




人間というその有限性にもかかわらず窮極的にはこの真理に接近しうるとい
う可能性を信じて疑わないのは何故だろうか。
ニイチェ「力への意志」の中で、
「真理とは、それがなければある種の生物が生きられないような誤謬のことである。生きることにとっての価値が最終的な決定を下す。」
「もっとも固く信じられてきたいくつかのアプリオリな「真理」は、わたしにとってはーーとりあえずの仮定である。たとえば因果律。それは非常によく仕込まれた信仰の習慣で、それを信じなければ種族が没落するだろうとほど、身についてしまっている。」
ニイチェがいう「真理」とは、主として認識論的真理である。
「AはAである]「あるものがAであり、同時にAでないということはありえない」「あるものがAでなく、同時にAでないものでもないということはありえない」
「わたしがただわたし自身としてしかいきられないことのー論理面への反映である。」
ハイデッガーはニイチェを「力への意志」の思想を「存在に優先するものと
として存在者全体を思惟する」ところの「形而上学の完成者」と見做している。
ニイチェに於けるニヒリズムの真理の虚構性、力への意志と並んで難解は
「同じことの永遠回帰」の思想である。
「ツァラトゥストラはこう語った」となる。
「あるがままの現存在は、意味も目標もなく、不可避的に回帰し、無に終わることもない。すなわち「永遠回帰」。これがニヒリズムの極限の形式である。すなわち無が.
(「無意味なもの」が)永遠に!」
真理・ニヒリズム・主体がテーマである。