ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2017.11.21
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講師田吹長彦氏は、バイロンの研究家「ヨーロッパ夢紀行」第一巻-詩人バイロンの旅-を刊行されている。「詩人バイロンとナポレオン」というタイトルだったが、バイロンは、21歳の時に、貴族子弟が当時流行りの grande tour をして書いた長編詩"Childe Harold's Pilgrimage. Canto I-II"(1812)が爆発的に売れた時、

 先に出したフレーズが、

 "I awoke one morning and found myself famous."



今回は「戦争と文学」というテーマにそって、バイロンの2回目の旅で、1816年に書いた同上のIIIの長編詩の詳細な解説をされた。バイロンは戦いの一年後の生々しい戦場に立って、ナポレオンのワーテルローの決戦について触れている。


バイロンは幼い頃は、ナポレオンを崇拝していたが、皇帝になってからは嫌悪感を示すようになる。詩文の中にそのことが織り込まれている。バイロンという詩人の "「幸福」は夢ではないと思いたいのだ"。というフレーズは重い。



バイロン(1788-1824)は、イニシャルをN.B. と書き、もう一人のN.B. であるナポレオン(1769-1821)がいる。何故、バイロンがG.B.ではなく、N.B.なのか?知っている人は知っている。詩人は、36歳、英雄は、
52歳で死んだ。ワーテルローの戦いの一年後(1816.5.4)の戦場に、バイロンは立ち詩篇を残した。素晴らしい講演だったが、講師は昨年女子大に来られたバイロンの研究者でもある教授であった。


 ・それこそ丸善から本も出版されている研究の成果がある内容なので、内容が濃い訳である。詩編の一部の翻訳を読みながら解説された。あのバイロンの詩編の溢れる感動の根源には、彼のヨーロッパ大陸の二回の grand tour にあったのではないか、と思えてきた。そしてバイロンは、ギリシャで他界した。21歳の時、一回目の旅をしている。そこに見えるのは、当時でも広い視野を求めてヨーロッパを遊学できた文化の高さだろう。





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最終更新日  2017.11.21 23:54:01
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