ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2006.04.26
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の作品の奥行きが出てきたのは日記かも知れない。それと作品と作家と周辺の環境がある。

ブログも日記だがどちらかといえば、表現としての外面の表象でしかないないだろう。だから、そ

のまま素直に見れるのは、映像くらいなのだろう。そして、正直に自分の内面を表現することので

きるひとは、勇気があるし、評価できる。ひとは、見栄を張ろうとするひとが多いのだ。街を歩け

ば、見栄っ張りが流行という名の服を着て歩いているではないか。そのためにしなくてもよい争い

もしている。外面ではなく、見えない内面を爽やかな空気で育てるべきだ。他人を責める前に、自

らの行いを顧みるべきだろう。孔子でこの社会が救われるとは思わないが、学ぶべきことばは多い

のではないか。一葉は、小さな世界を描いた作家で所謂大作家ではない。そんなものは嘘っぱちの



それが、見えるのは、誰にでも見える訳ではない。共感すると言うこころをもつひとは簡単につく

れるものでもない。男尊女卑の世界で、その蒙昧を指摘できる一様ではできない「一葉」でしかで

きなかっただろう。そこに一葉の価値があるだろう。

複雑系としての人間は、この脳と身体という宇宙船を操り生きているが、時々操縦士を忘れてしま

う。つまり窮地に追い込んでしまうのは、自分の内面でよく話し合いをしないからだ。

そのために日記があるだろう。どういう人間でも人間はなれるだろう。それをそうしているのは、

それは、自分という多細胞の人間でしかない。日記は、その自分を知るためにあると思う。


>香椎宮前の「綾杉」という古木。





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最終更新日  2006.04.26 09:22:03
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