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被災地での数々の不遜な言動で大批判を浴び、あっという間に引責辞任し、話題沸騰の松本復興相。松本氏のおかげで、「B型」と「九州人」は風評被害甚大ですね。そんなわけで、占ってみちゃいました、松本龍氏の星☆。1951年5月17日生まれ。へえ、牡牛座ですか。牡牛座のB型。ふつうなら、穏やかで平和主義、マイペースな趣味人。それも音楽やダンス、ガーデニングといった趣味に没頭してそうなイメージ。――ええっ、それがなんであんなにゴリゴリの”俺様”に!? 謎が深まります。さあ、ホロスコープを見てみましょう。目を引くのが、太陽と火星のコンジャンクション(合)と、土星と月の合。太陽と火星の合、おお、かなりエネルギッシュなタイプ。勇猛、大胆といった雰囲気。短気なのもお約束。男っぽい人ですね。ただし、牡牛の太陽ですから、かなり頑固ですね。言い出したら聞かない人。ふだんの行動は、ガンガン行くというより、どっしり、じっくり型でしょうか。土星と月の合。太陽と月は120度の吉角なので、成功運があります。土星も同様なので、遺産などのバックアップもあり、底堅い強さがあります。かなりの努力家で、困難もばねにしてのぼってきたようです。問題は、月と土星の合。心に常に抑圧感を抱えがちで、メランコリックな気分になりやすい。これに木星が180度の凶角で対抗しているので、憂鬱な気分、うらみつらみのようなものが増幅しやすかったんではないでしょうか。松本氏の月は乙女座なので、基本は気配りの人なのですが、どうしても細かいことが気になってしまうようです。豪快にふるまっているようでありながら、「お客さんより先にいて待ってろ」的な、実は、「小さいこと」を怒っている。こうした礼儀、マナーのようなことが目についてイライラしてしまうのも、乙女座の月がマイナスに出てしまうときの典型です。暴言を言った後で、あわてて「これオフレコだから、書いた社は終わりだからな」との取ってつけたような念押しも、気の小ささを表していますね。そしてこの月と土星を、木星が変な形で増幅するので、周囲にピリピリした空気を漂わせてしまいがちなのでしょう。映像などを見てみると、怒鳴りつけるというよりは、「嫌味」のような、ネチネチっとした感じの物言いをしているのも、乙女座っぽいですね(繰り返しますが、本当は乙女座はとっても優しいのです、念のため)。内面、パーソナリティを表す月が乙女座、金星が蟹座ですし、基本の星は牡牛座。こわもての外見でありながら、親しくなるとフレンドリーで家庭的だったんじゃないかと思います。「かみさんにも電話で叱られちゃって……」なんて、さりげなく”かかあ天下”をアピールしてしまうところなどに、蟹座の要素を感じます。涙もろく、感受性が豊かという一面にも表れています。「(辞任を)店で音楽を聴きながら決めた」というコメントも、報道陣を煙に巻いているというよりは、牡牛座のロマンチックさがうまく表現できなかったという印象。金星と天王星が合、それに木星が凶角ですから、浮気や不倫など、女性問題などお遊びもいろいろお盛んそう。さてさて、今の運気を見てみましょう。空の冥王星が、出生の金星、天王星と180度で対抗、土星も90度と、どちらも厳しい角度で天王星をいじめています。大波乱の運気。予期せぬ突発的な不運が続きそう。それも、社会や世論と、もろにケンカしてしまう形で出るという相。女性か金銭のスキャンダルが出てきそうな暗示も。しばらくは縁の下の力持ちに徹し、地道にお働きになったほうがよさそうです。
2011.07.06
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17年で11回目のお引っ越し、というと、多いほうかな?社会人になって、11回目。生まれてから、で数えると20回以上。平均すると人生、同じところに2年住んでいない計算になる。転勤が多いのもあるけど、区内の引っ越しもあるから飽きっぽいのか?賃貸派? といわれるけど、家を買う自体は2度経験し、それを賃貸に回したり、不動産についてはいろいろお勉強もしてる。それについてはまた後ほど。まあ、いろいろあって、また段ボールと格闘中。引っ越しの最大のメリットはなにか?というと、それは、強制的大掃除、かな。『捨てる!技術』(古い?)を読んで、どんなに片づけなくっちゃ!と思っても、身の回りをさっぱりしたほうが風水的にいい、と言われても、案外できないもの。「やっぱりこれ使うかも」「捨てるのはもったいないな」と思ったり、今度のお休みにやるぞーと後回しにしたり。でもでも、引っ越し、となると逃げられない。段ボールに詰めていく作業のなかで、強制的に取捨選択しないといけない。次の家が今より狭い、なんていうことだとなお必死になる。結果、ため込んでいたガラクタを処分でき、サッパリできる。こんなにいいことはないのだ。私も今回ゴミ袋何袋捨てたことか。ブックオフに売った本は段ボール15箱、着物屋に売った古い着物は段ボール3箱。古い家電、パソコンも思い切って売った。売った。引っ越しがなかったら、狭さを我慢しながらいまだにこれらと同居していただろう。日本(特に東京)で一番高いもの。それは間違いなく、土地。たとえば、都心のマンションなら坪単価300万から400万円。もし1坪(畳2畳)が不用品で占められていたら、その不用品のために3、400万円も払っている計算になる。おそろしい。すぐに身の回りをさっぱりしたくなるだろう。引っ越ししよう、いますぐに。本当にさっぱりするから。決して、お荷物を詰めてくれる、らくらくパックなどは頼まぬように。
2010.07.22
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最近のドラマのなかで、呆れるほどお粗末なのが、『素直になれなくて』(フジ)。ツイッターで繋がる若者をテーマにしている、という触れ込みだったが、ツイッターとはまったく関係ないストーリー。これって、SNS、出会い系と勘違いしてないか?と、思っていたら、同じ違和感を感じる人が多いらしく、ネットでは酷評が噴出だそう。そりゃそうでしょう。およそ、ツイッターを理解している人が作っているとは思えないもの。それでも、たまには青春ドラマもいいかと、せっかくなので見てみたけど、ツイッター以前に、ストーリーが酷すぎる。主な登場人物たちの状況を挙げてみよう(あえて役者名・役名を伏せる)。女A 高校の臨時教員。先輩教諭からネチネチいじめられている。教え子の優等生がクスリ。 弟も引きこもりでヤク中。女B リストカット常習者。不実の子を身ごもり悩み、産むことを決断したが流産。男C 売れないカメラマン。心ならずもエロ雑誌のグラビア写真を撮って食いつなぐ。 年上の既婚女性と泥沼不倫中。男D イケメン編集者だが、女性編集長に仕事を餌に性の奉仕を強要されている。男E 韓国人。医療機器メーカーに勤務するがパワハラ、酷いいじめを受けている。パワハラ、セクハラ、クスリにリストカット。いじめ、不倫、引きこもり、差別……。とりあえず、現代のネガティブな話題をてんこ盛りにしてみましたという感じ。それもどれも描き方があまりにも薄っぺらく、リアリティーがない。職員室で、「あんたみたいな臨時(教員)が偉そうにするんじゃないわよっ!正規になってから言いなさいよ」 こんなことをいうベテラン教師がいるか。雑誌の編集部で、「あんた”面接”の意味、分かっているんでしょうね? 今夜はあたしのマンションに来なさいね。ウッフン」 なんていうモロなセクハラをする女性編集長がいるもんか。病院で、医療機器の営業マンに、「あんたさ、せっかく来たんだから、病院掃除して、俺の足もんで行ってよ」 と足を投げ出す医師がいるか。そして、こういう数々のハラスメントに鬱屈を抱えた若者たちが、ハンドルネームで呼び合い、しょっちゅう飲み屋で集合し、ぐだぐだ飲み会をしている。(しばしば昼間にも集合しているが、まともな社会人がそんなにしょっちゅうツイッターで知り合っただけの仲間とお茶する時間があるんだろうか???)この業界はこんなことあるんじゃないかな~、という空想=妄想をふくらませ、売れ線の役者を集めて(上野樹里は才能の無駄遣い)、三角関係やら四角関係やらピンチやら盛り込み、どう? 今の若い人にはこういうのがいいんでしょ、ウケるでしょ? と言っているかのよう。若者よ、視聴者よ、こんなにコケにされていいのか。そう、このドラマは、ツイッターが分かっていないだけじゃない。「働く」こと、「仕事」「労働」が分かっていないのだ。思えば、「ふぞろいの林檎たち」は名作だったなあ。山田太一さんは偉大だな。
2010.05.20
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アラビアの特派員帰りで、アラビア文化や社会についての本を書きたいという人を紹介された。紹介者やいろいろな関係の人も集まり、軽い飲み会に。お酒とともに話が脱線し、有名な「アラブの4人の妻」の話題になった。4人妻がいるとして、何番目の妻が一番幸せか?妻の立場として考えるなら、一番格上は、もちろん第1夫人、日本語で訳すと「本妻」だろう。しかし、本妻って嫁姑、婚家との問題がいろいろあって結構たいへん。盆暮れ正月、年中行事に、法事。男(跡継ぎ)を産めのプレッシャー。子供を産んでも、始終夫のきょうだいの子供とできを比べられ・・・ぶるぶる。日本ですらこんなにうっとおしいんだから、親戚関係が濃そうなアラブではめんどくさそう。やだやだ、第1夫人なんて。と言うと、「やけにリアルですねえ、体験談ですか?」と聞かれてしまった。どきっ!では、第2夫人はどうか?これもまた微妙。ちょっとがんばれば本妻になれそうな愛人的存在。寵愛を競って、本妻と年中バチバチしてそう。「なんでこの女が本妻で、あたしが2号なのよっ!」。先に男を産んでやれっ、みたいにへんに張り切っちゃったり。。。とすると、第3夫人は?これが一番良さそう。本妻と愛人との確執を尻目に、自由に、マイペースでいられる。3人きょうだいの末っ子みたいな。おしゅうとめも、本妻と第2くらいまではうるさそうだが、3号にもなると、だめ妻でも「ま、いいか」と、たまったホコリも見逃してくれそう。本妻、二号さんの下で卑屈になりそうなところだが、第4夫人よりはまし、という変なサラリーマン的格付けもあるし。やっぱ、第3夫人でしょっ!なるなら第3夫人! どうすか?元アラブ特派員は、「おもしろいですね。でも、ムハンマドが最も寵愛したのは、第1夫人と、第4夫人だったそうですよ」だって。第1は年上の姉さん女房、第4はうんと若い妻だったそうな。それって、男の願望そのまんまやんっ! 最初の恋人はおねーさま。おやじになっての愛人は若いねーちゃん。逆ならまだしも、ムハンマドもフツーの男だったんだな、ちぇっ。
2010.05.13
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”母性”をテーマにしたドラマが同時に放映。「Mother」(日テレ=放映中)と、「八日目の蝉」(NHK=5月4日放映終了)。どちらも、子供を誘拐しての逃亡劇という相似形のシチュエーション。「Mother」は小学校の女教師(松雪泰子)が、親に虐待される教え子を誘拐し逃亡、「八日目の蝉」の方は女(檀れい)が不倫相手の家にしのび込み、赤ちゃんを盗んで逃亡――。この二つのドラマ、できは「八日目の蝉」のほうが格段によかった(まだ「Mather」は放映中だが)。近年秀逸のできばえだったと思う。何度も涙をさそわれたし、ついに捕まり、娘と引き離されるシーンは胸がつまった。シチュエーションを冷静に考えれば、「Mother」の主人公の行動の方が圧倒的に同情できる。少女は実の親に虐待されているのだし、実母はその子いなくなってもせいせいといった雰囲気。松雪さんの行動は道徳的にはダメだがその子からみれば”正義の味方”だ。それにひきかえ、檀れい演じる女の方は、不倫相手の男は最低だがその奥さんには何の罪もない。物心もつかない赤ちゃんを奪い、本名と違う名前で呼び、逃亡生活に巻き込み、衛生状態が悪い場所で過ごしたり、宗教団体の施設で過ごしたり。あのまま逃げ続けても小学校にも行けなかったかもしれない。同情の余地はまったくない。なのになのに、なぜ、「八日目の蝉」のほうが感情移入できたのか。ひとつには、「Mother」は松雪泰子がミスキャストだったと思う。芸風が都会的でクールなので、「救急病棟24時」の世をすねた女医役などはぴったりの役どころだったが、こういう泥臭い感じの役はどうも合わないようだ。そして「Mother」は説明しすぎ。なぜ教え子に同情し、誘拐し、自分のキャリアをなげうっても逃亡するのか。それを、自分が実は親に捨てられ施設で育った経験があるとか、養親となかなかなじめなかったとか、背景を少しずつ出していくことで理由付けしようとするのだが、どうも”とってつけた”感がいなめない。母性は、クールさ冷静さ、論理、説明といったものと対極にあるからだ。母の愛は、発作的で、身勝手で、押し付けがましく、ご都合主義。いつも子供が心配で、自分なんかどうなってもいい、むしょうにいとおしい、ただかわいい。こみあげてくる思い。檀れいが、娘の手を引いて宗教施設から逃げるシーン。ぐずぐず泣く娘に思わず「うるさい!」と怒鳴ってしまい、ハッとして抱きかかえて走って逃げる。ついに捕まり、引き離されるシーンで思わず、「その子はまだ朝ごはんを食べていないんですっ!」と叫ぶ――。この感じ、「分かるー」と言ってしまう人は多いんじゃないだろうか。このトンチンカンさ加減が、母の愛なのだと思う。どうしようもない、おろかな愛。実母の描き方もよかった。誘拐された娘は成長し、憎い女と同じように不実の子をみごもってしまう。その告白に思わず娘の頬を打つ。娘は犯人を巡る旅へ。帰路、家に電話し「やはり子供を産む」と母に宣言する。「もう、どうでもいいから……、帰ってらっしゃい」と涙を流し、すべてを受け入れる。それもやはり理屈なき、母の愛だろう。
2010.05.13
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そんなわけで、石原真理さんのホロスコープもみてみました。この方の星は強いですね!太陽と火星がコンジャンクション(合)。男勝りというか、かなりエネルギッシュな方のご様子です。それも水瓶座。かつては「プッツン」と称されましたが、天才肌というか、発想が跳んでいる(そういえば、デビュー作は「翔んだカップル」でしたね)んじゃないかと思います。ブログでも、地球の環境や世界の平和などの観点からの書き込みが多いですが、そういうところも、水瓶座っぽいですね。気になるのが、この2つの星と、ものごとを見えなくさせてしまったりぼやけさせてしまう、海王星との角度が凶角(90度)であるところ。エネルギッシュでパワフルな方なんですが、海王星が響いて、行動に一貫性がなかったり、周囲を混乱させたり、騒動を引き起こしたりといったことが多そう。突然の渡米とか、米国での事件、暴露本などなども、そんな影響があるのかもしれません。この海王星、彼女の恋愛を司る金星とは吉角(120度)。偶然ですが、これは玉置さんと同じですね。二人とも恋多きタイプなんですね。「運命!」といって夢うつつの中で恋愛するタイプ。さらに、石原さんの場合は魚座の金星ですから、同情心に厚い。相手にほだされてぐずぐずになるような恋愛が多いんじゃないでしょうか。玉置さんとの復活愛も、病気見舞いがきっかけといいますから、そこんとこ、魚座らしいです。月、水星、木星がそれぞれ凶角。あと1つ星があればグランドクロスという厳しい座相です。スキャンダル、悪評がたえない暗示。実像よりも悪いイメージが先行、といったことが多そうです。甘言に弱く、だまされやすくもあります。月と土星は吉角ですから、ご本人の内面は、老成したようなところもあり、苦難から学び齢とともに精神的成長のある暗示なので、個性的で厳しい星をお持ちですが、がんばっていただきたいものです。
2010.05.12
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恋愛の終わり。一方は、心がすっかり心が離れてしまっていて、「過去のこと」になっている。一刻も早く、すっきり片をつけたい。かたや一方は、「いきなりの三行半」「突然の別離」と驚き怒り、納得できない心を抱えて煩悶する。誰もが覚えのあるこの感じ。そうなんだよねー、始まりは美しいけど、この「時差」がねえ、泥沼になったり傷つけあったり、だからいやよねえ、恋愛は……。この「いやよねえ」な感じ、ブログというもののおかげで?有名人の胸の内がオブラートにくるまず、生で公開されるようになった。ちょうど、沢尻エリカに離婚を突きつけられた高城剛さん、玉置浩二さんと揉める石原真理さんと続いて、つくづくネットの時代だなあと思った。クリックひとつでだれでもすぐに読めてしまう。女優だの、クリエーターだのという、日ごろ現実感のない雲の上の人(バーチャルな人)の「素」が見えてしまって、なんともいたたまれない。突然の別離に驚き、困惑し、嘆き、恨む。石原真理さんの公式ブログで繰り返される、「責任のある大人」「社会的責任」「一社会人として」「人の道理」……という言葉。「私は直感で生きてるんです」と公言してはばからなかった、「社会」だの「しがらみ」だの無視して自由奔放に生きてきたようにみえる女優さんが、この期に及んで”真逆”にも感じられるこうした言葉を繰り返す不思議。高城さんも、公式ブログで、「どんな場合も苦境から逃げずに、自己と対話し、正しい道を行く。いかなる場合も、人と心でしっかりと話す。そして、混沌のあとにしか、調和はこない。」「人として正しい事を」と、会えない妻へ必死で道理を説く。恋愛において、男と女において、「人としての道理」とは、いったい何だろう。恋の終わりはいつもいつも 立ち去るものだけが美しい残されて戸惑う者たちは 追いかけて焦がれて泣き狂う(「わかれうた」中島みゆき より)
2010.05.12
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玉置浩二が青田典子と熱愛?あれ石原真理子(現:真理に改名)と熟年婚してなかったっけ、と思ったら、石原さんとは昨年の復活愛から半年で破局していたんですねえ。一般女性→石原真理子→薬師丸ひろ子→安藤さと子→再:石原真理子ときて、青田典子。正式の入籍だけでも3度(石原真理子は重婚になるとかで事実婚だったそうな)。いったいこういう男はどういう星しているんだ? とふと気になり、ホロスコープを見てみました。太陽、月、水星、金星とパーソナルな星がずらっと乙女座。これはかなり神経質そう。モノが決まったところに片付いていないとイライラするタイプでしょうか。火星は牡牛。パーソナルな5つの星がみな「土」です。根は非常に生真面目な方でしょう。なんだかんだいって本業の音楽は長年コツコツと続けていらっしゃるし、恋愛で浮名を流すだけでなく、「結婚」の枠に収めようとするところも、かなり土っぽい。座相をみますと、これがすごい。金星と冥王星、水星がコンジャンクション(合)してます。金星は恋愛、冥王星は運命・宿命を示しますから、恋はいつも生きるか死ぬか、恋愛のたびに人生が根底から揺さぶられちゃうようなタイプですね。ここにコミュニケーションの水星も重なっていますから、口説きもうまそう。この3つの星にものごとを拡大発展させる木星と、夢を見せる海王星が吉角で効いてますから、こういう人と恋愛すると、もう「ああ、運命の恋!」とお互い、うっとり、トロトロ夢見心地になってしまいそう。しかーしっ!気になるのが、冥王星と火星がスクエア(凶角)になっていること。切れると怖そう。まさにDVの相ですな。いったんぶち切れると……。水星と火星も90度なので、言葉の暴力も辛らつでしょう。おとめ座はあら捜しも得意だしね。肝心の仕事運。木星と海王星が合で、金星・水星などとよい角度なので、先ほど申したように恋愛体質であることは間違いないけど、こういう人は、職業的には表現、クリエイティブ系にばっちり。ただ、太陽と土星が90度なので、下積みは長そうだし、仕事をしながら苦労や悩みが尽きない感じです。
2010.05.10
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ずいぶん長いこと留守にしていました。ブログって、いま、世の中的には、どんな感じになっているんでしょう。一時は、雑誌にブログの記事が出たり、有名人ブログが話題になったり、ブログの本がベストセラーになったり・・・と、華やかだったよねえ。そうそう、取材で、怪物ブログの作者に会いに行ったこともあるなあ。過激なブログの作者が、実はまじめそうな好青年だったり。最近は、ブログ自体が話題になることもあまりないような。浸透したのかな?ユーザー自体は増えているのかな?アクセス数とかってどんなことになっているのかな?プロバイダの勢力地図は変わっていない?おーい。
2009.08.14
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今日はすごくショックなことが。 携帯を会社のトイレにドボン! 「こ、こういうときはどどどどどうしたら・・・??」(オロオロ) 教えてインターネット!ってことでチクチク検索してたら 携帯電話復旧サービスなるサービスを発見。 藁をつかむ気持ちで、マイケータイちゃんを 会社から宅急便でその会社のある久留米へ。 ドキドキ、治りますように~~~ いざ、手元になくなると、なんだかすーすーする感じ、すごく不安。 メール、時計、スケジュール帳、アドレス帳、ナビウォーク、web…とかなり携帯に依存していたなあと思う。電話というより、もはや小型PCだよね。いつの間にかこんなに携帯がこんなことになったかなあ。日常で水にまつわる事件って結構あるよなあと思う。雨の日だってあるし、湿気もあるし、洗面所、デスクの上のお茶とか……携帯ってもう少し耐水性があってもいいのじゃないの?メーカーさん、開発してください!
2007.01.30
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『博士の愛した数式』(小川洋子)を読了。じつはこれ、オンライン書店パピレスで携帯にダウンロードして読んだの。携帯で一冊の本を読むというのは初めてだったけど、案外快適で、ちょっとした時にちょこちょこ読めるので良かった。紙に比べ目が疲れるけど。ゆくゆくは、この形式の読書も伸びてくるんだろうな、と実感(編集者としては意識しておかないと?)。で、この本。なんとも不思議な、あったかな物語だった。80分で記憶が消える人物、なんて、ホラーやミステリーにありそうな設定だけど、なぜか自然に文学的に受け止められるのが筆者の力なんだろうな。物語の世界もほんわりとして居心地が良かったけど(実はちょっと深刻な設定であるにも関わらず)、長年苦手意識を持っていた数学の世界がとてもきらめいてみえるようになったのが自分にとって最大の収穫だった。もう一度、数1くらいからまったり勉強し直してみたいなあと思ったり。大学時代、大学院の数学科に進んだ先輩がいて、「大学院で数学って……いったい、何をするんですか?」とたずねたことがある。理系の院でも技術や化学とかなら分かる、研究室に籠もって実験して何か発明したりするんでしょう、でも、数学って……???と。その人は、「そうだね、ほとんど、哲学だよ」と笑った。それでかえって「???」になってしまったのだけど。この本を読んで、その意味がよく分かった。いま、小学一年生の娘が、私と似ていなくて算数が大好き。本屋さんに行って、「好きな本を買ってあげる」というと、計算ドリルのようなものを選んでくる。足し算や引き算が楽しいらしい。まだまだ、彼女にとっては算数は遊び。クイズの感覚なのだ。そうね、本来学問は、哲学から始まった。ぜいたくなもの。人が人としていかに生きていくべきかという、深遠で美しいテーマを考えるために生まれたもの。楽しいし素敵だし、難しく、夢中になる価値のあるもの。自分を包む世界はなんと美しく、不可思議だなあ!奇跡に満ちているなあと、驚きながら、何かを追究しながら、人生を慈しんで生きていってほしいな、なんて思うのだ。自分もね。寺山修司の詩からたし算一と一をたすと二になるけどリスと木の実をたすと何になるの?二と二をたすと四になるけど母のない子と歌をたすと何になるの?三と三をたすと六になるけどぼくときみをたすと何になるの?たし算は愛の学問です引き算十から一羽の駒鳥を引くのです九から一本の酒壜を引くのです八から忘れものの帽子を引くのです七から一夜の忘却を引くのです六から一台の手押車を引くのです五から一望の青い海の眺めを引くのです四から一冊のグールモンの詩集を引くのです三から一人の恋敵の青年を引くのです二からは何も引くことはない二人で旅をつづけてゆこうそれがぼくらの恋の唄
2007.01.16
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年が明けて、仕事始めから1週間、怒涛のような日々。せっかく楽天を復活したのに、ひとかたまりの文章を書くまとまった思考ができない感じ。間に合うか?いや、間に合わせるしかない。やるしかない。今年は、働くぞー。
2007.01.11
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昨日、久しぶりに楽天日記を書いたら、たいしたこと書いていないのに、なんだか気持ちがさっぱり。おもしろいなあ、何か書いて、まがりなりにもネットにのせるって。そして、懐かしい方々が来てくださったり、コメントくださったり、うれしいっ!(涙)ありがとうございます!明日から会社。体調を整えるため、アロマサロンへ行くと、タロットカードのような束をきってくれといわれ、言われたようにすると、「好きなカードを一枚引いてください」娘がトランプ手品にはまっているので、手品?と思ったが、占いであった。セラピストのお姉さんが、私が引いたカードの意味が書かれた紙をくれた。それはエンジェルカードというもので、私が引いたのは、「天のタイミング」というカード。「今開かれている扉、または閉じた扉に注意してください。開かれた扉を開け、閉じられた扉から学んでください」開かれた扉? 閉じられた扉?どきっ。読み進む。「あなたの願いは天に届きました。(略)すべてが天のタイミングという宇宙の法則により操作されています。この意味をもう少しわかりやすく説明すると、全体のパズルを完成させるためには、ひとつひとつのパズルをはめていかなくてはならないということです。たったひとつのパズルをはめなかったり、慌ててパズルを間違った場所へはめてしまうと、全体が台無しになってしまいます。閉じている扉を無理にこじ開けようとしないでください。何か否定的なことが隠されているからその扉が閉じているのか、それともまさしく天のタイミングを待っているのか、エンジェルたちに質問してみてください。開いている別の扉を探して、開かれている意味を信じて感謝しながら通り抜けてください」・・・なんだか、分かるような分からないような。分からないような、分かるような。開いている扉と、閉じている扉。うーん。まずは、どの扉が開いているのか、どの扉が閉じているのか、落ち着いて見極めなくちゃね。慌てないこと、焦らないこと。開いている扉に感謝して通り抜ける。閉じている扉には、閉じている意味がある。それがいつか開かれる扉ならば、開かれるにふさわしい時に、必ず開かれる。ーーそう信じていこう、そうなの、すべてタイミングなのよ。「時」があるのよね。うーん、いいなあ、こういうちょっと抽象的な言葉って。解釈を試みるというワンクッションで、すごく気づきが与えられる気がする。初詣のおみくじがイマイチだったので、こっちをおみくじ代わりにしようと思うのでありました。
2007.01.04
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久々の日記になりました。昨年1年間、新しい仕事をすることになり、それに追われているうちに過ぎてしまいました。っていうか、いまだ追われているんですが。ああ、もう2007年なのか、信じられん。。。2006年、早かったなー。。。。自分の体感時間としては、まだ9月中旬くらいの感じ。年末年始の雰囲気って結構好きで、師走に「ゆく年くる年~」な気分になったり、「1年の計」に思いをはせたりするのが楽しみなのに、こんなにしみじみしない年越しもめずらしいかも。この年でまったく未経験の職場に異動、常にドックンドックンと心臓が高鳴って、興奮して微熱で、息も上がっている状態で、気づくと過ぎてしまった2006年。充実していて楽しかったけれど、最近、すごく欲しいものがある。「自分のグランドセオリー」のようなもの。いつしか結構遠くまで歩いてきたし、自分の人生とできることとしたいこと、すべきことを・・・「自分史」っていうと、違う意味になっちゃうけど。若い頃は、年をとっていくに従って「ああ人生折り返し地点だなあ」とか、「私も大台だなあ」とか、「子供も成長したなあ」とか、折に触れしみじみ思うのかなあと思ってたけど、実際トウが立ってみると、これがもう、仕事は増えるし子供の心配は増えるし、家族のこと、子供の学校のこと、親のこと……、まあ、なんだかんだとしなくちゃいけないことも考え事もどっさりあって、案外、しみじみゆっくり人生のことなんて考えていられなくなっちゃうもんだなあ。今日、CSでNHKスペシャル「歴史への道」の一挙放送をやっていて、シルクロード、イスラム、キリスト教、モンゴル、などなど、ユーラシア大陸の歴史をえんえんとやっていたのだが、歴史という学問はじつに偉大なのだった。番組に深く感動しつつも、思う。ちっぽけな人の人生も、日々、勢力争いがあったり、繁栄の時があったり、転機があったり、悟りがあったりする。つい日々起こることに追われちゃうけど、自分の人生にも透徹した視点がほしいもんだな。と、いうわけで、一日ほんのちょっとでも、のびのびと考えたり綴ったりできる場がほしいなあ、と思い、それには、この蜘蛛の巣の張ったブログが良いかもと思い出し、久々に書き込んでみる次第です。
2007.01.03
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50歳の時に奄美に移り住み、東洋のゴーギャンといわれた孤高の画家、田中一村を描いた映画『アダン』を観た。燃えさかる魂の炎に殉じる一村の姿を、榎木孝明の鬼気迫る演技が伝える。その姿が壮絶で、映画が終わってしばらく立ち上がれなかった。「俺は、だれだ?」画壇から受け容れられず、いつか見返してやろうと、新たな作風を確立するために、それまで日本画で描かれてこなかった色鮮やかな南国の動植物に素材を求めて、50歳で奄美に旅出つ。紬工場で働いて小銭を貯めては、掘っ立て小屋で制作に打ち込む。自然に分け入り、渓流にジャブジャブと入り、スケッチをする。描いて、描いて、描いて……誰に見せることも売ることもなく、ひたすら描き続けて、修行僧のような10数年が過ぎる。死期が近づき、南国の自然の中で、再び問う。「俺は、だれだ?」推測だけど、二つの自問の性質は、全く違うように思う。前者は、自分らしい納得できる作品を描きたいという焦燥感。後者の奄美で呻く「俺はだれだ?」は、大自然の中にどっぷりと身をおき命の炎を燃やしている動物や植物と存分に呼応し溶け合いながら発せられたもの。もう「自分の画風」も「画壇」もどうでもいい。自我も自己も消え、ただ、燃えるような何かに突き動かされて描く……。なんのために? そして、「俺は、だれだ?」「自分」が意識から消え、存在が純粋になる。無我の境地、だろうか。
2006.06.22
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「本当に一度でも、人生で心の触れ合った人間がいたら、そのために死んでもいい。」(岡本太郎)「瞬間を生きる。いまだけなのよ」(岡本敏子)『愛する言葉』(イースト・プレス)より。
2006.06.18
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新年明けまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。さて、新年早々だけど、「後悔」の話。昨日の読売新聞の「人生案内」、高校三年生の女の子からの相談で、「第一志望を断念して推薦で短大に進路を決めたことに今とても後悔している。後悔の気持ちが頭から離れないのだが」というものだった。それに対し、心療内科医の海原純子さんが、「後悔するのは『今』が幸せでないから。今が幸せなら後悔なんてしないはず」「今おかれた環境のなかで最大限の努力を惜しまないこと」とアドバイスしていた。「後悔」については、しばしば、「いくら後悔しても時間は戻ってこない。仕方ないから、前向きに生きよ」という、「後ろ向きの」(笑)、アドバイスを聞く。けれど、そもそも「後悔」って、「今」が幸せでないからするものなんだよね。そして、逆に言うと、今が幸せだったら、どんな後悔も消えてしまう。「あの失敗や回り道があったから今の自分がある」と胸を張って言えるようになる。過去は変えようがない、時間は戻ってこないなんていうけど、どっこい、どんな過去だって、「今」、取り返すことができるって、とっても心強いことじゃない?大人になると、「失敗したこと」だけじゃなく、「やらなかったこと」も後悔になるから始末が悪い。あのとき、思い切って留学していれば。思い切って独立していれば。あのチャンスを生かしていれば。それもやっぱり「今」が幸せでないってことなんだよね。「今」を幸せにすれば、すべて大丈夫。結果オーライ、なんて愉快な日本語があるけど。というわけで、今年の抱負は、今!今!今!後悔しない。先を思いわずわない。今この瞬間を、この一日一日を、めいっぱい幸せに、精一杯楽しく、力いっぱいワクワク、生きる。に決定。
2006.01.09
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12月って、お祭りだな。クリスマスや忘年会など行事が多くて、熱気のなかに、暮れだなーというしみじみとした気分が漂い、色鮮やかに、せつなく過ぎていく。あっという間に、あと3日。いろいろなことがあった。出会いに感謝、再会に感謝。ああ、とってもよい年だった、ありがとう。これから、懐かしい職場で、今年最後の忘年会。行ってきます。
2005.12.29
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連休明けもあって、体がだるくて、昨日はずるずると一日が過ぎてしまった。本当に、大丈夫かな……?いろいろと行き詰まっていて、手応えがなくて、不安になってきている。私ときたら、できの悪い営業マンみたいだ。おずおずとお願いに回って、断られては、しょんぼりして。優秀な営業マンは、きっと、いちいち落ち込まないんだろうな。営業マンではないけど、知り合いに、「ホテリアー」と異名をとるくらい女の子を口説きまくっている男がいる。「そいつの口説きをどうやって蹴り倒したか」という話で仲間と盛り上がるくらい。たぶんそんなにはモテないんだけど、そこそこは成功?しているらしい。その手の、諸星あたる的な男って時々見かける。でも、押しの強い人って、押してる回数が多いだけに、やはり相当ふられまくっているんじゃないだろうか。だけど、きっと、ふられたことでいちいちしょんぼりしたりがっかりしたりしないんだ。すぐにきれいに消去して、「お姉さーーーーん」って、次に行けちゃうんだよな。恐るべき回復パワー、つーか、そもそも振られたことについて落ち込まないようなタフな精神構造になっているのかも。そこなんだよ。わしも振られても気にならなくなりたいもんだ。しかし、気にしちゃうんだよ。くよくよしちゃうんだよ。あー、そうなんだよ、こういう奴なんだよ。わるかったな、ちきしょー!(錯乱状態)もうひとつは、振られる回数を減らす作戦。めったやたらと新規を開拓しようとするから振られるんだ。自分を振らないような人にアタックすればいいじゃん。新規営業が苦手な人間は、「出会い系パーティーより同窓会」、なのだ。知らない人を見ない! 自分の人脈から行く!自分がよく知っている世界から掘ってく。やみくもに知らないとこに飛び込むからだめなんだよね。釣りと同じだよ。海は広いから魚はいっぱいいるなんて思ってやみくもに船出すからだめなんだってばさ。まずは自分のかわいい釣り堀からだー。それと、新しい仕事だからつい、「これをやるべき」を考えて動こうとしちゃうけど、たぶん、相手にも伝わっちゃうんだなぁ、自信のなさが。「これをやりたい」をやらなきゃ。「あなた」と。
2005.12.27
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やばい。昨日の書き込み、まったく覚えてないぞ。。。いや、パソコンに向かって何かしたことは覚えてる。えらい、自分、楽天日記を更新したとは。しかし、なんじゃこれ(おもしろいからそのままにしとくか)。昨日はクリスマスだったので、家でチキンにケーキにシャンパン開けて……と普通のおうちクリスマスやったんだけど、つい、これを機会に冷蔵庫の飲みかけのワインやら泡盛やらを整理、とせっせと飲んでたら、すっかりできあがってしまったのよ。朝になって、テレビの前にサランラップが転がっていたんだけど、娘は冷たく、「ママがマイクにして歌ってたじゃん」ひえーーー。しかし、やっぱりストレスたまってんのか。いや、現在の仕事の状況からいってストレスたまるだろうそれは、っていう毎日なんだけど。いくらなんでも家で記憶なくすなんてなあ。(ま、家だからそのまんま寝られるからいいんだけどね)ふにゃけた頭でも、運命とか叫んでる(ネットに向かって)私なんですが、まりあんさんの書き込み(ありがとう!!)についてちょっと考えてみます。初めて書き込みさせてもらいました。>結局のところ、男と女なんて、相性なのよ。とはまったくの同感なんですが、相性が良いと思って選んだ相手でも、離れてしまうのは、結局“オトコとオンナの違い”なのかと、最近の芸能界の離婚事情をみて思ってしまいました。「相性が良いと思って選んだ相手でも、離れてしまう」のはなぜ?この人っていう相手というのは、二人で手に手を取り合って「結界」に入るような感じがするものです。だれも入れない、「あなたとわたし」の世界。♪いーつまでーも、愛してるー、今夜きみーはぼくのものー♪(by詠一さま)みたいな。しかーし、そんなふうに結びついた二人でも、時とともに、愛が消えたり、離れちゃうのは、なんでなんでなんでー???私もずっと不思議でした。「運命の出逢い!」と感じることも、その愛が消えることも。思うに、すべては刻一刻と変わっていくからなんじゃないかと。二人を取り巻く状況も、二人自身も。どんどん経験をし、年を重ね、記憶は消え去り(それは昨日の私か?)……、自分自身も、一秒たりとも同じ人間でいられない。ごーごーと、人生はすごい勢いですぎていく。人生の風景は、本当は街中を走る新幹線の車窓の風景のように、めまぐるしく過ぎ去っていっている。それが、ある瞬間、流れゆく風景に、ぴたりとピントが合う瞬間がある。瞬間、動いているはずの自分が世界が、止まってみえる。本当は止まっていないんだけど、相対性理論みたいな(文系人間のくせに理系っぽく説明するのは無理があります?)。キター!運命だ。つまりは、「運命」というのは、相性と縁もさることながら、「時」なのかと。タイミングという条件が絶対必要。ただし、実際は自分も相手も動いているから、一瞬重なっても、それが続くためには、タイミングが合い続けるという奇跡が続くという奇跡も必要。奇跡の上に奇跡が重ならないといけないわけです。もちろん関係だけなら、相性が良ければ続いていきます。でも、「関係性」は刻一刻と変質している。20代で電撃結婚し、一生愛し合って添い遂げました……という夫婦であっても、30代、40代、50代……と互いの関係性は変容しているはず(それはそれでいいものですが)。世のすべては移ろいゆくもの。永遠なんて、ありえない(昔、物理で習いました)。しかし、永遠を信じたくなる一瞬がある。同時に生々流転を達観する視点も持つ。それこそが人間の心の素晴らしいところではないでしょうか。たとえ、運命だと思った相手が去り、愛が消えても(涙)、奇跡の瞬間を味わえたのは、このうえない幸運だったし、幸福でした。ありがとう。どうぞ、あなたの旅をお達者で。また、いつかどこかで……そんなふうに見送りたいものですな(しみじみ)。ええっと、なんか長くなりました。人生は「この出逢いは運命だ」とか「これぞ天職だ」と感じる瞬間が多い方が、やはり楽しくてうれしいと思います。他人から思いこみだといわれようが、勘違いといわれようが、いいじゃないの、幸せならば。運命の出逢いや気づきを増やすにはどうしたらいいか?それはたったひとーつ!「動体視力」を鍛えることしかありません。目を凝らし、激しく移ろいゆく人生の細部を見逃さないようにすること。キターーーー!
2005.12.26
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お仕事をいただくたびに思う。素敵な人に出逢うたびに思う。なぜこんなに求めてしまうのか。運命やら縁やらを信じたがるのか。時々思う。私ときたら、ただ、それがほしくて、生きているんじゃないだろうか。ふるえるような感動をしたくて、のたうち回って……。うーむ。メリークリスマス。
2005.12.25
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ポプラ社から 「psiko」という雑誌が創刊された。日本初の心理学の雑誌……というのがうたい文句だけど、心理学学会誌のようなカタいやつじゃなくて、女性ファッション誌の記事部分を集めて厚みを持たせたといった感じ。さらさら読めるんだけど、私の好きな鏡リュウジさまとかも登場、軽いけど、良く読むと深い、みたいな記事が多くて楽しめた。こういう雑誌をみると、「おもしろい」より先に、「いいなあ、こういう雑誌を編集してみたいなあ」と思ってしまうわたし。読者層がはっきりしてて、方針が決まってる、できればコア~な、マニアックな雑誌の編集長(売れなくても別にいい、なら最高…笑)って、一度やってみたいにゃ~。さて、プシコ、創刊号の特集はズバリ、「男女の相性」だった。「ルダス」「ストーゲイ」「エロス」「アガペー」の説明の仕方などが新鮮で、ほおーと、納得してしまった。まあ、モテ術だとか、男・女心を落とすテクニックだとか、そういうのは世の中に尽きないけど、あんまり意味がないのよね。結局のところ、男と女なんて、相性なのよ。・・・と、言い切りたい、今日このごろ。追加。相性であり、縁、ね。人と人の出会いは、男女に限らず、なにか意味があって、わけがあって、出会ったり、一緒にいたり、別れたりするんだよね。(はあー、なんかこのごろ、しみじみするなあ。なんでしょ、この気分・・・)
2005.12.18
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きゃー。また久しぶりになっちゃったー。ごめん。さてさて、齋藤孝さんの本に、「偏愛マップ」というのがあるんだけど、少し前の朝日新聞で、齋藤さんと小川洋子さんの対談が出ていて、偏愛マップの話だったので、知人と「これおもしろいね」、と盛り上がってたら、一昨日、まったく(ほんとにまったく!)偶然に、その本を担当した編集者さんと会ってしまった。・・・世の中って、不思議だわぁ。と、いうわけで「偏愛マップ」。これは好きなことを思いつくままに書いた地図をつくって、それを見せあって人と仲良しになるっていうもので、子供っぽい感じがするけど、やってみると結構盛り上がる。二人でもいいし、何人かでやってみるとまたイイ。もちろん、1人でマップをつくるだけでも発見がある。オリジナルのサイトはこちら。また、下記のように、パッパッと思いつくままに「好きなものリスト」をつくってみるのもおもしろい。自分でもいろいろ発見があるし、お友達と交換してみるとオツ。感性が似てる人が見つかるとうれしいものです。ご参考に、私のを。好きな食べ物→モツ、ワタ、内臓系。辛いもの。珍味。きらいな食べ物→社内食堂のカツカレースパはまっていること→お太鼓結び一日のうちで一番いやな時間→会議今一番行きたいところ→部屋付き露天風呂チャームポイント→おしりのほくろ弱点→首すじ一番好きな小説→「嵐が丘」目標→ミリオンセラー将来の夢→恋愛小説家好きな言葉→「これって運命かも」特技→アロマテラピー、西洋占星術趣味→ツボさがしうれしい時→甘えている時と甘えられている時このごろ増えたもの→女性ホルモン居酒屋で必ず頼んでしまうもの→だし巻き卵一番美味しいもの→仕事後のよく冷えた生ビール子供のころ好きだった場所→セイタカアワダチソウが生い茂る野原、社宅の非常階段好きな映画→「ポンヌフの恋人」「ベティ・ブルー」「薔薇の名前」好きな乗り物→観覧車やってみたい店→感じのいい小料理屋住んでみたい場所→バルセロナの港の近く子供のころになりたかったもの→絵本を作る人、詩人もしかしたら向いていたかもしれない気がする職業→学校の先生、看護婦、芸者、旅館の女将、クラブのママ、歌手、修道女気になること→前世、常世、輪廻思わずそそられる言葉→隠れ家、秘密、幽玄、どんでん返し嫌いな言葉→「君も組織の人間なんだから」トリップするもの→ストナリニ(鼻炎薬)、夜桜、ふいのキス、昼下がりのみだらな空想、上手な嘘好きな小説家→江國香織、桐野夏生、栗本薫、京極夏彦、よしもとばなな、ポール・オースター、レイ・ブラッドベリ、ディクスン・カー、アイラ・レヴィン、エドガー・アラン・ポーバイブル的な漫画→ガラスの仮面、はいからさんが通る、ベルばらやってみたい習い事→陶芸、二胡尊敬するジャーナリスト→マイケル・ムーア、ボブ・グリーン、奥山郁郎
2005.12.17
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だだっ広いフロアに大勢の人がワサワサ走り回っているような職場から、こぢんまりとしたちっちゃなお部屋に来て数週間。転職したみたい。というか、実際「職」種は「転」じたわけだから、これも「転職」かな。いろいろかわって興味深いけど、人との距離感のようなものがかわったのがおもしろい。よく都会は人とのつきあいが薄くて、田舎は人間関係が濃いとかいうけど、それは文化とか人間性の話じゃなくて、単純に空間と人数の……、つまり「器の問題」だったんじゃないかなと思ってしまうな、職場の引っ越しという人間実験のおかげで。広いところに大勢いると、おのずとほかの人のやってることに関心が薄れてくる。「おはようございます」という挨拶も、席の近い人にはするけど、ちょっと離れた席の人は気づかないふりしちゃうし。逆に、小部屋に少人数でいると、濃くなる。くしゃみ3回続けてしたら、「風邪ですか?」と言われたり、AさんとBさんが熱心になにか語り合ってるときに、つい、「へえ、おもしろいですね」なんて口をはさみたくなったり。さてさて、職場の人間関係の話。もちろん、職場は仕事をするところなんだから、人間関係なんて、二の次、三の次ではあると思う。無理に仲良くすることもないし、ましてや悩むなんて時間のむだ。今の環境を使って自分のやりたいことをどう実現するかに力を注ぐべき。しかし、そこは人間だから、人望のある人の意見は間違いなく通りやすいし、職場環境が良い方が能率があがる。どんな仕事もチームプレーなので、「雰囲気」やら「熱気」のようなもので業績がかわったりする。仕事仲間とのコミュニケーションの取り方は非常に重要。あ、いま気づいたけど、仲間って、仲に「間」を入れるから、仲間なんだ。1対1でなくて、複数形。人と人は3人寄ると真ん中に空間ができる、といった人がいたっけ。どんなふうに間を取ったらいいのか。同じ空間で仕事をするわけだから、殺伐としたぎすぎすした雰囲気もなんだし、かといってべたべたなれなれしいのも困りものだし。ほどよく気にしない、ほどよく気を遣う、といったところか。その良いツールが、「さりげない無駄話」。これをどうこなすか。「合わないな、こいつ」と思っても、さりげない無駄話を上手に重ねていくと、職場の雰囲気は確実に良くなるし、職場で「感じのいい人」になると、いいことがたくさんある。さりげない無駄話の内容は、あくまで、「どうでもいいこと」。簡単に相手がこたえやすいように質問系にするのもいい。「外、雨、まだ降ってました?」「あれ、髪形変えました?」「年末調整、もうやりました?」「お昼、いつもどこで食べてます?」それから共感。「お忙しそうですねえ」「そのセーター、いいですねえ」「今日の会議、長くて疲れましたねえ」次は、自分をちょっと出す。それも間違っても自慢話でなく、「ちょいドジ」系で。「このごろ太っちゃったんですよ」「このあいだ、書きかけのデータをうっかり消しちゃって」「昨日、久しぶりに同窓会があって、飲み過ぎちゃって」こんなところが、初級編かな。注意点は、さらっと切り上げる、長々話してはダメあけすけに身の上話を語らない子供や配偶者など家族の話は盛り上がるテーマだが、人を選ぶので親しくなるまでは慎重に下ネタはもっと慎重に同僚や上司の悪口は避ける。ただし、みんながひどいと思っている上司(なるべく上のほう、役員や社長)なら意外に良かったりする、くれぐれも、明るく軽く言うこと
2005.11.17
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「変化」が起こっているとき、なぜ早く、濃く時間が流れていくのだろうと思う。時代の変わり目がそう。革命とか戦争とか、なにかの大きな経済現象が起きているときとか。大きなことでなくても、ささやかな自分の一生の時間にも、早くて濃い時間の流れがある。変わり目、身長がぐんぐん伸びているとき、結婚や出産といった人生の変わり目、環境や仕事がかわるとき。感じ方の問題に過ぎないかもしれないけれど、時間には、きっと種類があるのだ。ゆっくり静かに流れる時間と、怒涛うずまくように流れていく時間と。急流にのまれるような大きな変化のとき、その力はあまりにも強くてあらがいがたい。残念なのは、状況を把握し、意味を理解するまでにタイムラグがあること。「そうか、そういうことだったんだ」と、分かるのは、たぶんずっと先。そして、人生なんて、後になってその「意味」に気づいて深い思いにとらわれるために、生きるようなものかもしれない。死ぬまで続く、修行なんだ。だから、いまは、書きとめておこう。日記でも、スケジュール帳でも、走り書きのメモでも。目に見えない時間というものに、せめて目印になるようにひっかき傷をつけておこう、と思う。
2005.11.16
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すみません、またしてもご無沙汰してしまいました。社内で異動になりました。新しいプロジェクトを立ち上げる部署で、毎日毎日、刺激と勉強です。着任してあっという間に過ぎたような、もう長い時間が過ぎたような気がします。このことがきっかけで、自分の人生計画が大きくかわってしまったのですが、この間、超ど級の出逢いがあり。ほんとに、人生って予想がつかない。今日から明日、明日があさってになるわけだから、予想も計算もできそうな気がするけれど、実は、マジカルなことばかり。サプライズばかり。奇跡が毎日毎日、起こる。もちろん、なにごとも、やるからには成功したいし、勝ちにいく。そのためにどうしたらいいか戦略を立てるし、ない頭をしぼって計算する。予想も立てる。だけど、それを笑うかのように起こるサプライズの数々。いいことも、そうでないことも。時に、仰天もするけれど、起こってみると、すべてのことがまるで必然のようにも、決まっていたことのようにも思える。まったく、生きれば生きるほど、おもしろくなっていきますね。サプライズってやつも、くせになる。ああもう、人生、やめらんないなー、と思う30代後半です。
2005.11.12
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やってしまった、ばっさりと。こんなに短くするのは、7、8年ぶりくらい(その時は、美容師さんに言い間違えて、寝ている間に短くされてしまった)。このところの、気持ちの変化で、無性に切りたくなって、「えーい」と。若返るのならいいんだけど、子供っぽくなっちゃったかなー。ずうっと長くしていたので、まだ鏡の向こうの自分が見慣れなくて、ちょっぴり早まったかな、とも思うけど、でも、すごくさっぱりしたのはほんと。失恋すると、髪を切りたくなる……とよく言うけれど、ああこういうことか、とちょっと納得。女の髪って、なにか残留思念のようなものを貯め込んでしまうような気がする。長く伸ばしていると、どんなにシャンプーしても落ちない、歳月の何かを髪に含ませてしまう。とくに、「思い」みたいなもの。「ふっきらなくちゃ」と思ったときに、髪を切る……というのはじつに正しい行為だわ。今日から、新しいわたし。ああ、もっと早く切ればよかった。
2005.09.20
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久々に楽天に書いたら、たくさんコメントをいただいてうれしいです~(涙)。蟹座で、同じようにしんどかった方って、結構いらっしゃったんですね。。。星の話なんか書くと、引いちゃう人もたくさんいるんだろうなと思いながら、でも、運気って、やっぱり波みたいなのがあって、それは周期的なものなのかどうなのか分からないけれど、やっぱり人生、調子がいいときと、そうでないときがあるもので、どうしてもドツボにはまっている感があるときには、人のせいにしたり自分のせいにしたりするよりも、星回りのせいにしたほうが、まだしも健康的かも、なんて思ってしまう。星は、刻々と移ろっていくのだから、いつだって希望はあるんだもん。最近、自分的に、ちょっとおもしろいなあと思っている変化があって、それは「ミーツ・ザ・1995」とでもいうべきもので、なぜか、10年前をやたら鮮明に思い出す場面に遭遇する。10年前に一緒に仕事してた人と再会して、またとても親しくなるとか、10年前にはやった歌にはまるとか、そのころマイブームだったことに偶然再会するとか……。これは、10年前になにかヒントがある、発掘せよ……との啓示かもと思い、昔の日記を引っ張り出してみた。すると、まったく思い出せないディテールや、そのころの胸の高鳴り、人間関係、時代の空気のようなもの……まるで、まったく知らない人の日記を読んでいるようで、興奮してしまった。でもなぜか、今のわたしになにかを必死で訴えかけているような、熱さと懐かしさを感じて、痛がゆい。ああ、本当に、悲しいくらい、人は「今」を忘れてしまう。こんなに感動したり、怒ったりしていても、10年たつと、まったく思い出せないなんて。どんどん消えていってしまう。ツメを立てて痛みで覚えておきたいくらい、いとおしい日々でも。日記って、書いておくものだなあとつくづく思った。どんなに忙しくても。それは、10年後、20年後の自分へ。「本当の歴史は、歴史として書かれたもののなかにはありません。皇室内廷費のなかに、個人の手紙のなかに、財産目録のなかにあるんです」――ジョセフィン・テイ『時の娘』
2005.09.18
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すっかりごぶさたしました。久々に楽天を開いてみようとしたら、パスワードが分からなくなって、「再設定」というのをした。メルアドもなにを使ってたか思い出せず、ヒヤヒヤ。無事、開いてよかった……。最近、急に運気がよくなって驚いている。体全体が軽くなったかんじ。停滞していたことが動き出した。寝覚めもいいし、このところ、ときめくような、微笑んでしまうような、心楽しいことが続いている。「調子いいなあ」というより、「ああ、脱出したな~」というかんじ。カミングアウトすると、蟹座に土星がばっちり居座っていたこの1年10ヶ月というものは、じつのところ、大変しんどい時期だった。私は特に、ホロスコープが蟹座にサインオーバーな人なので、ふつう以上に強い影響を受けてしまったよう。それまで絶好調だったのに、2年前の秋口くらいから、「?」と思うようなことが続き、昨年はもう、なんで?というくらい、スパイラル式にドツボにはまっていった。やたら病気をする、大ケガをする。クルマをぶつける。裏切られる。いろいろなことがフォローできない。しゃれにならないミスをする。クレーム処理に頭を抱える。決まってた話が空転する。やることなすこと裏目に出る……。常に心のなかにおもりを抱えているような日々だった。やがて、どうがんばっても気持ちが盛り上がらなくなり、(この私が)ついにクリニックに駆け込んで薬をもらった(占い師や霊感系に駆け込まないところが、占い師なわたし)。過去、短期的にもっとしんどい時もあったけれど、こうも続くのは初めてで。もちろん、多少浮上することがあったりよいこともあったりと、波はあったけれど。それが、今年の7月から、土星はやっと獅子座に行ってくれた。するととたんに、すべてがストンと楽になった。物事もうそのようにスイスイ快調に運ぶようになった(もちろん大変な仕事はいっぱいあるけど)。びっくりだなー。星をみるのが好きだから、「自己暗示では?」といわれてしまうかもしれないけど。ほんとに、気分が全然違うのよ。土星は「教師の星」といわれている。試練や宿題を与えて、人生勉強させてくれるんだとか(いやほんと、勉強になったよー、ありがとう!)。いちばんは、自分にとってなにが「いい状態」で、なにが必要なのかが理屈でなく、わかったことかも。それまでは何かせきたてられるように、あれも、これもと手を出していたようなところがあったけど、人生にこの大嵐が吹き荒れて、ほしいもの以外はいらない。幸せでいるのに、たくさんはいらない。好きな人以外には愛されなくても別にいい。手に入らないものは、必要でなかったもの。無理がかかると、だいたい後になってひずみが出る。と、それがやせがまんでもなんでもなく、ああそうだったんだなーと、シンプルに整理できたかな。よく「優先順位をつけよ」とかいうけど、自分にとって、何が大事なのか、頭じゃなくて「腑に落ちる」という感じでないと、いっぱい持てば持つほど「惜しい」という気持ちが先立ってしまって、手放せないんだとおもう。らくちんだわ。ふふふ。
2005.09.13
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ご無沙汰しました。ちょっと立て込んでいて、久しぶりの楽天です。久々アクセスしたら、自動ログインが切れていて、IDとパスワードを聞かれたんですが、どっちも忘れていたもんだから、アタフタしちゃいました。さてさて、お久しぶりで恐縮ですが、ちょっと肝を冷やした話。私は(ここでもよく書いてますが)、クレジットカードおたくで、マイルをせっせとため、ちゃくちゃくと航空券をゲットしていますが、やはり、カード多用すると怖いのが、スキミングと、インターネット詐欺。毎月、日を決めてネットで自分の使用明細をチェックしてプリントアウトし、じっくりとチェックします(郵送の明細書はもらないようにしています)。最近、インターネットのセキュリティに関する取材をしていますが、知れば知るほど、怖いことがたくさんあります。巧妙化するフィッシングで、知らず知らず情報が盗まれ、なぞの請求が少しずつされ、それにぜんぜん気づかない、ということもあるといいます。なので、気をつけているのですが、今月、自分のカードの明細に、なぜか、「海外での使用」という項目が。少なくとも半年は海外へは行っていません。ヒヤリとしました。詳細をクリックすると、「AMAZON.COM PAYMENT AMAZON.JP.COM WA USA」という言葉が。洋書を買った覚えはありません。アマゾンは、じつは結構セキュリティーが甘いのです。ログイン画面で「鍵マーク」が出ない(なんとかしろー)。こりゃ、やられたーーーー!と思いました。あわてて、今度はアマゾンの方へアクセスし、自分の購入履歴を確認しました。すると、同じ日付、同じ価格で本を購入した履歴がありました。アマゾンcojpで購入した日本の本です。ああ、よかった……。とりあえず胸をなでおろしました。先月まではアマゾンは日本からの普通の請求でした。今月からどういうわけか(コスト削減でしょうか?)、アメリカからの請求になったのですね(単位は日本円になってましたが)。こういうの、ちょっとびっくりしますよね。お知らせしてもらうか、分かるように請求してほしいですねえ、、、今回はなにごともなかったですが、やはり、ネットで買い物をしたり、ネット銀行でお金を扱ったりするのは便利だけど怖い面もあります。慣れるほど、IDやパスワードを入れるのが平気になってきますが、めんどうでも、プロパティでひとつひとつサイトの身元を確認したり、個人情報を入力する際には、SSLを確認したりする慎重さは忘れないようにしたいです。それから、カードでポイントを貯めるなら、「何枚も持たず、なるべくまとめてポイントを貯める」が鉄則ですが、今回のことで、ネットで使う用のカードは別につくり、利用限度額も低く設定しよう、と思いました。もちろん、オンライン銀行もです。楽天でさえ、IDとパスワードを聞いてきます。インターネットではIDとパスワードを聞かれるのはもはや当たり前で、サイトの身元も確認しないで、条件反射で入力してしまうことが多いですが、のどかそうな楽天にしたって、IDとパスワードが漏れて、オークションで悪用されたり、楽天市場のほうで買い物されたり、また、自分を装った他人が掲示板荒らしをしたり……なんてことがないとも限りません。便利で快適なインターネットだから、日頃から安全にも気をつけたいものです。
2005.06.18
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結果を出そう、こたえをみつけよう、よい考えはないか……焦ってこたえを出そうとすればするほど、もっともっと分からなくなってしまうことがあります。特に、子育てや急にふってきた仕事などをこなしていると、ペースが乱れ、心も揺れてきます。そこで、意識的に気持ちを静めることを心がけています。「明鏡止水」と心で唱えながら、風が吹くたび千々に乱れる水面が静まっていき、澄み切った鏡のようになる様子を思い浮かべると、すーっと心が落ち着いてきます。「明鏡止水」大辞林には、「くもりのない鏡と波立たない静かな水の意。心にやましい点がなく、澄みきっていること」とあります。心がしんと落ち着いていると、まるで鏡のように鮮明にものごとが映し出され、自分の心の奥底まで透けて見えてくるようです。いつも澄みきった心でいたいものですね。「明鏡止水」といえば、私の好きなお酒に、長野県の「明鏡止水」という地酒があります。これはほんとうにお薦めなので、アフィリしてみます。フルーティーで鮮やかな香りがたちのぼり、飲み口はさらさらと流れるよう。のどごしは透明で、いつしか、しんと静まっていきます。名前に負けない名酒です。その爽やかさは、アルプス酵母のおかげでしょうか。「ワインは好きだけど、日本酒はちょっと……」という人によく勧めるのがこれです。明鏡止水 「純米大吟醸」袋吊り斗瓶取り 1800ml※箱入り【きょうのツボ】自分の心を知りたいと思ったら、まずは心を静めること。
2005.06.06
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ある決心をし、カウントダウン状態に入りました。準備の時間が少なくなってきたので、ちょっとタイトにあれこれ計算したり考えたりしつつ、とにかく目の前にあることを、起こることを、ひたすら食べて、咀嚼して、自分の栄養にする。その気持ちで毎日過ごしています。自分に「しめきり」をつくる、というのは身が引き締まっていいです。こうなってみてつくづくと、人を嫌いになっているヒマがない、と思います。いままで「苦手なタイプ」と思っていた人も、行動を、じっとみていると、「ここはなかなかすごい」「へえ、こんなやりかたもあるのか」「なるほど」という部分が必ずある。むしろ、苦手な人のほうが、自分の弱い部分を持っていたりする。やっぱり、人から学ぶものって大きいです。ここで出会ったのもなにかの縁。やなやつ(笑)からこそ、学ぼうと思っています。
2005.06.03
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最近、食べ物が美味しくなりました。利き酒師の勉強を始めたおかげです。ティスティングは、全身の感覚を舌に集中するくらいのつもりで、素材の持つ微妙な香りや味わいを感じ取ろうとするのですが、不思議なもので、「味わおう」とするだけで、同じものが、全然違った味になるような気がします。なんとなく食べたり飲んだりしていると、するんと口の中を通り過ぎて胃にに治まってしまいますが、味を「利」こう!……と思った瞬間、美味しくなる。おもしろいなあ、と思います。人生も、なんとなく過ごしていると、あっという間に過ぎてしまいますが、丁寧に味わってみると、美味しくなるのかもしれません。ビールは苦みワインは酸味日本酒は甘みと旨みがおいしさ。人生も苦かったり酸っぱかったり、時に甘かったりするのが味わいで、そのうまさが分かるのは、大人になってから……なんだかほんとにお酒と似てますね。香りを感じたり、舌の上で味わいを楽しんだり、喉を通りすぎたあと、余韻をかみしめたり……、苦くても、酸っぱくても、甘くても、人生をたっぷり味わおう、と思うのです。
2005.05.25
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今日は親しいひとから人生の秘話を聞いてかなり元気づけられました。素敵な生き方をしているなあ、いいなあこの人、好きなことやってるなあ、いきいきして楽しそうだなあ……そんなふうに思う人に会ったら、ちょっと失礼かなあと思っても、「どうしてその道を選んだんですか」「なにが転機だったんですか」と思いきって訊いてみるといいですね。どうするかのたうちまわって悩んだ、ハッと天啓のように気づきがあった、さりげなくこの道を選んだ……こたえはいろいろでも、人生の転機みたいなところの話を聞くと、不思議と勇気づけられます。とくに、迷っているときには。
2005.05.23
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今日はおうちで利き酒のお勉強です。品川区の西小山にある良い酒屋さんで、「利き酒の勉強をしているんです」と相談して、飲み比べて違いが分かりやすいものを選んでもらいました。 左から、浦霞の純米、久平治(杜氏さんの名前の限定もの)、久保田の千寿。組み合わせは、久平治が吟醸香かぐわしく、久保田がさっぱりと呑みやすい爽酒。純米の味わい楽しむ浦霞、という感じでしょうか。久保田と浦霞はもともと好きなお酒で、さすが美味しかったのですが、久平治は初めて呑みました。山田錦で作られた愛知県のお酒なのですが、鼻を近づけると、ふわーっとフルーティな、ちょっと花のような香りが立ちのぼり、口に含むとみずみずしく甘く、冷やして呑むといくらでも呑めちゃいそうでした。最初はだんなと紙に書いて真面目にあてっこなどしていたんですが、だんだんとただの酔っぱらいに。なにかを思い出せそうな、懐かしいようなせつないような気持ちになってきました。たまたまかけていたデビット・フォスターのアルバムのなかにあった、映画「セントエルモス・ファイヤー」のテーマが、お酒のふんわりしたせつない甘さにとてもよく合いました。お酒というと、料理にどう合わせるかということが重視されますが、どんな音楽に合わせるか、ということを考えるとまた楽しいな、なんて思ったのでした。
2005.05.22
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じつは、最近はまっているものは、日本酒です。といっても、のんべえになっているのはなくて、お勉強。目指す資格は、「きき酒師」です。 「きき酒師」というのは、いわば、日本酒のソムリエ。 お酒を単に美味しいとかまずいとかいう人じゃなくて、 日本酒の歴史や文化、製造工程、産地、原料、健康との関わりなどなど、日本酒について全般的な理解があり、味わいを見極めて適切なものを人に勧めたり、提供方法を提案できる人……といったところでしょうか。私は日本酒がもともととても好きなので、あちこちの地酒を楽しんでいましたが、もっと知りたいと思ってちゃんと勉強してみることに。今のところ、お酒屋さんをやろうとかなにか具体的な計画があるわけではないのですが、試験があると、勉強するとてもいいモチベーションになります。先日、高校時代の友人がワインの資格を取得したのもきっかけのひとつ。さすがにすごーく詳しくなったので、うらやましくて、「日本酒にもそんな資格があればなあ」「あるはずよ、聞いたことあるよ」というので探してみたのです。日本酒の世界は奥が深く、その製造工程はまさに芸術。 魚のなまぐさみを消したり、酸っぱいものやあぶらっこいものの味わいをまろやかにするなど、料理のマイナス面をうまくほぐしてくれるので、いろいろな料理に合い、食中酒にぴったり。 お米と麹を使っているので、微量な栄養素が豊富に含まれ、健康にいい。 冷たくして、ぬる燗で、熱燗で……とさまざまな温度で味わえるので、いろいろな楽しみ方ができるのも魅力。 なのに、残念なことに、とくに女友達と呑みにいくと、日本酒を頼む人に会ったことがありません。皆無に等しい。たいていワインかカクテルか。 。。なにより、あまりイメージが良くない(おやじくさい、酔う)こと、魅力を知られてないってことがあるとおもいます。 私自身、「吟醸香がどう」「純米酒はなんたら」とか、うんちくたれてたんだけど、勉強してみると、知らないことばっかりで。合格したあかつきには、ちょっとでも魅力を知ってもらうようなことができたらななんて、ちょっと夢見たりもしてますが、これから残りの人生で呑むお酒が美味しくなっただけでも、超もうけもの!でした。
2005.05.20
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このごろ1日が過ぎるのがやけに早くて、時間についてよく考えるのだけど、時間もお金と同じで、「投資」の時間と、「消費」の時間、そして「必要経費」、コストみたいな時間があるなあ、と思った。「投資」の時間は、例えば一生懸命働いたり、勉強したりする時間。「消費」の時間は、例えばゆったりのんびり味わって楽しく過ごす時間。息を吐いて、吸って……という呼吸のように、時間も、一日のなかで、そして人生のなかでバランスが大事なのだろう。それから、「必要経費」の時間。これは通勤時間とか、なにかの待ち時間とか。仕事上、どうしても出てくる無駄な時間(会議とか…笑)などなど。そういうものは、できるだけ減らすことを考えるか、楽しくする工夫をしたいな。そして、時間は目に見えないので(「使ったお金」もそうだけど)、ふと気づくと時間が過ぎてしまっていて、自分がどう過ごしたかを思い出せないことがよくある。家計簿みたいに、スケジュール帳や日記はまめにつけておこうと思う。「ねばならない」とかお仕事時間だけを記録するのでなくて、「なにをしたわけでもないけど楽しかった」ってこともね。「マイペース」っていうのをつかむためにも。夢中で打ち込む、だらあんと力を抜く。吸って、吐いて……が気持ちよくできてる状態が幸せで、結局のところ長続きするのだろう。
2005.05.19
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日記の更新、間があいてしまいました。なにやかにやと忙しかったっていうのもあるんですが、お仕事でもブログを書いていて、それがほとんど毎日更新なので、そっちのほうにパワーを取られてしまっていたというのもあります。最近ビジネスブログばやりですが、お仕事ブログって、ある程度自分たちの生活ぶりをさらけ出しながら、でも、宣伝くさかったり、エラソーだったりすると嫌われてしまうし(ブログって、なぜかそういうのが伝わりやすいですね)、、、距離のとりかたみたいなのが案外難しいように思います。ブログを本気でビジネスに生かそうというなら、よほど書くことが好きで時間がとれる人でないなら、ゴーストライターが必要かも(それじゃ読むほうはつまんないけど)。
2005.05.18
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いままで何通も「招待メール」をいただいていたのですが、プロフィールなどを書くところでめんどうになって挫折し、なかなか入れなかったソーシャルネットワークのMixi、学生時代の友人に熱心に勧められ、ついに始めました。まだ全然使いこなせてないんですけど、はやっているだけあって、確かにとてもよくできています。微妙な「閉じられてる感」もあっておもしろい。ブログ日記って、「今日は良く書けたカナ」なんて思った日には、「たくさんの人に読んでもらいたい!」と、アクセスが気になったりしますが、Mixiの日記は、アクセスは二の次(文章力とかも)で、最近どうしてる?私はね……と、友人にゆる~いメールを出す感じ。とまあ、ここまではやっていない人でもご存じかと思いますが、このMixi、私には既視感がありました。楽天と似てる!!と感じたのです。たとえば、アクセスログ。楽天は、楽天ユーザーなら、誰が自分の日記に来てくれたか、HNが表示されますよね。リンクを辿って、その人の日記を読める。Mixiのウリのひとつは、それ。アクセスをみると、来てくれた人のHNリンクが並んでいます。でも、Mixiは、Mixi外の人はアクセスできませんから、楽天日記にたとえると、アクセスログが、全部楽天ユーザーのログが並んでいる状態、といえましょうか。また、Mixiは、こまめにメールが来て、合計のアクセス数などを教えてくれます。楽天も、特に初期は、フォローアップが親切ですよね。「あなたの日記は現在、○○アクセスです!」メールが来たり。あれが結構励みになったりします。(最近来なくなってしまったのですが……(淋;))一般的には、楽天市場を抱える楽天広場はアフィリエイトに強い、というようなイメージがありますが、いろいろなブログを試してみますと、個人的には、一番の強みはコミュニケーションじゃないかと。他ブログに比べると、コミュニティの形成がずいぶん早くできるような気がします。お気に入りリンクの親密度も、高いほうでは。どうでしょうか。・・・しかし、すっかりオタクですな。。。
2005.05.06
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おばあちゃんが倒れた、と聞いて、くらくらしてしまいました。母が体が弱かったので、私が小さいころは、祖母にずいぶんめんどうを見てもらったのです。18で母を産んだ祖母は私が幼いころは、まだまだ若々しくて、あんまり、おばあちゃん、という雰囲気ではなく、母親がもう一人いるような感じでした。いつのころからか、母の実家へ行くこともなくなり、結婚してからは、自分の実家に顔を出すのもおっくうなくらいなので、おばあちゃんとは、ずいぶん時間が空いてしまっていました。こんなに”おばあちゃん不孝”な私なのに、こんなことになると、小さいころのいろいろなことが、どんどん、どんどん、わき上がってきて、どうしよう、おばあちゃんがしんでしまったら、どうしよう…とどきんどきんとしながら、自分のなかの昔の記憶が鮮明なことに、ちょっと驚いています。人は、呆けると、新しい記憶から忘れていくそうです。子供のころの記憶は、ねばり強く残り続けるのだとか。ふと、なにか浮かんできたら、どんどん深く潜ってみるといいかもしれません。自分のなかの「原始脳」に、人生の秘密がありそうです。
2005.05.03
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先日、旅のことを書いたら、それを読んだ中学時代の親友が、「ロシアからもらったポストカードを今でも大切に飾っています」と、メールをくれました。とても驚いて、とてもうれしく。そうかあ、私、絵葉書、出したんだなあ。そして、それをまだ大事にしてくれている人が。ありがたいなあ。。。と、しみじみとしました。インターネットも、携帯電話もない、という時代には、私たちが使える通信手段は、郵便か電話でしたが、ロシアから日本への国際電話なんて、当時、学生の貧乏旅行では考えられないものだったので(特別な場所からしかかけられず、1分4000円くらいしたと思う)、郵便も、海外からは大きく「AIR MAIL」ロシアからだと、たしか、「VIA ABIA」(Bが鏡文字みたいなやつで、IがNの鏡文字みたいな字だったと思う)ちゃんと書いておかないと、船便に回されてしまうといわれ、赤いペンで大きく書いて、それでも、ぼろぼろの建物で、やる気なさそうにしている郵便局の職員にだいじょうぶかなあと不安になったりして、でも、もっと不安なのは、自分が無事に日本に帰れるかということだったりして……ちょっと、遺書めいた気持ちで、大事な友達に絵葉書を書いていたのを思い出します。思えば、親も心配だったことでしょう。娘一人、ぽーんとユーラシア大陸に飛び出して、1ヶ月以上、電話もメールもなく、生きているのか、死んでいるのか、なんだもの。(私が旅先から親に出した絵葉書は、私が日本に帰国して、ずいぶん経ってから自宅のポストに到着しました・・・)そんなことを思い出していたら、ああ、また、ふらりと遠い国へ行きたくなってきました。そして、絵葉書が書きたくなりました。揺れる夜行列車のなかで、ほの暗い宿のランプの下で。
2005.04.30
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やっとやっと、公式ホームページができました。こつこつ、手作りしました。ふう。やりだすと、いろいろ凝りたくなって、そのうちほったらかしになったりして、時間がたってしまいました。まだ、名刺がわり、といった状態ですが、少しずつコンテンツも増やしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
2005.04.29
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鬼塚ちひろさんのアルバムをはじめて聴いたとき、しびれました。彼女の実年齢を知ってまた驚き、こりゃ天才に違いない!と確信。「月光」は、最近の歌ではめずらしく、カラオケで歌えます(えっへん)なので、このところの騒動には、かなり胸を痛めています。もっともっと歌をつくってほしいのに。彼女の歌が聴きたいのに。あんなに、あふれるような才能があるのになあ。私が才能の話を言い出すと、うちのダンナはなぜかランボーの話を出します。ランボーはスタローンでなく、詩人のアルチュール・ランボーのほう。いわずと知れた、天才詩人で、詩人ヴェルレーヌによって才能を見出され、いまにいたるまで多くの詩人たちに影響を与えました。それなのに、彼はハタチそこそこで筆を折り、あっさりと詩作をやめてしまい、その後、詩を作りませんでした。恵まれた詩の才能に全く拘泥せず、商人になり、武器も扱いながら、(そこそこ成功したようです)人生を終えます。ランボーが好きなダンナは言います。「世界中の詩人が嫉妬するほどの才能をもっていたのに、彼にとっては詩の才能は必要じゃなかったってことでしょ。もったいない話だけど、まあ、彼にとっては、たぶん商売のほうがおもしろくなっちゃったんだよね。もしかして詩人と呼ばれることは、本人はあまりうれしくなかったかもしれないね」うーん。「才能」って、なんなんでしょうね。ある人にとってはその才能が重荷だったり、才能ゆえに傷ついたり、天分に恵まれても、それが本人にとっては必要のないものだったり。あることが好きで、さらにそのことについて才能がある、というときは、とても幸せだと思いますが、残念ながらミスマッチ、という場合も少なからず、なのかもしれません。まったくもう。神様はいじわるだなあ、と思ったりもしますが。それから、ダンナは続けて、「自分は昔から音楽が好きで、ずいぶん聴いているつもりだけど、これは才能があるなあ、と感じるのは1割もないよ」と超ナマイキなことを申します(ミュージシャンのみなさん、ゴメンナサイ!)「9割は、きっと猛烈な思い込みや執念を持って音楽の世界にいて、音楽で飯を食ってる、ということなんだろうけど、それはそれでいいと思うんだよ。いいな、と思う曲もたくさんもあるし」私も、小学生のころから、小説家になりたいとほざいていて、長じて、小説ではないんだけど、なんのかんのとこの世界にしがみついて生きていきながら、いつもいつも才能がほしいと歯ぎしりしてきたものです。ものすごく強烈な才能があって、ランボーのように、若くして彗星のようにパッと光って、ぷっつりとその世界に背を向けてしまう、というのもかっこいい。でも最近は、あるかなきかの才能であっても、ねばっこく、いぶし銀のように鈍くしぶとくっていうあり方も、なかなか渋くて良いぞ、と、思うようになってきました。こんなふうに、才能がどうしたこうしたと年中上がったり下がったりしている私に、ランボーやら音楽やら、そのほかにもいろんな話をして、なぐさめてんだか、煙に巻いているんだかさっぱり分からないダンナの話の結論は、いつも同じで、「ま、好きなことを、やりたいようにやるしかないんじゃない。人生一度きりだし」なのです。そして、私は「そうだよね」と、とりあえずうなずいてしまうのですが。次の飲み会でカラオケに行ったときには、カムバックを祈りながら、鬼塚ちひろを熱唱しようっと。
2005.04.28
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その手にはのるもんかー、と思いながらまた買っちゃいました、「anan」。「そろそろ本気で SEXYな女」だって。思いっきりタイトルに既視感を感じたんだけど、松嶋菜々子ちゃんの目に吸い寄せられてしまいました。●「悪口」に惹き付けられる今号で面白かったのは、岩井志麻子さんのコラム、「オトコ上手」。HPのことを語ってるけど、これはブログのことなんじゃないかな。岩井さんは、「悪口」を書いているものに惹きつけられるといいます。「それも論理的な批判や冷静な苦言ではなく、攻撃的で私怨に満ちた悪口中心のもの」「好きなもの好きな人について語れば、無論その人の性格や嗜好や日々や垣間見えるが、痛々しく、あからさまにはならない。なのに、嫌いなものや人について語らせれば、あまりにも生々しくその人自身を語ってしまう」人の容姿を蔑むのは、自分が強いコンプレックスを抱えているんじゃないか、特定の職業の人に執着して馬鹿よばわりは、本人がその職業につきたかったからじゃないか……と。たしかになあるかもなー、と思いました。●好き? 嫌い?少し前に読んだ心理学の本に、人は、自分にある資質で、自分が良いなあと思っている部分を持っている人に好感を持つ。逆に、自分にある資質で、自分でも無意識に嫌だなあと思っている部分を表出している人を不快に思う(いわゆるシャドウってやつですね)というようなことが書いてありましたっけ。好き、嫌いって、奥が深いですね。岩井さんが書かれているように、「好き」よりも、「嫌い」のほうがあからさまにその人を語るというのは、よく感じます。赤ちゃんは、「好き」よりも、「イヤ」を先に覚えますし、強く激しく訴えます。人間が生き延びるために備わっている機能、と聞いたことがありますが、人にとって、「好き」の感情よりは、「嫌い」の感情ほうが本能に近いところにあるのかもしれません。恋愛にたとえて恐縮だけど、女性は、付き合っている人、好きな人のことを、「私、この人のこと、ほんとうに好きなのかな?」としばしば迷いますが、最初から嫌いと思っている人を、「私、この人のこと、ほんとうに嫌いなのかな?」と、迷うことってあんまりないように思います(このへんは個人差があるところですが^^)。●嫌いなことは、なに?私も、よくいろんなところで、「好きなことをしよう!」とか書いたり話したりしているけれど、じつは、「好きなこと」って、あいまいなものかもしれません。人間は好奇心の動物なので、たいていのことを「おもしろい」「楽しい」と感じる資質があるし、だれかが好んでやっていることにはそれが何であっても、なにかしらの喜びはあるもの。また、「好き」、という気持ちは、案外、世の中の価値観などの流行にも左右されます。でも、「嫌い」には、もっとパワーがある。誰がなんといおうと、嫌いは嫌い、みたいな。でも、大人になるにしたがって、私たちは、「嫌い」を上手に隠すことがうまくなる。赤ちゃんのように「うわーん、やだー」と泣くこともなく、そっとよけておく、とか。見ないようにする、とか。けれどそれは、岩井さんがいうように、コンプレックスの裏返しなのかもしれないし、あるいは、自分のなかにあるなにかのシャドウなのかもしれないし、もしかして、心や人生を守るカナリアのような役目をしているのかもしれない。好きなことを見つけたいなら、自分を知りたいなら、まず、自分が何が嫌いなのかに正直に向き合ったほういいのかもしれません。そして、嫌い、と思ったら、その理由はなぜなのかを一生懸命考える。「そろそろ本気で、『嫌い』に向き合おう」(なんだか、ananのもじりみたい?)
2005.04.23
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世界地図とにらめっこするような仕事に追われています。大変だけど、世界地図を見ているのは心がのびのびしてきて、心楽しいものです。学生時代に、しておいてよかったと心から思うことは、世界のあちこちを旅したこと。世界地図を見ていると、その国、その国の空気の匂いや雑踏、人の表情や衣服、食べ物の味、出会ったできごとが、ばあーっと立ち上ってきて、心が丸ごとさらわれてしまいます。時間と体力、柔らかい心があるときに、いろいろな国を体で感じておいて、ほんとうによかった。きっと、年頃になったら、子供にもすすめてしまうだろうなぁ。大学2年生のころ、アルバイトで家庭教師をしていた家のお父さんが、往年のバックパッカーで、若いころにした世界一周貧乏旅行のアルバムを見せてくれ、「どこでもいいから、若いうちに外国をみておきなさい」と背中を押してくれたのがきっかけでした。最初の外国は、いきなり、ロシア(当時ソ連)。とてもとてもシベリア鉄道にあこがれていたのと、シルクロードを見たかったのです。なぜ、アメリカやヨーロッパでなく、かの地を選んだかというのは、いろいろ理由はあるのですが、外国へ行くということに対して、かなり大げさな覚悟をしていて(なにしろ、外国は初めてですから)最初で最後かもしれない、くらいに思っていて、これを見なきゃ死ねない、くらいの場所を選んだというのがあります。「ドバッツァアジーン」……21歳になったばかりの夏、1ヶ月ほどの旅はまさに、私の世界観を大きく変える旅となりました。それから旅にとりつかれ、アルバイトに勢を出しては、インド、アメリカ、メキシコ、ブラジルと巡りました。当時、「地球の歩き方」シリーズが創刊されて話題になっていて、少し前には沢木耕太郎さんの「深夜特急」がベストセラーになっていたりして、HISが力を伸ばし初めていたおかげで格安航空券が手に入るようになって、円高で外国滞在がリーズナブルになり……いろいろな意味で世界旅行に追い風が吹いていて、私のような学生はあちこちにいたんですが。行っておいて、ほんとうによかった……と思う半面、ちょっと油断すると、どこか遠くから吹いてくる風に呼ばれてしまう。いまこの毎日も、いつもどこかへ向かう長い旅の途中のような気がして。若いころに一度でも、大地に体をこすり付けるような旅をしてしまうと、一生、旅人が心に居座り続けてしまうのかもしれません。どうやら、もう、永遠に大人にはなれなそうです。
2005.04.22
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いきなり元気モリモリ!というわけにはいきませんが、このごろ、ずいぶん回復してきたかなあ、と感じます。春とともに。自分にとって、正直、2004年度(年度、です)は、本当に大変でした。事細かに書くのは、今日は控えますが、体とか、心とかが、今まででいちばんキツい一年だったといえそうです。育児休業から職場復帰して、ちょうど一年が過ぎて、ようやくこのごろ、心が軽くなってきたような。久しぶりに泳いだときに、最初何往復かはとてもきついけど、ある瞬間、フッと体が軽くなるようなものかな。「折り返し地点」に来たのだとしたら、いいですが。(でもまた、だめだ~と倒れているかも)先日、とても久しぶりに泳ぎました。やはり、最初は、ちょっと泳いだだけで、ハアハア、と息が弾んで体がとても重い感じがしました。とても苦しくて、苦しくて。それが、ある点を過ぎると、フッと体が軽くなって、水が体になじんできて、スイスイと流れるような気持ちになってきました。そうなると、あとはもう、いくらだって泳げそうな気がして(って、そんなにたくさん泳げるわけではありませんが)……。黙々と泳いでいると、次第に心が落ち着き、雑念も遠のいていくようです。泳ぐのって、とてもいい瞑想法かもしれません。人間の体は、6割くらいが水分なのだとか。そもそも、10ヶ月も水の中に浸かって生まれてきます。泳いだり、お風呂に入ったり、なんでも水に触れるのは、気持ちがいいに決まってますね。落ち着かないときや考えがまとまらないとき、ちょっと、手を洗ってみる、顔を洗ってみるなど、水を触るというのは、よい方法かも。瞑想といえば、ちょっと前に「呼吸を学びたい」と書きましたが、少しずつ瞑想とか呼吸法の本を読んで、寝る前に練習しています。深く吸って、きれいに出して……を繰り返して、息を整えるのって気持ちいいですね。呼吸のたび、体じゅうに風が通り抜けていく気がします。水、風、ときたので、ちと強引ですが、「火地風水」を結びつけてしまうと、「火」は、情、でしょうか。感情だったり、人情だったり、熱く体のなかにほとばしる思い、のようなもの。ほどよく燃えていないと、体があたたまらず、エネルギーが出ません。だけど、コントロール不能になって、燃えさかると、大やけどしてしまいます。とてもいいものだけど、ときに、怖いものでもあります。じゃあ「地」は、というと、肌とか、肉とか、骨とか、毛とか、手足とか、私たちを支える土台。静かだけれど、手入れがとても大切なところ。日ごろからよく動かして、土を耕すように、柔らかくしていないと、すぐにかたくなってしまいます。火を心地よく燃やし、水や風をよく流し、土を耕し育てる。自分のなかの「4元素」をちょっと意識してみると、気持ちよく暮らせそうです。
2005.04.20
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どんなに肌にいいというふれこみの化粧品だって、気持ちの良さからいって、すっぴんでいるのにはかないません。毎日毎日、一日中お化粧のせて、帰ってきてクレンジングで落として洗顔。こんなことを繰り返していたら、肌はくたびれてしまうんじゃないかしら。お酒を飲まない「休肝日」じゃないけど、まる一日すっぴんでいる、「すっぴん曜日」をなるべくつくって、肌を休めたいな、と思うようになりました。素肌で風にあたると、とっても気持ちがいい。おしゃれもそう。きれいな服は大好きだけど、毎日毎日、意識してなにか「着よう」とするのは、少し、疲れるなあと思うことがあります。ストッキングって、ほんとうはあんまり好きじゃないです(小さな声で)。お化粧をして、服を着ているときの自分って、きっといつもちょっぴり緊張している。寝ているとき以外はみんなよそ行きの格好でいる日が続くと、知らず知らず、いろんなところがこわばってくるような感じがします。緊張と弛緩を、バランス良く繰り返したいものです。お化粧したあとは、すっぴんで過ごす。おしゃれしたあとは、洗いざらしのシャツでくつろぐ。だらーん、だらーん、だらーん。すっぴんで、着飾らずにいても、そのまんま受け容れてくれる人と、とりとめのない話なんかできれば最高です。
2005.04.19
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今日は、大きいことと、中くらいのことと、小さいことがあって、悩んだり考えたりして、たった1日なのに、半年くらい時が過ぎたような気がします。考えをまとめるにはまだまだ時間がかかりそうだけど、いまちょっと思っているのは、仕事とか何かのおつきあいとか、多少の距離感と緊張感のある人間関係では、結局のところ、「相性」っていうのがものすごーく重要な要素だなあということ。「好き嫌いをいうのは子供じみてる」「ビジネスの場で感情を持ち出すな」なーんていうけれど、結局、大人になろうが、どんな職業職種であろうが、偉くなって部下ができようが、人間なんて、好き嫌いがある生き物なのね。その表し方に個人差があるだけで。これはおもしろいなあ、と思うのが、どちらか一方が好感を持っているときは相手もそうであることが多く、どちらか一方があまり好きでないと思っているときは相手も同様に思っていることが少なからずあるなあ、ということです。以心伝心なのか最初から運命づけられているのか、なにかの反応とか作用なのかは分からないけど。なので、自分が好き!と思える人とは、まずは安心してつきあっていいし、どうも苦手だなあ、と思う人とは距離をとっておいて正解かも。そして、お仕事のときにこそ、役職だとか、経歴だとか、出身だとか、評判だとか、自分にとって得だとか損だとか、とりあえずそういう条件的なことは一切おいておいて、動物的カンとか原始的な脳をフル回転させて、自分的に素直に正直にその人を見て感じて、好きになれるかどうか? 好きかどうか?を考えたほうがいいのかもしれません。気持ちの良い人と組んだほうが、安全だし確実だし、なにより楽しいし、よい結果が得られることが多いし、「どうしても何かひっかかるナ…」というときは、あとになって「やっぱり」ということがありがちなので、それが小さくてどうでもいいようなことでも、見ないふりはしないほうがいいように思います。まあ、だいたいにおいて、人は、無意識にこれをやっていて、「気づくと相性の良い輪ができている」ということが多いものなんですけれどね。ただし、この相性を見抜くカンのようなもの、なぜか恋愛には効かないのが、ふしぎなところ。周りをみていると、もともとは全然相性が良くなさそうなのに、嵐の夜に二人でどこかに閉じこめられて愛がめばえちゃうとか(なんつーたとえだ)、いっけん相性が良さそうなのが近づきすぎて愛が憎になるとか、逆に、憎のはずがそいつのこと考えすぎて愛になるとか、そんな錯誤が少なからず、あるようです。恋愛は、人間関係のなかの富士の樹海のようなもので、磁石の針が効かなくなっちゃうのかな。
2005.04.16
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続きです。マドレボニータさんが西洋占星術師ジョナサンケイナーのお話を引きながら(私も大好きです!)書かれていますが、>でも、近くにいる人にとっては大問題でも、>大きな視野でみると、実はすっごくちいさなパスルのピースにすぎなくて。>でも、小さいからといって、それが欠けてしまってはいけないわけで。>だから、>卑屈な意味でなく、俯瞰でみたら小さなことを自分はやってるっていう自覚って>必要だなとおもいます。>小さいけど欠けちゃいけないっていう認識も。この透徹した視点こそ、とても大切なものだと思うのです。一人一人のやっていることは、本人にとってもおおごとかもしれないけど、実はそれほど大きくない。宇宙の星々から見れば、1000億円稼ごうと、1時間500円でも、人間の一生なんて、きっと、たいした違いはありません。と同時に、この宇宙のなかに生まれおちてきたことは奇跡に違いないし、いまこの瞬間に、自分のなかに揺れている意志には、なにか意味があると思ってみてもいい。傲慢になるのは恥ずかしい、かつ、卑屈になることはぜんぜんなく。心から好きなこと、やっていて楽しい、と思えることを、いささかの気概を持ってやれれば、それはほんとうに幸せなことだと思うのです。あらあら、シッターさんの話から、いつのまにやらずいぶん飛んでしまいました、ごめんなさい(((((^^;ここまで読んでくださったかた、ありがとうございましたm(____)m
2005.04.15
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ベビーシッター料金についての拙日記に、たくさんのコメントをありがとうございました。私は毎週忙しい日というのがだいたい決まっているので、定期的に保育園のお迎えから夜12時まで頼んでいるのですが、こんな時間に二人分、保育園のお迎え~シッティングを頼むと、これは、はっきりいって安くはありません。でも、それはお仕事をするうえでの必要経費であるし、高いなりの期待(サービス、保障、なにがしかの安心など)もあるので、しかたないかなあと思います。日本は人件費が世界一高い、という事情もありますし。あと、会社からベビーシッター補助がもらえるところは協会に所属する企業形態のところなので、いきおい、大手に頼らざるを得ないとうのもあり。実際来てくださるシッターさんはみなさん良いかたばかりで、私も安心して子供をお任せすることができました。それは本当にありがたかったと思います。なので、これまでとくに疑問を感じることなかったんですが、自分の感覚では、支払っている6、7割、せめて半分くらいは、実際に子供を世話してくれるシッターさんの手にわたっていると思っていたんですね。それが、伺ったシッターの時給は、3分の1……。2個所バラバラの保育園へのお迎え、着替え、おやつにお風呂、おしめかえに歯磨きに寝かしつけ……。抱っこもせがみますし、わがままを言うこともあります。重労働なうえに、深夜勤務です。自分より年上の、時には保育のベテランの人を、そんな値段でお願いしていたのかと思うと、シッター会社に憤ったという以上に、もうしわけない気持ちでいっぱいになりました。それで、いきおいあまって、前の日記では、派遣、という業務形態にまで疑問の目を向けてしまったというわけです。でもそれは、われながら、いささか極端でしたね(^^;。。。ただ、このできごとは、世の中の儲けのしくみみたいなものをちょっと考えさせてくれる良いきっかけにもなりました。ちょうどいいのでベビーシッター派遣会社を例にとりますと、ベビーシッターあっての派遣会社であり、一番大事な「生」の部分はシッターさんがやっているわけですが、その上にたくさんの人が乗っかっています。おそらく、シッターさんよりは、シッター会社の社員の人のほうがお給料は高いでしょう。そしてそこの社員よりも社長の方がもらっているでしょう。もっといえば、会社を経営するよりは、会社そのものを売ったり買ったりするほうが儲かるかもしれませんし、さらにいえば、そういう人たちにお金を貸す仕事や株公開ビジネスみたいなのほうが、もっと儲かるのかもしれません。実際の現場が、シッターさんと子供とすると、どんどんそこから離れて、その構造の上に行くほどお金がたくさん集まる仕組みになっていて、だから、ほりえもんさんなんかは、雇われるより雇う立場になるほうが儲かるんだから、会社を作ればいい、と薦めています(しかし、そういうの、ライブドアの社員はどう思って聞いてるんだろうナ??)。それは、いい悪いではなく、資本主義という仕組みなんですよね。そしてこのしくみのなかでは、お金を動かすということは、人を動かすということであり、お金と同時に権力もくっついてくる。とはいえ、じゃあその構造の上のほうへいけば幸せになれるのか?というと、またそれは、ゼンゼンちがう話なんだと思います。くらたまさんが、「『女は金についてくる』っていう人がいるけど、それは金についてくる女がついてくるだけなのよ。すべての女じゃない。少なくとも過半数じゃないね」と喝破していたけれど、その伝でいけば、『お金で買えないものはない』んじゃなくて、『お金で買えるものが、お金で買える』っていうことなのでしょう。『権力で動かせるものが、権力で動かせる』とか。やっぱり、いくらお金を出しても、権力を使っても、手に入らないもののほうが人生には多くて、大切なものほど、そうだったりして。なので、自分はどう生きるか、自分はなにをするのが好きなのかを考えて、自分の好きなことが、そのしくみのなかでは大きなお金を稼げるポジションじゃなくても、それでいいんじゃないかな、と思います。実際に子供と触れ合えるシッターさんがお仕事としては一番楽しいのかもしれませんし。好みの問題ですね。ただ、やはり、こういう構造が世の中に存在するということも、頭にいれといたほうがいい、というのもこれあり。お金のあるところには権力があるということは、つまり、権力を持っている雇い主が私たちの賃金を決めるので、私たちの賃金の多寡は雇い主に握られています。そして、私たちの雇い主の利益は、ある意味で私たちが損をしたほうが増えます。とはいえ、会社に利益が出ていないことには私たちの賃金も出ません。なので、そのなかで働く側は、割り切って働きつつも、つねにきびしく見る姿勢はあったほうがいいと思います。おかしいと思ったら、今の世の中、反乱する方法は、案外、いろいろあるもので。私のシッターさんのようにお客さんと直接契約してしまうというのもそのひとつだし、もっと条件のいい派遣会社に移ってもいい。そのためにつねに自分を磨いておくというのはとてもいいと思います。いっそ自分がより良い会社を立ち上げる、というのもいいかも。あと、一人一人は弱い立場でも、まとまれば強くなるというのは、近代の発明です。古くは一揆や労働争議、最近なら組合とか。今後、フリーの形で働く人が増えてくれば、ドイツなどのような、広い同業者による組合のようなものもできてくるのではないでしょうか。日ごろから意識して、横のつながり、ネットワークをつくっておくというのも、いざというとき自分を守ってくれる弁になってくれそうです。ブログの広がりなんかにも期待です。(つづく)
2005.04.15
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