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私がこの日記を始めたのは6年目前の6月でした。始めてすぐに息子1の様子がおかしくなり、中学1年で不登校になりました。それから、6年、不登校から普通高校に進むけど続かず、通信制高校へ、そして、この春、通信制高校から指定校推薦で大学に進みました。今、息子1は1人暮らしをしながら、大学に通っています。明日、引っ越すというときまで、ほとんどの時間を家の中で過していたので、本当に新しい生活に旅立っていけるのかと不安でした。でも、遅い時間から、ほとんど引きこもっていた自分の部屋の大掃除をはじめ、当日には綺麗にして出かけて行きました。中学へ行けなくなって、6年間ほとんどの時間を過した部屋でしたが、もう出て行かなくてはと決心を決めていたのだろうと思います。6年間、私も悩み苦しみました。今、ずっといた息子1がいなくなり、狐につままれたような感じです。ただ、私立大学への進学は我が家には見合わないお金が必要です。息子1の成長を楽しみに、日々働いています。
2009/06/14
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ほとんど更新しない日記にコメントくださった、happymamaさん、kazuminさん、れいんぼーままさんありがとうございます。息子1は、指定校推薦を受け、合格しました。先日は、1人暮らしのアパートを捜しに行ってきました。中一の不登校から、通信制高校と、6年間ほとんど家にいました。最近では、自動車免許も取得し、アルバイトも続けていますが、やはり、普通に中学、高校と通った子よりも断然お家にいる時間は長かったです。親として、学校に登校できない子供と過す時間は正直楽しい時間ではありませんでした。私の子育てが悪かった・・・懺悔の気持ちの強い日々だったけど、密度の濃い時間を過し、私の伝えたい事は、たくさんの言葉で伝えることが出来たと思います。これからの1人暮らしの中で、辛いとき、寂しいとき、母ならこう言うだろう、こうするだろうと、思い出し、少しでも力になれたらと祈ります。ただ、一番心配なのは私。あまりにも、息子1との時間が長すぎて、子離れは今からの私です。
2008/11/19
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夏も終わり、すっかり秋です。息子1は、無事自動車免許も取得し、以前より少し自由に動いています。自由にとは言っても、行くところと言ったら、釣りとTUTAYAくらいかな?でも、雨の日に電車で私が帰って来たら、頼んでも無いのに、駅まで迎えに来てくれたりして、助かってます。息子1の進路ですが、専門学校の説明会に行ったり、大学のオープンスクールに行ったりしました。結局、大学に行くようで、高校の指定校推薦に申し込むようです。申し込んだからと言って、選ばれるとは決まってないけど、高校の勉強も通信でしかしていないし、自力で試験受けてというのは、難しいかな?と考えてのことです。とにかく、息子も同級生に友達いないし、私も息子の不登校以来、同級生の父兄とはあまりしたしくしていなので、あまり、進学についてよくわかりません。指定校推薦に決まったら、絶対受験、入学してください。途中でやめないでください。と、高校の進路指導部から言われ、ものすごく不安で気弱になっている母です。
2008/09/29
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息子1はなんとか仮免を取得し、路上教習です。怖い教官がいると、なかなか前に進めなかった息子1。なんでもっと楽に生きられないのかなーと思ったけど、みなさんからコメントいただいて、息子なりのペースで以前のようには逃げないで、少しづつ前に進んでいることを感じることが出来ました。今は、日々路上教習の大変さを聞かされる毎日です。でも、自分なりに計画を立て、相変わらずの昼夜逆転のような生活なのに朝起きて、出かけています。精神的なものと、寝不足と、バイトが温浴施設なのとで、体重が3キロ減ったそうです。体脂肪なんて、計測不能だそうで、たまたま計れても、3%とからしい・・・。私と一桁違うんですけど・・・。生活リズムの改善をうるさく言ってるんですが、直らないですね。私なんて、息子2の弁当作りで5時起きなせいか、眠くて10時ごろには寝てしまうのに、息子1は、そのころバイトに出かけ、深夜帰宅し、それから朝方まで起きてる様子。だから、自動車学校から帰宅した夕方からバイトまで寝てしまうんですよね。変則てきな昼夜逆転なんです。
2008/07/24
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息子1を見ていると、もっと楽に考えたり、行動できないものかと思います。冬から始めた、温浴施設のバイトも続いているし、春には、釣りでいろんなものを釣って来てくれて、家族を楽しませてくれました。そんな彼が、少し前から元気がない。しばらくは、話す元気も無いようだったけど、少しづつ話を聞いていると、通っている自動車学校の先生もいろんな人がいてものすごく褒めてくれる人もいれば、めちゃくちゃ怒る人もいるらしい。怒られることにすごく恐怖を感じる様子の息子1。ひきこもって、不登校になってしまったのも、野球の監督から、連日怒られ続けたのがきっかけ・・・トラウマになっているのかなー怒られるのが嫌だから、コースとか完璧に覚えないといけないと思ってて、なかなか前に進めない。優しい先生は、一度コースを一緒に確認しながら走ってくれるらしいけど、厳しい先生は覚えてくるのが当たり前で、間違えると「なんでそこはいったかなー」と怒鳴るようにいうらしい。そんな先生私も怖いけど、息子1だってこの6月に18歳になって立派な大人の男やん。そんなの気にしないで、どんどん行けばいいのにーと思うのです。部屋に行くと、ノートに細かく、何を目印にとまるとか、発進するとか書いてある。自動車学校でこんなに、神経質にやってるやついねーよーと思う。言っても直らないし、やっぱりこの子は、一生こういうふうにしか生きられないんだなぁ。と私も少し落ち込み気味。
2008/07/15
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昨日、ネットのニュースで川田さんの自殺のニュースをしりました。川田さんの出演されていた、「がっちりマンデー」は好きな番組で、よく見ていました。とても明るい印象だったので、ショックです。今朝、早朝からワイドショーを見ていた息子2が、台所でお弁当を作っていた私のところに来て「川田さんの自殺知っとる?」と聞いてきました。登校準備をしながら、ワイドショーを見ていた息子3はそのニュースが流れると、無言で私の顔をみました。子供たちにとってはそんなに知らないアナウンサーかも知れませんが、自殺というニュースは、ショックなんでしょうね。ブログも拝見しましたが、落ち込んだり、元気になったり、勝手な考えですが、欝状態だったんじゃないかなと思いますね。早く治療できれば、良かったのにと思ってしまいます。ご冥福をお祈りいたします。
2008/05/27
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パソコンを教える仕事はやっぱり好きになれません。自分でもなんでだろう・・・と考えるけど。。。何度かここでも、書いて、勇気つけてもらったし・・・。人を楽しませたり、笑わせたりするの好きだし、人前で話すのも苦じゃないんです。だから、講師の仕事も向いてないわけではないと思う。以前、ここで愚痴ったときも、私に任せられるから、先輩講師も生徒さんを任せるんだと言っていただき、目からうろこでした。でも、分かった上で、やっぱり好きになれないです。講師の試験を受けて合格したわけじゃない。好きでパソコンしてて、検定試験はたくさん受けて合格しただけのこと。ただのパソコン好きの検定おたくなんですよね。簡単な気持ちで、教室のお手伝いなんて引き受けて、いつのまにか、初心者クラスはメインで講習するようになって・・・いろんな人を相手にするようになって、気づきました。私、器小さい・・・。生徒さんから見ると、コロコロ太った、明るく元気な声の大きい先生に見えるかもしれませんが・・・別の生徒さんに説明しているのに、分からないことがあると、必死に私を呼ぶKYな人、ミスすると「チェッ」と舌打ちする人、ちっとも自分で問題を読まずに、「次はどうするんですか~」と聞く人。心の中で、「もぉ~嫌や~」って思ってします。嫌やって、思いながらも、何日も前から、どんなことをしたら喜んでもらえるか理解してもらえるかって、考えないといけないし・・・。今日も、夜講習があると思うと、ものすごく憂鬱・・・。ものすごい愚痴日記で、すんまそん。
2008/05/22
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今日は、急に暑くなりました。道路の温度計は31℃でした。日記を書かない間に、季節は春から夏になろうとしています。息子1は、アルバイトを続けながら、最近は自動車学校に通い始めました。行き始めてすぐにゴールデンウィークになってしまったのですが、息子1が何か始めるときは、今でも心配で心臓がどきどきします。中学へ行ったり行かなかったりした日々、まったく行かなくなってしまったとき。普通高校へ通い始めたけど、だんだん行けなくなってしまったとき。そのときの気持ちは忘れたり、なくなったりしません。去年の夏のアルバイトも最後まで続けることができたし、今のバイトもなんとか続いているし、彼なりに外に出て、人とかかわっているのに、また、行くの嫌だっていいださないか、行こうとしても、行けなくて悩むんじゃないか今でも、彼が何かを始めるときは心配してしまいます。息子2は、高専で野球部に入りました。高専に行くと本人が言い出してから、野球のことは期待していなかったのですが、野球に力を入れている高校とは違いますが、やはり一応高校球児部活に入ると帰宅も遅くなり、疲れて、寝てばかりです。厳しいといわれる高専の勉強ですが、ちっともやっていないし、野球しに高専行ってるみたいになっています。相変わらず私は、子供たちの心配ばかりしながら、毎日を過ごしています。
2008/05/04
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息子2が春休みにディズニーに行きたいというので行ってきました。息子2も高校生、息子1は来年、無事高校卒業資格をとれると、進学?就職?家族旅行ももうそんなに行けないかな?と思い、お金もないのに出かけました。前に行ったのは、息子1が小学生のころ、飛行機で行きましたが今回は車中泊しながら、車で行くことにしました。高校生2人とでかい小学生と大人2人の計5人の車中泊はキツイ・・・途中酸欠になりそうでした。でも、車中泊のおかげで?初日のシーのスタートは最高で、午前中にほとんど目当てのアトラクションに乗れました。2泊目からはもちろんホテル・・・。夢のような日々でした。でも、それ以上にうれしいことが・・・。不登校だった息子1は中学の修学旅行に行けませんでした。中学の修学旅行は、東京方面。行けなかった当時は、不登校の先輩の親の方から、家族で修学旅行のコースを回ったと聞いて、息子1にも提案しましたが、断られました。その後、時間もたち忘れていたのですが、東京タワーやお台場のフジテレビを見て感動する息子1を見て、「あ、そうだった!この子始めてなんだ!!」と思い出しました。昨年来たばかりの息子2の「富士山の大きさは半端ねぇぞ」と、余裕な感じと対照的に、息子1は幼い子のように喜んでいました。なんだか、忘れ物を取りに行けた気持ちです。アトラクションが苦手な息子1は、シーでむりやり、激しい?アトラクションに乗せられて懲りたのか、私たちがランドに行った日は一人で、幕張に買い物に出かけてしまいました。息子2の提案で、結構お金的にも時間的にも無茶をした春休みの旅行でしたが、それ以上の楽しく嬉しい経験が出来ました。長時間の運転に耐えた、旦那様にも超感謝です。
2008/04/07
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合格発表の時間。高専のホームページを開く手が震えました。番号をスクロールしていくのも、息子2の番号にたどり着くまでなんども恐ろしくて止まってしまいます。「あったー」一人で大声で叫んでしまいました。喜びをかみしめるまもなく、中学校へ行き、県立高校への願書取り下げの手続き。(中学校からその日のうちに取り下げるように言われてました)そのとき職員室に泣きながら入ってくる生徒がいました。不合格だった子。昨日までの息子2の様子だと、この子のようになることばかり想像してました。まったく他人のこととは思えません。中学3年の男の子が肩を震わせてなく姿は、よそのお子さんでも、抱きしめてあげたいくらいでした。高専に行きたいということは、息子2もそうですが、「○○」をしたい!なりたい!と思っている子が多いと思います。それだけに、夢破れたような気持ちになります。息子2は、合格を喜ぶとともに、しっかりと高専で自分の学びたかったことを学んで行ってほしいと思いました。
2008/02/28
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息子2は、県立高校の受験より、一足早く、国立工業高等専門学校を受験しました。私は、フツーに県立高校を受けるものだと思っていたのですが、12月の3者面談を目前に「高専」を受けると言い出した。県立高校は、田舎でも近くに数校あり、レベルもいろいろだから、担任の先生からは「どこでも行けますよ」といってもらっていましたが・・・工業高等専門学校は、田舎の県立高校に比べれば、倍率高く、担任の先生からも、「息子2君でも、安心できません」と言われました。日曜日の受験の結果は、思わしくなかったようで、合格発表は明日ですが、息子2の落ち込みは激しいです。私は、県立高校もあるのだからと思うのですが、本人は、情報系の専門科に進みたいらしく、「落ちれば、俺の人生が変わってしまう」と言います。とにかく、結果がでるまで、励ましも、慰めも、できない状態で・・・。親としても、苦しいです。この時期、高校受験、大学受験(田舎ではないけど中学受験)心配して苦しい親御さんも多いんでしょうね。
2008/02/26
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探していた息子1のアルバトが見つかりました。近くの温泉施設の掃除。夜の10時閉店なので、9時半から掃除に行きます。なので、帰宅は深夜になります。どうせ、もともと昼夜逆転みたいな生活だったので、翌日、昼まで寝ていても、本人も私?も言い訳になって良いです。男の人は、息子1だけのようで、おばさんたちは、とても親切にしてくれるそうです。今、流行?の岩盤浴の石ならしなんかもやっていて、尋常じゃないほど汗がでるそうです。不登校から、通信制の高校で、とにかく人と接することが少ないので、深夜、おばさんたちとでも、接して、いろんな体験してくれることは嬉しいです。
2008/02/12
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通信制高校2年の息子1の冬のスクーリングが終わりました。普段ずっと家にいるけど、通信制ということで登校する必要ないので、不登校だったとは、過去のことのようですが。。。いざ、スクーリングで登校となると、体調が悪くなったり、神経質になったりして、あ、まだ回復していなのか・・・不登校のときのままなのかなぁと、悲しくなります。数日前から、ろくに食事も出来ず、最悪の状態で出かけましたが、なんとか無事に終了しました。しんどい思いして出かけた分、得るものも多かったようで・・・帰宅してからは、バイトすると、バイト探しをしています。夏はアルバイトしていましたが、そのお金が底をついたみたい。お金が無くなったら、バイトして自分の欲しい物を買う。働くことの、基本ですね。でも、田舎の冬の季節・・・なかなか仕事がありません。年齢も学歴もとわれない仕事はなかなか無いんだということを知るのも、良い経験ですね。
2008/01/19
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11月30日の日記にお仕事の悩みを書きました。今年ずっと、お腹の中にあって苦しかったこと。でも、コメントと下さったanne03さんとmiyabi28さんのおかげで、憑き物が落ちたように楽になりました。私が自分の意見を言い続けたことで、教室と距離を置くことになってしまったこと。お仕事が減ったのは、教室側が私の意見を聞こうとすれば当然のことなのですが、距離ができてしまった感じになったのは、お世話になってきた教室の関係者の方々に申し訳なく思うとともに、わがままな、使いにくい人との印象を与えてしまったと気にしていました。私の世間知らずなお仕事ぶりをここに書くのは、恥ずかしかったのですが、書くことで、吐き出せて少し楽になったなぁ~って感じていたのに、めったに書かないのに、読んでくださって、コメントくださったみなさんに感謝です。ありがとうございます。
2007/12/04
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もう、今日で11月も終わり・・・。あっという間でした。一年ほど前から始めた、パソコンを教えるお仕事。自分のスキルアップのために、検定うけたり、そのための勉強するのは本当に楽しい。でも、人に教えるというのは、私にとっては大変でした。私を講師にと誘ってくれた、ベテラン講師さんは、ベテランゆえの自信と慣れのせいか、私にはどうしても理解できない所があります。急に外部での講習が入ると、教室の生徒さんを私に任せて行ってしまうのです。私が教えられるのは、まだ基礎レベルの人たち。その他の生徒さんには、自分がいないときは、プリントでもやっておいてと言うのです。外部の講習とは、町からの依頼で、小中学校に行くのもから、有名な大きな会社からの依頼で、公務員の方たちへの講習などさまざまあり、田舎で数少ないベテラン講師さんとなると引っ張りだこのようです。なので、ベテラン講師さんが教室を空けることが多々あり、主婦の方が、高い授業料と、忙しい時間を割いて来てくれているのに、その日の授業がプリントだけということが何度もありました。私は申し訳なくて、本当に嫌でした。私は、教える立場にいても、まだまだ新米ですし、ベテラン講師のように自信もないので、どうしても、生徒さん側の気持ちになってしまいます。ベテラン講師さんに言っても、わかってもらえず、教室を経営している会社側にいってもベテラン講師さんを全面的に信頼していて、私が講習をしたくないからわがままを言っているようにしか受け取ってもらえませんでした。私は、世間しらずで、世間では私のようなものをわがままだと言うのかもしれません。でも、私も譲れず、「急に、プリントだけの教室を任されるのは嫌です」と言いつづけました。その結果、どんどんお仕事はへり、週に2教室だけになりました(^_^)主人は、なんでそれでもつづけてるんだといいます。私は、「私がここまでスキルアップできたのは、教室とベテラン講師さんのおかげ、 意見が合わずに、干されてしまう寸前だけど、2教室でも任されているのなら、 終わるまでちゃんとやらんとあかん思う。それに来てくれている生徒さんに 私の教えられることを精一杯教えてあげたい」と言いました。私が教えられることなんて、ワードやエクセルの基礎レベルだけなんです。でも教えた生徒さんが、子供会の案内やら、少年野球の会計報告やら、年賀状なんかを、自分で出来るようになりましたと、見せてくれると本当にうれしいです。世間にでるのは本当に大変です。今年も良い勉強ができました。ありがとうございました。
2007/11/30
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昨日は、18回目の結婚記念日でした。いつもより早く帰宅した夫とケーキを買いにいきました。私は、普段から夫のことを「神様からの贈り物や~」と周りに言っています私が以前働いたコンビニでは、旦那様のことを「宝くじに当たったようなもんや」とおっしゃってた方もいらしたので、最近はそれも使わせていただいたいます息子1が産まれたときから、一緒に子育てしてくれて、家事もなんでも手伝ってくれて、仕事は愚痴も言わずがんばってくれる。百点満点だと思います。18年間いろんなことがありました。夫自身が、原因不明の体調不良で、数ヶ月まともに仕事に行けない時もありました。夫婦で、いろんな病院にいきましたが、原因がわからず、結果精神的な不調だろうと、神経内科のお薬を飲み少しづつ回復していきました。まわりからの、怠け病なんじゃないか?という目が辛かったです。そして息子1の不登校まず、私がショックからうつ状態になって。。。そんな私を置いて仕事には行けないと、何日の仕事を休んでくれました。夫や他の子供たちにこれ以上心配かけてはいけない。。。。それが、私の立ち直る一番の力になったと思います。今、息子1は通信制高校ネットで勉強する他は、ほとんど家で過ごします。このままでいいんだろうか。。。。心配はつきません。夫は、家事も育児もろくに出来ない私に文句をいったことがありません。洗濯も料理も器用な夫のほうがうまいんです。結婚して、どんどん大きくなる私にも、やせろとかきれいになれとかも言いません。ただ、私が泣いたり、落ち込んだりすると「元気でいつでも笑っていてほしい」といいます。私は「不器用でなぁ~んにも出来ひんし、子育ても息子1を不登校にしてしもて上手にできひんかった。でも、お父さんは私をなんにも責めへん。でもいつも笑っとらなあかん言うてくれる。それだけいつも言うてくれる。それやったら私がんばっていっつも笑っておるわ」と言いました。私は夫に感謝することばかりですが、その反面、夫はこんな私のどこが良くて、一緒に居てくれるんだろう?と思うことがあります。だからせめて、夫の言ってくれる、いつも笑顔でいたいと思っています。
2007/10/23
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サボっているうちに秋になりました^_^;この夏、息子1はアルバイトがんばりました。毎日、朝8時~夕方5時まで、キャンプ場でのアルバイトです。県外どころか、海外の人たちとも接して、いろんなことを学んでくれたと思っています。バイトが終了すると、また元の、半昼夜逆転生活です。午後からの、パソコンでの通信高校のライブ授業に間に合うように起きてきます。息子2は、野球生活も終わり、一応受験生です。担任からは、近くの高校ならどこでも行けますと言ってもらってます。安心して?勉強はしていない様子です。学力的には、どこでも選べる状態ですが、野球部をどこにするかを考えると悩むところです。本人次第なんでまかせてあります。息子3は、一応スポーツ少年団で野球を続けてはいますが、夏は暑くて行きませんでした。久しぶりに今週参加したら、突き指をしました。野球も中心でやってきた兄ちゃんたちとはタイプがぜんぜん違いとまどっています。スマートに器用になんでもこなした息子1はちゃめちゃだけどやる気まんまんな息子2比べちゃだめだけど、息子3は一番私に似てしまって、スマートさも、やる気まんまんもありません。ここ数年、息子1のことが自分の中で大きくて、息子3は、保育所の年長から小学校低学年の間はほったらかしでした。気がつくと、あちゃーって感じで・・・ここのところ、「もっと、自分に厳しくしなさい」とか「なんでも、面倒くさがってはダメ」とか急にうるさく言ってしまっている私です。優等生タイプだった息子1の子育ても結局不登校にさせてしまったし、何もできない息子3のことで悩んで考えてもたいした子育てできないけど、グジグジ考えてる今日この頃です・・・。
2007/09/12
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息子2の中学野球が終わりに近づいています。昨日の試合で、地区2位になり、なんとか県大会出場を決めましたが・・・息子2の学年は、メンバーにも恵まれ、小学のときからこれで4度目の県大会出場です。でも、県大会では、一勝できるかどうか。。。。だから、あと、1試合か、2試合かというところまできました。兄の息子1の野球の練習にずっと一緒に来ていて、自然に野球を始めました。野球を始めた理由をきかれると「お兄ちゃんがやってたから」と答えていました。小学校のときは、エースだった兄を目標にがんばって来たんだと思います。兄がエースだからと、ピッチャーもやってみましたが、ノーコンでした^^;息子1に比べても、器用な子ではありません。兄ちゃんが上を目指し、挫折してしまったことは息子2にとってもショックだったに違いありません。でも、顧問の先生から息子2への最後の言葉には、『○○中一努力の男』とありました。同学年19人という中で、昨年の夏は背番号がありませんでした。ショート6番の背番号をもらえるようになってほんとうに短い間でした。でも、3年生でもベンチに入れない子、雨の中、選手よりドロドロになりながらボールボーイをする子いろんな子がいます。地区大会決勝戦の最終回、2アウトの場面で、ずっとランナーコーチだった背番号11の子が代打の準備をはじめました。でも2アウト。打者は息子2。息子2がなんとかつなげないと、その子に地区大会の出番はありません。なんとかと祈る中、ヘッドスライディングで1塁に突っ込んだ息子2。一瞬「あ、息子2が最後のバッターになってしまった」と思った瞬間、審判の「セーフ!!」の声。私は、その時点で涙かあふれだしてしまいました。息子2の必死なスライディングにファーストの子の足がベースから離れたのでしょう。そして代打で出た、背番号11君、なんと今大会初出場で3ベースヒットを放ってくれたんです。まだ負けても県大会があるし最後の試合でもないのに、私は涙でぐしゃぐしゃになりました。決勝戦は、結局負けてしまったけれど、息子2に心から感謝の気持ちを伝えました。「本当にありがとう、いっぱい感動をもらったよ」
2007/07/22
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これで、何個目なんだろう・・・PC検定の試験を受けるの。最初は、お友達の会社のPC教室のお手伝いをするために、いくつか取得して。その後、サブの講師として、お手伝いするようになって・・・そうなると、生徒さんに負けてられないから、生徒さんより先に検定とらないといけないし。。。生徒さんは、年配の人もいるけど、私より若い人もたくさんいて、入力なんてすごく早い。私なんて、PC教室に行くまでは、ひらがな入力だったのです。それをローマ字入力に変えて、生徒さんより早く入力しなくてはいけなくて・・・。必死に練習しました。今はキーボードを見なくても入力できるようになりました。当たり前???ここは、田舎なので、いろんな検定の認定校になっているのは、うちの教室くらいしかなくて、生徒さん以外でも、試験だけ受けにこられます。そうなると、その方ひとりだけのために試験を行うのもなんだからと、私もついでに受けるようにと、メイン講師さんから言われ、お付き合いでいくつかの試験を受けてます。少し前は、日商PC検定の文書作成3級をとりました。ワードの3級は、他の検定でもとりましたが、それぞれの検定に特徴があって、同じ3級でも、やってみると結構大変です。で、きょうは、サーティファイのパワーポイントの上級を受けてきました。上級といっても、実技はたいしたことないのですが、知識があまりできなかったです。この年?で知識のお勉強はきついです。でも、検定でもないと、ちっとも勉強しないので、先に検定日を決めてしまって、自分を追い詰めて、勉強しています。今では、趣味になってしまっています(* ̄m ̄)プッ
2007/06/30
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息子1の17歳の誕生日です。相変わらずの生活。早朝、起きて、釣りに行き、もう帰宅し、今は寝ているのでしょうか???漁師か!!と、突っ込みたくなります。家のリフォームの手伝いもひと段落して、釣り三昧の毎日です。夏本番になると、昨年行った、キャンプ場のアルバイトと通信制高校のスクーリングがあります。今日は、せっかくのお誕生日なのに、テンション低い私です。何がイベントがあると、過去の日記を読み返すのですが、ここに書くようになって、5回目の誕生日。相変わらずの生活だなー息子1は、進歩してるのかなーと悲しくなりました。去年は、こんなんだったけど、今年は、こんなことしているよーって書きたかった私。でも、書くことなかった。とりあえず、生きててくれてありがとう!かな。
2007/06/27
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たまたま、息子2と行った本屋さんで見つけた本です。息子2を待ってる間に立ち読みするだけのつもりで手に取りました。漫才師さんの本だから、なにかお笑いの本なのかな?でも、目次を読むと第1話 僕は部屋の扉にカギをつけた第2話 僕はカベに穴をあけた ・ ・ ・中学に行かず、部屋にカギをかけ、パジャマで生活する様子が書かれている。う…っ。これは、買って帰らねば・・・(* ̄m ̄)プッ中学に行けなかった息子1の気持ちも、今現在の息子1の気持ちも解らないままの私。本の中の千原ジュニアさんと、息子1はタイプはまったく違ったけど。すごく勉強になった。うまく言えないけど。14歳の千原ジュニア君の食事に精神安定剤をそっといれるお母さん。カベに穴をあけながらも、心のなかではごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。だけど。僕は何をそうすればいいのか解らないんです。何をどうしたいのか解らないんです。もちろんその答えを出すのはお父さんでもお母さんでもなく、僕自身です。僕以外、答えを出すことはできないんです。と言っている14歳の千原君。結局、千原さんは、高校を辞めて、お兄さんとお笑いの道に入ったわけだけど・・・。きっと、息子1にも答えがあるよね。今は、大工を引退した祖父と二人で、家の水周りのリフォームをしてくれています。疲れるとお昼まで寝ていたりと相変わらずだけど、素敵なキッチンを造ってくれました。今は、バス、トイレに取り掛かってくれています。
2007/06/06
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3度目のUSJに行ってきました。新アトラクションのハリウッド・ドリーム・ザ・ライドに2時間以上並んで乗りました。オーディオシステムが搭載された座席に座って、私はドリカムの「大阪LOVE」をセレクト。一緒に乗った息子2は、途中意識が遠のいたなどと言ってました。あまりにも、あの「ヒュー」と浮いてしまう感じが多く、景色を見る余裕は無かったです。息子1は、激しい乗り物は嫌いなので、スパイダーマンだけ乗って、あとは待ちぼうけでした。でも、お家でお留守番は、嫌だったみたいで、着いて来てくれました。待ってる間、始まったショーに合わせて激しく踊るおばさんを見たり、彼なりに楽しんだ?ようでした(* ̄m ̄)プッ春休み、みんな忙しくて、出かけられなかったので、最後にとても楽しく過ごせました。
2007/04/09
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久しぶりに、「ひきこもり・不登校」に関する講演を聞きました。中学で不登校だった息子1は、今は通信制の高校生。登校しなくていいんだから、登校していない。登校していないってことは、いまでも不登校なのかな?自宅でネットで学校とは繋がっているから、必要な買い物以外は外出しない。ひきこもり?近所から見れば、「あそこの子、高校も行かず家にいるのよ」=「ひきこもり」なんでしょうね。久しぶりに聞いた講演は、たまたまチラシを見て行きました。感想は、お家の中でできることいっぱいあるんだぁ~でした。どうしても、こういう子は、外に出そう出そうとしてしまうけど、頭でいっぱい考えてなかなか出られないこの子たちには、お家の中で心を動かす働きかけをしてあげること。ワンパターンになりががちな生活の中で、ふっと心を動かすこと。それは大げさなことじゃなくて、ワンパターンなメニューのお料理を工夫するとか食器をかえてみるとか・・・ひとつの物を半分個するとか・・・親が心配だよ~心配だよ~では、重くってうごけない。死ぬまでは、食べることくらいなんとかしてあげるくらいの気持ちで。そうすると子供は安心して、自分のことを考えられるようになる。本人は誰よりも、今の自分を良しと思ってない、あきらめていない。親もきらめない。息子1も確かにあきらめていないなぁと思う。普通の高校に合格したけど行けなかった。がんばって、一日置きでも行ったけど続かなかった。続かなかったけど、努力はしたぁ。苦しかっただろうなぁ。いまは通信制でなんとか高校生。あきらめないで。私もなにがあってもあきらめないで、強くなりたいなぁ。
2007/03/25
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息子1の高校から、成績表などが送られてきました。単位取得表などもあり、息子1も私も、パッと見ただけでは、意味がわかりませんでした。しばらく、にらめっこしてなんとなく、わかりました。一年次で取得予定の単位は無事取得できていました。成績も、悪いものもありましたが、良いものもありました。息子1は自分の良い成績を見て、「どんだけレベル低いねん」と笑っていました。そりゃそうでしょう。入学するときも、高校卒業資格を取るのが目的で、大学などを目指すならこの勉強だけでは無理だと言っておられました。学校に通えない子供たちを中卒にしないというのが目的ですから・・・でも、この高校に出会えてなかったら、とっくに中卒になっていた息子1ですから、ありがたいことだと思っています。県外の高校ですから、年に数回、県外に出るのも気晴らしになります。普段はどうしても、お家にこもってしまいますからね。
2007/03/17
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息子2が修学旅行でした。当たり前に準備して、当たり前に出発して、当たり前にお土産たくさん買って帰って来ました。息子1が行けなかった・・・修学旅行。普通は、こうやって当たり前に行くんだぁと感心するくらい当たり前に楽しみにして行った。お迎えに行ったとき、息子2と同じ小学出身で、不登校の子のお母さんがお迎えに来てた。「修学旅行行けたんですね」と声をかけると、「これからのことはわからないけど、とりあえず行けてうれしい」とおっしゃっていた。その嬉しさすごくわかる。たくさんの人には当たり前だけど、少数の人にはあたりまえじゃないもんね。息子2修学旅行楽しめてよかったな。兄ちゃんにもお土産ありがとう。お母さんのお土産もうれしかったけど、あんたが兄ちゃんにお土産かってくれたことが一番うれしい。ありがとう。
2007/03/16
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暴力について、学ぶ機会がありました。CAPというグループのみなさんのお話。暴力とは、行ったり言ったりした人が、どういうつもりであろうと、受けた人が辛い思いをし、「安心」「自信」「自由」が奪われたら暴力で、『嫌だ!やめって』言っていいって話。話を聞いて、すぐ息子1のことを思いました。息子1が中1の時、監督から厳しくされたことで、自信をなくし、引きこもってしまったとき、監督のせいだと思いながらも、でも、他の子供たちは平気やん、辛いかもしれんけど耐えてるやん。なんで息子1だけ。。。弱いんや・・・と思う気持ちがあり、声を大にして監督のせいだと言えませんでした。でも、息子1が辛い日々を過ごし、「自信」をなくしたのは事実で、息子1にとっては、紛れもない暴力だったんです。そして、そんな息子1を守れなかった私も「安心」を与えてやれなかった。本当に申し訳ないことをしたと思いました。そして、最近、息子3が友達に持ち物を隠されたとき、「今度からは、隠されんように自分の物をきちんとしとき」なんて言ったこともあったんです。これも、隠された息子3は、何も悪くなかったんですよね。親として、人間としてまだまだな私です。
2007/03/01
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このブログの名前をご無沙汰日記にしようかな。。。毎日、忙しくしています。コンビニは辞めました。少しは、暇になるかと思ったけど、そうでもありません。パソコン教室のサブ講師の仕事が、結構入ってきます。まだまだ人に教えるより、自分が習いたいのですが、講師を手伝ってほしいと言われ、検定をとり、好きな時間に教室に出入りさせてもらっているので、わがままも言えません。昨年は、エクセルやワードのいろんな種類の検定の3級を4つと2級を1つ取りました。今年になって、2級を1つと、1級を1つ受け結果待ちです。勉強は大変ですが、結構はまります。資格取るの。エクセルの1級なんて、関数の式がずらーっと並び、まるでパズルを埋め込んで行くみたい。でも、その式から答えが導き出された(大げさ?)ときは感動です。息子1は相変わらずの生活です。1月に通信制のスクーリングがありました。一泊で、初めて会う人たちとでしたが、なんとかこなし、いろんな刺激を受けて帰ってきました。行けたこと、すごくうれしかったです。通信制の勉強は、部屋のPCでしているので、どうなっているのかまったくわかりません。
2007/02/14
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ご無沙汰な日記ですが、どうぞ今年もよろしくお願いします。「自分を大切にする」・・・人にも、自分にもそう言って来た私ですが、昨年の後半は、もう自分がどうなっているのか分からない状態でした。頼まれ事が、どんどん増えて、自分でも、無茶苦茶やなーと思いながらも、断れない。私って、生き急いでいる?と思えました。息子1は、通信制の高校に変わり、穏やかに生活しています。でも、高校の部活で活躍する近所のお子さんや、コンビニに買い物にくる息子1の同級生達を見ると、あー随分時は流れてしまって、息子1はもうここには戻れないんだと思ったり、あれ?どうして息子1はここにいないの?と記憶が飛んだようになることもあります。昨晩、江原さんの番組を見ながら、自分を見つめなおしていて、ヤッパリ、私の中に息子1がこうなったのは自分のせいだと思う気持ちがあって、「自分を大切にする」どころか、自分を痛めつけるような生き方になるんだなと思いました。息子1を不登校にしてしまった自分を許せずに、母親としての自信も無く、価値がないと思っていました。口先で、「自分を大切に」なんて言っていても、できるはずなかったんです。でも、美輪さんや、江原さんが、人間として生まれて来るだけでも、大変なことで、みんな使命をもって生まれてきているどうせって人はこの世に一人もいないと言っていました。もう少し、自分を大切にできる一年にしたいです。
2007/01/05
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相変わらず、貧乏ひまなしで・・・あっという間に、前の日記から二ヶ月も・・・コメントのお返事もせずに・・・コメントしてくださったみなさん本当にありがとうございます。息子1は、通信制の高校に転入し、釣り三昧の毎日の中、ときどき、勉強しています。パソコンで、先生とライブで繋がっての勉強の時は、時間が決まってますが、その他は、自分の好きな時間にできるので、楽にやってます。フツーの高校生を一度は夢見た親子でしたが・・・今でも、フツーの高校生をみると、複雑な気持ちになりますが、生徒も、先生も自殺する世の中で、生きていてくれるだけでありがたいと思います。不登校になった当初、ノートに「死」の文字を発見したこともありましたし、自分のことを「クズだ、カスだ」と言いました。私自身も、自慢の息子が、不登校になり、死んでしまいたいと思いました。久しぶりに書いたのに、なんだか重くなりました。こうやって書いてても、ニュースから何度も「自殺」の言葉が聞こえるので、命のことについて、どうしても考えてしまいます。
2006/11/13
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この夏の息子1のアルバイト先は、海水浴場のキャンプ場だったので、他にも、海水浴場で働く、オジサンやオバサンがたくさんいました。夏場の観光シーズンだけ駐車場や、掃除のアルバイトをして、普段は農作業とかされている、私より年配の方々です。そんな中で、高校生のバイトはキャンプ場だけ。ただでさえ、「あの子どこの子?」なんて、噂されてしまいます。すぐに、息子1のことは、「学校へ行っていない子」「そんな子雇って大丈夫?」といわれていたそうです。そして、雇い主から、臨時でよいと言われて、しばらく行かなくなったときも「人が苦手だから、他の高校生がきたら来なくなった」と言われてたそうです。実際は、1人の仕事は退屈で嫌がってましたが、他の高校生が来てくれて、楽しくなって、行きたがっていたのですが・・・結局最後は、他の高校生達は、仕事を頼むと、嫌な顔や、態度に出すが、息子1だけは、嫌な顔もせず、どんな仕事もするということで、最後の5日間は、息子1一人だけ残ったのです。人前では、嫌な顔の出来ない子ですが、家では「水場にあったシンクを片付けて、排水溝のゴミとるねんで、汚くて嫌や」と言っていました。毎日、キャンプ場の事務所で、その日の駐車場の料金の集計も息子1たちがするのですが、「学校行ってないけど計算もできる」ともいわれていたそうです。結局、息子1は「学校行ってないけど、普通の高校生より嫌な顔しないで働いて、計算も速くできる」という噂?で夏のバイトは終了でした。こんな話を聞かせてくれた人は、結局良い評価にかわったことを教えてくれたのだと思いますが、これが現実の厳しさですね。学校へ行かなかった、行っていないというレッテルは、厳しいものです。この道は、好きで選んだ道ではないのですが、この道の先にしか道はなく今までどおり、息子1を見守りながら、淡々とニコニコ、ひょうひょう、もくもくと歩いていきます。
2006/09/19
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先日の、息子3の行き渋りについて、沢山のコメントありがとうございました。今週は、なんとか順調?に登校しています。休み明けは、みんなしんどいですね。高校1年の、息子1は、通信制の高校へ転入させてもらいます。ネットでの学習で、ライブで授業が受けれるので、スクーリングも少ないです。息子1に会っていると思い決めました。義務教育を終えたことで、普通に高校に登校していないことに、私も息子1も罪悪感はなくなり、明るく元気にしています。息子1のバイト、息子2の職場体験で、この夏は働く事について考えさせられましたが、私も大変なことになっています。足の指を骨折中ではたらけないとき、PC教室を経営する会社に勤める友人から、せっかく、PCできるんだから、いまのうちに検定でも受けたらといわれ、ワードの3級をとりました。その後、エクセルの3級・・・。これはまだ合格発表待ちですが・・・だから、持ってる資格はワードの3級だけ。ですが、とりあえずなんでもいいから資格がある、一応HPが作れるということで、今、ホームページビルダーの講習の講師の補助をしています。なので、いまは、午前中は自営の友達の手伝い、午後はコンビニ、夜は講師の補助なんてことになってます。友人や、子供たちも、一番、時給の良い講師の道にしぼり、コンビニのパートを辞めろといいますが、コンビニの店長は骨折して、働けなくても、首にせず、まっていてくれたし、怖いと思っていたパートのおばちゃんも、「かず♪かずさんと働くの好きやしやめんとき」といってくれたし、なかなか、辞めるなんていい出せないです。働くことは、単に、お金だけじゃないんですよね。私立から私立へ転入する息子1には、すごくお金がかかり、お金はいくらでも欲しいですが・・・
2006/09/14
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2学期がはじまり、いつものことながら、息子3が行き渋ります。行き渋るといっても、たいしたことないのですが・・・野球ってタイプじゃないのに、兄たちと同じように野球をはじめた息子3でしたが、最近は行きたがらず、休んでいます。もともとタイプじゃないのにはじめたので、わたしもヤッパリと思い、無理に行かせようとはしていません。昨日の朝は「学校嫌や」と言い、「なんで、野球は休んでもいいのに、学校は休んだらあかんの?」と聞かれました。答えに困ります。とりあえず、「学校休んでも、行くとこないやん。ずっとお家におるのもかなんやろ」などど、言いました。私のなかには、息子3のようなマイペースで、inドアタイプの子には学校は合わないだろうし、面白くないだろうなーと思う気持ちがあります。でも、とりあえず、行って欲しい。この子は、家にいるほうが楽しく過ごせるぞ、と思っているのに、ヤッパリ、とりあえず、行って欲しいのです。
2006/09/09
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この夏、アルバイトを初体験した息子1でしたが、中二の息子2も職場体験がありました。それも5日間も。息子1が中二のときは、たしか3日間でした。不登校でしたが、親切な釣具屋のおばちゃんのおかげで、貴重な体験をさせていただきました。そのころ、たまたま読んだ、ニートの本に、この義務教育を終えるまでの、実感体験がニート対策の唯一の予防策だとありました。自分の存在価値に不安を感じるこの中学生の時期に他人とかかわり、ささやかな自信を実感する事が大切だとありました。当時、不登校だった息子1が、職場体験を体験できたことはほんとうにラッキーなことです。ただ、5日間という長い体験期間を実施しているのは当時は、富山県と、兵庫県ということでした。兵庫県は、あのサカキバラ事件の危機感から、地域の皆さんが自分達一人一人になにができるかを考え全ての中学2年を対象とした「トライやる・ウィーク」という全県的な取り組みとなったようです。さて、我が家のやんちゃ坊の息子2は、トマトのハウス栽培の農家の職場体験。今のところ、目に見えた変化と言えば、トマトが食べられるようになったことです野菜はキャベツ以外食べられない男が・・・いつもグランドの土で、まっ茶色の男が、トマトの花粉でまっ黄色でした。
2006/09/01
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7月半ばから、キャンプ場のアルバイトに行った息子1でしたが、学校と同じように1日行っては休んだりしていたため、忙しい時だけの臨時雇いとなってしまいました。それでも、数回声がかかり、そのときは以前のように遅刻したりせず、「ここで遅刻すると、また信用なくすんや」と自分でもいいながら行きました。お盆を過ぎると、息子1以外の普通の高校生達は、なにかしら忙しいようで、休むようになり、代わりに息子1は、連続5日日間もバイトに行く事になりました。学校も、2日続けて行ったことがなく、3日続くだけでも驚きでしたが、5日というのはすごいです。朝は辛そうですが、声を掛けると起きてきて、遅刻せずに出かけます。普通なら当たり前ですが、息子1にとっては快挙です。
2006/08/20
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息子1は夏休みに入り、バイトを始めました。夏休みと言っても、それまでも、学校は休んでいましたが・・・夏季だけの、海のキャンプ場でのアルバイト。長雨で、ほとんど人が来ず、退屈でした。2日行っては、1日休む。休む日は、自分で責任者の人に電話させました。ある日、青い顔をして、2日続けて休みたいといったとき、あーもうダメと思いました。こんなバイトじゃ相手に迷惑。自分で辞めると電話しなさいと言うけど、しない。私が、電話しました。でも、その日は息子1しかバイトがいないから、困ったなと言われ、そのことを、息子1に告げると、半日だけ行くと言い行きました。何日か、半日だけのバイトが続いた日息子の幼馴染のA君が、新しいバイトとしてやってきました。中学ほとんど行っていない息子にとって久しぶりに会う子でした。でも、幼い頃からの友達とはすぐに打ち解け、その子とのバイトはすごく楽しかったそうです。でも、バイト先の責任者の人に、これからは、その子が来てくれるので、息子1君は、いそがしいときだけ、電話するからと言われました。息子は、せっかくA君が来て楽しくなったのにといいます。私は、言いました。バイトとか、働くってそういうものなん。しんどいからと、休んだり、遅刻したり、半日しか行かないじゃ雇ってる人は困るし、確実に来てくれるA君みたいな子じゃないとだめなんやで。息子は、毎日、忙しいから来て!の電話を待ってます。世間の厳しさを少しは、わかってくれたらいいな。
2006/07/31
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昨日、6月27日は、息子1の16歳の誕生日でした。このブログで、息子1の誕生日のことを書くのは、4回目になります。1回目、13才になったときは、不登校ではありませんでした。ただ、野球と勉強の両立が苦しくなり、荒れていました。2回目、14才になったときは、不登校でした。13才、なんとか五月雨登校していた息子1も、完全な不登校になっていました。釣りにハマッテ行った時期です。3回目、15才。まだまだ苦しんでいます。そして、4回目の昨日、息子1は、学校へ行かず、早朝から一人で海へ。キスをお土産に釣って来てくれました。海は、餌や仕掛けを変えたり、季節が変わると釣れる物が変わり、息子1をちっともあきさせません。中学時代、引きこもっていたわけではなかったけど、人目を気にして、釣り場までも私の車で行っていましたが、この頃は、早朝でも夕方でも自分で自転車で行きます。そこが16歳になって一番変わったことでしょうか・・・。小さなことのようですが、私にとって、本人にとってもすごく大きな変化だと思います。中学時代、どこへ行くのも私の車だったことを、カウンセラーさんに相談すると、不登校になって育てなおしをしている息子1にとって、車の中はお母さんのお腹の中にいるような安心感があるのでしょう。とおっしゃいました。今、一人で自転車で行動するようになり、やっと私のお腹から出で行く事が出来たのでしょうか・・・。元々、未熟児で小さく早く生まれました。だからみんなよりゆっくりでいいと思っていました。こんなにゆっくりととは思っていなかったけど、限られた人生という時間の中、どんな速さで進んだっていいんですよね。16歳になって、冗談まじりで「さっ、バイクの免許でも取りに行くか」と言う息子1。「あほかー!自分でお金儲けしてからじゃ」と私。どんな16歳になるのでしょう。
2006/06/28
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私の友人が奈良の放火のニュースを見ては心配しています。友人の長男君は、高校2年で優等生。部活は剣道部。塾も通う。奈良の少年と共通点があるのです。友人は「そういえば、学校の先生だったと思うけど、U君(友人の長男)は特に明るいわけでもなく、暗 いわけでもない子。親に言えない悩みもかかえているようですが、こういう子は心の中が見えに くいんですよねって言われたことがあるねん。」 と心配そうに言います。私は「あんた、ちょっとU君が事件の子と共通点があったからって心配しとるんやな。そんなこと言う たら、不登校の子かって何か事件起これば不登校、不登校って言われとるで。私なんて、この 事件が起こったとき、また不登校の子?って思ってしまったくらいや。」と言いました。マスコミでは父親が勉強などにうるさかったと言うけど、親が子供に勉強しろとか、この道に進めとか普通に言うんじゃないかな?かな?と言うのは、私は、息子1のおかげで、普通じゃなくなったので・・・今朝は、この私の息子1のおかげ発言で夫と口論に・・・夫は、おかげでと言うのは違う。息子1には言っても仕方ないから言わないだけだと・・・勉強しろなんて言ってる家庭がほとんどで、だからと言って、みんなが火をつけたりせんやろ。うちの家は、言わなさ過ぎだと・・・。言っても仕方ないからと言われても・・・そうかなぁ・・・でも、私、息子1のおかげ(しつこい?)で、息子2にも勉強のことなど一切言わない。だから息子2は、勉強は自分のしたいとき、しなければいけないときにやる。メールばかりしていても、私は一切言わない。でも成績は落ちないし、メール禁止令の出た子よりも成績アップ。あら?やっぱり勉強、勉強って言わなくてもいいんやと思った。って言うか、この反抗期の息子2は、言えばいうほどしなくなる気がする。現に部活から戻ってドロドロの息子2に「早くお風呂入んなよ」と言うと「言われると入りたくなくなる」と言う。お医者さまになる道がどんなものだか、私にはさっぱりわからないけど、すごい進学校に通って、それでも勉強のことを言われるって???下には下がいるのに・・・私は息子1のおかげ(しつこい)で道が設定できなくなった。出来なくなったというと、夫の言う、「仕方なく」のようだけど、ま、正直仕方なくもあるけど、道が設定できなくて、かえって無限大???兄ちゃん無限大だから、自然と弟たちの道も広くて・・・夫は、社会が、会社が受け入れないって言うけど、そのときは、そのとき考えればいいんじゃないかなぁ?だって、今を大切にしないと・・・今は、今で、中退するの?通信制に転入するの?出来るの?このまま釣りバカ?考えることあるし・・・。本人は、まだわからんと、今日も釣り。本人もわからんのに、私もわからん。とにかく、元気がうれしい。
2006/06/23
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息子1は再テストに行きませんでした。息子2の足の病院で出かけていて戻ると、息子1はソファに寝転んで天井を見つめていました。登校して授業を受けることが出来ないのに、なんとか高校生を続けたくて、テストを受けようとした息子1ですが、無駄な抵抗と諦めたようでした。これで、次どうするか、考えて行く事になります。すぐに、次どうするのか、決まるかどうかもわからず・・・。その間、どこにも属さず、何もしないのでしようか・・・。何もしないことは、そんなに悪い事だとは思わないのですが、私は怖いです。私には出来ないですね。私自身は、いつも何かしていて、どこかに属していないと不安です。子供のころは、学校に属してたし、就職して会社、結婚してからも専業主婦の期間はほとんどありませんね。今、息子1の居場所は、家と海昨日も夕方になると、「じゃ、お母さん、海に帰ってきます」と自転車で出かける。元気に出かけて嬉しい反面、本当に海に帰って行ってしまうんじゃないかと不安になります。
2006/06/15
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息子1は、試験の最終日を休み、3教科受けられなかった。担任から、再テストを受けるかと聞かれ本人は受けると言った。それが今日。普通の?登校はしていない。担任から放課後呼び出されると行く。でも、着実に欠席は増える。昨日、テスト勉強をしながら「明日のテスト3時半じゃ、まだみんないるやん」と言う。私は「そうやな。でも、みんなに会いたくないなら、いつまでも登校できひんやん。 テストだけ受けても、単位はとれんで。 兄ちゃん、学校のない日は何時にでも起きれて、元気に釣りに行くやん。 なのに、学校のある日は、病人のようになってしまう。 お母さん、元気な兄ちゃんの方がうれしい。 学校がそんなに辛いなら、無理せんでもええで。 あんたが高校生続けたいなら、通信制とかもあるし、考えてみいひんか?」と、言いました。私の、今の本心。まだ、息子1は悩んでる。答えは、あせらなくても良いと思う。
2006/06/13
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息子1の5月の登校日は1日と31日でした。1日に登校したあと、バッタリと行けなくなりましたが、31日からテストだという事で登校しました。3日間のテスト、翌日の6月1日も行きましたが、3日目の本日またダウンしました。何度も起しに行きましたが、起きる様子はありません。この2日間、パッと自分から起きていたのが幻のよう・・・。このまま、こんな日が続くのかと思いましたが。。。息子1に言いました。「この2日間、登校できてお母さん嬉しかった。一ヶ月行ってないのに、テストやからって行けるとは思ってなかったのに、行けてうれしかった。今日はやっぱり残念やけど、あんたが一番残念に思っとると思う。3日間、テストやから行くって言うとったのにな。こうやって少し行ってすぐ休むじゃ、単位ももうないし高校続けるの難しいよな。息子1が続けたいなら、どうしたらいいか、時間はあるんやし、自分で考えてみて。」ほとんど行けていないのに、テストだから行くなんて、悪あがきしているようで、そんな息子1が哀れでもあります。高校生は続けたい。少ししか登校できていないけど、少しづづ友だちも出来ている様子。でも、本当の意味で、心も体も元気になって登校できるようにならないと、苦しいよね。私は、骨折した足を引きずりながら、今日も元気に過ごすだけ。何か出来ることあったら言ってね。
2006/06/02
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右足の薬指。息子3が水筒を忘れて、慌てて取りに行って、家の中を走ってて、柱で打ち付けてしまいました。倒れこみながらも、息子3に水筒を手渡し、しばらくうずくまっていましたが、時間がたっても痛みが治まらず・・・アルミのようなものを指に当てられ、包帯を巻かれ、履いて行ったスニーカーが履けなくなり、スニーカーを持ち、足にナイロンの袋を巻いて、病院の駐車場まで行き、唯一自由な親指でアクセルとブレーキを器用に?踏みながら家にたどりつきました。息子1がゴールデンウィークあけから、高校に登校できなくなりました。もう一度、本を読み直したり、お友達がおしえてくれたサイトを読んだり・・・。そんな中で、「自分を大切にする」と言うことをずっと考えていました。良くわからないんです。自分を私自身を大切にするって???骨折して、不自由な生活してます。かかとで歩いてます。忙しすぎました。仕事の掛け持ち。休日が日曜しかなかった。その休日も息子たちの用事で走り回り・・・。神様が少しゆっくりしなさいと言ってくれました。自分を大切にと・・・。息子1は明日からテスト。本人は、テストは行かないといけないと思っています。気持ちはあるのに動けていません。不安から、焦りから、私にいろいろ言ってきます。私まで不安にならないこと。今はそれだけ。結局、私の出来ることなんて、そう多くないですよね。
2006/05/30
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この春からコンビニで働き始めた私です。いつも2人で、仕事なのですが、私とコンビを組むのは店長さん(50代女性)と、Aさん(59才、女性)です。最初は、慣れなくて、おしゃべりする間もなかったのですが、少しづつ慣れて、おしゃべりするようになりました。店長さんも、男の子三人のお母さんです。三男さんが、高校を留年、その後中退されたそうです。親は高校に行っていると思っていたら、サボっていて、学校に呼び出されることも度々あったそうです。長男さんが東京にいたので、そこで仕事を見つけ、今では月30万も、もらえるようになった、やっと少し肩の荷が下りたとおっしゃっていました。たまたま入社した会社が、三男のことを認めてくれて、本人も今はすごくがんばっていると話してくださいました。だから、息子1が高校に行けないことを話しても、驚くこともなく、「何がどうひっくり返るかわからないわよ~」とおっしゃいます。Aさんは、一人、息子さんがいます。私が息子1のことを話すと「高校なんて辞めさせな!失礼だけど○○高校(息子1の高校)出て一流大学に行かせるつもりじゃないんでしょ?中卒でも中退でも立派に働いている子いっぱいいるよ。反対に親が子供の器以上のことを求めて、だめになった子もいっぱいいる。このコンビニにもそんな子たくさん来るよ。親に100円とかだけもらって買い物に来てる。今度、どの子か教えてあげる。本人の負担を軽くしてあげなよ。子供のためって親の体裁のためなんじゃない?」Aさんは、働き出した頃から、今も厳しくて怖い!!でも、Aさんのおかげで、仕事を覚えることが出来ました。一人息子さんは、勉強嫌いだったけど家庭教師つけて、なんとか大学まで行かせ、今は地方公務員。大人になってから息子さんに「お母さんが負担だった」と言われたとAさん。店長さんは、おっとりした方。学校サボって呼び出されていた母とはおもえないほど、おっとりと小さな声で大変だったのよ~とおっしゃる。ぜんぜんタイプの違うお二人だけど、大先輩の母たちは、息子1のことを話しても、自分たちの子育てを振り返り、まだまだ一発逆転ホームランもあるのよ。それよりも、楽にしてあげなさいとおっしゃる。今日も行かない、今日も行かないと、頭がいっぱいいっぱいになってすぐに忘れるけど、楽に楽しく。私は、私でいいんだ。
2006/05/15
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昨日のモヤモヤした気持ちが、みなさんのコメントのおかげで吹っ飛びました。結局私は、息子2のことしか見ていなかったんですね。息子2が試合に出ると、出られない子がかわいそうなんて、我が子しか見ていないから言うことなんすよね。スタメン落ちした子の気持ちになってみたら、悔しいけど、次は頑張ろうって思ってくれているだろうし、顧問にしても、きちんと目を行き届かせて、みんながその子なりに伸びるよう指導してくれていると思います。だからも親として、息子2の喜びは一緒に喜んであげたらいいんだと思いました。他人の心配なんて、思い上がりですよね。息子1は、連休明けてこの2日、登校していません。このままでは、高校生活危ういです。遅刻、早退でもいいから、行けるときに行くように言うのですが、動かず・・・。動くときは、さっと起きて、嘘のように登校して行くので、今は動けないときなんでしょう。中学時代、温かく?見ていてくれた人たちにも、高校も登校できないなんて、甘やかしだと言われています。15才になって、動かないものを私が動かせません。私の説教?愚痴?も彼の心を動かしません。自分を動かすのは、自分だけ。動け!息子1と祈る気持ちです。
2006/05/09
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この気持ちをどうココに書いていいのかわからないのですが・・・ずっと昨日から、この気持ちが消えなくて・・・中二の息子2が中学野球部に入ったときは、ほとんどやる気のない顧問でした。子供たちは、自分の希望のポジションに入り、そのポジョンが一人ならそのままレギュラーに何人かいれば、その中で上手い子がレギュラーになりました。息子2のショートは、3人もいて、息子2は練習試合に連れて行ってもらえなかったり、背番号ももらえず、ベンチにも入れませんでした。スポーツが得意で、野球にも自信があった息子2にとって、それはショックなことでした。上手い、下手、関係なく、たまたま選んだポジションでレギュラーだったのです。だから、空いてるポジションに変わる子もいたりして(*^-^*)私は、心配もしましたが、野球で傷つき不登校になった息子1のこともあり、息子2には、この悔しさを無駄にせず、背番号がなくても野球を続けてほしいと思いました。中二になって、熱心な顧問になりました。練習も今までの何倍も厳しくなりました。でも、息子2は活き活きしています。「練習に無駄がないから、ぜんぜんえらくないんや」と言って。ポジョンも、子供の言ったままではなくて、内野だった子が外野に行ったり、ファーストだった子が捕手になったり、顧問がしっかり子供たちの力を見て、判断されている様子がわかります。子供たちも、顧問がしっかり見てくれることによって、やる気を出し、帰宅後もランニングしたり素振りしたり。顧問によって、こんなに子供たちが代わるのかと、親たちもびっくりです。そんな中、息子2も背番号をもらい、2年中心の試合ではショートに入ることが出来ました。息子2は、喜び、親としても試合を見る楽しみも増えました。でも、その反面、息子2が背番号をもらったことで、背番号がもらえなくなった子がいること試合に出られなくなった子がいることを思うと心が痛いのです。ポジション争いなどは、競争で勝ち負けの世界だと思います。息子1と野球をしていた子たちは、今は高校球児です。その母は「友だちが先輩に目を付けられたとか言っているけど、そんなに子にかまっていたらうちの子まで目をつけられるし、うちの子にはかまわないように言ってるんや」と言われていました。私は、そういう世界なんだぁ~となんともいえない気持ちになりました。息子1が野球で傷つき、家にこもった事は、世間から見れば負け犬なんだと思います。競い合い頑張っている人たちからは、信じられない生活なのかも知れません。何が書きたいのかわからなくなりましたが・・・とにかく、息子1のことがあったせいか、息子2が人と競い合い、良い成果を残すことが素直に喜べないというか・・・世間から見ると、普通の息子2のような子にどのように対応していいのかがわからなくなっていると言うか・・・勝つことも負けることも怖いというか・・・良し悪しも、勝ち負けも、決められないというか、無いんだと思っているのですが、やっぱり自分の価値観で、良し悪し、勝ち負けを考えてしまうんですよね。
2006/05/08
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GWにお出かけしなかったことって、今まであったかな?と思う。今年は、今までないほどめずらしく、お出かけなし。息子2の中学野球部の顧問が変わり、GW中も休みは一日だけ。今まで、本当に野球部?というくらい、練習日も時間も少なかった。顧問が変われば、こんなに変わるのか。。。とビックリ。でも、親も子も喜んでいる。息子2も練習がハードになって、機嫌が良い。今まで、エネルギーが有り余ってたみたい。「練習に無駄がないから、ぜんぜんえらくないんや」と言う。今日も、今ごろは練習試合。息子1は、釣り三昧。一人で行ったり、父親と行ったり。でも、相変わらず、釣れるのは息子1だけ。昨日釣ったイカ。大き過ぎて気持ち悪いくらい。息子3も、GW中に野球の練習があったけど、親の方が忘れてた。知らずに休んだ息子3のほうがあせっていた。「お兄たちは、一度も休んだことなかったんやろ?」と息子3。「うん、野球の練習を休んだ記憶がないなぁ、熱があっても行っとったしなぁ」と私。息子3との会話の中で、息子1はあの時、頑張り過ぎてしまったのかなぁと思う私。あの頃、野球が大好きで、絶対休まなかった息子1をすごい!!と思ったし、それが良いと思っていた。でも、今では、それが悪かったのか?なんて思ってたりして。良し悪しなんて、いい加減。今だって、悪くなんてない。良くもないけど。いい加減で良い加減です(*^-^*)
2006/05/06
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先日、高校の参観、総会がありました。息子1を高校まで送ってから、参観まで時間があったので、近くのコンビニで3秒でハッピーになる名言セラピーという本を買いました。息子1の高校の登校は、今日まで7勝5敗。自分で、この行事には参加しないといけないから、今日は休んでおこうなどと考えながら行ったり、休んだりしている。中二の始め、ゴールデンウィークまで、毎日のように登校して、GW明けからバッタリ行けなくなったことがあるので、私は、自分で調整しながら登校する息子1にたくましささえ感じている。でも、他の家族や世間には通じる話ではないこともわかっています。息子1、自分、家族、世間の目。相変わらず、いろんなものを感じ、元気を振り絞ったり、なんとなく悲しかったりの毎日。コンビニで目に留まった3秒でハッピーになる名言セラピー今の私には1200円は贅沢だけど、え~い買ってしまえ。ハッピーになりたい!!感心したり、涙したり、笑ったり、あっという間に読んでしまいました。最後の言葉に今日の元気をもらいました。今日という日・・・「あなたがくだらないと 思っている今日は、 昨日亡くなった人が なんとかして生きたかった なんとしてでも生きたかった 今日なんです」今日はそんな日です。今日、あなたとこうして出会えたことに感謝します。
2006/04/24
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息子1の高校生活が始まって一週間。登校したのは、月、水、金。一日行って、一日休むというパターンでした。登校時間のスクールバスに間に合ったのは、一度だけ。他の日は、片道40分私が車で送りました。帰りは、スクールバスで帰って来てくれるので助かります。朝6時半に起きて、帰宅するのが5時。中学時代、お昼まで寝ていて、ずっとお家にいたのですから、慣れなくて、大変そうです。でも、登校した日はいろんな出来事があって、私を驚かせます。バスを降りると徒歩で帰ってくるのですが、途中コンビニに寄って来たり、(15歳なら当たり前ですが、今までは近所のコンビニには入れなかった)バスを乗り過ごし、先輩のバイクで送ってもらったり・・・(もちろん高校はバイク禁止、まして2人乗りなんて・・・なのに息子1は「俺が乗り過ごしたと知って送ってくれたんや、すごくいい人や」と感動しまくり)バイクは、すごく怖かったらしい・・・すごいスピードで落ちそうだったと・・・私、コンビニのアルバイトを始めました。午前中は今まで通り自営のお友達のお手伝いをして、午後からコンビニ。コンビニって、お買い物のレジ打ちだけじゃなくて、振込みや、宅配便やチケット販売まであって、種類が多くてなかなか覚えられません。4時間立ちっぱなしの仕事は初めてで、足が痛くて・・・。でも、家にいると、息子1が登校したとか、しなかったとか、いろいろ一人で考えてしまいそうなので、忙しいほうがいいです。コンビニにいる間は、本当に何も考えられないです。お客さんや、他の店員さんに迷惑かけないように働くのに必死です
2006/04/14
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息子1は、卒業式後、しばらくは今までと変わらず家にこもっていましたが、一週間が過ぎた頃から、お友達が遊びに来たり、一緒に出かけたりするようになりました。不登校のときから、会っていたお友達とは平気で会えるのですが、そうでない子と会うときは、緊張すると言って、なんどもトイレに駆け込んだりして・・・友だちと遊ぶようになった感想は「久しぶりやし、疲れる」でした。一日、遊んでは、数日寝るといった春休みです。そんな姿に、高校生活も不安大な私ですが、一喜一憂しない、のほほんとした母を目指しています。息子2は、部活に、遊びに飛び回っていますが、初めて息子1と町で会った時は、「お母、お兄と会った!!初め誰かわからんかったわー」とチョー驚いた様子でした。中学の一年間、勉強は頑張りましたが態度が悪く、成績表はそれほど良くありません。点数によってはじき出される順位は良いのですが、先生の評価が入る成績は下げられてしまいます。でも、それは本人も承知の上。私が「息子2、このままの点数で生活態度が良ければ、高校推薦とかもしてもらえるのに」と言うと「俺は俺の点数で自力で高校入るから」と言います。三学期最後に担任から成績を渡されるときも「最初から最後まで生意気でした!」といわれたそうです。親や先生への反抗心から勉強を頑張っているの?と思うくらいです。ほら!こんな点数取ったら、文句ないやろ!って言われている気がします。何を言っても反抗ばかりの思春期真っ只中。見守るしかありません。息子3の成績は・・・この子は、この子でマイペースで良しとします。この春から三年生、兄たちと同じく野球を始めるらしいです。息子1が野球していたころは、親子で一生懸命でした。一生懸命すぎて、一生懸命じゃない人を悪く思っていました。息子2が野球していたころは、息子1が野球で傷つき親や指導者が一生懸命になり過ぎると、時には子供が傷ついてしまうと思い、楽しくやればいいのにと、一生懸命な人を悪く思っていました。いつも、自分と反する人を悪いと思って関わって来た野球は、楽しいものではありませんでした。だから息子3が野球をすると言い出すのが怖かったです。でも、息子3は、誰が進めたわけでもなく、どちらかというと、息子3には向いていないと家族みんなが思っている中で、野球をすると言い出しました。全てのことは良い悪いじゃなく、自分と反していることをしている人が悪く見えていた。全て自分の問題と気付いた今、また息子3が野球をしてくれることで何が学べるものがあるんじゃないか、見えるものがあるんじゃないかと楽しみ(楽しみに思えるように修行中)にしています。
2006/03/31
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この日記を書き始めたときは、ただの子育て記でした。すぐに息子1が不登校になって、自分で「不登校の子供と共に」とのテーマを作って、書いてきました。義務教育が終わって、高校に合格した息子1。もう「不登校の子供と共に」のテーマじゃ変かな?と思っています。ある方のブログで、「不登校、ひきこもり」の平均期間は、3年3ヶ月だとありました。息子1は、中一の夏からですので、2年半ですね。3年3ヶ月は平均なので、これより長い人も短い人もいるわけで、そろそろ平均期間の息子1がこの高校進学を機会に、「不登校、ひきこもり」から脱出してくれればと願っています。ただ、最長の人は14年と書いてあり、それを見たとき、ホッとしたんです。一生、引きこもっている人はいないんだな。最長でも14年なんだと思ったんです。息子1が不登校になったころの私は「今日も行かない、今日も行かない」と毎朝、のた打ち回るほど苦しんでしました。不登校の先輩母に話を聞くと、もう数年たっていると言うじゃないですか!そのときは、そんなに長くこの苦しみが続くのか!と絶望に近い気持ちでした。なのに、今、14年と聞いても、「一生引きこもる人はいないんだ、最長でも14年なんだ、もし息子1がひきこもっても、30才前には元気になるやん」と思うんですね。人って変わるものですね。息子1と野球をしていた子たちは、みんな野球も上手く、学校の成績も優秀でした。そのままみんな頑張り続けたようで、推薦で野球部のある高校に進んだと聞きました。羨ましい話の裏には、親子で苦労され、努力された日々があったとは思いますが、あのまま野球が続けられていたら、息子1だってと・・・嫉妬心が沸いてきます。息子1の高校にも、野球部があると聞いています。でも、元女子高で、今でも男子が少なく、存続しているのかどうかもわかりません。息子1は「野球部ってヘボいんかな?俺、怒られるの嫌なんやって。なんで、野球教えるのに怒らんなんのやろ。怒らんでも、こうなんやでって普通に言えばいいやん」と言います。監督に叱られ、大好きだった野球が続けられなくなり、そのまま不登校になった息子1でしたが、怒られるのが嫌だと自分の口で言えるようになりました。私は「ほんまやな。息子1は少しづつでも野球を続けていれば、良いコーチになれるん違う?」と言いました。息子1は「コーチかよ!(*^-^*)」私「だって、監督って大変そうやん」(息子1を傷つけたのが監督だったので監督とは言えなかった)
2006/03/16
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卒業式の朝、息子1を迎えに行くとクラスメイトは言いました。息子1は、メールで断ったそうです。「お母さん、断るの大変やったんやで」と言っていました。息子1には、式には出なくても、卒業証書はもらいに行かないといけないと話してありました。午後に担任から、学校に来るようにと電話がありました。車で学校に着くと、担任が玄関で待っていてくれました。いつも夜に裏口から入っていた学校ですが、担任が「今日は、表から入ろうか」と言ってくれ、息子1も従いました。校長室へ入ると、3年担当の先生たちがズラリと並ばれました。担任が息子1の名前を呼ぶと、息子1は大きな声で「はい」と言い、校長先生の前まで進み、校長先生が卒業証書を読み上げられ、息子1の手に授与されました。その後、全員の先生と握手をし、息子1の卒業証書授与式は終了しました。私は、前日からの担任やクラスメイトのアプローチのおかげで、学校側と息子1との温度差を改めて感じていて、悲しさも切なさもどこかに吹っ飛び、ただやっと終わるんだと思っていました。校長や担任も、感謝の言葉を言う私に「力が足りなくて」のようなことを言われました。私は、学校側に心から感謝しています。3年間の担任は、みんな息子1に良くしてくださいました。今の校長は好きにはなれませんでしたが・・・なのに、学校側は、息子1を最後まで登校させられなかったことを「力が足りなかった」と言います。誰かの力が足りなくて、息子1は今ここにこうしているわけじゃないのです。カウンセラーさんの「学校からは、いろいろあった息子1君の3年間は見えない」と言う言葉がよみがえります。誰からも見えなくてもいいんです。確かに息子1は、この3年しっかり歩んできたから。選びたくて選んだ道じゃなかったけど、この先にしか道はないから。毎日が、明るい未来の最初の日です。本当に中学の先生方、同級生のみなさん、ありがとうございました。
2006/03/12
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