2005/03/21
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カテゴリ: 国内小説感想
 車谷長吉第一作品集。この一冊で著者は藝術選奨文部大臣新人賞、三島由紀夫賞受賞。出版されたのは1992年だが、収録作品のうち一番古いのは昭和47年のもの。昭和? と驚いた。小説家の経歴にはあまり興味がないので、著者略歴もろくに見てこなかったが、よく見ると昭和20年生まれとある。今年で60歳。40代くらいと思い込んでいた。
 都会風暗めの恋愛小説『萬蔵の場合』が浮いて見える。やはり真骨頂は、自身を、家族を、冷徹な目で捉えた『吃りの父が歌った軍歌』『鹽壺の匙』。これらを書いたことにより『抜髪』での母の呪詛が生まれた。他人を傷つけ自分を傷つけ書き続ける私小説に、ついていけない時もある。それでも、私には足りない何かを掴み取る為、読んでいる。



「僕も言葉が欲しいわ」
 私は思わず弟の顔を見た。弟の目には光がなく、何か隠したように私を見ていた。
「分ったんや」
「何が」
「このあいだ来たあいつ、ガザニガ、あいつが日本語喋るん聞いとって分ったんや、自分がなんでアメリカ行ったんか、言葉が欲しかったんや、英語で自分のこと何でも喋れたらええやろ思て」
「そうか」
 と私は意味のないような相槌を打ったが、言葉が欲しい、というのは、淋しい言葉だった。それで、と問い掛けたかったが、この弟の言葉は昨日や今日のことではなく、余程根の深い傷を負ってのことの相違なかった。とすれば、私が土方の手紙に何か心を引き立てて呉れるものを期待した以上に、弟は私に慰めの言葉を期待してこんなことを口にしたに相違なかった。恋ノ浜へ行った夜、弟の体から伝わって来た無言の言葉が、再び私に伝わって来た。私は困惑せざるを得なかった。言葉というのは自分の中に生み出す他にないものだ。

『吃りの父が歌った軍歌』より



 言葉というのは自分の中に生み出すしかない、しかし生み出した言葉が全て自分の言葉らしく思えるとは限らない。人の影響から抜け出せば立派な自分の言葉になるというわけでもない。限らない、わけでもない、分からない、を繰り返しながらも、書き続けなければ答えには近付かない。似非求道。



語ることはあばき出すことだ。それは同時に、自身が存在の根拠とするものを脅かすことでもある。「虚。」が「実。」を犯すのである。だが、人間には本来存在の根拠などありはしない。語ることは、実はそれがないことを語ってしまうことだ。だから語ることは恐れられ、忌まれて来た。

『鹽壺の匙』より



『赤目四十八瀧心中未遂』で印象に残ってる場面がある。「私」の雇い主である、元パンパンで焼き肉屋の女主人が、古い歌を「私」に唄い聞かせる。いつもは言葉をほとんど交わさない二人であるが、次に会った時「私」は、こないだの歌、良かったですよ、というようなことを言う。「良かったのなら、なんで黙っとかへんのや、言うてもうたら、それでしまいやないの」と老女は怒る。老女の怒る理由は分かるようでいて分からない。答えの一つは上記の文章であるかもしれない。



 詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私小説をひさぐことは、いわば女が春をひさぐに似たことであって、私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じつづけて来た。併しにも拘わらず書き続けて来たのは、書くことが渡しにはただ一つの救いであったからである。凡て生前の遺稿として書いた。書くことはまた一つの狂気である。

『あとがき』より



 二十数年かけて一冊の本。狂気なしでは耐えられない世界である。


新潮社  1992年





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Last updated  2012/04/14 11:35:59 AM
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