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地震の日、私は仕事が休みでお家にいました。立っていられないほどの揺れ、棚の上に置いてあったものや壁に掛けてあった時計、片づけていなかったお雛様が落ちました。
関東にも大きな地震が来るとうわさされていた時も大地震なんて起きないと心のどこかで思っていました。でも、今まで経験したことのない大きくて長い揺れ。本当に怖くて怖くてどうしたらいいのか全く分かりませんでした。ただただ早く娘を迎えに行こうってことだけを考えていました。こういう時は車に乗ってもいいのか、歩いていくべきなのか・・・それさえもわからずとにかく旦那に電話しました。が、もちろんつながりませんでした。でもすぐに旦那が会社から電話をくれて、歩いて迎えに行くことに。
お家から出たら近所のママたちが集まっていました。怖いからみんなでいようって。保育所までの10分間、本当に心配でした。保育所ではお庭でブルーシートを敷き、みんなが寄り添うように小さく集まって座っていました。私を見つけて立ち上がった時の娘の顔が忘れられません。子供たちを助けてくれた先生方には本当に感謝です。特に被害はなかったみたいだけど親が一緒にいられないときに守ってくれるのは先生なんだって改めて考えさせられたり。先生たちも自分の子供が心配だっただろうな・・・。帰り道、安心して涙が止まらなくなってしまいました。娘が不安になってはいけないと、“りんりんに会えてよかった~嬉しいな~”って笑いながら言ってみたり。
近所のパパさんたちが続々帰ってくる中、うちのパパは帰ってこなかったのでりんりんと二人お家にいたのですが、割れたものが散乱した部屋の中が怖かったのか、りんりんが家に入るのを嫌がり寒い中、外にいました。その間にも弟やお母さんとはメールで無事が確認できました。
パパが帰りにお水やカセットコンロのボンベなどを買ってきました。停電だったのでお店のレジも使えず、紙に買ったものを書いて電話番号だけ残して後で払いに来てと言われたそうです。それを聞いてなんだかとっても暖かい気持ちになりました。
電気も水道も止まっていたので寒かったし車の中にお布団を持って行き、暖房をつけて車のTVを見て過ごしました。夜の10時過ぎに電気が復旧したのでお家の中に入り、ご飯を食べました。その日はリビングに布団を敷いて寝ました。
次の朝、8時ごろには水道も復旧したのでお風呂に入りました。義妹の実家(弟夫婦はそこで暮らしています)は水道管がやられてしまったらしくお風呂に入れないとのことで我が家に入りに来ました。お家も立て直さないといけない状態みたいです・・・。
この日のことはきっと忘れられないと思います。たくさん言いたいこと、思うことはあるけれど何をどう書いたらいいのかわからないのでやめておきます。自分にできること、毎日を今までどおりに過ごしていきたいと思います。
パンがなくてもご飯はあるし、牛乳がなくてもお水もお茶もある。ガソリンがなくても遠出を我慢し、近くは歩けばいい。もっと必要なところに必要なものが届いてくれればいいのです。
りんりんは今も続く余震にかなり恐怖を感じています。昨日の夜から今日にかけて特に多くて心配です。“じしん”って言わないで!!怖くなっちゃうから“ゆれてる”って言ってと。りんりん、地震の前の地鳴りの時点で、パパに抱き着いて離れません。昨日は“ほうしゃのう”って言ってました。原発も近いので心配です。作業してくれている方、感謝します。良い方向にいってくれますように。
最後になってしまいましたがyuiyui mommyさん!メールすっごく嬉しかったです。心配していただいてホントにホントにありがとうございます♪こういう時って心配でも実際なかなかメールできないですよね。でもそれがどんなにうれしい事か今回身に染みました~。