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気になる人・ 宮大工 菊池恭二氏 ( ビジネス研究会 レポート)
東京・池上本門寺の五重塔、奈良・薬師寺の西塔など、数々の木造建築を手がけてきた日本屈指の宮大工こと、菊池恭二氏...。
氏は、岩手県遠野市に農家の次男坊として生まれます。
中卒後、大工として働きますが、次第に伝統的な木造建築に惹かれ、21歳にして、昭和の名工・西岡常一氏に入門します。
菊池氏は37人の弟子中、最年少の大工として、西岡棟梁の付き人のように仕えます。
お茶出しや身の回りの世話から、棟梁としての差配、職人の育て方等を貪欲に吸収していきます。
そしていつしか、西岡氏のように器の大きな棟梁になりたいと、真摯に仕事に取り組んでいくのでした。
入門5年目の或る日。棟梁の元で氏は、薬師寺の西塔の建立に携ることになります。
それは、日本屈指の名建築を、450年ぶりに蘇らせる一大事業です。しかもこの時、氏が任されたのは、西塔の建立で最も重要な、三重の軒(のき)と、三つの裳階(もこし)、計6つの「原寸書き」です。
原寸書きとは、設計書を実寸大の図面にトレースすることで、社寺建築で一番大事な作業です。この仕事を20代半ばで任されたのは、優秀な大工として認められた何よりの証明です。
そして入門以来、地道に努力を重ねてきた氏は、見事この大仕事をやってのけるのです。
こうして、宮大工としての技量を着実に身につけた氏は、故郷の遠野市へ戻って様々な経験を積んでいくのです。
そして、40歳を過ぎて名の知れた親方となると、日本各地から沢山の仕事の発注が寄せられるようになります。
ところが43歳の春、氏に最大の危機が訪れるのです。
それは、ミャンマーに住宅建築の指導に行った帰りのこと。成田空港に着いて自宅に電話すると、「工場が火事で全焼した!」と、妻が泣きじゃくってるのです。
一瞬、頭の中が真っ白になる氏でしたが、そこは自らを落ち着かせ、知り合いの材木屋にまず向かいます。材木屋からは、「とにかく落ち着け」となだめられますが、出された食事も全く喉を通りません。
話が終わって工場に戻る氏の目前には、数多くの炭化した材木に、ただただ、消火した後の水が滴り落ちてました。呆然と立ちすくむ氏...。
原因不明の火災により、作業場に置いてあった4600万円分の材木と機械設備は、一瞬にして全焼しました。
この時、氏の抱えていた仕事は神社や寺の新築工事など、あわせて4件。「これから一体どうなるのか...」と、頭を抱える氏でしたが、直ぐさま気を取り直し、施主の住職や神職に赴きました。そして、「三ヶ月だけ時間を下さい。必ず工事はやり遂げますから...」と頭を下げて説き伏せたのです。
この時を振り返って氏は、こう語ります。
「目が生きているかどうか、見定められている気がした。だから、真っ直ぐに相手の目を見つめ、自分の中の"強さ"を奮い立たせて、そう断言したんです。」
また、現場の職人には、「何も心配するな」と気丈に振る舞い、重圧を一心に引き受けながら、只ひたすら仕事に邁進したのです。
そして、何としても工期を守るべく、無我夢中で材木を掻き集めては工事を進めていくのでした。
こうして、火事から2年目。氏は全ての仕事の工期を守り、全ての建物を見事に完成させたのです。
この時の経験を振り返り、氏は、「自分でもどこにこんな力があったのだろう?」と、不思議に思ったと言います。ただ、一つ断言できるのは、周りの支えがあった事に加え、「弟子時代の長い下積み時代の経験があったからこそ、越えられた」ということです。
職人の世界では、今でも掃除や食事の用意、買い出しといった雑用からスタートし、長い時間をかけて仕事を覚えていくのが当たり前となっています。
氏の元に集まるお弟子も、まずは工場の掃除から始まり、先輩のアパートの掃除や食事の用意から従事します。そして、5年目にして初めて小さな建物の棟梁を経験させてもらえるのです。
現代の合理的な考えからすれば、こうした雑用よりは、すぐに技術を学ばせた方が効率が良いように思えます。
しかしながら、今なお職人の世界で下積みの制度が生き続けてるのは、それが人間性を深め、さらには、いざという時の「強さ」として備わることを、皆が実感しているからに他なりません。
「仕事を決めるのは読み。読みを決めるのは人生の深さ。」と言い切る氏の元には、今なお数々の名建築の仕事が舞い込んできます。
それは、氏の、仕事に取り組む真摯な姿勢と人生の深みが、手掛けた建築に如実に現れ、大きな評価を受けているからなのです。
謹賀新年 2023年 2023.01.01
明けましておめでとうございます(^^)/ 2019.01.02 コメント(5)