚えてくださっていますか? 柊子です。 …
kumicoco9355 @ Re[2]:15年と16年(03/01) kazupi515さんへ 気付いて頂きありがとう…
kazupi515 @ Re[1]:15年と16年(03/01) kumicoco9355さんへ お返事遅くなりまし…
kumicoco9355 @ Re:15年と16年(03/01) 初めまして・・・かな? 時々、訪問してい…
マイコ3703 @ 思わず初コメしちゃいました(*^^*) ブログを見ていると、時間が経つのも忘れ…

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