それは選ぶ思考が勘違いを起こした訳ではない。選り好みする自己の欲が齎(もたら)す結果がそうなっただけの事。
勘違いと一緒に思い違いがある。
前者は洞察力の無さで、後者は記憶の欠落に対する思惑違いを示している。間違いという記憶違いが時に起こる。出来心の隙間に自己の欲望が一瞬ではあるが表面上に現れる。お隣の芝が綺麗に見える様に ...
好きな人が目の前にいたら、あなたはどうするだろうか。
ある時期に、青春期に。
素敵な人が微笑んでいたなら。その微笑みの意図するものが何であるか考えあぐねるか、将又、好きな人なら即、抱きしめるか。
思考が先か行動が先か。未来は不透明なもの。
今の瞬間に未来が決まるなら、その微笑みは何を意味するものだろうか!
縁(えにし)。結(むす)ばれる。
結婚も然り。
人以外の生き物は子孫の為に結ばれる。人は心が仕切っている。面倒な精神という感情が人を動かします。だから迷いが出る。不思議ではない当たり前の事だ。
他人同士が結ばれる。
まあ末永く幸せになるかならないかは、神ぞ知る。
若い時には考えるより身体が先に動く。本能という代物が先走り後悔が残る。結末が見えていたら人生なんて面白くもないが、先見の明のようなヒラメキが時に起こる場合がある。
予知する能力なんて有りもしないのに、ふと閃(ひらめ)く!
感受性が豊かでもないのにその時だけは溢れる気持ちを抑える事が出来ずに燃え上がる。熱く燃え上がる情熱が心を支配する。眼の前にはあなただけしか映らない。
想い、想いすぎる情愛が一時たりとも、あなたを忘れなくさせるのです。
世界のすべてが、あなただけになる。その時は周りの人が何を言っても聞こえはしない。本人にとっては、あなただけがすべて。
若い時の見方なんて、曖昧(あいまい)なものはないのです。お年頃は相手を見比べる場合に基準とする物差(ものさ)しが定かで無い。
気持ちが先走る。自制より行動が結果を得る。慎ましく生きる。そうあれば、素直な出来事で事は済むのです。若き一途な純情が先走り世間の建前などを蹴散らして愛を実らせます。
人の出会いとは。
幼き頃に出会ってその時は別に気にもしてなかったのに。
再会して気付かされる。時が経ち人の成長に伴って気持に変化が現れる。身勝手な解釈で気にも留めない出会いであっても、偶然過ぎる出会いも存在するのです。
縁(えにし)は結びを解かない事もある。
起こるべきして起こる出来事がどんな成り行きで起こるのか!
人の出会いの縁(えん)ほど不可思議なものはない。
人との繫がりも然り。
普通の出会いだけではお友達以上にはなれない。
そして、魅かれ合う気持ちも生まれない。なんらのキッカケがなければ人との縁(えにし)は起こらない。偶然のタイミングと時の悪戯(いたずら)が重なれば運命の女神が微笑む事だってあるのだから。
人と人とが出会って魅かれあう、求め合う条件は様々です。その要因を探れば、女性は父親の面影を抱いて強い異性を求める。男性は幼き頃の想い出(母親の面影)を探し求めます。有りの侭(まま)の気持ちが人の共感を呼び覚ます。
道理の摂理は共感を得る。魅かれあう条件の中で心(気持ち)の環境も大事です。そして、伴に楽しく生きられればそれに越した事はない。けれど、すべてが道理なら心情も色気を失くし面白みもない。でも毎日楽しく生きる。これが普通の人には結構難しい。私もそうだが。
昨日は嬉しい事があったけど今日は落ち込んでいる。
そうです、毎日が楽しい事ばかりではない。嫌な事も起こる。人との出会いで自己嫌悪が募り、迫る蹄 ( ひずめ ) の音に脅えながら生きるのも身勝手な去勢の仕方だと誹謗するのも勝手だけど。
人生、逃げてばかりではその存在価値も疑われる。
そして、希望も生まれない。
出来事の喜怒が運命を左右する。
心と気持を治癒する時間が流れて思考に変化が起こる。
そこで運命の女神様が切っ掛けのお膳立てをなされる。
すると、ただならぬ出来事が勃発し道理の道筋が書き換えられるのです。
そこに愛が生まれ、切っ掛けが出来事を運命という代物に変えるのです。
そして、愛のメニューに勇気という奮起する香辛料が振り掛けられて、より一層燃えあがります。 ( 利き過ぎは良くありませんが ) もう、あなた無しでは生きられない、なんて事になる。可笑しなものです、人の生き方なんて。
でも愛情なんて方程式道理に行かないから面白い。
そして、思い描く理想が出会いを良い方向へと物語を創りあげてゆくのです。
出会いの感触が素晴らしいものほど、舞い上がる気持ちが大きくなります。期待が膨らむ。人を慕う気持ちが湧き上がる。運命が出会いを設定して人の縁(えにし)が誕生します。起こるべきして起こる出来事が運命という未来の偶然をお膳立てするのです。
心の内部が好きな人一色になる。
自制する矛盾を抑えることが出来なくなり希望が愛を募らせる。探し求めて。物事は欲や傲慢さで選別するべきものじゃないことぐらい、百も承知。でも、若い時はひたすらに愛を求めて好きになった。駆け引きなど必要としなかった。純粋にただ盲目なほどに好きになって大好きな人に、大事な人になってゆく。心の内部に、すべての容積が、あなたの笑顔で埋め尽くされる。
好きになる。
愛おしい人の気持ちを思い、その気持と同じ波長でありたいと願う。その同じ感情でありたいと祈る。頭の中は、すべてあなたの事だけ。どうしようもなく居た堪れない自分が情けなくなり、そして時間だけが過ぎてゆく。先程まで一緒にいたのに別れても、その人の事が頭から離れない。どうしているのか、その時は、それだけで苦痛なほど悩んだのに。生きるすべてが好きな人の事で一杯になる。素敵な時間。甘酸っぱく、ほろ苦い一途な時間。
好きになる。
それは愛する事が幸せになる証なのかも。心が相手の気持ちを思いやる。いとおしさで満たされる。何処から来るのか、この幸せの気持ちは。
人の心は不思議なものです。満たされる喜びに戸惑う気持ちが寄り添って不思議な感情が芽生えます。愛して愛されて。ただ、それだけの事なのに、人の感情ほど素敵なものはない。
寄り添う。伴に奏でる。
共演すべき人がいなければその人生は淋しいものになる。人は精神と行動が不揃いにならないように神に祈ります、心の拠り所を求めて。その神と魔物が共存する人の心の内部で愛が微笑み、愛がどちらを選ぶかでその人の一生が決まります。
物語は粛々と進行して出来事が事なきを得る。愛が残す欠片に未来が灯されても欠落した愛情が横槍をいれ、人生とは悠々と流れているようでいても感情に左右されて滞っているものだ。愛をなくして人は生きてはいけない。
未来は愛情が微笑んでいるかで決まります。
今の人生が意味を持たなければ未来は過去の異物となる。人を愛する、感じる勇気があれば未来は素敵な贈り物を与えてくれるだろう。
震える感動が涙を誘う。涙がこぼれて、零れ落ちて流れます。嬉しい気持ちと共に。想う気持ちが溢れ、震える感動が未来を開く。抱きしめる勇気があれば、夢は叶う。
願う先に愛があり、勇気が与えられ想う気持ちが心の壁を打ち砕き、未来の願いを奏でます。人を愛することがどんなに素敵な事か。
愛する気持ちが未来を描きます。
物語は未来から始まるものではない。あなたとの出逢いがなければ始まらない。その出逢いがなければ、この愛も生まれなかったのです。あなたとの出逢いは偶然なの、それとも必然的な運命。諦めない勇気とあなたとの運命が願う奇蹟を呼び起こします。
過去と未来を交信しても現在に愛が無ければ素敵な音色が届かない。想いの夢も描けない。大切なのは、あなたの愛が萌え尽きない様に、その愛を未来に、過去の想い出を今に繋ぐために愛を育てます。この愛を、何もかも包み込んでしまう夢心地のような微睡む愛情があれば良い。
想い慕い抱きしめて心の思いやりが慈しみを醸しだす。
愛、愛情、好きです。物事は淡々と流れて情熱は熱く燃え上がる。あなたの腕に、あまえたい。狂しく抱きしめたい、この想い。
愛情ほど人を魅了するものはない。愛、その気持(精神)が夢を描き、揺さぶられる気持ち(情熱)が人を惹きつける。想う事と感じる事が寄り添って心が一つになる。
人の心は素敵なもの。複雑な人の心が一つになって、素晴らしい音色を創り出す。まったくの赤の他人が、結ばれる。
考えれば、これほど素晴らしい奇蹟はない。
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