Ruby 0
全9件 (9件中 1-9件目)
1
[ 妄想の記録 ] の続き。某団体のあるビルから出てきた黄色い紙袋を持った人が入っていった寺の前で、しばし躊躇していたが、ちょっと離れたところにジュースの自動販売機があるのを見つける。販売機に並んだ飲み物を眺める。最近、いくら飲んでもカロリーが気にならないタイプの飲料が増えているなぁと改めて感じながらなんとなく腹の肉をつまむ。カロリーゼロの炭酸飲料を買ってプルトップルを引く。小さな涼しさが吹き出す。三口飲んでから、寺の方を眺める。大きな門は閉まっていて、脇にある小さな門から人が出入りしているようだ。ちびちびと炭酸飲料を飲みながら門を眺めていたが、何人かの人が中に入ってはいったが出てくる気配がない。何かの集会であれば、最後の人が入ってから1時間程度は終わらないかと直感的に思う。集会でなければ、15分以内に出てくる人がいるだろう。そんな風に考えて 15分程度、とりあえず眺めていることにする。15分ほど待ってみたが、入っていく人はいるのに誰も出てこない。集会だったら、こんなにバラバラと人が入っていくはずがないんじゃなかろうか。おかしい。ふと、もう一つ出口があるんじゃなかろうかと気がつく。中に入っていって見るべきか、慎重を期すべきか。携帯電話を取り出して付近の地図を見てみると、反対側にも道が面している。ぐるっと回って反対側に出てみることにした。反対側に行ってみると、そちらが正門であることに気づく。なんだ、そういうことか。駅に行くにもこちらが近い。つまり、皆、裏門から入って表門から出て行っていたのだろう。なんだかどっと疲れが出た。壁に寄りかかって見ていると、何人かが寺から出てくる。黄色い紙袋を持っている人は誰もいない。それにしても、この寺と団体はどのような関係なのか。単に場所を借りているだけなのか、あるいは、それ以上の関係があるのか。寺と一口にいってもいろいろな宗派があるからひとくくりにできない。携帯電話を使って、ちょっと検索して見た限り、どうも普通の仏教の寺のようだ。怪しい感じはない。ということは、やはり場所を借りているだけなのか。それとも、宗派とは別に、この寺独自に怪しげなことに加わっているのか。僧侶も人を車ではねて、そのままひき逃げしてしまう時代だ。個人個人は信頼できるものではない。携帯電話をポケットに突っ込むと、駅に向かって歩き始める。どうも今日はこれ以上収穫がなさそうなので引き上げることにする。来たときとは別の入り口から地下鉄の階段を下りる。緊張が解けて脱力していく。地下鉄に乗り込むと、窓の外の壁を眺めながら想像の世界に浸る。そうしているうちに家のある駅につく。ぼうっとしていたため危うく乗り過ごしそうになったが、慌てて降りる。家に帰り着くと、疲れが襲ってきてそのまま眠ってしまった。(これは、妄想の記録 であって、ほんとうのことではありません)
2006.09.19
コメント(1)
ハーブティーを揺らせながら [妄想の記録] の続き。ハーブティーの入ったグラス越しに向かいのビルに出入りする人を漠然と眺めていると、ふと気づいた。クリーム色の紙袋を持ってビルから出て行く人がいる。その人たちの向かう方向はいつも同じだ。「心の目を開かせてくれます」というハーブティーのおかげだろうか。とにかく手がかりができた。伝票を手にカウンターに行き料金を払う。「何か見えるようになりましたか」と、店員が微笑んだ。「えっ」「あんまり嬉しそうな顔をしていらっしゃるから」「うん、まぁ。心の目が開いちゃったのかなぁ」と、適当にいいながら店を出る。いくら目をこらしても見えなかったものが、ぼうっとしているときに見えはじめることはよくある。集中力がなくなったときに、別の集中力が現れる。何かを見つけたいなら、無理に見つけようとせずに、無意識の判断力に任せてしまった方がよいときもある。第六感。それは特別なものではなく、普通の思考とは別の思考への切り替えに過ぎないのかもしれない。神秘的なことは何もない。縛られた思考を解き放つ。ただそれだけのこと。あぁ、そういう思考は、いわゆる宗教的なものとも通じるところがあるなと思う。普通の人間が備えている別の思考の側面を、霊的な次元で考えてしまうという錯誤はあるにしても。問題なのは、特別でないことをあたかも特別な体験のように位置づけるところなのだろう。それにしても暑い、と思考が途切れる。道路を渡り団体のビルに近づくと、ちょうどまたクリーム色の紙袋を持った人が出てきたので 5メートルほど後ろを歩く。前を歩いているのは40代から50代程度の3人の女性で、一番大柄の女性の声がやけに大きく話しがきこえてくる。「XX先生が・・・」と何度もXX先生という名前が出てくる。××先生とは、ウェブページに載っていた人のことだろうか。だとすれば、この女性たちはやはりあの団体から出てきたところなのだろう。見込みは正しかったようだ。そのままの距離を保ちながら後ろを歩いていく。しばらく歩くと、お寺か神社のようなものが見えてきた。もしかしたらと思っていると、その中に3人の女性は入っていった。よく見ると普通にあちこちにあるようなもので、それ自体に怪しいところはない。この宗派と関係があるのだろうか、それとも単に場所を貸しているだけなのだろうか。最近では、寺院の経営もますます難しくなっているらしく 寺院経営.com のように寺院経営に助言するようなインターネットのサイトもできている。単に経営のために貸すのか、敷居を下げるために貸すのかは別として、場所を外部の団体に貸し出すこともあるようだ。少なくともあの団体は表向きはまともに見えるから、貸すのを断られることもないかもしれない。さて、関係があるのか、ないのか。表から見ただけでは分からない。さてどうしたものか。しかし、ほんとうにまだあの団体には私がばれていないだろうかと気になる。ジャックがジルを恐れていると ジルが思っていると ジャックが思うならばジャックはジルをますます恐れる結ぼれ
2006.09.09
コメント(0)
駅から5分ぐらい歩くと、ある団体のビルがある。熱くてぼうっとしながら歩いていたので途中に何があったかよく覚えていない。そのビルは5階建てのビルで、1回はテナントが入っている。見たところ健康用器具や介護用器具を売っているようだ。脇道に入るとビルの入り口がある。この際なのでとビルの入り口まで入ってみる。2階はエネルギー関連の NPO。3階は商社のようだ。そして4階がその団体。5階にはネームが入っていないのでどうなっているのか分からない。建物に入った感じでは、いかにも怪しげで嫌な感じというのは漂ってこない。ごく普通のビルだ。勢いでここまで来たのはよいが、さすがに団体の階まで行く勇気はない。外を見ると、ちょうど向かいに喫茶店があるのでそこからしばらく人の出入りを眺めることにする。喫茶店の扉を押すときに小さなマーキングが取っ手の脇に書かれているのが目に付いた。見たことがないマークがマジックで小さく書き込まれている。マーキングは悪質な訪問販売や窃盗団がよく使う手法。あるいは、何かのグループのタギングなのかもしれない。このあたりは治安が悪いのかななどと漠然と考えながら店の中に入る。すずしい風を感じる。クーラーがほどよく効いていて気持ちがよい。店員は1人だけしか見えない。若い女性が「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。それほど広くない店内を見回すと客は自分一人だけ。窓際の向かいのビルがよく見える席につく。メニューを見ると、ハーブティーが充実しているようだ。メニューの横に「心が落ち着きます」とか「気分を高揚させます」とか効用が書かれている。その中で「心の目を開かせてくれます」と書かれたものがあった。なんだかよく分からないが、それを頼んでみることにした。注文をすませると窓の外をぼうっと眺める。眺めていると意外に人の出入りが多い。10分程度の間に 14人もの人がビルに入り、9人が出ていった。出入りする人は2,3人組が多いが、1人の場合もある。男女比はほぼ半分半分。そのうちの何人が団体に関係しているのかは分からない。そうしているうちにハーブティーが出てきた。ガラスのポットの中でハーブが揺れている。「このカップはほんとうのクリスタルなんですよ」自分にはガラスもクリスタルも見分けが付かない。「じゃあ、落として割ったら大変だね」と言った後、我ながらくだらない反応だと思った。「両手でグラスを包むように持って、ハーブの香りを楽しんでくださいね。どうぞ、ごゆっくり」そう言い残すとカウンターに戻っていった。さて、これからどうしたものかなと思いながらカップにハーブティーを注ぐと、言われたとおりに両手でカップを包み込みハーブの香りを吸い込んでみる。甘くて気持ちがいい香りがする。2回、3回と息を吸い込む度に穏やかな気分になる。そうしていると何をしに来たのかも忘れそうになる。(これは、妄想の記録であって、ほんとうのことではありません)
2006.09.05
コメント(0)
掲示板への書き込みの反応 にどう答えるか次の展開を考えていたのだが、今ひとつ、おもしろい展開が考えられない。展開を迷ったときにはまず動いてみるのがいい。百聞は一見にしかず。その団体を見に行ってみることにした。出入りする人を観察してやろうと。ウェブページにあった団体の地図を印刷すると地下鉄に乗り込んだ。団体の所在地は私の住んでいるところからそう遠くないところにある。それもこの団体に関心を持った理由の一つだったのかもしれない。列車に乗り込むと反対側のドアまで行き軽く寄りかかる。何となく外を見ると壁のひび割れが目についた。時が経つにつれてこのひび割れも次第に大きくなっていくんだろうと漠然と思っているうちに列車が動き始める。私は地下鉄の窓の外を眺めるのが好きだ。地下鉄に乗ると、いつも外を見ている。窓の外には壁が見えるだけなのに楽しい。壁の継ぎ目が動いていくのを眺めていると、ぼうっとしてくる。そして自分の世界に入っていく。目の前に見えているはずのものは意味がないものになる。見えているのに見ない状態になり、見えないものが見えてくる。なんとなく窓に反射して映る乗客の姿も別のものに見えてくる。車内で次の駅を告げるアナウンスが遠くからきこえてくる。聴覚も極端に鈍化していくのを感じる。いくつかの駅をそんな状態で通り過ぎると、寄りかかっていた方のドアが開く駅に来た。ちょうどその駅が団体がある駅だった。列車から降りると、あらかじめ調べておいた出口に向かう。A3 出口は北口。この駅は南北の両側に改札がある。北口の改札から出て、しばらく地下を歩く。陰気な壁は湿気が強いようでひび割れがひどく、水がしたたっていた。A3 の階段の下まで来ると、外の光が見える。階段を昇るときに50歳代後半の男とすれ違う。がっしりとした体つきで、まだまだ年寄りという感じはしない。それなのに目を見るとなんとなく虚ろな感じで、どこを見ているのか分からないような目をしていた。この男もあの団体の人間だろうか。そんな風に考えるとなんだかワクワクしてくる。いや、目は見ていない。逆光になっているはずだから男の目がはっきりと見えるはずはないのだ。なのにうつろな目とは。それと同時に不安が沸いてくる。私は観察しているのか、観察されているのか。観察しているつもりで、いつの間にか観察される立場になっている可能性だってある。ほんとうにこんなことをして大丈夫なのだろうか。大丈夫?大丈夫でないことなんてあり得るか?私は未だに彼らにとっては匿名の存在でしかないはずだ。(これは、妄想の記録であって、ほんとうのことではありません)
2006.09.03
コメント(0)
少しだけ、 不思議な団体で書いたカルト集団のページに書かれていることを引用しておこう。私たちは平和構築者となろうと日々努力しています。平和はただ平和、平和と唱えているだけでは訪れません。実際に行動することが必要です。私たちは日々の平和構築の現場で働く要員でありたいと思っています。しかし、「現場で働く要員」といっても、日に焼けた屈強な男性の姿ばかりを想像しないでください。私たちの活動には多くの女性も参加しています。教育や医療の現場だけでなく、交渉の場でも多くの女性が活躍しています。力の行使だけでは何も解決しません。平和のためには、ねばり強い活動が必要なのです。私たちは平和構築の一環として、世界各国で不平等や不正を正すための活動もしています。銃声が止むか止まない段階から、国づくりに至る長い期間を、あえて危険な地で活動する場合もあります。ですから、それ相応の知識や、安全管理のスキルを身につける必要もあります。私たちの活動の中には、そうした安全管理のスキルを学習する場を設けることなども含まれています。地球は一つです。日本だけで平和な世界を築けるはずもありません。不正を正すためには教育を通じて正しいことが行われる土壌を作っていかなければなりません。(以下、省略)などという記述がある。これを読んでいると、平和構築者の「寺子屋」をつくります 外相 麻生 太郎 などとも共通点があり、どこぞの立派な NPO のようにも思える。だが、この団体は実際のところ、安全管理スキルを身につけるためにアメリカやロシアでサバイバル訓練に参加したり、銃の扱いをハワイで研修したり、自己啓発講座のようなものでマインド・コントロールまがいのことをしているようなのだ。確かにサバイバル訓練をしておけば、外国で何かの役に立つかも知れないし、銃を実際に撃ってみればその威力に驚き、その意味を体験できるかもしれない。だが、それが平和の構築にほんとうに必要なことなのだろうか。彼らが意図する平和を構築するとはいったいどういう行為なのだろうか。組織として穏やかに社会活動を行っている限りは、社会に対して潜在的な脅威になるとしても、こうした団体を法的に取り締まるのは難しいだろう。過激な活動をとる破壊的カルト集団より、むしろ「その時」が来るまで、ほとんどの部分で良識的な市民として振る舞う、裏側に過激な思想を持つ集団の方が怖い。いわゆる忍者の「草」のような存在だ。こうした「草」のような存在の人々が周辺にいて、普通の社会生活を送っているかもしれない。彼らは「その時」を待っている。いや、「その時」が予定のときに来なければ、何としても来させるのであろう。過去にはいくらでも、そうした事件がある。(これは、妄想の記録であって、ほんとうのことではありません)
2006.09.01
コメント(0)
夜道を歩いていると後ろから足音がきこえてくる。公園の中を通る真っ暗な道。さすがに男の自分でも不気味に感じて足を速める。そうすると、後ろからきこえてくる足音も、いっそう速度を高めたようにきこえてくる。足音は一人の足音のようだ。どきどきしながら自分もいっそう足を速める。もしかしたら、カルトの話 など書き始めたから狙われたのだろうか。いや、そんな馬鹿な話はあるまい。どうやってネットの掲示板から自分の居所を突き止めることができようか。そんなことはあるはずがない。なんとなく息苦しくなってくる。あともう少しで明るいところに出る。後もう少し。いっそのこと走ってしまった方がいいだろうか。。。。。考え事をしていたから足が遅くなったのだろうか。足音はすぐ後ろに迫っていた。一体何が起きるのだろう。明かりが見えたところで、突然止まってみた。自暴自棄と興味本位で。すると背後の足音も止まった。思い切って振り返ってみると、びっくりした顔で立ちすくんでいる女性が一人。知らない顔だった。目が合うと、突然、こちらに向かって走って来る。身がすくむ。と思うと横をすり抜けて明かるい道路の方に走って消えていってしまった。いったい何だったのだろうか。暗い夜道で不安に思った女性が、前を歩いている男性がいた方が安全だと思って歩調を合わせて付いてきていただけなのだろうか。少しでも心に何かやましいものや、不安があるときに夜道を歩いていると、後ろから足音がきこえてくるだけで妄想が膨らんでいくものだ。そして、自分の身に危機が迫り、追いつめられたと思った瞬間、窮鼠猫をかむではないが人は思いがけない行動をとる。追いつめられているという不安を少しでも持っている人に対しては、追いつめられている感覚を強くするようなことはしてはいけない、ということなのだろうか。しかし、どこで窮鼠猫を噛むという行動に走るかは人の耐性によっても異なる。案外早い時点で追いつめられてしまって、着々と行動に出ようとしている場合も考えられる。その場合、それを追求することが追いつめ感を増幅させることなのか、未然に何かを防ぐことになるのかは非常に微妙で判断しにくい。すべての結果が出てからでなくては何とも言えない。(これは、妄想の記録であって、ほんとうのことではありません)
2006.08.29
コメント(0)
不思議な団体の続き。某団体のサイトの掲示板への書き込みの結果。次のようなコメントが書かれていた。あなたは私たちがカルト集団だと思われているようですね。何か誤解があるようです。誤解を解きたいので、なぜ、あなたが私たちがカルト集団だと思われたのかを教えてください。あるいは集会に参加していただければ、その誤解もすぐに解けるのでしょうが。。。そんな風に書き込まれていた。穏やかにまっとうに反応してきた。さて、そう来たら次はどうするか。この集団の本性を暴きたくなってきた。かといって集会に行くのはさすがに怖いものがあるのでネットでのやりとりでやってみよう。そのまえに、もう少しカルト集団について調査してからにしよう。(これは、妄想の記録であって、ほんとうのことではありません)
2006.08.26
コメント(0)
不思議な団体 を見つけて カルト について調べてみたくなった。調べているうちにおもしろいものを見つけた。カルト教祖素養診断プログラム だ。試しにやってみると、教祖の才能 :141点、 偏差値:57.9、信徒の才能 :138点、 偏差値:62.3、総評 合格可能性:C、教祖的要素 合格可能性:B、信徒的要素 合格可能性:C と、やや教祖要素はあるものの信徒的要素は C 判定で、このままでは一流カルト集団に入学できる可能性は非常に低いでしょう。志望校を二流カルト集団に変更したほうが良いかもしれません。ゆっくり考えてみてください。と、多少は要素があるようだが、どうものめり込むほどの要素に欠けているようだ。点数が低いと、なぜだか悔しいのでやり直してみると、教祖の才能 :196点の A 判定をとることに成功した。典型的な教祖の像を思い浮かべてやると得点が高くなる。逆に言えば、教祖に対する ステレオタイプ が見えてくる。意図して高得点を出せない人は、一般的な人の描く教祖のステレオタイプ像が見えない感性の低い人ということになるだろう。逆に言えば、高い得点を意図して出せる人はステレオタイプを共有しているということになる。問題はこのステレオタイプなのだ。不思議な団体の教祖的な位置づけにある人物の像を当てはめると、B のレベルになってしまう。つまり、これまでの教祖のステレオタイプに属していないのだ。意外さがこの組織の特徴の一つでもある。あからさまなカリスマ教祖が君臨するのではないところがやっかいなのだ。不思議な団体 の書き込みの結果については、また後日書くことにしよう。(これは、妄想の記録であって、ほんとうのことではありません)
2006.08.25
コメント(0)
ある言葉で検索していると不思議な団体のホームページが見つかった。いわゆる カルト に属するものといったらよいのだろうか。アクセスカウンタを見ると 100万ヒットを超えている。ただし、そのカウンタが正しい値を出しているのかどうかは分からない。水増しをしているだけなのかもしれないし、熱心な支持者が参照しているのかもしれない。カルトと指摘された団体・人物の一覧 の一覧を調べてみたが、この中にはなかった。サイト内をあちこち見て回ったが、とても危険な集団に見える。掲示板があった。熱狂的な書き込みがたくさん続いている。どうも、こういうものを見ると茶々を入れたくなる。そこで、日本脱カルト協会の推薦リンク の URL を貼り付けておいた。この書き込みに対してどのような反応があるだろうか。単に削除されるだけなのか、それとも何か書き込みが続くのか。(これは、妄想の記録であって、ほんとうのことではありません)
2006.08.25
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1