喜文治7001のブログ

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2025.02.11
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眼の見えない人が  象に触れ

鼻に触れ  長くって  クネクネ  してると  受け止めた

耳に触れたら  平たくって  ひらひら  してると  言う

足に触れたら  太くって  ずっしり  していたと  言う

尻尾に  触れたら  細くって  毛が生えて  いたと  言う

いずれも  間違っては  いないけど

象の全体は  伝わらない

お釈迦様が  説かれた  仏教も  余りの偉大さに

全体を  伝える人は  居ないのかも  知れない

でも  お寺や  神社の  前では  手を合わせ

改まる

それは  自分を  見詰め直して  自分に問い掛け

懺悔なのか  願いなのか  誓いなのか  分からないけど

手を合わせ  気持ちを  改めて  いるのだと思う

色んな宗派があり  色んな神様がいて

定まらない

返事も無いし  指示も無い  それでも  手を合わせ  改まる

それは  自分の生き方  暮らし方  考え方  思い方を

自分で  正して  いるのでは  ないだろうか?

間違う事の無い  神仏に  自分を問うて  いるのでは  ないだろうか?

そこで悔い改め  気を取り直し  明日へ向かう

そんな日本人だから  おもてなしとか  思いやりが  身に着いたとも

言えないだろうか?

きっと  それで十分  なんだと思う

結局  仏教も  分からないし  神様も  はっきりしないまま

穏やかに  暮らして行くのが  理想かも知れないね


人間塾 自分のあやし方

喜文治


人によって理解する内容が違う(6人の盲人と象) | 「現場の ...


理屈や難しい説明よりも、どう生きる?どう生きたか?が、全てかもしれない。
私達は、少なくともオイラは、象の前では盲目なのかもしれない。















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Last updated  2025.02.11 06:09:15
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