ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2009.05.27
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が学ぶ姿勢は変わらない。今まで、「KEIO-OCW」 の政治学講義一覧を観ていた。メモより

・「権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時に彼は、自ら権威であろうと願い他のものを服従させようと願う」  SM的権威主義。

・宗教改革は、「人間に対する教会の支配を排除したのではなく、寧ろ従来のものと別の形態による支配に代えただけだ。」  ( ウェーバー )

・戦争で人殺しを楽しむ者と、われわれとの道徳心に大きな開きがあるという考えは「正常」という概念を支える幻想に過ぎない。虐待された子どもは、虐待する親になる。残虐行為を減らすためには、暴力に埋もれた叫び声に耳を傾けることのできるようにならねばならない。戦争という盲目的な儀礼から抜け出す唯一の方法は、怒りの代わりに悲しみを学ぶことである。    (サム・キーンより)

・「他者の悲しみにやさしい文化を創らねば、平和はない。」(野田正彰より)

・「ある人は、他の人々が彼に対し臣民たる態度をとるがゆえに王である。ところが彼らは彼が王であるがゆえに自分たちは臣民であると信じている。」(資本論より)

・「紛争こそは、政治の本質である。政治に従事する人びとは、皆一律の闘争に従事している。弾丸の戦いでない場合にも投票の戦いに、軍隊の戦いでない場合にも修辞の戦いに、戦略の戦いでない場合にも説得の戦いに従事しているのだ。」(丸山真男「政治の世界」)





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最終更新日  2009.05.27 21:37:26
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