ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2023.04.27
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類



1871年11月横浜港を出帆したアメリカ号には5人の女子留学生が乗っ

ていた。梅子9歳。繁子10歳。捨松11歳。悌子・亮子16歳。「捨松」

は、娘を捨てたつもりで帰りを待つという意味をこめて親族がつけた新しい名

である。外国人と結婚しないこと。キリスト教への入信を禁じている。

だが、津田梅子は、渡米中にクリスチャンになっている。

アメリカで少女たちの後見人を務めた教育家ノースロップは、少女たちのホ



みごとに自ら少女たちを連れてアメリカ国内やカナダのモントリオール、ケ

ベックまで旅行して見聞をひろめさせている。彼女たちのその後の活躍は、

留学の効果を如実に示している。如何に、国内で俊英を束にしてもこれだけ

の活躍はできはしない。見聞をひろめることは、殊に若者には必要なことで

あろう。梅子は書いている「わたしがアメリカへ来たのは2年前でした。わ

たしは去年火事になったアメリカ号に乗って、太平洋を横断しました。その

ころは、英語は一言もしゃべれませんでした。」70日の船旅で、梅子は、

7日7晩船酔いに苦しんだという。

多くの人は、そういう機会にめぐり合うこともなく一生を終わるだろう。併

し、そういうチャンスが来ないとも限らないのだ。その時どれだけの力が出

せるかでその人間の価値が問われるだろう。山川捨松は、病気のために1年

未満で帰国した悌子と亮子に代わってまとめ役をした。三人結束を守りよく

そのミッションを遣り終えて帰国し、帰国後も大きな働きをしたことは、誰

でも知っていることである。


ひとが見聞を広めることの大切さが、少女たちの幼い決意と太平洋への旅立

ちの中にある気がしてならない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.04.27 11:27:11
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: