こっぱんの日記

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2024.11.25
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今日は、午前中は、あべの月曜講座に出席し、午後は住之江公園へ行った。

あべの月曜講座の今日のテーマは、「なにわ大阪を創った人物像」の4回目で、「初期の豪商ー淀屋・住吉屋の活動」と題して、大阪歴史博物館館長の大澤研一氏から話を聞いた。

淀屋は出身は京都の淀らしい。時は豊臣期、初代常安(1557-1622)は淀から大坂に出て、現在の淀屋橋付近で木材や米の取引で財をなす。二代言当(1576-1643)は徳川初期の大坂の街づくりに尽力、財を増やす。文化人でもあった。三代箇斎(1606-1648当)、四代重当(1634-1697)と続き、五代広当(1682-1718)の1705年に閾所(家の取りつぶし)になる。原因は不明だが、その目に余る豪奢ぶりに反感を持たれたものと考えられる。家は断絶、財産は没収され、手代などは死罪になった。本家淀屋はここで滅亡。

四代重当が先行きを危ぶみ1682年、番頭の牧野に暖簾分けをして、倉吉に「倉吉淀屋」を創設。その三代目の四男次郎右衛門が1763年大坂に出て、元の淀屋の地で暖簾を上げ淀屋を復活させた。

住吉屋藤左衛門の出身は大坂住吉の安立町。豊臣期~徳川初期に柳川の大名立花家の御用を務めた町人。関ケ原の敗戦ののち、立花宗茂は柳川を没収され、住吉屋に逗留した。のちに宗茂は柳川に帰るが、大坂での屋敷を安価で引き取る。藤左衛門は、大坂城の仕事にも従事し、町の町年寄を経て惣年寄を務めた。住吉屋のその後の活動は不明。

写真は講義の模様。レジメ表紙、講義の模様、淀屋屋敷跡碑、淀屋関連地図、淀屋辰五郎(言当)、倉吉淀屋、住吉屋関連地図、立花宗茂像、柳川


住之江公園へはこれまで行ったことがなかったので行ってみたが、今日は、モミジバフウの紅葉がきれいであった。園内に数十~百本近く植えられている。天辺から順に紅葉するので、目線の高さはまだ緑色のままだった。数日もすれば、全体に紅葉して、素晴らしい紅葉に染まる野であろう。





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Last updated  2024.11.26 12:33:46
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Comments

山ちゃん@ Re:妻の病院行きに付き添う(08/02) 奥様の介護大変ですね。 ブログ見さしても…
小林嘉雄@ Re:午前月曜講座、午後服部緑地へ(11/28) 最後の花は、キダチダリヤといいますが、…
ガーゴイル@ どこのドイツ 岸一族は安倍晋三の一族ではなく安倍晋三…
rosemarygarden@ Re:一日中家で過ごす(05/16) らくだがどうしても見つかりません ヒン…
rosemarygarden@ Re:拙ブログアクセス延べ200万突破(04/22) 200万達成おめでとうございます!!! 大…

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