心の赴くままに

心の赴くままに

PR

Profile

kishiym

kishiym

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Comments

cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2013.10.29
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 ハーレーダビッドソンは、ウィスコンシン州ミルウォーキー市に本部を置くアメリカ合衆国のオートバイ製造会社です。

 ハーレーダビッドソン誕生から一世紀、男たちを、そして今、女たちを、若者たちを、そして今、中高年者を、ハーレーは虜にして離しません。

 ”ハーレーダビッドソンの世界”(2009年6月 平凡社刊 打田 稔著)を読みました。

 人間の五感をくすぐり、心を豊かにしてくれるハーレーダビッドソンの魅力を紹介しています。

 打田稔さんは、1953年山形県生まれ、モーターサイクルジャーナリスト、エディター、カメラマンで、オフロードバイク専門誌の編集長を12年間務め、オフロードバイク人気、エンデューロレースブームの火付け役となりました。

 ハーレーダビッドソンは、1903年にアーサー、ウォルターのダビッドソン兄弟とウィリアム・シルヴェスター・ハーレーによって設立されました。

 エンジン設計はハーレーが担当しました。

 最大の特徴は、大排気量空冷OHV、V型ツインエンジンがもたらす独特の鼓動感と外観です。
 これに魅せられた多くのファンがいます。



 自由を求めてチョッパーで旅する若者、キャプテンアメリカと呼ばれるワイアットとビリー、二人の前に立ちふさがる偏見と差別、社会の体制に反逆し自由を求める若者像と、社会から見た自由への批判と偏見、羨望が複雑に渦巻いた悩めるアメリカを描いた作品でした。

 当時、ハーレーというオートバイは名前でしか知りませんでしたが、映画に出てきたチョッパーのあまりのかっこよさに興奮しっぱなしでした。

 いつかはハーレーに乗ってみたいという思いが、いつの間にか頭の隅にインプットされてしまいました。

 16歳のころ、オートバイ雑誌に掲載されたヤマハトレール250DT1に一目ぼれして、初めてオートバイを手に入れました。

 その後、雑誌業界で仕事をするようになって、1981年に中古のFXSローライダーを購入しました。

 1982年に、雑誌の企画で、カリフォルニアをハーレーダビッドソンでツーリングすることになりました。

 ハーレーダビッドソン本社の協力を得て、まだアメリカでも発売前だった1983年式の最新モデルを、ロサンゼルスのディーラーから借りて、ラスベガス、デスバレー、ヨセミテ、サクラメント、サンフランシスコ、ロサンゼルスと、およそ10日間で2000km以上を走るツーリングを行いました。

 なぜオートバイに1200ccもの大排気量エンジンが必要なのか理解できませんでしたが、広大なアメリカを走っているうちに、余裕の走りに疲労も少なく、当たりまえに感じられてきました。

 広大々アメリカを走りきるには、当然の排気量だったのです。

 ハーレーダビッドソンは、アメリカでは、日本で国産オートバイに乗るのと同じ普通サイズだったのです。

 あの巨人なハーレーがアメリカで生まれた必然性が、アメリ力を走ってようやく理解できたそうです。


第1章 偉大なるハーレーダビッドソンの歴史と伝説
第2章 ハーレーダビッドソンの歴史を築いた歴代モデル
第3章 日本におけるハーレーダビッドソンの歴史
第4章 ハーレーダビッドソン5つのファミリー
第5章 Vツインエンジンとユニーク・メカニズム







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.10.29 18:37:14
コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: