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2008年08月27日
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カテゴリ:
宮尾登美子著、 「天璋院篤姫」 と、大奥の話です。

現在NHKで放映中の大河ドラマ 「篤姫」 に纏わる話ですが、
大河ドラマをご覧になっていない方も興味があったらどうぞ。


私が、このドラマの原作(って言うか、ほとんど原案に近いほど違うけど
宮尾登美子の 「天璋院篤姫」 を読んだのは、もう何年前だか解らない。




彼女は徳川十三代将軍・ 家定 の正室である。

と言っても、家定は正室を二度までも亡くしている。
篤姫は三番目の継室だ。


「天璋院篤姫」 は、彼女の生涯を輿入れ前の薩摩での少女時代から
幕末まで描いた秀作である。













どうして、こんな記事を書こうと思いついたかというと、
今週の頭に見た大河ドラマ 「篤姫 第三十四回」 が私的には
とっても腑に落ちない話だったから。

この回のストーリーは、皇女・和宮が将軍に輿入れする為に大奥入りし、



どこが腑に落ちないって、視聴者の誰もがスッキリしたらしい
最後の和宮に対して啖呵を切る場面。

輿入れしてきても、ちっとも大奥に馴染もうとせず御所風を
気取り続ける和宮一行の部屋に、天璋院はズカズカと入っていき、

嫁に来たからには、身分の上下もない。
姑に礼を尽くせ。
徳川の人間になれるように私が指南する。



と、笑みをたたえて堂々と言い放つのである。



かなりムカムカしていた。


まず、いきなりズカズカと人の部屋に入っていく所から気に入らない。

このドラマで、篤姫はよくこういう事をするが、
江戸城・大奥・同じ屋根の下、と言っても、
とっても広いのである。

いや、実際の距離以上に遠いのが心の距離だった。

人が人の部屋に行くためには、まず女中を通してご機嫌伺いをし、
では、何日の何時に、とアポイントメントを取り、
行く前にまた女中が「よろしいでしょうか」と先方に挨拶に伺い・・・

とにかく、とってもたくさんの間を通してでなければ
行動できなかったのである。


このドラマに限らず、NHK大河では、女性が ヒジョウ~ にアクティブだ。

「利家とまつ」 の時なんか、京だの大阪だの加賀だのと、
信じられない早さで女性がバンバン私用で移動している。

「どこでもドア」 を持っているがごとくである。

当時は身分の高い女性ほど、ちょっとの距離でも
移動しづらかったと言うのにね。。。




話は篤姫に戻るが、和宮は天皇の妹、内親王である。
お歌遊びの最中に、ズカズカと部屋の中まで入って行くことが
許される相手ではない。

帝の妹を貰ったからには、こちらは
京にかなり気を使わなくてはならない。
いつ、和宮や側近から帝にチクられるか解らないからである。

帝のご機嫌を損ねては、公武合体と言う、この婚儀の意味がない。


もう一つには、 姑を立てないと大奥の秩序が乱れる
ような事を篤姫は言うわけだが、この時代の大奥に
姑を立てる 、と言う意識はなかったと思われる。


代々の御台所に自分よりも身分の高い姑が
いなかったからである。
御台所が輿入れしてきた時、先代の御台所が
生きている例はほとんど無かったらしい。

そういう意味では、和宮は大変アンラッキーだったと言える。

では、誰がいるかと言うと 「将軍ご生母」 だが、
これは側室なので、新たに輿入れしてくる御台所よりも
身分が下になるのだ。
(徳川十五代の間、正室が後継ぎを産んだのは二代・秀忠の時だけである)

篤姫が輿入れしてきた時、家定の母・本寿院が下座にいたのは
そういう理由からである。


。。。と言うような事も踏まえて、
このドラマの篤姫のあまりに傍若無人な態度と
手前勝手な言い分に、私は全く共感出来ずにいたのである。


でも、自分ではこのイライラのワケがイマイチ解らず、
人のコメント欄などでは
「私は和宮派だから、あっつーに共感できない」
などと書いていたのだが、そこで気付いたのである。


うん。。。待てよ。。。


そもそも 「天璋院篤姫」 を読んだ時、こんなイライラは全く起きた記憶がない。

それどころか、 篤姫とは素晴らしい人だ。
篤姫はカッコ良い女だ。


と、尊敬さえしていたのだ。


よくよく考えたら、和宮に興味を持って調べ始めたのだって
この小説が切っ掛けだ。

そう考えると、私が好きになれないのは 「天璋院篤姫」 ではなくて、
ドラマの篤姫なんじゃないのか。。。


原作は、ずいぶん前に読み、押入の奧にあり、
捜すのは大変。。。。


だけど、ついに掘り出しちゃいましたよ。

あまりにも腑に落ちなくて。


とりあえず、今回読み返した部分は、現在ドラマでやっている部分。
和宮との対面から、その後のゴタゴタまでである。


で、 やっぱり違うんだな~。。。 と思った。


小説の篤姫は、ドラマの篤姫と同じように和宮に
徳川の「嫁」になってもらいたいと願い、色々と手を尽くすが、
ドラマのようにズカズカと乗り込んでいったりはしないのだ。


京側と大奥側の争いについては、滝山にこう言っている。


できれば、宮さまと膝を交じえて話し合いたい思いはあるが、
ただいまはそれもなるまい。
のう滝山。
京方、江戸方、どちらかが先に折れねば、恥を天下にさらすことになる。
当家のほうから折れましょう。
万事、目をつぶることじゃ、時節を待とう。



滝山は無念の思いを噛みしめながらも、大奥の皆に
それを伝えるのである。


こうやって、篤姫は和宮に大いに気を使い、
ひたすら嫁の自覚が出てくれることを願いながら
様子を伺っているのだ。

それに対し、京側は何処吹く風。

全く天璋院に気を使わない。
和宮は小説では、側近の言いなりで、
全く意志のないお人形のように描かれている。

しかし、篤姫は騒いだり乗り込んでいったりしない。
その態度が大変立派だから、読者は篤姫に共感し、尊敬し、
京側の人間を憎いと思えるのである。


うん。。。

何のためのこの記事かというと、これを自分に納得させるためである。


原作は原作、ドラマはドラマと割り切らないと、
この先の大河を楽しめないからね~。。。

来週も、ドラマのあっつーは、とんでもない暴挙に出そうだし。。。
これを我慢して見るためにも自分にケジメをつけておかないと~。


って、事で、この記事は一応閉めます。

が、この小説の感想と大奥については、また続きを書かせて頂きます。

(とりあえず、字数が引っかかりそうなので~



和宮お側日記


大奥をゆるがせた七人の女





天璋院篤姫(上)新装版

天璋院篤姫(下)新装版




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最終更新日  2008年08月28日 11時21分50秒


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