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2022.11.11
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カテゴリ: 石灰工場時代
宮沢賢治「浮世絵広告文」

なつかしい伝統日本
江戸錦絵のおもかげ

噪音と速度(スピード)の現代のなかで、日本古代の手刷木版錦絵ばかり、しづかな夢ときらびやかな幻想をもたらすものが、どこに二つとありませう。それこそ曾って日本が生んだ、たった一つの独創美術、やがてはゴッホ、セザンヌの新流派さへ生みだした、世界の脅威でありました。
そこには初代広重の、東海道の宿(しゆく)や松、白く澱んだ川霧と、黄の合羽うつ俄雨、葛飾北斎の氷雲にそゝるまっ赤な富士や、さては歌麿英山の歌ふばかりのうなじの線や、あらゆる古き情事の夢を永久(とは)にひそめる丹唇や、もとより春信清長の童話の国のかたらひと、端正希臘の風ある婦女や、或は勝川一派から三代豊国あたりに続くあらゆる姿態の役者絵と江戸の力士の大錦、乃至は国芳英泉の武者や行事の姿まで、まこと浮世絵版画こそ、さながら古き日本の、複本でこそありました。
古い日本の家庭では、旧三月の雛祭五月の節句、秋祭乃至は冬の夜すさびに、みなこの数を備へてゐたのでありましたが、明治になって西の忙しい文明が嵐のやうに日本を襲ひ、日本がこれをしばらく忘れてゐたうちに、その大半は塵に移し、一部は海のかなたに散って、今やほとんど内地にはこれらやさしい数葉のその影だにもなくなりました。たまたま本社はこの間に東北各地で数千枚を蒐集し、その散佚を防いで置きました。

本カタログ差上のお華客様に限り御分譲申し上げます。

武者絵 一枚 八銭以上
相撲絵 一枚 五銭以上

風景 一枚 三十銭以上
女絵 一枚 五十銭以上

一枚毎に専門家の真版保証印付

(本文終了)
宮沢賢治の浮世絵趣味と商人の息子らしさが伺える広告文案です。
1931年ころ盛岡高等農林学校の同窓生で出版社を経営する及川四郎氏から依頼を受けて、宮沢賢治が勤務先の石灰工場の受領書用紙の裏にその場ですらすらと書いたそうです。





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最終更新日  2022.11.11 11:43:02
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