ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2023.04.30
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「憂鬱」というコンセプトが文学の中で棲みついているようだ。愉しくない社会であったのだろう。気楽には生きていけなかったのだから仕方がないのだろう。言論の自由もなく、学問の自由もあったとはいえない。そういう中で思想も哲学も文化も閉塞した。人間は環境に影響される。太陽の光を浴びて育つ草木のようにでもある。童話で継子いじめがあるが、グリム童話にもある。聖書の中にも男女の三角関係がある。



 ・「上を向いて歩こう」という歌があるが、人間は空ばかり見ていられない。長く上を向いていたらボーっとしてくる。脳の構造は上を向くようにできていない。目は前か下を向いて考えるようにできている。狭い道で歩きながら上を向くのは危険でもある。寝転んで仰向けにでもならないと空は長くは視ていられない。



 ・へ2・・・何故「憂鬱」なのだろうか。そういう社会環境に住んでいるからだ。皆が愉快に生きていけなかった。それだけ貧しかったからだ。エネルギーを発散できずにいた。元気な人間は海を渡るしかなかっただろうし、外国で適応できた人も少なかった。多くの人たちが鬱になって、国家を支えていたのかも知れない。そうしなければならなかったからだ。結果には必ず原因や理由がある。だから、日本には「憂鬱」の文学史がある。





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最終更新日  2023.04.30 04:13:56
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