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昨日は午前中に、次女の歯の矯正の予約が入っていた。学校からドクターの所まで車で15分もあれば到着するので、余裕を見て25分前に学校へ到着した。娘の盲学校では、それぞれ生徒たちは必要に応じて、個別指導のクラスを受けている。 例えば娘の場合、白杖を使っての歩行訓練のクラス、点字のクラス、点字のノートパソコンクラス、カウンセリング等。そのスケジュールを娘もちゃんと覚えていて、個別指導の時間になると、授業を抜けては一人クラスへ向かう。彼女の予定表によると、、娘を迎えに行く時間は3時間目と4時間目の休み時間だった。ちなみに、彼女の学校では休み時間はたったの4分。小学生は昼食後に45分の昼休みがあるが、中学になると昼食が35分でその後の昼休みもない。カフェテリアのある寮の建物まで2-300メートルはありそう。行って、食べて帰ってくるのに30分もあっと言う間だ。授業の間の4分の休みにトイレ休憩はせなばならず、ロッカーに教科書はとりに行かねばならず、また、クラスによっては離れた建物に移動せねばならず、遅刻すると先生にとがめられる事もある。全盲の彼女にとっては非常に神経を集中させて行動せねばならない時間だ。 うっかりすると、迷子になりかねない、、。 さて、3時間目はリビング・スキルと言って、視覚障害者が社会に出て困らないような、生活全般の仕方の指導のクラス。高校の校舎で行われるクラスだ。 そこから彼女は中学の校舎に戻り、社会の授業に出る予定になっているはず。他の生徒達がリビング・スキルのクラスから徐々に戻ってくるのを、担任の先生と話をしながら待っていたが、、、。待てど暮らせどミッシェルは姿を現さない。はてな?と首をかしげる先生。他の生徒に聞くと、、「ミッシェルは点字の個別指導の時間じゃない?」「いや、後ろを歩いていたから、もうすぐくるんじゃない?」とか、意見もバラバラ、、。広い構内で迷子になった前科があるので、母はなんだかいやな予感がしてきた。 いや、こんな時こそ娘の実力を信じて、笑顔で現れる姿を心に強く描くべきだ、、。 でも、矯正の先生の予約の時間は、容赦無く近づいて来た。 「何、うろうろしてるんだろう? あんなに、xx時に迎えにくるからねって、朝、念をおしたのに。」自分の予定となうと、私より良く覚えている娘にしてはおかしいが、、ついつい娘を責めたくなる私。------アメリカでは必要とあれば、子供の時に歯の矯正をし、歯並びを美しくするのは、ごく当然の事となっている。誰もがやる事だから、矯正をしている子供達だってちっとも恥ずかしいなんて思わない。 逆に、歯並びが悪い子供の方が、いつ矯正をさせてもらえるか楽しみにしているくらいだ。今では、歯につけるプラスチックのバンドの色も何色もあり、おしゃれの一つにもなっている。子供たちは、「今回はハロウィーンだから、オレンジと黒にする~。」「独立記念日が近いから、赤と青。(白い歯をバックに、これはアメリカの国旗の色)」「私はピンクと黄色よ~。」目が見えないミッシェルも、矯正では大先輩のお姉ちゃんのアドバイスを聞いて、「今日はね、ブルーとグリーンにしたよ。」とニーを笑って自慢げに歯を見せてくれる。ミッシェルは幼児の時に、前歯の2本がくっついて、ぶっとい歯をしていた。そのぶっとい歯だけ気になるのだろう、幼児の時に良くそこの歯茎をいじっていたので、そこの歯茎だけかなりえぐれてしまって、さらにでっかい大人の歯が生えて来たら、どうなるのだろうと心配した。そのぶっとい乳歯が抜けて、レントゲンをとった時、歯茎の中にはちゃっと2本に分かれた大人の歯が写っていて、先生と一緒に拍手をして喜んだのを覚えている。 やれやれ、問題一つ解決~。 しかし、ミッシェルは成長するに従って、主人の大きなあごと、私の小さな歯を受け継いだのだろう、小さな歯と歯の間は広がったままで、上の歯と下の歯は全然かみ合わさっていない。親が気にする会話を聞いてか、見えない本人もすきっぱに触っては、気にし始め、「ねえ、いつになったら私も矯正できる?」と何かにつけては催促していた。そして、家計と相談していよいよ矯正をすることになったのは去年の春。首を長くして待っていた待望の日。矯正の先生に、ニーと歯を見せ、「すきまだらけなんです~。」とけなげに説明する娘。矯正をしてからの2-3日は流石に痛んだようだが、自分の体が良くなる事だ、痛くたって我慢できる。目の手術の時もそうだった。自分の為だという事が良く解っている。それに、お姉ちゃんと同じように矯正ができたのも、又ちょっと大きくなれたようで嬉しかったに違いない。続く。
2004年01月31日
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昨日、今日と長女の学校へボランティアに行って来た。アイスクリーム・ソーシャルと言う行事があり、中庭で高校生達にアイスクリームをスクープして渡す仕事だった。何でも、恵まれない人たちの為に、年に何回か缶詰食品や、日用雑貨の寄付が行われ、皆家から缶詰や雑貨類を持ち寄る。一番沢山集めた学年が、こうやってアイスクリームをご馳走してもらえる仕組みだ。 今年の缶詰食品集計の一位は、入りたてのフレッシュマン。9年生だ。そして、日曜雑貨集計の一位は、今年の夏には社会へ大学へと巣立っていく、シニアの12年生であった。ベルが鳴ると、ぞくぞくと中庭にあつまる生徒達。こちらは制服もないし、シニアにいたっては先生と間違われそうな子供も多い。 でも、嬉しそうな笑顔でアイスクリームをほおばる姿は、まだまだかわいい。こちらに来た8年前、家族も友達もいなかった私は、何とか社会にとけこもうと、先ずは長女の小学校でボランティアを始めた。面白い事に、こちらの小学校では毎日の様に生徒の母親達がクラスの中でボランティアをしている光景をみかける。 私もさっそく長女のクラスで週に一度、午前中に先生の手伝いをすることにした。私の主な仕事は、テストの採点。こんな時、日本人は本当に手際が良く、やることが早いと思った。多分、アメリカに来たら、日本人はどんな職種についても仕事の処理能力は抜群ではないかと思う。 あれよ、あれよとテストの採点をしていく私に、先生も大喜び。 私は自分の娘のテストの採点となると、ついつい感情が入ってしまい、「あら、こんな簡単な問題、間違えて~。」「良く、問題を読めば間違えないのにね~。」「わあ、このテストは娘が最高点だったわ。」等‥、家に帰って、ああだこうだと私から意見される長女にとっては、たまったものではなかったかもしれない。でも、私が学校に来る事は内心嬉しそうだった。ついつい次女に手がかかっていたが、「やっぱり私も大切にされているんだ」って母親の気持を感じてくれた。子供の学校でどんな事が行われているか、知ることは親にとっても子供にとっても大切だ。 子供の事はほったらかしの親が多いアメリカ社会。時には、子供の視線で物事をみてみると良いと思う。
2004年01月30日
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25度近く上がったかと思うと、今日は打って変わって冷え込み、夜は零下になるとか、、。フロリダの冬も、東京並に寒くはなるのですが、、突然、気温が上がって半袖の陽気になったり、と気まぐれであります。ところでアメリカで使用している華氏と世界に通用している摂氏の換算方式をご存知ですか?こちらに来て、え、、と今日は華氏86度だけど、随分暑いな~。摂氏にしたら、何度かな?と一体どのくらいの暑さなのだか、日本の気候と比較するのに困っていました。そこでありがたい事に、先週、次女のミッシェルが学校の科学の時間に換算方式を習って来たのです。(え? インターネットで調べれば、その位すぐに解る、、。 それもそうですね。)華氏から摂氏へ (華氏-32)÷1.8摂氏から華氏へ 摂氏X1.8+32と言うわけです。 ちなみに、フロリダ人の私達が寒いと震える華氏55度は、、なんだ、摂氏にしたら12.7度もあるわ、、。震えていたら笑われそう。温暖な気候で生活していると、寒さにも弱くなるものですね。-----------もう一つのホームページ「心の目・ドットカム」を工事中にしてしまってから、ちょっとコンピューターに向かうのに疲れを感じて、2-3日お休みしてました。へんしゅちょさんの「続きを楽しみにしてます~。」の優しいお言葉に、やっぱり三日坊主はいけないな、と思った所です。さて、でも、書きたい事が出てこない日はどうしましょう?考えた末、多分書きたい事が出てこないのは、心が充電されていないからだと思ったのです。 無理に書くのも心に良くないし、、。と一人でごちゃこちゃ言っていますが、つまりは、コンピューターに向かうととかく子供が学校へ行っている間は、一人家に閉じこもりがちの気楽な主婦。これではいけない。やっぱり日記は飛び飛びになっても、少し外へ出て充電するぞ~!
2004年01月29日
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週末は、子供抜きで一人旅を楽しんできた。旅と言っても、フロリダの西海岸に住む友人達に会いにいったのだ。結婚してすぐに子供が出来て、一人気ままに週末を過ごす事も殆ど無かったので、とても良い息抜きになった。気になって、携帯電話で子供に連絡をしたのは、まず私。「いつでも、電話していいからね。」と言う私に、娘達の方からは一度も電話はかからず、、。便りが無いのは良い便りとはよく言うが、、、だんだんと親離れしていくであろう子供達を、頼もしく思う反面、一度も鳴らない電話に、ちょっと淋しくもなった母である。---------------さて、ファイヤーファイターの話も、とりあえず最終回。火災や交通事故の救助以外にも、下水管に落ちて抜けられなくなったり犬を助け出したりと、テレビでも色々な場面で活躍するファイヤーファイターを見る。夫が勤務するダウンタウンのステーションでも、思わぬ仕事が待っている。アメリカの大都市には、必ずと言って良いほど、ホームレスの人たちがたむろしている地域がある。 赤十字などの機関が、無料の宿泊場所や食事を提供する場所があるのだが、そこへ行きたがらないホームレース達が夫のステーションの周りには沢山いるそうだ。 彼らは、ただの食事にはありつきたいが、そういう場所へ行って、仕事の斡旋や自立の道の手助けをされるのがいやなのだ。言ってみれば、怠け者。彼らは、町のどこへ行けば美味しい食事にありつけるか、良く知っているそうだ。 「xxレストランの裏がいい。xxバーガーの裏がいい。」どこもxxの裏なのだが、そこにはダムスターと言う鉄製の巨大なごみ箱が置いてあり、レストランやファーストフードの売れ残りは、そこに捨てられるからである。ある晩、ホームレスらしき人から「仲間がダムスターに落ちて這い上がれない」との連絡があ入る。どうやら、xxの裏の美味しいごみを拾おうと、ダムスターによじ登り、降りた拍子に肩をはずしてはいあがれなくなったらしい。現場に到着して、あきれて物も言えないファイヤーファイター達。「いくらファイヤーファイターとて、何が捨てられているか解らない危険なダムスターに入っていけるかよ~。」彼らも自己防衛が先。結局、横についているごみ捨て様の小窓の鍵をあけて、何とか本人に自力で這い出させ、病院へ連れていって、一件落着。 又、ある交通事故の現場では、車の前方が大破して運転席に閉じ込められた女性が「マイ、ベイビー!! マイ、ベイビー!! (直訳: 私の赤ちゃん! 私の赤ちゃん!)」と泣き叫んでいた。 後ろの座席を見ると、良かった!カーシートに座た赤ちゃんは無事だ。「大丈夫、赤ちゃんは無事ですよ。」と伝えるファイヤーファイター達。うれしい瞬間である。酸素マスクをつけ、赤ちゃんと共にすぐに病院に輸送された女性。 ところが、病院に着いてから新たな事実が判明。彼女が叫んでいた「ベイビー!」とは、助手席にシートベルトもつけずに乗っていた、ボーイフレンドの事であった。(ちなみに、アメリカでは恋人や夫婦間でも、ベイビーと呼び合う人は多い。)現場を片付けてステーションに帰ったファイヤーファイター達だが、すぐに現場に引き返し、被害者を探す事に。こういう捜査は心が重いと言う。 皆、懐中電灯を手に、車の窓ガラスから飛び出したであろう道路わきの雑木林の中、べイビーをさがす。 残念ながら、この捜査は悲しい結末に終わった。シートベルトをせずに投げ出されたボーイフレンドは何十メートルか先の木に激突して即死だったそうだ。シートベルト、しましょうね。その他、体が不自由な一人暮らしの年配の人たちの救援も多い。 ベッドから落ちて2日間動けなかった老女。訪問した福祉事務所の人に見つけられ助かった。トイレにもいかれずに床に寝たままで洋服もかなり汚れていたらしい。こんな時もファイヤーファイターが救援に。そして、老女の体を拭いてあげる白いタオルは、当然、一番新米の夫へと渡された、、、。新しいパジャマに着替えさせてあげ、病院へと連れて行く。アメリカは一人暮らしの老人がとても多い。こういう老人たちは、「老人ホーム-入ったら、二度と自宅へは帰れない」事を良くと知っているので、不自由な体でも老人ホームへの入居には最後まで抵抗する人が多いそうだ。皆、いずれ年取っていくが、若いうちから体は鍛えておきたいものだ。又、ある時は、アパートの一階の公衆トイレで立てなくなった人がいると連絡が入る。気分でも悪くなったかと思って直行したファイヤーファイターの目に入ったのは、便器にズボンを下ろした姿で座っている体格の立派な黒人男性。ちっとも具合など悪そうでない。ちょっとむっとして、「どうしたんですか?」と聞く夫。「ちょっとドキドキするから血圧を測ってくれ~」なんて夜中に平気で消防士を呼ぶような人がいる世の中なので、こんな場面ではファイヤーファイターも、またか、、と思わずにはいられない。「2階の自分の部屋まで間に合わなかった。あの管理人がちょっと手を貸して立たせてくれれば良いのに、消防士まで呼んだりしやがって。」と彼もかなり憤慨している。最初は訳がわからない夫であったが、なんとズボンに隠れて見えなかった彼の膝から下は何もなかった。退役軍人の彼は、戦争で両足を失ったそうだ。 自分の部屋に行けば、助けなして一人でなんでもできるように設備されているが、時にはおもわぬ場所で緊急事態もおこる。 ちなみに、管理人は女性だったそうで、怒る彼の気持もわからないではないが、消防士を呼んだ管理人の女性の行為も当然だと、夫は国の為に働いて車椅子の生活となった彼に対して、知らぬとはいえむっとした自分の気持を恥じ、誠心誠意、手を貸したと言っていた。本当にファイヤーファイターの皆さん、ご苦労様です。
2004年01月26日
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昨日の晩、娘と二人で車で家に帰ると、家の前の道を、黒いかげが横切った、、、。「あ!大変、マックスが逃げた!」と一瞬冷や汗。 ちなみにマックスとは2年半前から我が家に来た、身長165センチ、41キロのジャーマン・シェパードである。「いや、待てよ。マックスはちゃんと家の中に入れて来たし、逃げる訳がない。」とものの一秒程の間に色々な思いがよぎる。すると、又後ろから、もう一匹黒い物が後を追うように横切った。「あ、マックスがもう一匹!!」 居るわけが無い。娘が、「ママ、あれ鹿じゃない? そうよ、鹿よ!」フロリダ鹿は背が低く、丁度大型犬の背格好に似ている。8年前に、この雑木林に囲まれた住宅地に越した頃には、時たま鹿を見かけた。 近所の人は、突然とびだしてきた鹿に車ごとぶつかり、ボンネットが大破した事があった。 最近は開発の波もあってか、すっかり見かけなくなっていた。鹿さん、どうか車になどぶつからないで、無事に住みかに帰ってね、、、。---------ファイヤーファイターになるには、集団生活が苦にならない人でないと難しいと思う。夜は、いびきの大合唱の中でもぐーぐー寝られる人、夜中に何度も起こされても、出動から帰って来たらすぐまた眠りにつける人。 いびきの音に夜中、何度も起こされる私、夜中に目がさめたらなかなか寝付けない私には到底無理。ボーイスカウトの活動を長年続けて来て、尚且つおしゃべりづきな夫には、そんなファイヤーファイターの集団生活が、とても性にあっている様子だ。ファイヤーファイター達が陽気で、冗談好きな人が多い事にはそれなりの理由があると思う。 日々向き合う、交通事故、火災、病人やけが人の救助には、目をそむけたくなる光景も多いそうだ。手術の跡の傷口を見ただけで失神しているような私には、とうてい勤まらない仕事だ。パラメディックになった人でも、事故現場の夢にうなされてやめて行く人も結構多いと聞く。夫はかなり冷静で、家では仕事の話はあまりしないし、私もあえて聞かないが、たまに、胸の内をぽつりと話す。 子供が巻き添えになった交通事故の救助の後は、さすがの彼も2-3日気持が沈んだと言っていた。 色々な思いが頭をめぐる。アメリカに帰ったらハーレーを乗り回したいと言っていた夫は、バイクの事故を何度も見てきて、今ではすっかり考えを変え、バイクには絶対に乗らないと言っている。(バイクを利用している方、脅かすわけではありませんが、ヘルメット着用で、くれぐれも無理の無い運転を。)だから、ファイヤーステーションにいる時は、皆、気分を180度入れ替えて、ジョークを飛ばし笑っていないと続かない仕事でもある。そして、中にはあっと驚かされる救助もあるそうだ。続く
2004年01月23日
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今日はミッシェルがひどく咳き込んでいるので、学校を休んで家で寝ている。 昨日聞いた、「経費を削らずに、パートに出て経費を稼げば?」という天使の声も、「やっぱり家にいると、こんな時はありがたい。」と言う思いに変わってしまう。 日記のテーマの「子育て」とは関係が無くなって来たが、アメリカのファイヤーファイターの話をもう少し、、。夫がファイヤ-ファイターになるまでは知りもしなかった消防署の生活。 (といっても、特に秘密があるわけではないので、がっかりしないでね。)アメリカでは消防署の事を、ファイヤー・ステーションと呼ぶ。そこには、通常3つの部署(チーム)があり、それぞれ配属が決まっている。 どのファイヤーファイターも、エンジン、ラダー、レスキューとどの部署でも仕事ができるように、資格を取得し、訓練を受けている。 夫の現在の所属はラダー。 エンジン つまり散水をする「消防車」 ラダー いわゆる「はしご車」火災現場では、燃えている 建物に入り救助をする一番危険な仕事。火事現場では、 エンジンが帰った後も、危険がないかなど色々と処理を する。 レスキュー隊 ご存知「救急車」出動目的に応じて、この3台が出動していくわけだ。エンジンチームは、火事は勿論、交通事故、病人、その他何でも出動 しなければならない。ラダーチーム も大体はエンジンチームと一緒に出動。火災は勿論、交通事故でも車体を切って中から人を救助する、鍵の閉まった人家のドアをこじ開けるなりして、中の病人を救助するなど、レスキュー隊と一緒に出動する事もある。当然、夜の出動が多いのはレスキューとエンジン。 宿直室のサイレンが鳴ると、寝ている消防士達はランプの色でどのチームへの出動命令か解る仕組み。 一番危険ではあるが、ラダーチームは大体夜はぐっすり眠れるらしい。 ファイヤー・ファイターになるには体力と知識も必要だか、やはり何と言っても大切なのはチームワークが出きる事ではないだろうか、、。ステーションによっては、20人以上の人間が24時間一緒に生活する。食事も当番制で交代で作ったり、(まずいと、ここぞとばかり容赦なく文句が飛んでくるそうだ。)夜もベッドを並べていびき大会。暇な時間はジョークを飛ばしあい、共に笑う。だが、いったん火災現場に入ったら、お互いがお互いの命を守るのだ。続く
2004年01月22日
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今日は、不安に思っていた事態が起きた。私が無眼球・小眼球の子供と家族の為にと始めたもう一つのホームページ、心の目・ドットカムが、インターネットから消えてしまっている。消えてしまっていると言っても、消えるように手配をしたのはこの私。今、仕事をしてない身分の私は、経費を削ろうと思ってサーバー会社との契約を、一番安い契約に変えたのだ。 安い契約に変えると、ファイルは消えるから、もう一度ファイルを全部アップロードするしなければならないと説明を受け、私は時間をかけて全てのページつまりファイルをバックアップしたまでは良いのだが、、。自分ではアップロードしたつもりでいるが、どうした訳だか私のサイトにつないでも工事中になっている。 出てこない!!さて、こうなると殆ど素人であるが、念いと情熱だけでホームページを始めた私には、何がなんだかさっぱり解らないので、困った。安い契約に変えたので、電話でのサポートも無くなってしまった。 (ちなみに、過去2年間で電話でサポートしてもらったのはたったの二回だけ。)ちなみに、ホームページを始める気にさせて、手取り足取りホームページ作成講座を開いてくれた、ゴンさんの「日本語OKドットカム」のページはこちらです。 http://www.nihongo-ok.com/old/hp_koza/010918_hp1.htm こんな時は、なんでちょっとの経費を削ろうなんてケチな考えをしたんだろう~。 とか、、私のような素人が、普通、自分のドメイン持ってやるかしらね~。 とか、、どうするの! どうするの! とか、、ついつい考えたくなる。 が、まあ、ホームページが消えてしまっても、明日がなくなる訳ではないし、、、たかが(?)コンピューターの事、、、(と言っても、そのコンピューターの事が良く解らないから、いつも苦労するのよね。)と自分を慰め、励まし、とにかくもう夜だし、、明日考える事にする。そんな訳で、楽天家の私は、どうにかなるさ、エイやっとまたどじってしまった次第です。 どうりで、最近長女の信用を落としている母、、、。
2004年01月21日
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昨日の日曜日に、家族で映画を見に行った。今日はこちらは月曜19日の朝だから、日本はそろそろ20日の火曜日。ついつい、日記の日付にこだわる私、、。見た映画は、J.R.R.トーキンスの大作である「ザ・ロード・オブ・ザ・リングス」の3作目。 いよいよ最終編だ。去年の夏休みの「ニモ」に続いて、映画館嫌いのミッシェルに対して、ステファニーお姉ちゃんは「ポップコーンや、スナックコンボ買って上げるからね。」若い頃からトーキンスの作品のダイファンである夫は、前回までのストーリーの復習や、今回のストーリーの展開をミッシェルに説明して、何とかミッシェルもその気にさせる事に成功した。映画が始まって、すぐにポップコーンをほうばる彼女。その横で、映像を簡単に説明する夫。最後の方になり、「まだ、終わらないの、、?」とつぶやき始めた彼女だったが、、あれよ、あれよという壮大なストーリーの展開に、3時間20分は驚く程あっという間に過ぎていった。私は、戦い物の映画はあまり好きではないのだが、ストーリーの中にこめられたメッセージによっては、戦い物の映画にも吸い込まれる。「ザ・ロード・オブ・ザ・リング」には勇気と、そして、魔にまどわされない、清らかな正しい心を持ち続ける、つまり心の針を常に善なるもの、神にむけている事の大切さを学ぶ。人それぞれ、映画の楽しみ方は違うと思うが、映像の素晴らしさに加え、とても深いメッセージの詰まった映画に感動した。「主人公が最後に魔に負けないでよかったね。」とはミッシェルの感想。
2004年01月18日
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前回、ミッシェルが体を使う一人遊びを楽しんでいるときは、一人で好きなだけ遊ばせていたと書いたが、だからと言って、朝から晩までほったらかしにしていた訳ではなく、点字を読む訓練の為にも、手先の感覚を養う為に、また、情緒豊かにする為に、手先を使った遊びも一緒に沢山した。福祉センター、盲学校の幼児クラス、ライトセンター、そして幼稚園等色々なところで盲児に良い遊びを教えてもらった。中でも、ミッシェルがとても喜んだのは、モンテッソリ-の教育方法で使う遊びの数々。モンテッソリーには、手先を使う遊びが多い。例えば、ちいさなカップを二つ用意し、一つには砂をいれる。 幼児はスプーンで砂をすくい、隣にある空っぽのカップにうつしていく。 これは、お砂糖でもできる。これは、幼児がいずれ自分で紅茶にお砂糖を入れたりする、コーディネーションに多いに役立った。大きさ形が様々な豆、(ビーズなど、色々な素材を使って応用できる。)を器に一緒に混ぜていれ、それを幼児に触らせて、種類別にちいさなカップに分けさせる。 指先を使って小さな豆を拾う、素材を認識し、さらに識別するなど、遊びながらの楽しい訓練だ。 そのうち、ミッシェルはおもちゃを種類別に分け、整理整頓する事も好きになった。だから、友達が遊びに来て、おもちゃの置き場を変えたり、めちゃくちゃにしまってしまうといやがっていた。これをビーズに変えてみると、器に分ける代わりに、同じ大きさを選んで、ビーズの紐通しもできる。紐がむずかしかったら、モールに通す。 はさみ、裁縫道具、かなづち、カッターナイフ、等、ちょっと危ないと思われるものも、大人が一緒について使い方を教えると、幼児でも、目が見えなくても、結構うまく使いこなす。 ちなみに、ミッシェルはくぎを板に打ち込んだり、紙やすりをかける遊びが大好きだった。 紙やすりは、自分で触りながらざらざらした所を探して、そこをつるつるにするまで一人でやり遂げる満足感も与えてくれる。 板にくぎを打ち込む遊びは、どうしてもくぎが曲がってしまうとので、本人も親も根気がいる。 その内、箱を作ったり、小さな踏み台をつくったりと自分で何かを形にしていく事で、視覚で理解できない部分の理解が深まったようだ。これはモンテッソリーではないけれど、キッチンの棚の中身を出しては、おなべやお玉、ふったり音を落としたりして音を出しては、随分楽しんだ。 形のはっきりしないやわらかいぬいぐるみ類には、ちっとも興味を示さなかったが、家の中の硬いものは、赤ちゃんだった娘にとって、全てがおもちゃになっていた。Skitrainさん、昨日の日記にコメントありがとうございます。玩具のお仕事だそうで。 競争の激しい製造・セールスの世界だと思いますが、子供に夢を売る、素敵なお仕事ですね。 最近こんなホームページを見つけました。 日本の玩具会社も、障害児が一緒に楽しめるおもちゃづくりに力を嬉しい限りです。 玩具会社トミーさんで働く全盲の社員、れいこちゃんのコラムお勧めです。 http://www.tomy.co.jp/kyouyu/genki.htm
2004年01月17日
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皆さん、今日も優しいお気持の書き込みありがとうございました。 返事も書きたい、でも、日記も書きたい、、。先ずは、日記を書く事にしました。優しい言葉は伝染する。 優しさを人に振りまくと、それは広がって行って、自分にも返ってくる。だから、優しさが欲しい時は、まず誰かに与えよう。 愛が欲しい時は、まず、身近な人から与えて行こう。どんな人でも、心の中にキラリ!!!と輝く宝石を持っているんですって。生まれた時に、その人がもらった宝石。でも、知らず知らずの内に、その宝石が雲ってきちゃう、本当の素晴らしい自分が隠れてしまう。だから、苦しみの中にいる人、小さい頃の輝く自分の気持を思い出して、それが、本当の自分だって思い出して、今日も勇気をもって生きましょう!。、、、、と偉そうな事を言っていますが、これは真っ暗闇を歩き続けた事のある私に、愛と勇気を思い出させてくれた、目には見えない真理のお話です。----------さて、「視覚障害児の遊び」の続きを書こうと思っていたが、昨日はミッシェルの盲学校に通う、日本人のお友達が泊まりに来たので、このYちゃんの話をしたい。Yちゃんは、生まれた時から体の左側に障害があり、左の耳も左の目もとても不自由だ。 右の耳は補聴器で何とか聞こえ、右の目は眼鏡で調節して見えている。 その上、英語と言う言葉のハンディがある。英語を知らない人が、周りの人の話す英語が聞き取りにくく、さらには、視力も弱いと来たら、私だったら、どうやって授業についていこかと考えてしまう。でも、そんなYちゃんは、底抜けに明るく、とっても賢い。 お母さんとお父さんの元を離れて、友達を沢山作りたいから寮に入るって自分で決めて盲学校へ来た。 私はYちゃんの通訳として半年お付き合いしたが、泣いたり、喜んだり、どうして?と沢山の質問に答えたり、一緒に考え悩んだ事で、彼女の強さ優しさから逆に学びを得たのは、私の方だったと思う。 物怖じせずに、積極的に自分の考えを主張するYちゃん。笑顔で頼まれると、「いや」と言えなくなる。 でも、何よりも明るく頑張るYちゃんに、周りは「後でね」なんて言えなくなる。障害に対して愚痴をこぼさず、前向きなその姿に、人は心を動かされるんだ。そしたら、障害の無い私達は、与えられた環境に愚痴をこぼさず、前向きに生きよう。頑張れ~! Yちゃん
2004年01月16日
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又、ミッシェルの思い出話しになるが、このページを読んだ方の視覚障害児に対する理解が少しでも深まってくださると嬉しい。視覚障害がある為かどうか解らないが、ミッシェルは一つの遊びに熱中すると、それを30分、1時間と飽きずに続けていた。大抵は黙々とやっているのだか、音や感覚が楽しいとケラケラ笑い声を上げて続ける。後になって指摘されたが、視覚障害児に対しては、親が幼児の目となり、子供の身の回りに何が起こっているか、さらにはまわりの世界の事を、細かく話し掛けて説明し、様様な物に対する認識を深める事が大切だ。忙しい親にとっては、1日中赤ちゃんに付き添って、「これは壁よ。 壁の向こうは廊下よ。 ほら、聞こえる? 外に飛行機が飛んでるよ。」等、等、目から入る情報を全て説明するなんて、並大抵の事では無く不可能に近い。だから、出切る範囲で説明すれば良いと思うのだか、説明すればするほど、視覚障害児の認識力は高まるようだ。 それ位、目から入る情報は多いとも言える。(心の目・ドットカムの「幼児期の育て方」のページもご参照ください。)私は後になってそれに気づいたので、、、ミッシェルが赤ちゃんの時は、一人で良く遊ぶ彼女を結構ほったらかしにして一人で遊ばせていた。 失敗したな~とも思うが、その反面、一人遊びで鍛えたのか、一つの事に長時間集中して取り組める良い癖はついたようだ。(うん、人生に無駄は無いのである。)昨日も書いたが、階段の上り下りを何十分も続けて、それを毎日毎日3ヶ月も続けた。 最後には階段の上から落ちて、彼女は高さと言うものを認識したのかもしれない。又、トランポリンも大好きな遊びの一つ。 一度飛び始めたら、1時間でも飛んでいる。そのうち、くるくる回転しながら飛んだりと自分で工夫を始めた。 子供用の滑り台のお古をいただいたら、何十分でも飽きずに登ったり滑ったり、楽しそうに続けた。 ある時、全盲の赤ちゃんには良くあることだが、昼と夜が完全に逆になってしまった時の事。赤ちゃんの頃は、親もくたくたになって、夜通し抱いてあやしたりするのだが、、、(現在奮闘中の視覚障害児のお母さん、頑張って。)すでに2歳になっていたミッシェルは、夜も一人で楽しく遊ぶ。そこで、凝ってしまった遊びが、雨戸の開け閉め。「ガラガラ、ガラガラ、ドッシーン」と4-5枚はあったであろう、二階のベランダのスチール製の雨戸を、開けては閉め、閉めては開け、ケラケラと笑い声を立てながら熱中した時期があった。その頃、何週間か遊びに来ていた私のおばあちゃん。ミッシェルも曾おばあちゃんが好きで、良く彼女が滞在していた二回の部屋で遊んでいた。ある晩の事、おばあちゃんが私達を起こしに来た。 「悪いんだけどね、、ミッシェルが雨戸を開けたり閉めたりして、うるさくて眠れないんだよ。、、なんとかしてもらえないかね。」騒々しい音にも大分慣れて、ぐっすり眠っていた私達は、遠慮がちに頼むおばあちゃんにの声に、ふと時間を見ると、夜中の2時。 「ごめん、ごめん。おばあちゃん。」-----------親にとっては日常茶飯事の、意外な遊び。 親はタフにならざるを得ませんが、まわりの方にも、ご迷惑おかけしました。視覚障害児への認識とは、ちょっと違った話になりましたが、、生まれてから一度も世界を見た事が無い娘の気持は、私にとっても、想像するしかありません。
2004年01月15日
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しっとりした話で始まった日記だが、きらきら・星さんも書いている通り、障害児がいる家庭は笑いも多い。ミッシェルはお喋りを始めるのは遅かったけど、小柄で身軽で筋肉質の運動神経の良い赤ちゃんだった。一つの遊びに興味を持つと、それを習得して飽きるまで、毎日その遊びを楽しそうに繰り返していた。二階に行く階段の上の段に大好きな人形を3個ぐらい抱えて運んでは、上から投げて、落ちて行くその音を聞いてはケラケラ、一人で大笑い。 ある時、すさまじい音がしたので、慌てて見に行ったら、階段の一番下に猫の様の形で落ちたのは当の本人ミッシェルだった。 でも、そこでも大笑いをするミッシェル。 -----------階段の遊びに飽きた頃、ある時、彼女の前髪がぺちゃっと塗れている事が何度か起きた。 きっと、ベビーコップの水をつけて遊んでいたかなと、あまり気にしてなかったら、ある時ステファニーお姉ちゃんが、 「マミー!大変。 ミッシェルがトイレに頭を突っ込んでいる!」 (ご安心ください。トイレは水洗でした。) (そして、とっても役に立つステファニーでした。)家の中で発見した小さなプールに、にんまりのミッシェルだったに違いない。それから、母は心してトイレの掃除に励む事にしたが、幸いこの遊びはすぐに飽きてくれたようだ。------------ミッシェルをベビーカーに乗せて家族で買いものに行く途中、丁度通りかかった所は、道の真中に排水の流れる水路が横切っていて、そこにはしっかりと柵になったふたがボルトで止められていた。どうして、よりによってこんな場所で義眼が外れなければならないのか、、。 ミッシェルの目から外れた義眼は、柵の間をスルリとぬけて、60センチぐらい下の水路の中へポトリと落ちてこちらを見上げている。さて、困った、、、。市に電話して、柵をあけてもらうか、、。そこで目に付いたのが、横の雑木林に落ちていた、2本の長い枝。高価な義眼を拾う為に必死の母は、二本の枝を箸の如く手にとって地面にしゃがみ、精神統一して柵の間から枝を下ろす、、。あきれて見ていた夫も、途中から応援に加わった。箸を使える日本人に生まれて本当に良かった~。通りがかりの人が見守る中、義眼は無事に手元にもどり、家族抱き合って喜んだものだ。
2004年01月14日
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こちらの時間で夕方に日記を書くと、、ホームページの日付はしっかり翌日になっている。当たり前のことだけど、ややこしい。やはり、こちらの時間の朝、日記を書くことにしてみよう。兄弟に障害児がうまれると、その子に、最初はちょっとつらくあたる子供と、最初から、とっても大切にする子供とあるらしい。ステファニーは後者であったが、それでも、我が強くて社会性に多いに欠けていたミッシェルには、泣かされた事が何度かあった。こちらに来て暫くして、生活がやっと落ち着いてきた頃、2泊3日のバハマ・クルーズの旅に当たった事があった。 当たったといっても、確か格安でいかれた旅の様に記憶している。船内には保育所のサービスもついていると言うので、子供が生まれてから殆どデートもした事がなかった主人と私は、 「おねえちゃん、ミッシェルの事頼んだよ。 二人で仲良く遊ばせてもらいなね。」と、多分6年生と2年生ぐらいだった二人を初めて残して、大人だけで夜空の下で船のデッキを楽しむ事にした。真っ黒な海に、真っ暗な空、そこに浮かんだ満月が、煌々と海に一筋の光を投げかけて、なんともいえない美しい光景だった。 そんな満月に酔っていると、遠くから子供の大泣きをする声が海の音に混じって聞こえる、、。 「なんだか、ミッシェルの声みたいだな、、」といやな予感がしていると、案の定、暗がりの中から大泣きするミッシェルの手を引いて、目に涙を一杯貯めたステファニーが現れた。どうやら、保育サービスのある小さな部屋で、自分が出来る遊びが見つからず、特に相手にしてくれる人もいなくて、ミッシェルはかんしゃくを起こして大泣きを始めたようだ。 よくあるパターンではあった。 おお泣きするミッシェルをひきつれて探し回って末、やっと私達を見つけたようだ。一度こうと思ったら、とことんやり通すミッシェル。根性があると言えばあるが、怒って泣き出したら、なだめてもなかなか泣き止まなかったのもミッシェル。お姉ちゃんは、手のつけられない妹の姿への恥ずかしさと、面倒を見る事の責任の大きさにつぶされそうになって、大きな目に涙を一杯貯めていた。 「もう、いやだ! ミッシェルなんか、いらない!」と私達を見るなり泣きじゃくって、初めて彼女がはいた言葉。よっぽど悔しかったのだろう。 暫く二人でおお泣きの合唱が続いた。---------ミッシェルの精かどうか、ステファニーはあまり友達を家に呼ばなくなった。(いや、私のちょっと変な英語や、友達へ対するとぼけた質問がいやだったのかもしれない。) 本当は妹の事が大好きだけど、でも、友達の前で社会性に欠ける行動をとられたら、おねえちゃんとしてはやっぱり恥ずかしい。そんなステファニーだけど、ある晩私の所に来て、照れくさそうに話してくれた。「インターネットで見つけたんだけど、障害を持った妹が生まれた女の子の話。 どうして接して良いのか解らない。とても困惑した気持だ。って書いてあったから、返事をだしてあげたの。 障害があっても、皆、普通の子だよ。そりゃ、姉としてつらい事もあるけど、普通に、兄弟として沢山愛してあげてね。って」おねえちゃんも、それなりに悩んだりもしながら、最愛の妹をしっかり受け止めて来たようだ。お互いを姉妹と選んできて、幸せなステファニー、幸せなミッシェル。
2004年01月13日
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今日は日曜日。家族全員家にいて、何をするでもなくゆっくりと過ごせた幸せな1日だった。休みの日は、だいたい上の娘のステファニーが我が家に1台しかない、リビングルームのコンピューターの前に座り込んで動かない。 今日はブランチを食べて12時から、夕食の1時間を除いて、なんと夜の10児まで宿題をしながら、なにやら友達とチャット。 やっと私の番となる。 やっぱりコンピューターはもう一台必要だ。ステファニーはミッシェルより2歳上。親が言うのも何だが、小さい頃から、よくお手伝いをしてくれ頭の回転の速い、手のかからない子供だった。全盲の子育ては、とても手がかかる。親が目となって、かかりっきりになって育てて来た。 だから、手のかからない子供は、ついついほったらかし、後回しにしてしまう。2歳のステファニーはミッシェルが生まれて、とっても喜んだ。目が無いと言う事は、全然気にもせず、近所のおばさん達に、「ねえ、私の妹よ、かわいいでしょ! かわいいでしょ!」とまだ義眼も入っていない、シリコンが目から飛び出たミッシェルを自慢そうに紹介していた。そんな彼女は、私の気持をとっても明るくしてる天使であった。そんな彼女に対して、私がしでかした大きな失敗。私の反省。それは、後をついてまわって、 「マミー、マミー、聞いて、聞いて」と私の気を引こうとする彼女に、 「忙しいから、後にして。」と背を向けて来た事だ。いつも、ミッシェルの事で頭が一杯。いつも心配ごとの山に疲れていて、後をついて回るステファニーがうっとおしくさえ思えた、なんと冷たい母であったか、、。その当時の私には、ステファニーをだっこして、優しい笑顔で話をゆっくりと聞いてあげる余裕が、全然無かった。そんな、ステファニーが 「マミーはいつも忙しいって、私の話を聞いてくれない!」とぶつぶつ言い始めたのが、11歳の頃。ある時ふと、これではいけないと心をいれかえて、 「ステファニー、今日は学校で何があったの?」と聞き始めた頃には、時すでに遅し。彼女はすでに、ティーンエージャーの反抗期にはっていた。 「ママは、うるさい。 いちいち聞かないで。」 「いつも話なんて聞いてくれなかったじゃない。」と口も聞いてくれない。そんなに私は貴方の話を、聞き流し続けて来てしまったの、、。 と嘆いても、後の祭りである。私は心が痛んだ、、。--------さて、11年生になった彼女にもボーイフレンドが出来た。 学校の悩みや、青春のもやもやした感情など、親には言いたくない事を色々と相談しあっているみたいだ。気のせいか、私に対する言葉もやわらかくなって来た。成長したのかもしれない。本当に、子供が「ママ、ママ」とうるさいぐらいに付きまとう頃が、懐かしい。もう、後戻りできない日々。 障害児にかかりっきりのお母さん、私のように、他のお子さんとの大事な時も失わないように、、、。でも、そんな私でも、母として慕ってくれるステファニー、私を母と選んでくれて、ありがとう。
2004年01月12日
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タイトルを自分で変えないと、xx日の日記とでちゃう事に、さっき気がつきました。(続く)と書いて、もったいぶった様に見えらたごめんなさい。何てことはない、他にやる事が出来たので中断しました。 こんな事もしょっちゅうあるかと思いますが、お許しを。さて、友達に冷たくされるミッシェルにも否はあると思う。本当は気持の優しい、正義を愛する、大変正直者のミッシェルだが、自分の気持をすぐに口に出し、尚且つ結構気難しい所のある彼女は、良く失敗をした。2年前ぐらいまで、、、そう中学生になるまでは、結構クラスメートの気持を傷つけて来た。社会性に多いに欠けていた。見えないミッシェルは相手の顔の表情も見えないから、言う事がきつい。 きらいな人には、はっきりと嫌い。くさい友達には、はっきりくさい。気に入らないプレゼンには、はっきりと「これ、好きじゃないからいらない。」と並べたら出て来る、出て来る。 その度に、赤面するのは母であった。 何度諭しても、気に入らないと、思わず気持を吹きだすミッシェルであった。そのミッシェルが、中学生になって随分変わった。友達の気持を傷つけた後、大人に諭されて、悪かったと反省し「ごめんね。」と言えるようになった。今まで、友達がいなくても平気だったのが、友達がほしい、ほしいと、自分から進んでクラスメートに話しかけるようになった。その姿を見て、やっぱり嬉しい母である。「でもね、傷つけられた相手の心には、やっぱり昔のミッシェルのイメージが今も残っているかもしれない。」そう話すと、口をへの字にして涙をこらえながら本人も黙って聞いている。 「だったら、これからはもっと優しいミッシェルになって、無視してるお友達の気持が変わる事を待つしかないね。」自分がクラスメートを傷つけた事。今はその時の友達の気持が、きっと良く解るだろうな。 良いんだよ。 失敗しても。 人間失敗から学ぶんだ。 そして、もっと人の気持の解る人間になれるんだ。自分がされていやな事は、やらない人間に育てば良いんだ。 それにね、無理やりに人を自分の方へ向かせる事って出来ないよ。 だったら、自分が素敵な人に変わって行こうね。優しい素敵な人間になっても、友達になってくれないなら、他に探せばいいんだよ。 きっとね、ミッシェルの良さを解ってくれる人、絶対にいるから。14歳、又、一歩成長していく娘です。
2004年01月10日
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娘の涙、その19日の朝になったフロリダです。 楽天さんが送ってくださるアクセスレポートに目を通したり、アクセスしてくれた方にお返事したりして、きっと日本はすでに10日になった頃でしょうね、、?全盲の娘の名前はミッシェルと言います。(私のホームページ、http//www.kokoronome.com にも出ているので、ここでもお知らせ。その方が、文章が書きやすいので、、。)障害を持って生まれて来る子供達は、やっぱりそれなりに覚悟してるんだろうな、、ちょっとのことではへこたれない、、強い。 ミッシェルは我が家の中でも、一番根性があると思う。そのへこたれないミッシェルが、昨晩は夕食後に気持ちを吐き出しながら、目から大粒の涙を流した。「クラスのZちゃんが、私とちっとも話をしてくれない、、。」「ミッシェルは、話し掛けてみたの?」「ハローって行っても、いっつも無視する、、、。」ミッシェルの通う盲学校のクラスは14人。 10人は弱視だけど、かなり見えてる子供達。点字を使う生徒は4人。 その中でも、生まれてからこの世界を目で見たことが全く無い子、光も感じない子はミッシェル一人。盲学校のクラスでも、弱視の子、途中で視覚を失った子達は、行動も早いしおしゃべりの速度もすごく速い。そして、見えてるからさっとグループを組んで行動できる。そこで、やっぱり全然見たことが無いミッシェル、6歳まで英語を全然喋らなかったミッシェルは皆の速度や会話についていけずに、どうも取り残されるらしい。と母は、ミッシェルが仲間になかなか入れない、いれてもらえない原因を考える。小学校の頃はそれでも、見えないミッシェルには良かった。だって、ミッシェルの周りに友達が集まらなくても、クラスの自分の席でぽつりと一人遊んでいても、同じクラスの空間にいるミッシェルにはその光景が見えないから、全然きにならない。会話には参加していなくても、他の子の声って聞こえる。友達が露骨にミッシェルにいやな顔をしたって、見えないから本人は気にしない。ミッシェルが近くに来て話し掛けようとして、すーと友達が避けて行っても、ミッシェルにはそれが見えなかった。ある意味では、見えない事が幸いって事もある。そんな光景を見るたびに、心が痛むのはいつも私だけだったから。ところが、来月には14歳になるミッシェルは心で感じ始めたのだ。どうも、クラスの仲間が相手にしてくれない、、。 皆、私と喋りたがらない、、。どうして? どうして、私と話してくれないの? これも、良い意味では心の成長なのだ。自分の存在や友達の存在やそのかかわりをしっかり意識しはじめたのだ。でも、当の本人はとってもつらいよね。 続く、、。(終)
2004年01月09日
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楽天広場の皆さん、始めまして~!私の大好きな友達、ちーひめが「これはいい、これはいい」と勧めてくれたので、それならって登録しました。 え~と、どこに何をどう書こうかな、、まあ、とりあえず明日にしようと思って一晩あけたら、「アクセスが10になりました。」とご親切なメールまでくださる楽天広場さん。ありがとうございます。10って事は、私が一回行ってみたので、10-1=9人の方がどこから見つけたのか、まだ何も書いていない私のページに来てくれちゃったと、今、とにかく書き始めようと思ったところです。(ほらね、まだ、ちっと楽天日記のシステムを理解していない私です。笑)こんな風に、あれよあれよと日記が始まる人もいるよね?ところで、日本の夜はこちらの朝です。 冬時間と言うのがあるので、簡単に計算すると、日本時間マイナス14時間。 つまり日本時間から2をマイナスして、昼夜反対、半日前と考えると早い。私は朝、子供が登校してからメールをするので、日本の夜に書いてるって事になるな、、。なんだか理屈をならべていますが、マイペースでのんびり行きますが、よろしく御願いします。2年前に私が始めたホームページ www.kokoronome.com に今までの事が色々と書いてあります。こちらもよろしく。では、では、すでにこのページに立ち寄ってくれた人、ありがとうございます。 本当にインターネットってすごいですね。
2004年01月08日
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