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まぐまぐのメールマガジンを本日付で廃刊としました。 長い間ご愛読いただきありがとうございました。 本ブログは、当分の間開設しております。 ご意見・ご質問がありまたしたら、コメントに書き込んでいただければ、 出来る限り、ご返事いたします。 また、記事も多少は更新していきたいと思います。 よろしくお願いいたします。
2007/06/30
年も終わろうとしています。今年は、いじめ自殺問題が世の中を揺るがしました。いじめ問題は、普遍的に現れます。本校も例外ではありません。二学期の始めに頃、「いじめ問題」が持ち上がりました。この時に、一番困難だったことは、担任の教員に事態の重大性を認識させることでした。保護者は、当然、自分の子供を守りたい一心ですから、子どもから聞いた情報に自分の考えを含めて、自分の子がいかにいじめられているかを説明します。そうすると、その中に不正確な部分や明確な間違いが含まれます。すると、担任は、保護者や子どもの心に応えると言うよりも、事実関係に目が向いて、「それは事実と違う」と反論をしてしまったりするのです。その部分だけをとると、担任の方が正しいのですが、保護者の側からすると、自分の訴えをきちんと受け取って貰えないという気持ちになります。「わかってくれない」となるわけです。事実関係ではなく、いじめられていると訴えてきた保護者や子どもの心情に応えないと、問題はこじれていきます。担任は、実際の経過を知っていますから余計、事実にこだわって、保護者と気持ちの通じ合いをすることが難しいと感じました。第二には、多くの場合、一方的にどちからが「悪さ」をしたというよりも、双方がやり合っている場合が多いのです。本校の場合もそうでした。しかし、子どもの中には力関係があります。同じように悪口を言い合うけれど、片方は、学級の中で信望があり、片方はなかったりすると、しばらくするうちに、多数が信望のある側についてしまいます。もう片方は、結果として、集団の中で孤立します。最終的に、彼が何かをすると、みんなから反撃を食うようになってしまうのです。つまり、いじめられたという結果となるのです。この時も、担任はどっちもどっち、同じようなことをしているじゃないか。と見てしまいがちです。しかし、もし、これが新聞記事になった場合、どう映るか。集団的にいじめられたと言うことだけが浮かび上がるのです。事態の本質に目を向けさせるために、何時間も説得しました。事を理解させ、子どもの心情に心をはせることが出来るか否かがまず大事だということ。それが解決の出発点だということです。いじめにはいろいろなケースがあるので、こうしたケースだけではもちろんありません。いじめられる子は天使のようないい子なのに意地悪な子供達がいじめると言うケースももちろんあるでしょう。本校の場合、結果として担任も適切な対応をし、指導を入れることで、解決に向かいました。小競り合いのようなトラブルは、まだまだあります。しかし、それは人間社会の続く限りあるわけで、把握し、問題が大きくならないうちに、子ども自身が解決できるシステムを作るようにこれから考えていかなければならないと思いました。気張らず、少しずつでも現場の情報や意見を皆様にお伝えするようにしていくように努力します。今後ともよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください。
2006/12/28
土曜日に、ちょっと用事があって学校に行った。そのついでに、町会長さんの家に顔をだした。町会長さんの家は和菓子屋さんなので、顔をだしやすい。話をしているうちに、学校の特色の話になった。とてもよくやっているとほめていただいたが、「中味の特色もいいけれど、外から見てすぐわかるほうがいいな」と言う話をされた。ご自分の出身の中学校の校舎はツタがびっしり生えていた。この事が印象に残っているという。確かに、一目で見て、特色がある、風格があるのはいいことだと思う。最近は、「緑のカーテン」と言って、壁面に植物をはわせる取り組みも始まっている。校庭の芝生化もそうだ。公立学校というのは、外から見ると確かに同じように見える。外見を変える。いいアイデアだと思った。それよりも町会長さんが学校のことをこうやって考えてくれることがうれしい。秋の運動会で、町会対抗種目をすることになった。町会の力が段々弱くなり、町会独自での運動会は、もう十年以上行われていない。しかし、学校と一緒にやれば、学校がお膳立てすることができれば。復活できるかもしれない。現実的には、なかなか難しいが、工夫のしどころでもある。副校長は、「対抗リレーが一番盛りあがりますね」と言っている。地域と学校が仲良くなることは、短期的には、子どもの安全対策にもなる。逆に、地域の活性化に学校がお手伝いできることでもある。考えるだけでも楽しい。もっとも、そうやって考えているだけで転勤になってしまうかもしれないが・・・
2006/09/10
昨日は、あんなに暑かったのに、きょうは涼しい。寒いほどだ。校内の水泳記録会があった。PTA会長やPTAの役員さん、保護者も参加する。飛び込みでの事故が問題になってから、校内の水泳記録会では、飛び込みは、厳禁。(指導はしており、他の大会では飛び込ませてる)-つまらない-それは、ともかくとして、うれしいことがあった。昨年、特訓で指導したA君が25メートル泳いだことである。昨年二日間付きっきりで教えた。腰が据わらない。息継ぎが続かない。15メートルが限界だった。それが、まあまあきれいなフォームで25メートル泳ぎ切った。彼は、この冬スイミングに通ったのだ。それが、泳げるようになった最大の原因なのだが・・・それでもうれしい。都合のよい見方をすれば、こちらが指導したことがスイミング行きにつながったとも言えるからだ。夏の初めには、25メートル泳げなかったのに、きょう50メートルに出場した子も居た。6年生は、全員が25メートル泳げた。5年生も全員が泳げた。昨年やっと泳げた子がリレーの選手になっていた。4年生は、まだまだ。25メートル泳げない子どもが10人近くいる。最後は、男女のリレー。学年対抗だが、6年生が危なげなく逃げ切った。明日は、地区の水泳記録会である。ちょっと楽しみだ。
2006/09/06
先回から、また二ヶ月以上が経過してしまいました。m(_ _)m明日から二学期が始まります。何年たっても、八月三十一日は緊張します。それは、ともかく暑い日が続いておりますが、お元気ですか。火曜日からの三日間、本校では水泳の特訓をしました。6年生は、水泳記録会に向けて全員が参加。他の学年では、まだ25メートル泳げない子の指導です。ほとんど、全教職員で行います。事務職員まで、おかの上から指導に加わりました。私は、1年生のA君を担当。手を持ってあげると、脱力を上手にして、浮くことが出来ます。ところが、ちょっとでも手を離すともうダメ。全然ダメになってしまうのです。「こわい」んだなあ。「もう浮けるからだいじょうぶだよー」と何度も声を掛けるが、これがナカナカ手強いのです。指先を支えるところから肘を持ったり、方を支えたり、おなかに手をやったり・・・としていくのですが・・・ところが、指から手を離して、たの所を支えるととたんに体が硬くなるのが分かります。それでも四十分くらい繰り返しているうちに、偶然浮くことができました。そうしたら、今度ははやい。三日間で、伏し浮きやけのび、けのびバタ足でプールの横幅を泳いでしまいました。こういうときは、うれしいですね。学校に勤めてよかったと思います。6年生は、体育主任と六年の担任でガンガン泳がせます。ビート板をつかったり、リレーをしたり、手を変え、品を変えてともかく泳がせています。6年生もたくましくなってきました。今から、明日の始業式での話を考えます。
2006/08/31
ご無沙汰しております。先日、○○先生を囲む会というのがあった。退職をお祝いする会である。シティホテルで、会費は、一万五千円。高い。かつては、みんなやっていた。義理で出かける。皆先輩なので仕方がない。毎年、四人も五人も「いらっしゃる」ので出費だけでも大変。 ところが、最近はそれがなくなってきた。時代が変わったのだ。だから、招待状を受け取った時、「今時、時代錯誤なんじゃないの」と思った。しかし、「囲む会」という名の「退職祝う会」をして貰うことを「楽しみ」に校長になった人もいるわけだ。周囲から「ぜひ」と言われれば、どうしようかなと思いつつ、うれしいと思うのは、人情かもしれない。私も、前任校長が退任だったので、「囲む会」をしたいと何度も相談した。強引に固辞されたので実現できなかった。しかし、「今時」と正直思う。かつてなら、周りの学校の校長連中はみんな出席したものだった。少し遅刻して、席について周りを見渡すと、数えるほどしかいない。これが、校長会の幹部を務めた人の「囲む会」かと思えるほど、淋しかった。校長はもう名誉職ではないと誰もが思っている証拠だろう。
2006/06/18
二月に入った。校内での学校評価も終わり、来年度の計画作りが進んでいる。一番頭が痛いのは、異動の問題だ。公立学校には、この問題がついて回る。東京都では、どんどん行政主導になっていることもあって、異動の期間が短くなっている。一般の教員は六年だ。今は、移行措置で、多少は融通が利く。必要な教育は長く置くことが出来るという風に聞いていたが、実際はそうでもない。本校でも、九年目になる教員を「異動除外措置」の対象者として申請したが、つれなくも、その申請は却下されてしまった。そんなこんなで、四人が異動する。代わりにどんな教員が来るか、頭が痛い。場合によっては、そのうちの二人が新卒になる可能性もある。中心メンバーが抜けて、代わりが新卒では苦しい。それに、新卒でも保護者の期待通りの教育が出来るほど甘くはない。その場合の学年配置をどうするか。校務分掌をどうするか、考えてしまう。一月の終わりに都教育委員会の教員任用制度の在り方についての中間答申が出された。それによると、管理職志願者が減少している中で、その対策として、○試験によらない管理職の登用○定年退職校長を再任用して校長をさせる等の案が検討されているようだ。昨日、近隣の学校対抗のサッカー大会があった。我が校は、優勝した。気分はいい。親も大いに盛りあがる。これは教育の本質と関係あるとは思わないが、こんな事で学校はけっこう元気になるのである。指導に関わった教員と保護者と一緒に祝杯をあげた。
2006/02/05
星野哲さんが発行しているメルマガ「心がポカポカ「恐育論」~あなたの子どもも東大合格!」 http://blog.mag2.com/m/log/0000164156に、「校長先生の独り言」が紹介されてしまいました。星野さんは、東大法学部出身の秀才です。自分の経験を基にして家庭教育コンサルタント としてお父さん・お母さんの手助けをしたいと考えている好青年です。物腰も穏やかで、東大出を鼻に掛けるような所は微塵もありません。ある機会に知り合い、一度一緒に飲んだことから人柄を知りました。私と意見の違うところもありますが、なかなか説得力のあるメルマガだなと思いました。紹介されて私は困っています。メルマガを発行するスタンスが見えなくなっているからです。でも、まあ仕方ない。紹介されたからには、書かなければという気持ちです。もしかすると、星野さんのねらいはそこにあるのかも知れませんが・・・四年生の先生が急に休んだので、補教に入った。漢字のプリントをした。できは悪くない。全体を採点してから、いくつか注意をした。一つは、自分の名前の書き方である。「丁寧に書かない人は、早死にするぞ」と脅かした。名前は、命と同じだ。名前を丁寧に書くことは自分の命を大事にすることだ。逆に粗末にするのは、自分の命を粗末にすることだ。風が吹けば・・・かもしれないが、子ども達は、真剣に聞いている。次に字の大きさを指導した。大きく、マスいっぱいに書く。この事を意識することによって、しっかりした字になる。三つ目は書き順。字の形を見れば、正しい書き順で書けているかどうかが分かる。途中で若い先生が入ってきて「字を見ただけで、書き順が正しいかどうか、わかるのですか?」と不思議そうに言う。もちろん、わかる。30年も教師をやってきてわからなかったら、どうかしている。若い先生には、こういう事も教えなければならない。今日は、これでお茶を濁すことにします。
2006/01/19
今日から三学期が始まった。昨日の夜は、少し緊張して、寝付けなかった。三十年以上教師を続けているのに、新学期の前の晩はいつも同じだ。始業式での話。1、お正月は、日本人の最大のイベントである。俳句には、春、夏、秋、冬の他に新年という括りがあり、初日の出、お年玉、初夢、門松、七草・・・・たくさんの季語がある。2、1月1日生まれの有名人。豊臣秀吉の話をした。秀吉の「機能を忘れ、明日を思わず、今日のこと専念すべし」という言葉を引いて、昨日の失敗にはくよくよしない。先のことを考えるのではなく、目の前にあることを一生懸命しよう。三学期は短いが、一日一日の積み重ねで、多くのことが出来る。それに人生は、一日、一日の積み重ねだという教訓的な話をした。校長という種族は、こういう教訓的な話が好きだ。大人は、なるほどと思うかもしれないが、子どもの立場に立てば、押しつけられているだであるかもしれない。聞いて得をした。おもしかったという話でないと、記憶には残りづらい。でも、教訓的な話は、始業式には似合うかもしれない。と自分を慰めることにした。
2006/01/10
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。更新が滞っていて、「やめたんじゃないか」と思われた方も多いでしょう。でも、やめません。何を書くか、少し迷っているだけです。また再開しますので、よろしくお願いします。
2006/01/08
防犯についての研究会に出席した。 「最近、検挙率が上がってきたにもかかわらず、警察への信頼がなかなか取り戻せない」というお話を伺った。その原因は、理由の分からない犯罪が増えていることにある。怨恨による犯罪は、それに巻き込まれなければ被害に遭わない。暴力団事務所があれば、それに近寄らなければよい。しかし、街を歩いていたら、突然殴りかかられたら、怖くて街も歩けないという話になる。例え、それが希有な事例であっても実感としては「怖い」と感じる。学校を狙った犯罪も同じである。理由がなければ防ぎようもない。防犯カメラを何台つけたところで、犯人を検挙する際には役に立っても、カメラが犯罪を防止するわけではない。学校で防犯の訓練をいろいろする。それは、それなりに役に立っている。しかし、ピストルでも持ってこられたらどうにもならない。インターネットの書き込みで仙台の方の小学生を殺すと書き込みをした男が捕まったとの記事があった。ある意味、「愉快犯」である。(たまったものではないが・・)これらは、今後増えるに決まっている。どう対応すればよいのか。警察の調査はもちろんするとして、学校がいちいちそれに振り回され、警戒策をとるのも「犯人」の思うつぼでもある。よい対策はないものか。話は変わる。母親をタリウムで毒殺しようとした高校一年生の女子の事件が大きく報じられている。この女の子の「心の闇」を探ろうとしているが、私の感覚では、この女の子に「心の闇」が全くないのではないかと思えてならない。「傷つく心」の問題と同時に「全く傷つかない心」の問題も考えなければならない時代と感じている。
2005/11/05
運動会の練習で忙しい。その合間を縫って、補充学習を実施している。担任と習熟度別学習担当の教員、それに校長の三人が担当者である。「当日の宿題」が課題だ。対象は、家に持って帰っても、一人ではできない子どもだ。今日は、4人が残った。私が担当したのは、A君。少数÷整数の割り算である。そばに座ってやると安心したような顔をしている。勉強が出来ない子どもには、こういうタイプが多い。自信がない。逆に言えば、自力で解決しようとする意欲が薄い。そばに座ってやると、自分で問題を解き始める。やり方が全く分からないわけではない。大筋は、自分で出来るが、計算がゆっくり。ばっと出来れば、ストレスも少ないだろうが、これだけ時間がかかるといやになってしまうに違いない。それでも、時間をかけて一つ一つ解いていく。間違った時だけ、「これでいいのかな。もう一度考えてごらん」と声をかける。すると、素直にやり直して正解に達する。「いいぞ、いいぞ、できるじゃん。さあ、もう少しだ」声をかける。と、やらせながらあることに気がついた。見当はずれの数字を最初立てるのである。何度かのやり直しの末、正解に達する。割る数や割られる数を「およそ○○に見立て」見当をつけるということが出来ていないのだ。そこで、お金に換算すれば分かるだろうと思って「70円持って、買い物に行きました。20円のものはいくつ買えそうかな」と聞いてみた。彼は首をかしげている。お金にしたら、すぐに分かるだろうと思ったが、違った。普段自分のお小遣いで買い物をした経験がほとんどないということが分かった。なるほど、そういうことか。彼は、コンピュータのように数字を操作するのだ。極論をすれば、端から数をあてはめて、当たった数字を書くだけなのだ。間違えながら、覚えるのも一つだが、・・・(うーん)数の実感をもとに、概数として捉えて、推論する。この事を彼に教えなければならないと思った。同じように「出来ない」と言っても、その内容は一人一人違う。一人一人分析して、対策を立てなければ、闇夜に鉄砲と言うことになってしまうだろう。しかし、できないことはない。(はずだ。)
2005/09/23
例のアスベスト問題。我が校にも無縁ではない。あるのだ。三カ所。夏休み中の検査で分かった。にわかには信じられなかったが、一つは、廊下のプラタイル。この中に入っている。二つ目は、給食室の天井の吹きつけ材の中。三つは、水道管のまわりを覆っている断熱材。これらの中にアスベストがあるというのだ。アスベストは、飛散が主な問題だから、固着してれば、とりあえずの問題はない。空気の測定検査の結果では、外気と変わらないとのことだった。一つの問題は、アスベストを除去した際に、代替え材として、その当時の基準では、5パーセント未満のアスベストの混入は、認められていたそうだ。ところが、その後の基準の改正で1パーセント未満のものしか認めないと変わった。それで引っかかったんだな。素人しては、プラタイルの中にアスベストがあるなんて考えた事もなかった。さて、問題は、これをどう見るかである。アスベストがあるなんて、信じられない。行政は何をやっているんだ。すぐさま撤去するべきである。大丈夫だと言っても、信じられない。もし、何かあったらどうするのだ。こう感じる、または考える方もいるに違いない。区の方針は、来年の夏までは、現状維持である。飛散がなければ、被害は考えにくいからだ。今、工事をすれば、給食も出来なくなるし、学校教育を数ヶ月ストップせざるを得ない。撤去できれば、それにこした事はないが、空気測定さえ、きちんとして、安全性を確かめれば、工事が来年になっても仕方ない。学校の管理者としては、「早急にやってほしい。」「一刻も猶予はならない事だ。」と答える。しかし、個人として考えると、「衛生」「安全」に対する過剰反応が、子どもをダメにしているとも思えて、複雑な気持ちだ。すべての心配を子どもの周りから、取り除きたい。これは、母親の偽らざる気持ちであろうが、この肥大化が子どもを過保護にし、生きる力を奪っているとも思える。藤田さんの「おなかの回虫がアレルギーを防いでいる」という主張はわかる。どんなもんだろうか。皆さんの意見を伺いたい。
2005/09/10
ニューオリンズをカテリーナと名付けたハリケーンが襲い、大被害が起こっている。人ごとではない。台風十四号が接近し、東京も今、現在豪雨。学校が心配だ。昭和40年代に建てられた校舎。毎年、台風になると、雨漏りがする。一番ひどいのが、家庭科室。壁を伝わって、「滝のように」というのは、大げさだが、ひどい雨漏りだ。壁の下にぞうきんを引き詰めても、朝になると周りに水たまりが出来るほどだ。体育館の壁も同じような状況。我が校だけではないだろう。昭和四十年代に小学校はどんどん建てられ、また、新校舎になった。これが、揃って老朽化している。今の行政の財政状況では、いかんともしがたいとところも出てくるだろう。それに、昭和四十年代に建てられた校舎は、耐震構造ではない。この面でも工事がいる。一刻も予断は許さないかもしれない。本校の工事は、一応、再来年に予定されている。それまで、だましだまし校舎を使うしかない。
2005/09/04
校内宿泊。台風がすぎてよかった。昼は暑かった。子どもの参加人数は、およそ100名近い。校庭がテントで埋まった。それでも、この人数で収まったのは、4年生以上と制限したから。低学年は、食事と夜の映画会に保護者と一緒に参加を認めた。夕食は、定番のカレーライスだが、大騒ぎ。飯ごう炊飯のかまどづくりに思ったより時間がかかる。結局、食事の予定時刻は、1時間近く遅くなってしまったが・・・それでも、いいねえ。子ども達の顔が!夜、私用があって抜けた。生活指導主任と副校長が、子ども達が寝る10時までつきあった。他の教員も5~6名も子ども達と一緒に夕食を食べた。戻ってきたのは、0時過ぎだった。テントの中は、すでにひっそりしている。風が通るようになっているので、それほど寝ぐるしくはないだろう。10名くらいのお父さんが寝ずの番をしている。普段のPTA活動で顔を見ない人もいる。「いろいろやりたいけれど、平日は参加できない。こういう企画なら・・・」「家族で、毎年キャンプに行っていて、慣れている」というお父さんもいた。教員よりもずっとこういう面ではしっかりしている。「学校に迷惑をかけない。自分たちでやる」とPTAの姿勢がしっかりしたと感じる。この面でもよかった。学校の事、子ども達の事、地域の事、皆で語り合っていたら、夜の三時近くなった。仮眠をとる。五時になって、空が明るくなり始めたら、もう子ども達が起きてきた。お母さん方が作ったみそ汁と防災用のα米が朝食。手伝いに来てくれた方は、全部で40名近くになった。子ども達にとっては、とてもよい体験であり、よい行事だった。PTAがこの行事を通じて、自立したと感じた。結論として言えば、「やってよかった。」
2005/08/28
昨日、PTAの役員会があった。議題は、礼のPTA主催の校内キャンプである。役員さん達、特に男の役員さん達はうきうきしている。女性の役員さんは、具体的な品物の準備リストを作っている。開放するのは、校庭と体育館だが、家庭科室を使いたいという要望が出された。校舎は機械警備になっているので、どうするか。具体的には、朝食を作る際に家庭科室で、朝6時に準備に入りたいとのことだ。生活指導主任が、「私が来ます。」と言う。意地はっているのかな。それもよし。どうにかうまくいきそうな気がしてきた。衆議院解散。9月11日が投票。区の選挙管理委員会の事務局から、11日の職員の出勤体制についての打診が来た。
2005/08/10
暑い日が続く。生活するには辛いが、水泳指導にはもってこいだ。本校では、夏休み中に三日間の「特別水泳教室」を実施している。時間は、通常のプール指導の終わった後。午後2時から4時までの2時間。一つのグループは、25メートル泳げない子を対象としたもの。(低学年では、15メートル泳げない子)もう一つは、徹底的に泳ぎ込みたい子を対象としたものである。前者は、担任がピックアップして、保護者に連絡し、出席するように促す。校舎は、純然たる希望者である。前者のグループは、圧倒的に低学年が多い。低学年のうちに苦手意識がつくと、夏のプールに来なくなる。それを事前に防止しようという意図もある。指導する側の教師は、ほぼ総出である。クラス別に分け、一人が4~5人位を面倒を見る。泳ぎ込みコースは、二人で20人位を見る。個別に指導するとおもしろいように泳げるようになる。低学年のうちに正しい泳ぎを身につけると簡単に泳げるようになることもわかった。例えば、けのびやけのびバタ足。ここで、腰が安定していると正しいクロールに行き着きやすい。そうでないと、たとえ25メートル泳げても「おぼれるような泳ぎ方」になってしまうのだ。もう一つのポイントは、息継ぎ。この点では、かつて流行ったことのある「ドル平泳法」の考え方も参考になる。私も一日だけ、4年生以上のクラスを見たが、4人のうち2人が25メートルを合格した。後の2人は、15メートルラインでストップ。でも、これからの夏休み、プールに通ってくれば、必ず25メートルはいくと確信がもてるような泳ぎだった。
2005/08/06
五年生を連れて、臨海学校に行った。台風でどうなることやらと思った。1日目は、まるでダメ。でも次の日は、台風一過の快晴。波は高かったが、午前中から海に入れた。例年は、静かな海なのに、ハワイのようだ。(もっともハワイに行ったことはないが・・・・)存分に波乗りを楽しんだ。しかし、教員の方は、気楽ではない。頭数を終始確認する。波が通り過ぎるたびに子どもの数を数え、数分おきにバディを組ませる。宿に帰ると、子ども達を風呂に放り込み、その間に、教員が子ども達の水着を洗い、脱水にかける。毎年のことだから、手際がよい。夜は浜辺でキャンプファイアーだ。いくつもの炎が浜辺に広がっている。そして、花火。ぜんそくの子どもは、少し離れたところでさせるように指示する。フォークダンスもよく踊る。班ごとの出し物は、暗くてよく見えないそれでも、子ども達は、なんとなく感じて楽しんでいるらしい。海に来るのが初めてという子どももいる。海水に身を浸す、砂遊び、砂が体につく感覚。友達と一緒に過ごす感じ。いつもと違う場所で遊んだり、話したりすること。これらのことは、大げさに言えば、人間の基本的な感覚を形作る。家族で行けばいいという意見もあるだろうし、社会教育の仕事だという意見もあるだろう。しかし、どんな経済的に困っている子どもも親が無関心な子どもも含めて、こういう体験をさせられるのは、現在では学校しかない。「こんな事まで学校に押しつけられている」と感じるか、「意義ある仕事をしているなあ」と思うかは、それぞれである。ただ、一回の臨海学校では不足であることは、誰が見ても明白である。様々な団体が行っているキャンプや自然体験をもっと活用するために、学校は、それらの団体と連携したり、行事を宣伝したりすることもガンガンやる必要があると感じている。
2005/07/30
21日から夏休み。今日から、プールも学習教室もスタートする。違った形の学校が始まると言うわけだ。でも、その前にPTA主催のラジオ体操が始まる。前の晩は、打ち上げで遅くまで飲んでいたので、朝がつらい。ラジオ体操は、学校の校庭で行われる。昨年もそう感じたが、随分多くの子どもが参加している。ざっと200人は下らない。いいねえ。お母さん方に混じって、地域のお年寄りも多い。いいねえ。普段はなかなか難しいが、こんなことでも学校は地域のセンターになりうる。学校の存在は、捨てたものではない。学習教室も、プールも一杯だ。昔は、「夏休みは、子どもを家庭に返そう」と言った。しかし、今、多くの子どもには夏休みに「返される家庭」などない。親の多くが働いているからだ。子どもが一人でうちの中にいて、ゲームをやったり、テレビを見てぐだぐだ過ごすのが夏休みだ。そんな家庭に返して、子どもの成長・発達にいいのか。そんなはずはない。学校に出来ることはないか。本校では、学習教室を10日間実施する。プールは、20日間だ。学習教室は、区の要請であるからそう言う名称を付けるのは、仕方がないが、本当は、学習したり遊んだりする場の提供が必要だ。それも、現状では夏休み出来る限り、多くの時間実施することが必要と感じる。本当は、夏休み中全部やりたい。こういう話をすると、決まって、それは学校の仕事じゃない。社会教育のやることだ、という人が出てくる。そう言う人は、きっと行政マンなんだろうな。どっちだっていいじゃないか。みんなが必要だと思うこと、やりたいと思うことをやって、オーバーフローした時に、調整すればいい。今は、圧倒的に不足しているのだから・・・夏休みは、職員も休ませたいし、リフレッシュさせたいし、子どもの面倒も見たいし、それを両立させるにはどうすればいいか。いろいろ、策を考えている。職員も、私の考えにとまどっているのが現状だ。無理をしても後にたたるので、職員もこのくらいだったらがまんできると言うところで、今年は上記の線で落ち着いた。ある区の学校では、毎日、地域や保護者、教師が指導者になって、様マースクールを実施していると聞く。豆腐作り教室があったり、将棋教室があったり、中には、羽田空港の見学という企画もある。こんな風になったら楽しいだろうな。
2005/07/23
昨日、学校に行った。給った書類を見ておきたいからだ。教務主任と生活指導主任は、朝から「出勤」していた。通知票は、どうやら完成しそうである。二人とも中休み関係のプリントを作っていた。他にも3人の教員が「出勤」していた。教室の整理などをしていた。「仕事が遅いんだよ」と悪口を言うものもいると思うが、仕事をするのが苦にならない人が教員には多い。そう言う意味では、ボランティア精神をもっている。もちろん、変なやつもいるが、全体として日本の教員はよく仕事をすると私は思う。
2005/07/18
★防災課の職員が、防災無線の点検で学校に来た。「備蓄食料」を宿泊体験の時に出してもらうことはできますかと質問した。期限切れの食料があり、食数などの条件が合えば可能という返答をもらった。早速PTA会長に連絡する。しかし、そのためには「避難所体験」などの冠をつけなければならない。あとは、PTAで考えるだろう。★学期末の通知票。昨日が校長への提出期限だった。二人だけ、まだ提出できてない教員がいる。それが、教務主任と生活指導主任だから笑ってしまう。秘密で「まあ、いいよ」と許した。今回は、夏休みの指導に向けて、親子で三者面談をとった。その上に通知票だし、教務主任は、授業改善プランなどの書類の作成生活指導主任は、夏休み前の地域の打ち合わせなど出張が多かった。今日、学校に出勤して彼らは頑張っているはずだ。内容を見る。問題は、総合的な学習だ。行事の準備などに使われている時間が多い。うまく仕組めば、それらも学習として位置づけることは可能だが、実際には、不十分である。二学期は、総合的な学習の計画をきちんと立てさせる必要を感じる。★校長会。月の三回、校長会が行われる。一つは、区の主催する校長会である。小・中・幼稚園の校園長が出席し、区の施策を聞く。教育長以下、各部局の課長、指導室長が出席し話をする。二つ目は、区全体の小学校長会。これは、行政が出席しない自主的な校長会である。区の施策への対応を話し合ったり、校長会独自の事業が議題になる。・授業改善プラン・区への予算要望・都校長会の報告・連合行事の在り方・管理職試験への取り組み・夏休みの学習教室・校長会の旅行・校長会研修会についてなどが、今月の議題であった。もう一つは、地区の校長会である。校長会の議題を事前に話し合っておく。このことと近隣の学校での情報交換が主な議題となる。主な話は、授業改善プランと夏休み対策であったが、学力テスト対策のために子ども中心の授業から教師の教え込みに逆行するのでないかという校長と、「教師が教える」と言う姿勢を明確にしないことに問題があるという校長と意見が分かれた。言葉の乱れについてにも話題がおよび、ある校長が「ピカイチなんて、通知票に書く教員がいるからあきれた」というと他の校長が「びったりだったら使ってもいいんじゃないの」と言い、しばし論争。いかに違うか。おもしろかったが、はて、私だったらどうするかある学校の保護者会で「うちの子は受験をするので、通知票にCをつけないで下さい。」と言った親がいると隣の学校の校長から話があった。「本当かね?」ある校長は「子どもは、Cだけど親は、D」「そう言うことは、こっそり言ってきてくれればいいのに、みんなの前で言われちゃ、逆にCをつけないと、親のいう通りにしたと思われちゃう」という校長もいた。そんなこんなで、地区の校長会は、一番色々な話が出ておもしろい。
2005/07/16
校内宿泊をどうする?掲示板へ書き込みした文章ですが、うしろにちょっと付け加えました。皆さんのご意見は?オヤジさんの考え、私は賛成ですね。教育委員会に聞いたら、「校長判断」なのだそうです。それだったら、やれたらやったらいい。少なくとも、その方向を最後まで追求して、無理ならやめるのは、仕方がない。今、教育にとって必要なのは、「みんなが元気になる」と言うことです。元気になるためには、やりたいことをやることだ。と思います。教員も参加したいやつは参加すればいいし、したくないやつはしなければいい。教頭も同じ。やりたい人間がやる。やりたくない人間はやらない。この考えは徹底したい。そうしないと、自分がやりたいのだから、他の人間もやりたいはずだとか「教員なのだからできるべきだ。役員なのだからでるべきだ」となったら困る。でも、足を引っ張るべきではない。最初は混乱しても、何年かすれば、うまくいくし、やっぱりやめようと言うことになったりする。何かあったら、校長は責任をとればいい。と言っても、普通に考えると、いくつかの混乱はあっても、親も緊張しているし、子どもの生命に関わる事故が起きる可能性は、少ない。仮にすごく大きめに見積もって100分の1だとしても私は、もうすぐ退職。それで、ぶつかったら交通事故だね。事故が起きたとしても、やりたいことをやった事故の方が、やらないで起きる事故よりもまし。まあ、そんなことで、実施する方向で検討に入りました。と言っても、教頭先生の心配良くわかるんだよね。「校長先生がそう考えるんだったら、仕方ありませんね。やるのがいやって言うわけじゃないんですよ。」「PTAが甘く考えているのをそのままでいいのか」と彼は言うわけだ。私もいつも彼に尻ぬぐいをしてもらっているので・・・・でも、校庭で宿泊なんて、おもしろいじゃん。
2005/07/10
今日、校内で激論があった。PTAの一部の役員から今年の夏休みに子ども達に校庭でキャンプをさせたいという提案があったのだ。区からキャンプの道具を一式借りてきて、校庭に張り、そこで寝よう。食事も薪をたいて、飯ごう炊飯をさせよう。まあ、こういう趣向だ。私は、話を聞いた時、「うーん」と唸った。実際は、PTAが考えるほど、簡単でもない。教頭さん(今は副校長さん)に「どう思う」と聞いた。教頭さんは、反対である。PTAがやるって言ったって学校の責任になりますよ。だいたい教育委員会が認めないんじゃないですか。PTAだって、みんなやりたいと言っているわけじゃないし・・・確かにPTAもいい加減なところがある。アイデアはいいが、結局やる時は、教頭におんぶだっこ。ものを借りるんだって、そうだし、後かたづけはいい加減。尻ぬぐいをするのは、いつも教頭先生だ。教頭さんは、どんな状況になるか、目に見えるようだと言う。結局、学校にあれかしてくれ、これがないと当日に来る。結局、PTAは口だけだ。厳しい。そこに、生活指導主任のA先生が入ってきた。彼は、「いいじゃないか」と言う。「教員が一緒にいなければ、どうにかしますよ。」とひどく楽観的だ。「でも、問題が起きると校長先生の責任になるんですよ。」どうも、私を味方につけたいらしい。A先生は、今の子ども達は、そう言う経験が少ないんだから、ぜひやらせるべきだ。と正論で迫る。教頭先生は、「A先生は、自分があまり関わらないから勝手なことを言っている」と言う。確かに、子ども達が泊まれば管理職も泊まらざるを得ない。さあ、どうする。A先生も段々エキサイトしてきて、「だったら、僕が泊まればいいんでしょう」売り言葉に買い言葉だ。まいったなあ。「まず、教育委員会が許可するかどうか、聞いてみましょう。後のことは、それからだ。」とその場を収めた。
2005/07/08
5年のA君がけがをした。休み時間に友達と教室で追いかけごっこをした。A君が腕を出したとたんに友達がドアを閉めた。ドアのガラスにA君は、手を突っ込んでしまったのだ。ガラスの切り口は、鋭い。血が吹き出るように出た。A君は、真っ青。ドアを閉めたB君は泣きじゃくる。止血をし、保健室まで連れてくる。血は、だいぶ止まった。傷は、けっこう深いが、神経に障っている様子はない。ガラスの破片が傷の中に入っている可能性がある。母親に電話。携帯に掛けてもナカナカでない。留守電に入れ、A君を病院に連れて行く。養護の教諭が付き添う。しばらくして、母親が学校に来る。「よくうちの子にけがをさせてくれましたね」と言う顔だ。副校長(東京では、4月から教頭が副校長になった)が病院の場所を説明している。「副校長先生、一緒に行って下さい。」いくら忙しくても、これしかない。レントゲンで、傷の中にガラスのかけらがないことが確認され、8針縫った。学校に帰ってきたA君は落ち着いた顔。母親もだいぶ落ち着いたようだ。副校長に一緒に行ってもらってよかった。担任、生活指導主任を交えて、問題点を整理。1、雨の日の遊び方の注意2、児童管理-誰も見ていない状況を作らない3、養護教諭の携帯の番号が未確認だったこと4、校長への連絡が遅い5、他の児童の児童管理に問題あり6、この事件を教訓にするように明日の職員朝会で報告7、保護者対応 アフターケアの重要性
2005/07/04
都の行った学力テストの結果が送られてきた。本区は、学校度の成績を外部には公表していないが、各学校には送付してきている。誠に細かな数字の表で、老眼には見づらいが、全部に目を通した。取り合えず、算数と国語だけ、一問、一問の成績を全都平均と比べてみた。総合点で言えば、本校の場合、両方の教科とも平均点を上回っている。しかし、細かに見ると、そうでない状況も見えてくる。まず、算数だが、おおむね良好であっても、四つの問題については、都の平均点を10点~20点下回っている。もしかしたら、この問題を抜かしているか、軽視しているかだろうと想像した。そのうちの二つについて言うと、「一つの問題は、直線Aに平行な直線をすべてあげよ。」と言う問題であり、もう一つは、「平行四辺形をすべてあげよ」と言う問題である。二つ目については、正方形を数えていない可能性が高い。一つ目の問題は、一つ一つ丹念に確認しなかった可能性もある。これは、学習のスタイルの問題である。国語の成績も平均点をかなり上回っていたが、一問、一問見ていくと、それほど成績は、よくない。ところが、「言語事項」つまり 漢字については、素晴らしくできているのだ。言語事項についての成績がよいために、国語の成績がよくなっているだけだと言うことが分かった。読解力があるわけでも、書く力があるわけでもない。抜本的な対策が必要と感じた。総合点の順位だけを公表することには、あまり意味を感じないが、分析をして、それを生かすという点では、こういうテストは、思ったよりも有効であるとも感じた。
2005/07/02
あと、三週間余で一学期が終了する。学力の問題で言えば、夏休みをいかに過ごさせるかが 鍵になる。受験で夏の陣が勝負というのと同じだ。保護者会とともに個人面談を汲むことにしていたが、今年は、それを三者面談にすることにした。子供も交えて、課題を明確にしようというねらいである。各学級でまとめが行われているが、今日は、一年の学年主任から、職員長会で「字を丁寧に書かせるように徹底している」との話があった。それで学校を嫌いになる子が出ると困ると心配していたが・・・こういう事は、幼いうちから、徹底し、習慣化させておくことが大事だ。あとになればなるほど難しくなる。「嫌いになっても、ともかくその方針でやって下さい」私は、当然、そう答える。
2005/06/28
暑くなって、プール指導には適した条件である。それでも、シャワーは冷たいようで、子どもたちは、キャーキャー言っている。プール指導では、ゴーグルをどうするかが問題になる。かつては、ゴーグルを使わせない、甘やかして冗談じゃないという雰囲気だったが、今は、変わってきている。一つは、目の保護という問題がある。スイミングスクールなどでは、塩素のつよいプールで長時間泳がせるには、ゴーグルが必要という事情だ。学校の場合、それほど、長い時間泳がせるわけでもない。水の中で目を開けることに慣れさせることが必要だからゴーグルを使わせるべきではないという主張もある。それもそうだなと思うが、ゴーグルした方が子供も安心して水の中に入れる。それで慣れた方が、もしかしたら、水の中で目を開けることに抵抗がなくなるのではないかとも思う。子供のゴーグルの中に、どうせ水は入ってくるのだから。
2005/06/27
今日、大学の時の研究室の先生の喜寿の祝いの会があった。約35年前である。先生は、昔と少しも変わらない感じがした。しかし、よく考え見ると、今の自分より若かったのだ。「先生は、昔からおじいちゃんのようだったから」と冗談を言った。先生から教えて頂いたことが、今の自分の基礎になっているとつくづく思う。東京で「教師」を続けている先生も何人も参加していた。子どもが元気になるためには、教師が元気でなければいけない。そのためには、先生方に自分のやりたいことをやってもらう事が必要と持論を話した。先生の元気な姿を見て、大学時代の仲間とも会って、楽しい日を過ごすことが出来た。
2005/06/26
昨日、ある学校の研究発表会におじゃました。普通、研究発表は、秋ないし冬に行われる。この時期の研究発表は珍しい。職員の異動もあり、学校体制が整わないし、一年生は、入学してまだ二ヶ月、学習のスタイルをまだまだ身につけていない。この時期に発表をするのは、冒険だなあ。よくやるよ。しかし、終わったら、一年楽に暮らせるからいいのかな。なんて思いながら、学校に入った。テーマは、算数の発表・検討。授業ではなかなか難しいところだ。最近、子ども達がきちんと話し合う授業が出来ない。そういう意味でも興味があった。古い学校で、お世辞にも校舎はきれいとは言えない。しかし、驚いた。一年生の子どもがワークシートにきちんと書いている。字のきれいさや誤字などは仕方がないが、よくしつけていると思った。高学年の教室での話し合いはおもしろかった。二次元表の作り方の授業があった。子ども達が必死になって、説明している。「でも、それじゃあおかしいよ。」女の子が言う。どうしたらよいか、なかなか出てこない。先生は、幾分焦っているようだ。しかし、見ている分にはおもしろい。最近、こういう授業がない。予定調和的に表面をなぞっただけの授業が多い。「子どもか間違うとかわいそうだ。」と間違ったことを言わせない。それがいいと思っているだ。この授業がいいのは、間違ってもあっていてもお互いが意見を言い合うことだ。こういう授業をさせなくてはいけないと改めて思った。発表会もなかなかおもしろかった。ノート指導が重要だとか発表の練習をすると、発表できるようになるとかなんの変哲もないことだが、自分たちの実感を述べていると言う気がした。もちろん、ノートの作らせ方など、参考になるところは多々あった。学校の研究は、研究者の研究と違う。論理ではなく、実践で語ることに意味がある。よい研究発表を見させてもらったと思った。
2005/06/25
東京都には、「主幹」という制度がある。教務主任や生活指導主任を兼務するが、役割ではなく、「役職」である。「教頭」(今年から副校長となった)と教諭の間に位置する。試験を受けて、合格して「主幹」となる。給与も若干良い。今まで、学校の組織は、管理職が校長、教頭の二人だけ。後は、ヒラ。そこで「鍋ぶた」と称されてきた。主幹をおくことによって、その状況を変えよう。これが、都教育委員会のアイデアである。校長にとって、主幹の設置によって学校経営がやりやすくなったのは事実であろう。平成19年度までに主幹を全校に二人ずつ配置する計画だ。しかし、その「主幹」がなかなか集まらない。管理職の代弁をしなければならないから、大変なのだ。いずれ、校長、教頭になろうと考えている人は、通過点と思うだろうが、子どもと一緒に過ごすのがいいと思っている人にとっては、なかなか。今年、主幹に受験できる年齢の人の受験票が全員分、タイプで打たれて学校に送られてきた。それに、昨年度、成績の良かった人を主幹にさせよと言う意図か、主幹育成シートを書けときた。都教委もあせっているんだなあと思う。我が校で、昨年成績がよかった先生は、組合の幹部の人だ。確かに校長に意見は、言うし、煩わしい面もあるが、その指摘が当たっていて、助けられた。それに、学級経営は抜群で子ども達もよく育っている。だから、今年の特別昇給は、彼にしようと考えているが、主幹となると別だ。まるっきり考え方が違うし、彼が受けるとも考えられない。小手先の行政的な手法で、やってもなかなか人は動かない。
2005/06/24
メールマガジン「校長先生の独り言」のサイトが、何らかの原因で消えてしまいました。この際、ブログにしようと思い、ヤフーのブログに登録しました。一週間ほど使ってみたのですが、重い うーん (>_
2005/06/24
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