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当ブログ、以下のURLに引っ越ししました。「ふなやんの日々是好日」のタイトルで出ています。新アドレスはこちら↓ ようこそのお運びを!http://www.tmblog.jp/1027.html
2008年06月14日
当、大田市も6月に入って、ぐずついた天気の日が多くなりました。きのうなんか、すごくいい天気だったのに、一天にわかに掻き曇り、雷鳴と夕立が。あ、でもまだ朝だったから、夕立とはいわんか(ええと、この先の続きはもうないです)。さて、新緑の清々しい季節も見納め。お気づきでしょうが、下の2日の写真はその時のアップです。銀山川に沿って遊歩道があります。名前が付いてないので、例によって勝手に「銀山小道」と命名しました。「ただの穴ぼこ」と某A紙の週刊誌に酷評された龍源寺間歩ですが、そこへ向かうには誰もがこの小道を通っていくことになります。昨年暮れにあった落石事故で、市道が通行止めになっているからなんですね。このポイントは銀山でも屈指の名勝です。銀山観光のほとんどの人は、龍源寺間歩を目指して歩くので、否が応でもここの景色を目の当たりにすることになります。落石で別に被害もなかったし、そのお陰で観光客がここを通らねばならないというのも、天の配剤と言っていいのかも知れません。
2008年06月06日
6月になり、石見銀山遺跡では観光坑道に向かう路線バスが再開されました。10月には正式に廃止になるのですが、今年のGWが始まる4月下旬から5月いっぱいまで試験的に運休していたのです。バス路線は片道2.3キロほどありますが、バス運休中に訪れた観光客は好むと好まざるとにかかわらず、新緑の中、森林浴を満喫することになりました。ま、ないものはないわけで、例えば、大阪城見物で外周を歩いたら5キロほどありますが、誰もそこに電気バスを走らせろとか、馬車を走らせろだとか、城だから駕籠があったらいい、なんてワガママ言う観光客はいません。歩くのがイヤなら、やめたらいいわけで、それは石見銀山観光とて同じ事。ここだけの話ですが、あの観光坑道、無理して行くほどのものではありません。おそらく半数以上の人が「しょ~もな」という印象を持つのでは。全国紙A社発行の雑誌「ア◯ラ」では「ただの穴ぼこ」なんて辛辣ながらも、けっこう言い当ててる表現も。ただ目的がないと、観光客なんて歩かないのはどこへ行っても同じ。観光坑道へ向かうという目的で、銀山の素晴らしい自然に触れる機会が持てるなら、それもまたよしです。今の季節なら、各所でレモンライムのシャワーが降り注いでいます。
2008年06月02日
ことわざに犬も歩けば棒に当たる、というのがありますが、これは人も歩けばネコに当たるの巻き。ストックネタも尽きたので、なんぞおもろいもんないかいな、と石見銀山遺跡の大森町へブラリ。夕方も近くなり、観光客の姿もほとんど途絶えたころ、地元の人たちは庭仕事を始めたり犬の散歩に出たりします。通りをぷらぷら歩いていると、犬の散歩する後をネコがとことこお供。たまにはいるのかも知れませんが、人と犬の散歩にネコがお付き合いする光景というのはなかなかお目にかかれません。こりゃ珍しいもんに出会ったぞというわけで、こちらもそのお散歩隊の最後尾に、お供。おかげで、この後、思わぬ拾いものもたくさん。あ、道にお金が落ちていたという意味じゃありませんよ。
2008年06月01日
アパートの窓の目隠しに、レッドロビンの植え込みがあります。引っ越してきたときは、まだ30センチほどで、運送業者は冷蔵庫など大きな荷物は窓から入れてました。それがいまや、1メートルを悠に超える背丈に。もう窓から荷物の搬出入はできなくなりました。それだけ時間が経ったということですね。朝刊を取りにドアを開けると、雨上がり。葉っぱや枝に付いた水滴がビーズのように連なっていました。
2008年05月30日
石見銀山遺跡(大田市)の景観を構成する三つの要素は、山と町と海。その昔、銀山で掘り出された銀鉱石は街道を通って港に運ばれました。一六世紀半ばまで、積み出し港だったのが鞆ケ浦です。ここから船で博多に送り、精錬したのです。この撮影ポイントは季節ごとにウオッチングしていますが、いまが一番見応えがあります。紅葉の秋が厚化粧した景色なら、今はうっすら清楚な薄化粧といったところ。季節という化粧で、同じ風景が一変します。う~ん、何かと同じですね。何かって、なんや?ははは\(^^\) (/^^)/。
2008年05月29日
昨年、当大田市の福波海岸にオープンしたオーベルジュ(泊まれるレストラン)の「ラウ」(0855・65・3690)。なんせ、目の前がすぐ日本海のため、海が荒れる1、2月は休業していましたが、3月から今年の営業開始。先日、あまりの天気の良さに、フラリと訪れました。人気は衰えることなく、営業は完全に軌道に乗ったようです。メニューも一新、充実しています。これからしばらくの間は、テラスでのランチやディナーも、気持ちが良くてサイコー。車で行っても、部屋が空いていれば泊まることもできるのも、酒飲みには安心材料です。ま、知名度が高まり、銀山観光の旅行者の利用も増えてきたので、6室ある部屋の予約率も高まっているようです。その場合は、代行を利用。大田市内―福波間は6500円ほどです。飲酒運転でつかまり、一発免許取り消しになることを考えたら、タダみたいなもの。え、例えが極端過ぎる?
2008年05月28日
大田市の三瓶山=写真後方=は標高1126メートルあります。その中腹に西の原という高原があり、牛がたくさん放牧されています。信州かどこかの高原を思わせるこの風景、大田市が全国に誇る名勝です。広大な原っぱを、牛たちは草を求めてあっちこっちでっちしています。すぐ近くで見られることは滅多にありません。三瓶で育った牛なので、三瓶牛。全部メスで、ほとんどは、子を設けるための繁殖牛。年頃になり神戸や松阪にお嫁に行くと、その子たちは当地牛に名を変えるってわけです。ちなみに、繁殖牛の反対?を肥育牛といいます。意味は、読んで字の如し。
2008年05月27日
今年の世界文化遺産の登録審査、日本がノミネートしている岩手県の平泉に黄色信号が点滅しました。ユネスコ世界遺産委員会は7月に開催されますが、事前に審査したユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(本部・パリ)から「登録延期」という勧告が出されました。ここ大田市の石見銀山遺跡も、昨年、同様の勧告を食らい、一時は諦めムードが漂いました。でも、ユネスコ日本政府代表部の近藤誠一・全権大使の献身的なロビー活動が功を奏して、本番では奇跡の逆転登録を成し遂げました。地元では、サヨナラ満塁ホームランだ!と大騒ぎになったことも、まだ記憶に新しく。さて、今年の平泉、同じ近藤大使が担当しますが、2匹目のドジョウとなるか、はたまた、またこんどとなるかは、仏様のみぞ知るところであります。(写真は、平泉・中尊寺金色堂=同寺のホームページより)
2008年05月24日
おうい雲よゆうゆうと 馬鹿にのんきそうじゃないかどこまで行くんだずっと磐城平の方まで行くんか(山村暮鳥=1884~1924)この詩をなぞれば、おういトンビよふわふわと 馬鹿にのんきそうじゃないかどこまで行くんだずっと竹島の方まで行くんかと、いったところでしょうか。ま、竹島のところでどっとくるのは、島根県民だけでしょうけど。竹島ってのは、日本と韓国がそれぞれ領有権を主張している、島根県沖の小島です。島根県が独自にというか、勝手にいうか、2月の何日かを「竹島の日」と定め、日本の領土を主張する態度をあからさまにしたため、それまで姉妹都市縁組みをしていた韓国の市から絶縁状を食らうなど、なんだかねぇ?の曰く因縁の島なんであります。しまんね~話。
2008年05月22日
カキツバタ一輪 一輪ほどの 爽やかさえ、どっかで聞いたことある?ま、硬いことは抜き、ということで。さて、大田市の国立公園三瓶山中腹にある高原、北の原では姫逃池(ひめ・のが・いけ)でカキツバタがほころび始めました。盛りには、1000本以上の花が白や紫の色を競います。昨日、どんな塩梅か覗きに行ったのですが、まだ一輪、二輪と数えるほどしか。高原を渡る風は爽やかで気持ちよく、もう初夏の気分でいっぱい。こんな日は、誰か車を運転してくれる人と一緒に行き、自分は昼ビールで初夏を楽しむ手が一番っす。しょうか、しょうか。
2008年05月21日
春の終わりごろから初夏にかけて、山陰の海は、目がはっと驚く美しさに輝きます。太平洋側の海では、こうはいきません。当大田市の仁摩町にある琴ヶ浜は、その白い砂浜を歩くとキュッキュッと鳴る鳴り砂(鳴き砂とも言いますね)がウリ。海の青の見事さは、梅雨に入る前の今しばらくが一番いい頃。石見銀山を旅行するには、とてもいい季節の一つです。
2008年05月19日
国土交通省が全国から募集している「トルパ」の日本一にな、なんと大田市五十猛町のスポットが選ばれました。トルパ、てなんや?はい、安全に風光明媚な風景の写真が撮れるパーキングエリア、のこと。「撮る」とパーキングの「パ」を引っ付けた、ま、安易なネーミングではありますが。一応、人気コンテストになっていて、国土交通省のHPで受け付けています。今後、どこかのトルパに王座を奪われるかも知れませんが、今のところは人気度ナンバー1。全国に風光明媚な写真の撮影スポットって、ほかにいくらでもありますが、安全に車を駐めることができ、そこから誰でも撮れるというのがミソなのであります。プロやハイアマチュアってのは、ええ写真撮るためには、かなり無茶もしますからね、そこんとことは一線を画そう、というわけ。写真は、大田市五十猛町のトルパから撮った漁村と青い海と空。左端の小山の頂上に白く立つのは灯台です。
2008年05月17日
きのうに引き続き、五月晴れ。さっそく、例によってちなむと、五月晴れという言葉は旧暦に由来しています。よって、本来の意味は6月の鬱陶しい梅雨時の晴れ間を指すそうです。ま、しかし現代において、正しくこの言葉を使ったら「え?ひと月ずれてるでぇ」って言われてしまいますね。閑話休題。でもって、あまりのごっつーええ天気に誘われ、きのうは午前中から海へドライブ(半分は仕事ですけど)。当大田市のウリは総延長40キロに及ぶ海岸線。山陰という地は、いたるところに山がぼこぼこあり、その上、海と山が接近しているので、海に沿ってずっと道がつながってるわけではありません。でも、この時期の海の美しさは特筆ものです。これからしばらくは、このブログにも海の写真がたくさん出てくることになりますが、まずは波に漂う太陽のカクテルライト、マニアックな海のブライトリングから。まるで、エルメスのネクタイの模様みたい(と感じました)。
2008年05月16日
津和野で泊まったオーベルジュは、その名に恥じない本格的なフレンチの料理宿。もう車を運転する必要もないし、赤ワインに白ワイン、料理に合わせてたっぷり楽めました。また津和野に行くことがあれば、ここを利用しようと思います。庭には、ハーブを栽培していて、料理の付け合わせや飾りに使っているみたいです。翌朝、散歩していたら、紫の小さな花に露がびっしり付いて、朝日に輝いていました。
2008年05月14日
どこに秋桜があるねん?!といぶかる向きもあるでしょうが、秋みたいというアバウトです。それにしても、めちゃくちゃ透明度が高く、つもちええ空気に包まれております、当大田市は。まるで、秋の空のようです。夕方になると、肌寒いし。おんぼろアパートの2階の窓から見える空と山があまりにきれいなので、ついレンズを向けてしまいました。
2008年05月12日
先週、津和野に行ったばかりと思ったら早1週間が過ぎようとしています。津和野に着いて、じきに雨は上がり、曇り空からやがてだんだんと日が差してきたのですが、駅で折り返すSLが準備を始めた頃は、まだ曇り空。そのとき、行ったり来たりのウォーミングアップをしていたSLを踏切から線路伝いに歩き、そばに行って撮りました。運転士と目が合ったけど、向こうも慣れてるのか、また鉄ちゃんオヤジがボロのデジカメ構えて近寄ってきたぐらいにしか思ってないみたいで。煙が上にもくもくと立ち上るのは、スピードほとんど出てないからなのですが、迫力という意味では効果的。やっぱり、納豆にはネギ、刺身にワサビ、SLには煙です。
2008年05月11日
客の食い残しを、次の客に食わせていた料亭の船場吉兆。昨年暮れに、ニセの但馬牛を食わせていたというインチキ商法がばれて大問題に発展。「2007年の漢字」に「偽」が選ばれる手助けをした、なんとも、どもならん店です。店側の言い訳が「もったいない」からなんて、当の国連大使マータイさんが聞いたら激怒もの(ー_メ)。それって、単に儲けたいがための屁理屈(にもなってないけど)。客の食い残し、日本語では「残飯」って言うの知ってるのかね、船場吉兆。残飯を客に食わすなんて、食の提供者として絶対に踏み越えてはならない最後の一線、なんてガキンチョでも分かる道理。料理人の魂を悪魔に売り渡してしまった料理長。苦渋の表情で「社長の命令には背けない」みたいなことをテレビで言ってました。ま、確かに雇われ人としては辛いものがあるのでしょう。この料理長も言わば、船場吉兆のあくどく不潔な商法の被害者の一人なのかも知れません。
2008年05月09日
1週間に一度は、お昼にカツ丼を食べてます。大田市にも、メニューにカツ丼を並べている店はいくつかあります。市内、ほとんどの店を制覇。その結果、「大田でカツ丼食うなら、ここだ!」という店は2軒ありました。一つは、「さんのあ」というスーパーの4階にある食堂で「味の店 とし」という屋号を掲げています。和洋中なんでもござれの大衆食堂ですが、ここのカツ丼はジャスト500円で、味噌汁、漬け物付き。ワンコインで、これだけのレベルを保つカツ丼はちょっとほかに見あたりません。もう一つは、市役所の片隅で営業している食堂兼喫茶店。ここのカツ丼(600円)も絶品。二つの店に共通しているのは、カツに使ってる肉の鮮度の良さと、綴じ卵の火加減の絶妙さ。ずっと昔、大阪本社にいた頃、別の店の丼を紹介したことがあります。記事を引用してみましょう。「固まるか、固まらないかの境でプルプル震える白身、ホロホロと絡む黄身。丼という小宇宙の中で、とじ卵が星雲のごとく渦巻いている。絶妙の火加減だ」なんて書き出しでした。そして「黄色と白の大理石模様に、ミツバの青と刻み海苔の黒がアクセント」と続きます。ほほ~、自分で言うのも何ですが、よくまぁこんな上手な?表現をしたもんですわ、丼相手に。若かったんだ、あの頃。
2008年05月08日
GW最後の2日間、ようやく休みが取れました。どこか遠くへ出る時間的余裕はないし、県内でタビゴコロを満足させてくれるところと言えば、もはやここしかありません。♪いい日~ 旅立ち~と、昔々の気分で津和野へ。大田市からは特急で1時間50分程度の手頃な列車の旅。車を運転することもないので、車窓、駅弁、缶ビールという最強のトリオを友にのんびりと。津和野に着いたときは雨。でも、駅前の観光案内所には、ちゃんと無料の傘が常備してありました。かゆい所に手が届く、こういうところが、観光先進地とそうでない所との大きな相違。やがて、天気はめきめき回復。借りた傘は公民館など、ところどころに返却用の傘立てが置いてあり、元の場所に返しに戻る必要がないなんてところも憎い配慮でありました。しばらく町をぶらついていると、ちょうどうまい具合に、土日祝に運行されているSLやまぐち号が津和野駅を出発するのに遭遇。たまたまですが、その時にいた場所が絵になるアングル。「お、こりゃえ~わ」とコンパクトデジカメを取り出しシャッターを切りました。でも、動く被写体をこの手のカメラで撮るのはなかなか難しい。一眼レフの偉大さを見直した次第。
2008年05月07日
三瓶山には火口を中心に三つの高原があります。方角に準じて、それぞれ北の原、東の原、西の原という名前が付いています。南の原がないのでは、南に原っぱがないからです。ただ、この名称、なんか収まりが悪いんですね。「三瓶山北の原で」と書くと、初めての県外の人間にはまず、三瓶山と北の原を分離して、すんなり頭に入らないでしょう。でも、「三瓶山の北の原」とすると、もっと混迷の度合いは深まるかも。総じて、固有名詞に「の」が使われていると、文を書く上で扱いに苦慮する好例です。あれ、話がそれちゃった。その三瓶山北の原にあるレストハウス横の駐車場。何気ない風景ですが、少し霧がかかり、ちょっとだけ何気なくなくなりました(ような気がします)。
2008年04月23日
先週末の夜、大田市の県立三瓶自然館サヒメルで、マタニティプラネタリウムというイベントがありました。プラネタリウムが投影する満天の星座の下で、ヒーリングミュージックや童話朗読に耳を傾け、出産前の妊婦さんの気持ちを和らげようとする試み。昨年3月と9月にあり、三度目の今回は妊婦向けに考案されたヨガも取り入れました。静岡や長野など、全国10を越すプラネタリウムで、同様の取り組みが行われているそうです。サヒメルでは、市内の助産師の資格を持つ女性が会場に待機して、万全の態勢。ご主人の付き添いで参加した妊娠8ヶ月の女性は「あまり外に出る機会がなく、今夜はすごく気持ちよかったです。またあれば来たいです」と感想を話していました。
2008年04月21日
国道9号線の仁万交差点(大田市仁摩町)で深夜、82歳のおばあちゃんが乗用車にはねられ死亡しました。同じ9号線の、現場から400メートルほど離れた地点で今月1日、大型トラックに47歳の会社員がはねられ亡くなっています。短期間に、近くの場所で二度も続けて死亡事故が起こりました。前回の事故は、信号のない場所からの歩行者の横断で、道路に照明がなく、民家の塀が物陰になっていたという側面がありますが、今回は照明も信号機もある交差点内で発生。警察は運転していた会社員を自動車運転過失致死で取調中です。深夜の9号線。大概の車は70キロぐらいで走っています。違反だと言われても、法定速度でとろとろ走っていたら大型トラックに後ろから煽られて、かえって危険。こんな時間帯に、まさか人なんか横断していないだろうという思い込みは怖いです。自分が夜の9号線を走っていて、つくづく実感します。9号線は信号機のある交差点以外は、ほとんど真っ暗闇の世界。しかも、見通しの効かないカーブの先に無信号の横断歩道が大田市内にはいくつかあります。どういう発想で、こんな危険な箇所に横断歩道を作ったのか。あまりの無神経さに呆れることも度々。カーブの先にいつ何時、人が歩いているかも知れない、そう念じて運転するに越したことはありません。
2008年04月20日
国土交通省が募集している「とるぱ」。安全に車を駐められるパーキングがあり、そこか、その近くから撮った景色のいい場所のことを、とるぱと名付け、全国から名所を募集中。ランキングをホームページ(http://torupa.jp/)に発表しています。いま発表されているランキングでは、なんと、島根県大田市のスポットが堂々の1位に!ときどき、魚の干物などを買いに行く和田珍味という店の駐車場が選ばれました。小さな漁村、小山の灯台、打ち寄せる日本海、そして山陰本線。詩人の阿久悠さんが生前に目の当たりにしてたら、きっと、「あのご当地ソング」より、もっといい歌詞ができたのではないでしょうか。残念っす。確かに駐車場は広いし、誰でも安全に景色を楽しめます。全国の鄙びた景色フリークのみなさん、石見銀山観光で大田市にお越しの際は、足を伸ばしてみてください。今度、もっと条件がいい時に再撮影してみます。
2008年04月18日
同じ場所の同じ景色でも、立ったり座ったり寝転んだりで見え方が違います。立てば、花びらが小さすぎたり、かと言って、ワイドレンズで近寄りすぎて、テニスボールほどに桜の花びらをデフォルメするのもなんだし。ま、なにごとも、近すぎず遠すぎず。ほどほどがよろしいようで。
2008年04月17日
桜の季節が終わろうとしています。雨の降った翌朝、はらはらと散った花びらが濡れた路面に張り付いたようになっていました。まるで名残雪のように。これが時間と共に乾いてくると、花びらは風に吹き寄せられ、段差が付いたところにたまってしまいます。そうなると、これがほんとに吹きだまりになり、ゴミみたいであまり美しくなくなってしまいます。ここは広大なパチンコ屋の駐車場なんですが、あまりに広い上、端っこすぎて、誰も車をとめに来ようとはしません。でも、わざわざ遠回りしてこの上を意味なく通る無粋な輩は、やっぱりどこにもいるものなんですね。そうなる前に、早起きは三文の得を励行するのみでした。
2008年04月14日
大田市の国道9号沿いに、菜の花畑が広がっています。遠目にもきれいなので、前から気になっていたのですが、きょう、近くに用事があったのと天気が良かったので、近づいてみました。黄色の絨毯は、そばに寄ると、菜の花の香りがいっぱい。大量の菜の花栽培の目的は、蜂蜜を取ることだったんですね。遠くに汽車(電車にあらず、山陰線は電化されておらず、ディーゼルですけん)の汽笛がピー!お、こりゃいいや、背景に取り入れよう、と。ということで、バックに入れたのですが、パソコンにデータを落として、?(・_。)?(。_・)? 上の方に飛行物体が。そう、蜂蜜、おっと、蜜蜂マーヤがブンブン横断中。電車は必然、蜜蜂は偶然。写真って、やっぱり偶然の産物なんだなぁと、しみじみ。
2008年04月11日
4日にアップした川本町・妙船寺の境内に咲く一本のしだれ桜。ライトアップされて、ぱっと見は、もちろんすごくきれいのですが、やはりここは漫然と撮っては面白くありません。いいアングルと光線状態を求め、しだれ桜の周りをあっちこっちでっちするうちに、初心に帰ってみました。つまり、ライトアップされたこの夜の光景を一番初めに見た瞬間のことです。車を駐車場に入れ、寺に近づくに連れ「わぁ!きれいだな」と思った瞬間。それは寺の境内の中ではなく、外からだったんですね。そっか、じゃ、一旦外から眺めてみたらどうだろう。すると、寺の山門をシルエットにすることが閃きました。色目の派手さはないものの、撮ってるうちに、その昔、小学校か中学校かで習った「荒城の月」の一節が口をついて出ました。♪春高楼の花の宴 めぐる杯 かげさして1901(明治34)年、滝廉太郎作曲。作詞は、土井晩翠です。
2008年04月10日
「やっとくもんだ」―これは、ちゃんと実行してほっとするときの台詞。対して「やっときゃよかった」―やらないで後悔するときの台詞です。ま、とかく人生、「く」か「きゃ」が分かれ道…かも。さて土曜の朝8時から、地元の神社でささやかな春祭りがありました。初めて子ども御輿が出るというので、どんなのかのぞきに行ってみようと。でも始まりが早すぎて、「あ、しまった」と神社に着いたときは、もう1時間が経過。御輿はとうの昔に出発し、これがほんとの後の祭り。ま、しかし、飲まず食わずに出て来たことだし、天気もいいし、散歩ついでにぶらぶらしてれば、そのうちどこかで会うだろうと、田んぼのあぜ道をのんびりと。ヒバリのさえずりを聞きながら、20分ほど歩いていると、遠くから太鼓の音も伝わって、一行がやって参ります。その道中のにぎやかなこと(あれ、どっかで聞いたような)。普通、一番絵になるのはやっぱり神社への宮入りのシーン。いまここで、あんまり撮ってもなと思いつつ、ま、取り敢えず押さえておくか、と。これが正解。御輿を担いで、あちこち2時間以上も歩かされた子どもたちは、ゴールの神社が近づく頃にはバテバテの不機嫌。何人かがリタイアし、子ども御輿の間に大人が入ってサポートする羽目に。こう言っちゃなんですが、へんなオッサンが間に紛れると、絵がぶち壊しになるのですね。道中、押さえておいてよかったな、やっとくもんだ、とシミジミ。
2008年04月06日
いつの間にやら4月になって、いつの間にやら♪サクラサクラいま咲き誇る~になってしまいました。当、大田市は夜桜の名所ってのがないんですね。せいぜいが、市民会館の一角に吊された提灯か、町外れのちょっと寂しい神社の境内ぐらいかで、もの足りません。隣の川本町のお寺で、サクラをライトアップしていると聞き、車で片道40~50分の距離を走ってきました。妙船寺という小さな寺の境内に、しだれ桜の老木があり、二つのライトが照明。夜空に浮かび上がる様子は、なかなかのもの。木曜の夜ということで、夜桜見物する人の姿もなく、すぐ隣の住職の家からときどき人声が漏れてくる程度で、静かな夜を独占。車なので、花見酒ができなかったのは残念ですが、誰もいないのをいいことに、撮り放題。例によって、ベストショットは来週の木曜にアップします。
2008年04月04日
三瓶山西の原で恒例の火入れ行事がありました。いわゆる一つの野焼きです。西の原は、三瓶山(1126メートル)の西側、標高460メートル付近のすそ野に広がる高原です。総面積は100ヘクタール。 西の原は季節に応じて、色を変えます。芽吹く春は萌黄(もえぎ)色。まぶしい緑の初夏。黄金のさざ波がうねる晩秋。生きとし生けるものを雪の下に覆う寒い冬。 火入れで野焼きされる草原は33ヘクタール。乾いた枯れススキがばちばちと、激しい音と炎を上げます。枯れ草に巣くう害虫どもはたちどころに昇天し、枯れ草はあらかじめ燃やしてしまうことで山火事の防止につながる、とか。 20回目の今年は、農協や地元猟友会が露店を出して縁日気分。三瓶のあちこちで暴れるイノシシは、汁やバーベキューになって見物人がペロリ。やがて遠からず、真っ黒に炭化した高原に、新緑の雨がぽつりぽつりと降り始めます。
2008年03月26日
大森江戸小町(勝手に命名)を歩いていると、お寺の屋根が春の日差しに輝いていました。町の中程にある栄泉寺という曹洞宗の寺院。。大森江戸小町は寛政12(1800)年に大火があり、ほとんどが焼けてしまいました。現存している寺社は、ほとんどがその後に再建されたものです。写真の屋根は本堂ではなく、修行場でしょうか。葺き替えて、まだそれほど経っていないようです。去年は春の訪れが早く、もう3分咲きだった桜ですが、今年はまだまだ。開花はまだ先、4月に入ってからです。春気分は屋根の陽光で。
2008年03月26日
いえ、山焼きです。大田市にある活火山、三瓶山の西側麓に「西の原」という草原がありますが、そこで行われる野焼きの風景。雪解けと共に、冬場は雪の下に埋まっていた枯れススキを焼き払い、害虫の駆除や山火事を防ぐために行っています。いわゆる一つの、「春を告げる」恒例行事。写真でも分かるように、バチバチとよく燃えてました。これをやっとかないと、タバコの火の不始末が原因で山火事が起こらないとも限りません(昔、ほんとに大きな山火事があったそうで、それ以来、野焼きをするようになったとか)。一帯の草原には、たくさんの黒牛(三瓶牛)が放牧されています。消防車が待機しているのは、牛がバーベキューにならないように……というのはウソですが、牛が食べる牧草地帯に万一燃え広がったら消火するための用心です。今年の野焼きは、前日に雨などに祟られず、乾いた枯れススキが勢いよく燃えました。“撮って置き”は木曜にアップします。
2008年03月22日
そばっても、蕎麦のことです。以前(12月10日)、紹介したことがある大田市大代町の有志が町おこしで始めた手打ち蕎麦。先日、大森江戸小町(勝手に命名)の銀山公園で、1日限りの出店をしました。これまでずっと、大代蕎麦だと思ってましたが、おじさんの法被には「高山そば」って染めてあります。実は、それに今気づいたところで、?(・_。)?(。_・)? 状態。店は、大代町の大代小学校前の掘っ立て小屋みたいな所で、日曜しか営業してません。てっきり地元の町の名を取って、大代そば、かと。さらに実を言うと、大代町に隣接する水上町に高山小学校というのがあるので、余計にワケわかめ状態になるのですね。水上町の学校なら、水上小にせんかい、と。でもって、なんでだろ~なんでだろ~(懐かしいですね)とネーミングについて考察してみたところ、はは~ん、そういうことかと分かったことがありました。それは、この辺りで一番高くて美しい山の名称が、大江高山というのですね。大江高山は、周辺の各町から見える言わば故郷の誇り。ゆえに、高山小学校あり、高山そばもあり、かように推理しました。今度、蕎麦を食べに行ったら、おじさんに聞いて見ましょう。
2008年03月19日
横に細長い島根県の真ん中辺りにある大田市から西半分を、石見地方といいます。島根はどこも神楽が盛んですが、石見地方は特に盛んで、各地に神楽団があり伝統を引き継いでいます。石見神楽の写真って、アップ系で撮ると絵になるのですが、何人かが舞台で入り乱れ、そのストーリー性を写真に盛り込もうとすると、これがなかなか手強いのですね。原因の一つは、舞い手が激しく動くと、面がよく見えなくなることです。歌舞伎と違って、石見神楽は客席に向かって見栄を切るシーンはほとんどありません。連続的に動くので、キマリのシーンというのが少ないのです。それと、面についたもじゃもじゃの毛に覆われ、表情がよく見えないなんてこともあります。きのうは、小学生から中学生だけで演じる「宅野子ども神楽」が温泉津温泉の神社で上演されましたが、舞台そのものの写真はやはりもう一つ絵にできませんでした。それよりも、本殿の畳に陣取った3人の親子連れの様子が面白くて、そっちの方ばかり目がいきました。お母さんの膝の上に乗り、平然と舞台を眺める幼い弟と、鬼の面が怖いのか、お母さんの背中にしがみ付く姉の仕草がとっても微笑ましかったです。もっと、いい写真はまたそのうちに。
2008年03月16日
9日掲載と同じ場所ですが、菜の花畑の周りにあった杉を手前に入れることで画面の引き締めをねらいました。いわゆる一つの、額縁効果ってやつです。規則正しく植えられた杉を見て、あれって何だろうとずっと思っていました。畑は1日中日当たりがいいので、一足先に菜の花が一面の黄金色に輝き始めました。去年、世界遺産登録された石見銀山遺跡ですが、観光ラッシュのピークは今年のゴールデンウィークに迎えることは間違いありません。大田の市街地から大森江戸小町(勝手に命名)へのアクセス道となる県道は、かなり狭く、住宅地の間を通っている箇所もあったので、道の拡幅やルート変更などの整備をしていましたが、ようやく完成。いくつかの箇所が新道に付け替えられたので、この菜の花畑が新しい風景として現れたというわけです。畑の持ち主を突き止め、話を聞くと、元は田んぼで、周りの杉は防風林とのこと。秋には、コスモスの種をまいてみたいそうです。
2008年03月14日
大田市の温泉津温泉には、二つの立ち寄り湯があります。薬師湯と元湯。二つとも源泉掛け流しで、加水も加温もしていない天然温泉です。ちなみに、我が国の世界遺産の中で、温泉が湧くのは石見銀山遺跡がオンリーワン。その薬師湯が棟続きの旧館2階を演芸場に改装。こないだの日曜夜こけら落としの寄席が開かれました。江戸落語の真打ち、三遊亭圓丸師匠が「親子酒」と「子別れ」の古典二席を披露。親子酒の下げ(落ち)は子どもでも大笑いできます。大酒飲みの親父と息子。二人とも、もう酒は飲まないと誓ったのに、禁を破ります。ぐでんぐでんに酔っぱらった親父が、これまた、ぐでんぐでんで帰ってきた息子に言います。「これ、ばあさんや。たいへんだ。息子の顔が三つある。こんな化けものみたいな奴に、家は譲れませんよ」すると、息子。「てやんでぇ、こんなグルグル回るお化け屋敷みたいな家なんかいらねぇや」
2008年03月13日
去年の今頃はもうあちこちで菜の花が絵になっていたのですが、今年はやはり寒かったようで、風景の衣替えが遅れています。花は正直ですね。でも、1日中お日様の光に恵まれる畑では、ここだけ菜の花が満開。一面の黄色が目にまぶしく輝いていました。
2008年03月09日
いえ、アタマの話ではありません。写真の背景の話。人間の目と異なり、一般的に写真はピントを合わせたところはハッキリと、そうでないところはボケて写ります。その特性をうまく使えば、立体感が出てくるわけです。さて、撮影者は、後ろでボケているものが何か分かってるわけですが、あまりボケすぎると、初めてその写真を見る人には、いったい何なのかさっぱり分からない、と。花をアップで撮る場合、大きく画面に入れ過ぎると、当然、背景のボケが大きくなってきます。図鑑の写真ならいざ知らず、花そのものというのも味気ないもの。この辺りの匙加減が肝要となります。この写真ですが、何がボケてるか分かるでしょうか?え、分からん?その場合、ボケてるのはきっと、おつむと思って間違いないでしょう。m(__)m
2008年03月05日
島根県大田市のきょうは、朝からずっと雨、ときどき雷という天気予報が出ていたのですが、降ったのは中国から飛んできた大量の黄砂だけ。駐車場のどの車の窓もボディも黄砂でどろどろ(砂だけど)。昨日の日曜、洗車でもしてピッカピカにしていたら、きっと腹が立ったことでしょう。えがったっす、根がずぼらで。
2008年03月03日
日本各地に、富士山に形が似た山で、なんとか富士という名で親しまれる山がありますね。讃岐富士とか蝦夷富士とか…ほかにもあるだろうけど思い浮かばないので先に進みましょう。さて、当地で石見富士の異名を取るのが三瓶山です。秋景色など、このブログでも何度か取り上げています。三瓶山そのものは大田市にあるのですが、標高1126メートルほどあるので隣接する美郷町とか飯南町からもよく見えます。写真は、美郷町と大田市を結ぶ山中の農道から見た三瓶山。山頂に雪があると、なるほど石見富士とはよく言ったもんだ、と。三瓶山は活火山で、周辺各地にはいくつか温泉が湧いてます。源泉の温度はちょっと低いのですが、赤茶けた色をした効能がありそうな湯です。三瓶山周辺・近辺の主な温泉は、三瓶温泉、小屋原温泉、池田ラジウム鉱泉=以上大田市、千原温泉、湯抱温泉=以上美郷町、赤来温泉(加田の湯)、頓原ラムネ温泉(元琴引温泉)=以上飯南町があります。この中でも、加温・加水なしの源泉掛け流しは小屋原温泉と千原温泉。二つとも、行って満足、損はしない秘湯中の秘湯です。
2008年03月02日
去年の冬はさっぱりでしたが、今年、当地大田市にも何度か積雪がありました。仙ノ山という標高500何メートルの山から眺める雪化粧した大森の町並みです。一度目は吹雪、二度目はガス、三度目にして、ようやく晴れてくれました。写真の奥は日本海です。ちなみに、仙ノ山こそが石見銀山の本体なのですね。世界遺産登録効果で、去年は観光客が74万人と倍増した大森町ですが、仙ノ山まで登る人はまずいません。頂上まで行ける林道はあるのですが、でこぼこで歩きにくく、大田市は観光客が歩けるように整備を始めます。秋には、少しましになるでしょう。 ←上と同じ場所から町並みのアップ
2008年03月01日
いま、北海道・道北地方のオホーツク海では、流氷シーズン真っ盛り。何年か前に一度行き、こりゃすげぇ~と驚嘆。流氷見物も、砕氷船だけでなく、気球で空からフンワリとか、流氷原を馬に乗ってパカポコとかいろんなプランが用意されています。その中でも、圧巻はスキューバダイビングで流氷の下に潜り、クリオネちゃんとクネクネご対面というプラン。ウエットスーツじゃなく完全防水のドライスーツを着用するので寒くない、そうです。でも、これはスキューバのライセンスが必要。そこへいくと、ドライスーツだけ着て流氷原の浅瀬を腰やら胸まで浸かってウォーキングするプランはライセンスもいらずお手軽です。え、ただでさえマイナス10何度の世界なのに、何を好きこのんで氷の海にドブンするんや?でも、ちょっとやってみたいなという気もします。今回は時間的に無理でしたが、来シーズン当たり、一丁トライしてみましょう。
2008年02月22日
民間の伝統芸能の神楽は各地にありますが、当島根県西部に伝承されているのは石見神楽。石見銀山遺跡が世界遺産に登録されたのを機に、地元の各地域で活動する9つの神楽団が石見銀山神楽連盟を結成しました。本日、「白銀(しろ・がね)の舞」と題した石見神楽の共演大会がありました。石見神楽って、一つの演目が30~50分ぐらい掛かります。総計11演目もあると、朝から夕方までみっちりで、歌舞伎の舞台もびっくりのロングラン。会場は老若男女で満員。幼児の姿も多く見られ、神楽大好きガキンチョたちのDNAの素はこうして形成されてきたんだろうなぁ、と感心した次第。
2008年02月17日
日蓮宗では多くの寺で、この時期に星祭りを行うそうです。星祭りは、北斗七星を崇め神格化した妙見菩薩に開運、厄除けを祈願する行事。当地大田市では土地柄、圧倒的に浄土宗や浄土真宗の寺が多く、日蓮宗は数えるぐらいしかありません。寒中、頭から水をかぶる水行があったのは、大田市の中心部にある妙光寺。5人の僧侶がかけ声と共に、冷たい水を自分の体に叩き付けていました。この後、本堂でご祈祷があるのですが(もちろん着替えて)、やはり荒行に耐えた身なればこそ。法話の有り難みも一層増そうというものです。
2008年02月07日
当地、大田市は強い風と雨の立春を迎えています。きのうは穏やかな日差しの中で、地元の物部神社で節分の豆まき行事がありました。日曜とあって、境内には1000人近くの参拝客。世界遺産の石見銀山遺跡だって、一どきにこれだけの人数が押し寄せることはありません。久々に群衆というものを見ましたよ。紅白の舞台から、裃姿の福男たちがまく「福豆」を受けようと、手を差し出す人はみな幸せそうな笑顔でした。
2008年02月04日
海に行くと、打ち寄せる波によくレンズを向けますが、浜辺でカニなど生き物を見つけると、しつこく追い回すことがあります。鳥もよく撮る被写体ですね。カモメは人に対してあまり警戒心を持たない鳥なので、けっこう近い距離に寄ってきます。一眼レフに望遠レンズを付けていると、この程度の写真はどってことないのですが、誰でも撮れる小型のデジカメ(いわゆる一つの「バカチョン」。差別用語という説もあり、もう死語でしょうか)で、飛ぶ鳥を追うのは、けっこう難しいもんだなと、やってみて感じました。場所は、元旦を迎えた函館の湯川温泉。外に出るのは寒いので、旅館の部屋から窓を開けての横着。時間が経つのが早いのか遅いのか、もう随分前のことのように思えます。
2008年02月02日
今回の冷凍餃子騒動があぶり出したもう一つの真実。飲食店など業務向けに、JTが中国から輸入した炒飯やらトンカツやらロールキャベツやら、ほかあれやこれや15品目の冷凍食品が輸入され、「当店シェフの特製オリジナルでございますぅ」ってな調子で(多分)、使われていたこと。店に入って「ここの特製厚切りヒレカツ、評判なんだよ」なんて、したり顔で舌鼓を打っていたかも知れないわけで、ったく、いい面の皮は何も知らんと食わされた客の方ってことかい(メ_メ)。さらに、餃子から始まった冷凍食品パニックは、加ト吉、味の素、ニチロ、グリコなど10社41 品目にもおよび、各社が該当製品の回収を始めています。当地大田市にも、「厚切りトンカツ定食」を出す和洋レストランがありますが、ひょっとしたらこの手合いかも。なんて言ってたら、大田市の小・中学校で出した給食の献立に、JTが自主回収している「ポークピカタ」が入っていたと、教育委員会が大慌て。去年の11月末の話だし、だれも腹こわしたりしてないけど、学校の給食にまで中国産冷凍食品かぁ……。でもやはり、なんでもかんでも労働資本が安い輸入食品に頼る日本という国の態勢が一番ワルイいんとちゃいまっか。
2008年02月01日
殺虫剤入りの中国製冷凍餃子騒動て、偽エコ再生紙問題が霞み、「やれやれ矛先が変わったわい」と胸をなで下ろしているのは製紙業界でしょうか。さっそく、閑話休題。しかし、アメリカなどは中国製の食い物はアブナイと、去年からスーパーでは「チャイナフリー」(中国製とちゃいま)というシールやラベルを貼り付けるという徹底ぶり=(7月17日付けブログを参照)。またまた、閑話休題。今回の餃子パニックで一番驚いたのは、むしろ、日本側の管理のずさんさ。輸入したJT(日本たばこ産業)は食品の残留薬物の検査はせず、それは卸し先のコープがやってるものばかり、と。逆にコープの言い分は、JTが検査を済ませてから卸していたものばかり、と。ガキのケンカか。もっとヒドイのは東京都。先月初め、問題となる餃子を食って入院騒ぎがあった兵庫県から、殺虫剤混入の恐れありと連絡を受けた都庁が保健所にFAXを転送する際、一番肝心なことが書かれたペーパーを送り忘れたそうです。都庁の職員がトンマなドジを踏まなければ、この冷凍餃子パニック、どこかでもっと早く食い止められていたかも知れません。ま、なにもかもがお粗末な話ではありますが、一概にケシカランと怒るより、ある隠された事実を明るみに引きづり出したという「怪我の功名」も。それは第二話で。
2008年02月01日
石見銀山遺跡は、自然との共存共栄がたいへん高く評価され、世界遺産として認められたわけですが、それは詰まるところ、鉱山遺跡なのに樹木の密生度が高いということです。さらに詰まるところは、やたら木が多い、と。だから、冬になって葉が落ちると、それまで隠れていたものがよく見えてくるようになります。大森の江戸小町(勝手に命名)をぶらぶら歩いていると、「あれ、こんなところから、こんなものが見えるんだ」という発見がたくさんあります。桜が咲く春も、新緑の初夏も、紅葉の秋も(なんで夏飛ばす?)いいけれど、冬の江戸小町は本来の落ち着きを取り戻します。ぞろぞろ徒党を組んで、我が物顔で歩く団体の観光客もあまり来ないし、お勧めの季節ですね。
2008年01月31日
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