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電気が通じるようになってからTVで各地の被害のすごさをみましたが、仕事先の石巻も信じられないぐらいの被害状況でした。
地震当日の夜は、いたるところで三陸道近辺まで冠水し、2日後でも、国道45号線より南は水が引けず、行くことができませんでした。各所で高い建物に避難し孤立している人が大勢いました。連絡もまったくとれない中、水害にあった地区で働いていたり住んでいた人達が少しずつ、命からがら逃げてきて、被害のひどさが分かってきました。
中里バイパスは腰まで、大街道は胸まで、繁華街の立町は2階近くまで冠水、石巻の中心ともいえる地域の多くが床上浸水で、蛇田ジャスコ近くとあけぼの以外の石巻市街のほとんどの地域が冠水していました。特にひどいのが、南浜町で2階屋根まで津波が襲い、市立病院と文化センター以外の建物はほとんどが壊滅したとのことでした。湊や渡波の海沿いも二階まで浸水しました。第一波が14:46で0.1m、最大波が15:20で4mだったそうです。日和山に避難した人がみた光景は、濁流に家と車と人が悲鳴を上げながら流され、地獄絵図だったそうです。
矢本もかなりの被害で、特に大曲地区は津波で建物まで壊滅し、赤井は河川が溢れて床上浸水、矢本駅まで冠水でした。
女川は、18mの津波に襲われ、コンクリートの建物と高台の建物以外はなくなったそうです。女川原発は、入り江ではあるものの北側を向いていて直撃はしない場所ですし、15mの高台にありますので、問題なく停止しました。
http://saigai.gsi.go.jp/h23taiheiyo-hr/index.html
だいたいの冠水状況は、国土地理院の航空写真で把握できますが、一番ひどかったのは11日夜で、3月13日撮影の写真よりももう一回りは水没していました。
3月13日、蛇田駅より少し南です。膝ぐらいまで冠水していました。
少しずつ道路が通れるようになって、18日に用があって、石巻駅の方に行きましたが、いつも見慣れている光景のかわりように愕然としました。
中央三丁目。すぐ左が旧北上川です。二本の縦棒のところは駐車場で、そのすぐ奥は蔵風の建物があったはずですがガレキの山になっていました。この辺は、川の堤防がないところで散歩にはよかったのですが、中瀬付近を逆上した津波がそのまま押し寄せてきたのでしょう。
住吉町。奥が旧北上川。やはり堤防がないので、船が乗り上げて、民家は一階は激しく損傷していました。電信柱が折れているので、おそらく、3m強の津波が襲ってきたと思われます。
中央。国道398沿いで、観慶丸のところの交差点。観慶丸さんを含めほとんどの店は、一階が壊れ、ガレキと泥だらけでした。2階付近まで浸水したと思われます。交差点、左側はアイトピア通りで、ふなやさんなど石巻の名店が建ち並んでいましたが、そのあたりは全く堤防のないところでしたので、もっと被害が大きかったです。
さらに海側で、4mの津波が直撃した南浜町、門脇町は、鉄筋の大きな建物以外は壊滅していて、あまりのひどさに写真も撮る気もしませんでした。
中浦。大街道の西端になります。ニュースで、冠水した様子が報道されたところですが、胸あたりまで浸水し、大通りにいっぱいあった車が波で押し流されたそうです。ここは、南1kmに石巻港がある場所で、防波堤はあっても乗り越えられたか、船の出入り口から流入してきて、まっすぐ街道を北上して、もともとひどい満ち潮で冠水することがあるぐらいの低い土地でしたので、勢いが消えなかったのでしょう。
元倉。中里バイパスの東端あたりで、まるまつなどあるところ。腰あたりまで冠水し、車がところどころに置き去りにされていました。ここ辺りは海から3kmありますが、旧北上川を逆上して中瀬を襲った津波からじわじわと冠水してきたと思われ、建物の損壊は少なかったです。(床上浸水なので被害はかなりですが。)
中里バイパス。この辺も、腰辺りまで。ニュースで何回も報道された、ホーマックの屋上に取り残された人たちがいたところです。
丸井戸。国道45より少し北側。膝上ぐらいで、この辺りまでは、被害が大きい床上浸水です。
蛇田上谷地。海からは3kmちょっとですが、膝下ぐらいで、床下浸水の地域です。
僕のところは、幸い、家族、親戚、職場で死傷した人はおらず、家も周りの道路が冠水したぐらいでギリギリ大丈夫でした。
ただ、知り合いが何人か津波でなくなり、いまだ分からないぐらいの人がお亡くなりになりました。謹んで、哀悼の意を表します。また、けがをした人、家や財産を失った人、いろいろ被害を受けた方も大勢いて、心よりお見舞い申し上げます。自分も頑張りますので、できるだけ早い再建をお祈りいたします。
ここからは、ちょっと、きつめですみませんが、、
三陸では、
869年 貞観津波
:高さ4m、死者1000人
1611年 慶長津波
:4m、死者約2400人
1793年 寛政津波
:大船渡3m、死者44人以上
1896年 明治三陸地震津波
:大船渡市綾里で本州史上最大の38mまで遡上、釜石市8m、女川町3m、死者21959人
1933年 昭和三陸地震津波
:大船渡市綾里29m、石巻市1~8m、死者不明者3064人
1960年 チリ地震津波
:八戸6m、大船渡5m、石巻駅まで冠水、死者142人
大きなものだけでも以上のように、三陸沖の地震の多さとリアス式海岸による津波の増大で何度も被害に遭っています。三陸各地には最大10mの立派な堤防が作られていましたが、今回は乗り越えられ甚大な被害となりました。石巻以南は、三陸沖地震の場合は牡鹿半島にさえぎられ直撃はせず、大きくても3mぐらいが想定域だったのですが、今回は震源が宮城県寄りだったのとM9.0という巨大さで、亘理、名取、仙台市宮城野区、石巻あたりまでほぼ直撃してしまったのでしょう。石巻には高さ3mぐらいの堤防がありましたが一部は乗り越えられ、切れ目や河川・運河沿いに浸水され、仙石線を超えた海から3km付近まで冠水し、自然の脅威の前にはなすすべもありませんでした。
今は救助と再建が第一ですが、30~180年に一度は大津波が起きており、今後は温暖化でさらに海面が上昇して危険が増えますし、いろいろ事情はあってももう少し安全な土地に住むというのも大切な選択肢の一つのような気がします。(個人的には、三陸のリアス式海岸のところは堤防で防げるものではないと思います。石巻から亘理にかけてのなだらかな沿岸部でも最大3m級の津波を想定して、標高3m程度、海から4km、河川から1kmぐらい離れた土地が必要な気がします。)
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