ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.11.26
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フロイトの同僚のハンガリー人のフェレンツィーは、人と人とのコミュニケーションの取り方には、出会った瞬間にそれと気づかずに得た認識が心的モジュールに影響するといっている。彼は、無意識の思考は、言語的コードとでもいうべきもので表現されると考えた。


これは、生物学の立場から見ても筋が通っている。相手をだまし、操る時はうまく成し遂げるためには、そのことを秘密の幕で覆い隠してしまわなければならない。それは、本人でさえほとんど意識しなくなるほどうまくものごとを隠すのでなければならない。人は自分がいっていることの意味を常にすべて意識している、という考えは、こころが自明なものとする時代遅れのデカルト主義の遺物でしかないのだ。


言語の進化を研究している人たちが字義どおりの意味で用いられた言葉にばかりに関心を向けてきたのは、原人から現代人に至るまで、人がありのままを描写することに言葉は使われた、という誤解がある。歴史は、そういう意味では、見直すことが必要だろう。


つまり、言語の基本的機能のひとつが他人を欺くことだとすると、「言葉遊び」が意外と人間の言語にとって中心的な存在であることを示している。人間は語らずにはいられないようにできているのだ。私たちの会話はかなりの時間が、ふつうはただのゴシップのストーリーを語ること費やされる。話し手が自ら欺いて意識から締め出している情報は、ありふれた会話の表面的な意味と真実の意味との隙間から漏れ出ているのだ。


人間の本質とは、「詩」によって生み出されているかも知れない。科学と詩は、意外な多くの接点をもつかも知れない。







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最終更新日  2021.11.26 09:31:26
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