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昨日、ラジオ番組で谷村新司さんが、話していた。
車の中で偶然聞いた。聞かれた方も居られるでしょう?
内容を要約すると、以下の通りだったと思う。
『 田舎に行くと、鍵を掛けない家がある。泥棒などがいないからだと言う。
例え、泥棒に何かを盗まれても、盗みに入らなければならない程、困っていたのだろう?
それで、暫くでも暮らせるのなら、それはそれで良いと、諦めると言う。
それが日本人の心。外国に誇れる日本人の文化だ。』 と、話して居られました。
街では、もし泥棒が入ったら、物が盗まれ様が、盗まれまいが、大騒ぎである。
お巡りさんを呼んで、私は悪くない、警察は一体何をしているの?と大騒ぎである。
犯人は捕まらない。例え捕まって、盗品を返して貰っても、気持ちが悪くて使わないだろう。
鍵を掛けていたのに!とんでもない奴だ!此の国も末だ!治安はどうなっているの!
現金が幾らあったとか!ブランドだったとか!会う人会う人に、被害者だと言い触らすかも知れない。
谷村新司さんの話に、「自分のあやし方」が有ると思う。
泥棒が入ったのは事実。
その事をどう受け止めるか?どう引き受けるか?が、自分のあやし方だと思う。
泥棒さんの気持ちになり、「よっぽどだったんだね?」
「それで暫く、しのげるなら、しょうがないよ。」
「それが無くとも、家は何とか出来るから良いよ。」
今時の犯罪は、確かに許し難いものが多いし、泥棒さんの味方をしようとは思わないが、
被害にあった時の、自分の心の構え方を、考えて見たかった。
被害にあっただけじゃなく、恨んだり、怒ったり、人に話したり、落ち込んだり、誰かを責めたり、
時間と感情の被害を拡大している。
これを今風の泥棒に追い銭と言っている。
物事の受け止め方、引き受け方で、自分の心持が全然違う。
泥棒に危害を加えられなくて良かった。
大した物じゃなくって、良かった。
もっと気をつける様に、忠告してくれたんだ。
泥棒に合った時の、心の構え方だけを、申し上げているのではない。
日常でも、自分は被害者だと決め込み、
周りを責めたり、恨んだり、怒ったりしていませんか?って事です。
鍵を掛けていて、泥棒に合ったとしたら、100対0で泥棒が悪い。
例え100対0だと思えても、責めない。恨まない。怒らない。心の構え方こそが大事だと思う。
物事を、どう受け止め、どう引き受け、どう発信するか、それが自分のあやし方だと思う。
今日も、色んな被害に合うでしょう?
それを、どう受け止め、どう引き受け、どう発信するか、
ご自分の修行であり、ご自分の学びであり、ご自分の値打ちであると思います。

問題を 課題と受け止め 自分の糧とする
喜文治
例え、泥棒に合っても、そこから学ぶべきものは、あるのでしょう?
決して、犯罪を容認する気はありませんが、学び力のお持ちの方は、学ばれるでしょう。
泥棒は分かり易い被害ですが、社会には実に巧妙な加害者がいて、
毎日、被害を受けている方々が、如何に多いか?
でも加害者は、全然気付いていません。
加害者を反面教師として、自分をどうあやして行くか?
辛い修行が、続きますねぇ。
富山は今朝も雪が積った様です。
まだ、チラッとしか見ていません。
だって、さぶいもん!ですぅ。