全34件 (34件中 1-34件目)
1
5月20日(月)東京から久々の里帰りという高校同期のAさんを迎えていつものMくん宅で少人数の同期会が開かれた。同じ東京に住む娘さんと一緒に帰鹿し妹さんの家にしばらく滞在しているという。何回か同期の旅行でも参加していて、すっかりお馴染みの顔であるが、鹿児島在住の私たちとは久々の対面である。 今回はMくん宅での集まりの常連であるNさんは、手術を目の前にして欠席、高校は違うが同期の賛助会員である本〇どんは入院中ということもあり、少し寂しい集まりとなったが、新しく10年くらい前に帰ってきて指宿に居を構えたKSくんがこの会に初めて参加し、いつもと同じくらいの人数での集まりとなった。 春の日をさんさんと浴びたMくん宅の庭園はいつもと変わらぬ姿で私たちを迎えてくれた。季節ごとの花々が美しい。 奥まった場所にある「地神」「水神」にも挨拶してから玄関を入った。 話題は次々に展開したが、昨年の東京旅行の話題や1月にここMくん宅で同じように歓迎した東京から帰ってきた同期生同士の夫婦・MD夫妻の話など話題は尽きず12時から午後4時まで4時間も続いた。しかし、この歳になると体調のことで一番盛り上がるのは仕方のないことか。 今回もMくんご夫妻には大変お世話になった。特に「冷そうめん」用の回る機械を2台も用意してもらって、そうめんもわざわざ「島原そうめん」を用意してもらっていて冷たいそうめんに舌鼓を打つことができた。感謝の他ない。今回、可愛いワンちゃんが3匹新規加入で鎮座していた。
2024.05.26
コメント(14)
鹿児島市の「史跡めぐり ガイドブック」に掲載されている「横山安武・森有礼成育の地」に住むMくん宅で今日久しぶりに同期有志の会を開いた。Mくんが先日あった歴史講演会の帰りに雨に濡れた坂道で滑って転倒し、足を骨折したという。そのために20日くらいギブスを装着して、家から出られないという話が伝わってきた。そこで私がKくんにラインで「美味しい弁当でも持って見舞いがてら顔を見に行こうか」と連絡したところ、それではいつものメンバーで集まろうという話に発展して今日の集まりになった。 久しぶりのM邸は秋の風情が漂い花は少ないが、いつもの佇まいで私たちを迎えてくれた。結局集まったのは、7人になった。そのため、今までのMくん宅での集まりがそうであったようにMくんの奥様が弁当の手配やお吸い物・お茶の世話までやっていただく結果になってしまった。本当にいつもお世話をかけるおじいちゃん、おばあちゃんたちである。 由緒ある屋敷だけに地神、水神などあって歴史を語る。 まだ残る紅葉が庭に華を添えていた。 今日集まった七人の中で、この二人はテレビや新聞で全国で顔が売れている同期の二人のおじいちゃんなので敢えて顔出しをすることにした。あくまでも私の一存である。 左が現在アメリカ女子プロツアーで活躍中の「勝みなみ」ちゃんを育てたおじいちゃん。みなみちゃんが子供のころから一緒に打ちっ放しやゴルフ場に連れて行って、コーチもつけずにおじいちゃんが育てあげた話は有名である。彼もこのところのMくん宅での同期会の集まりのメンバーの一人だが、先日来アメリカツアーの応援に行っていた。本人曰く「10日くらいで帰ってきた」とのことで、本日の参加となった。 右はこの会には初登場の「鹿児島のイチロー」として有名なおじいちゃん。本名は満山一朗。wikipediaによると「バッティングセンターのホームラン王」「バッティングセンターの怪物」「燃料和尚」(モータージャーナリストとして執筆しているコラムでの通称)とも呼ばれているとのこと。鹿児島のバッティングセンターでホームラン王になったのをきっかけに一躍有名になった。そして九州一円に遠征するうちに全国的にも有名になって、全国をまわりテレビにも数多く出演している。そのイチローは今回初参加であった。ただこれもテレビや新聞で報道されたが前立腺がんに罹患してしばらく闘病生活を続けていた。そして退院した数か月前に飲食店で彼を励ます会をしたとき、Mくん宅の会があることを知り、是非自分も参加したいとの話があって今日の集まりに初参加となった。二人とも、それぞれのことを成し遂げたいい顔である。 今日は正午集合で談論風発。気が付けば午後3時30分をまわっていた。楽しい半日だった。私はイチローくんの車にバス停まで乗せてもらって帰ってきた。
2023.10.19
コメント(12)
先日東京に行くという話題が高校同期生のlineで沸騰した時、天丼が美味しい店として東京は浅草の「まさる」が出たりしていろいろやり取りをした。もちろん、その他の店の話題も出て、羽田空港の地下の食堂(名前は忘れましたが)も美味しいので帰りに羽田空港でということになっていた。ところが、羽田空港に着いたときは昼ごはんが遅かったこともあり、まだ食べる気にならず結局関東風天丼は今日までお預けになっていた。 そういう中で再びlineで鹿児島にも関東風の天丼を食べさせる店が2店あるということになり、その中の一軒である鹿児島市荒田1丁目の「新橋」を選び、今日の昼に行ってきた。今日の参加予定の一人は急に用事が出来て参加できなくなりちょっと寂しい三人だった。注文した天丼が出てきて思ったのは「なるほど、東京のうどんのスープと同じで今まで食べたものと比べると色が濃いな」ということであった。一口えびを口に入れると、甘さがない。正直少し戸惑いを覚えたが、少しづつ箸を進めるうちに「ああ、これも美味しい。これもありか」と思うようになり、結構な量の天丼を完食した。 帰ってまたlineで情報が行き交ったのだが、ここを教えてくれた食通のH氏からは「新橋は天丼も美味しが、ここのおはこ(十八番)は実は かき揚げ天丼 です」というlineが入った。食い助の私は今度行って「かき揚げ天丼」に挑戦しようと思う。 いずれにしても、今日は初めての経験で美味しいものを食べることができたいい一日だった。
2023.10.05
コメント(8)
鹿児島市長田町のMくん宅で千葉県佐倉市に住む高校の同級生・Fくんを迎えて4月9日(金)正午より語る会が開かれた。出席はいつものMくん、Kくん、Nくん、勝みなみちゃんの祖父のIくん、本◯どんと私。ゲストは鹿児島に数年ぶりに帰ってきたFくんで合計7人の集まりだった。 Mくんの先祖は踊郷(現在の牧園町)の郷士であり、祖父が県会議員の時代にこの「横山安武・森有礼成育之地」という由緒ある屋敷を手に入れられたと聞く。当ブログに1月28日に書いたように友人たちが「クマタツを励ます会」を開いてくれて以来の訪問である。このところこのメンバーで集まるときはほとんどMくんたくにお世話になっており、奥様にもいつも手間をおかけしている。感謝の他ない。もっとも3月8日にはバティングセンターのホームラン王として有名な、これも同期生である「鹿児島のイチロー」の退院祝いを甲突川河畔の「いちにいさん」が開かれたので、その時にもこの日のメンバーも多く参加していた。 Fくんは2019年に鹿児島に帰ってきたときは、Kくんと私が永吉の本◯どんを訪ねてFくんを紹介し、ガイドをしていただいたこともあり、今回は本◯どんも駆けつけてくださった。(2019年9月28日、10月3日、10月6日の当ブログに記事あり) 今回の「語る会」は出前の弁当とノンアルコールのビールで始まった。デザートにそれぞれが差し入れたケーキや煎餅(私は山形屋の金生饅頭を差し入れた)をコーヒーを飲みながら談論風発、話は尽きること無く、気がついたら16時30分になっていたので解散した。話題はあまりり言いたくはないが「耳が遠くなった」など健康問題などで盛り上がった。しかし結論としては80歳超えでこのように集まってみなで楽しめる幸せを噛み締めてこれからも頑張ろうということ。良い話題としては女子ポロゴルファー勝みなみちゃんのアメリカ遠征での活躍中の話やFくんが戊辰戦争で薩摩と戦った会津(福島)を最近訪問して藩校のスケールに驚いたことや、自分が薩摩の人間と名乗ったが温かい歓迎を受けた話などを皆で聞き入った。 Mくん宅の花々はこれまでも紹介してきたが、今年は一段と綺麗だった。夢中でシャッターを押したので御覧ください。 庭の奥には「水神」の石碑もある。毎年、稲荷神社を呼んでお祀りをしているとのことでいつもきれいに手入れされている。
2023.04.10
コメント(14)
高校の同期生でつくる「八期歴史歩き会」の友人たちが妻を亡くした私を励まそうと昨日12月27日、鹿児島市長田町にあるいつものMくん宅で「クマタツを励ます会」を開いてくれた。妻の通夜にも来てくれたメンバーがほとんどだが、私はその友情にただただ感謝するのみであった。 集まったメンバーはいつもの常連だが、リーダーのKくん、家主のMくん、勝みなみちゃん祖父・IくんNくん、特別会員の本○どん、珍しい女性メンバーの二人のN(同じ苗字)さん。それにMくんの奥様にはいつも大変お世話になっている。 Nくん宅は由緒ある土地にあり門のところには「横山安武・森有礼成育之地」の標識が建てられていて鹿児島市の「史跡めぐりガイドブック」にも掲載されている。 いつ行っても庭はきれいに手入れされ、季節の花々がきれいに咲いている。 この日は「お好み焼きパーティー」ということで、大きな鉄板鍋が用意されていた。その他、つけ揚げ(さつま揚げ)やケーキの差し入れ等もあって、よく食べる私は約4時間間断なく食べ続けた。
2023.01.28
コメント(26)
12月12日、朝から嬉しいニュースが飛び込んできた。高校同期の市来龍作おじいちゃんの孫娘・勝みなみちゃんが「アメリカ女子ゴルフツアー」来季出場資格を争う最終予選会に出場していたのだが、最終11日を終わり、5位になった言う知らせが、おじいちゃんからLINEで届いた。 この予選会は、8日間で8ラウンド144ホールをまわる厳しいものだと聞いていたが、最終日6バーディ、ボギーなしの66でまわり、8日間通算24アンダー、550だったという。この最終日の勝負強さは、これまでの日本のツアーでも発揮して、日本女子オープンゴルフ選手権の昨年と今年の2連覇にもつながっている。 報道によるとアメリカの来季ツアーは来年1月下旬から始まり11月下旬まで開催されるとう。これまでの日本ツアーと比べると2ヶ月くらい長い期間の戦いのようだ。体調に十分気をつけて日本にいる私達おじいちゃん・おばあちゃんたちにもいいニュースを届けてほしいものだ。 がんばれ みなみ! このニュースは昨日の夕方の鹿児島テレビ・KTSライブニュースでも取り上げられて放映された。私は、そのニュースの時間には奈良にお住まいのブロ友「リュウちゃん」ご夫妻が鹿児島にお見えになっていたので、城山ホテル鹿児島までお迎えに行って、夜の天文館で一緒に御飯を食べるために出かけていた。その話題はリュウちゃんが奈良に帰られた後、得意のブログで詳細が伝えられるものと思い、私も楽しみにしている。そういうことで家には居なかったが同期生からのLINEで放送があることを知った家人が録画をしておいてくれたので繰り返し見ることができた。 昨夜のテレビに出演した龍作おじいちゃんは、ほんとにいい顔をしていた。みなみちゃんを子供の頃から他にコーチもつけず、ここまで育てあげてきたおじいちゃんにとっては、ビッグニュースであり、人生で何番目に嬉しい出来事だったのだろうか。今晩、3年ぶりに開く高校の同期会におじいちゃんも出席するとのことなので聞いてみたい。それにしても日程の設定はこの日を予期していたわけでもないのに、偶然とは言え日程がピッタリ合った。幹事のKくんはやはり凄い。なんという偶然だろう。「みなみちゃんおめでとう」で同期会が盛り上がることは間違いない。 最後におじいちゃんが笑いながらも「でも寂しいです」の言葉は胸を打った。アメリカで何年ツアーに参加する予定かは知らないが、それもまた実感だろう。 11月13日南日本新聞の紹介記事
2022.12.13
コメント(10)
昨日10月2日、最終日を迎えた日本女子オープンゴルフは、勝 みなみちゃんの優勝で幕を閉じた。それも、史上3人目と言われる連覇である。詳細は上と下の写真を含む南日本新聞の記事を御覧ください。 下の写真はみなみをゴルフの道に導いた私達の高校の同期生・市来龍作おじいちゃんの喜びの写真をネット上の「サンスポ」の記事に見つけたのでアップした。真ん中で白い帽子を被っているのがおじいちゃんである。 (一番下の写真は10月7日 南日本新聞から拝借)
2022.10.03
コメント(20)
(上の写真はネットから転写) 女子ゴルフ国内ツアーの「楽天スーパー・レディース」(兵庫県東急グランドGC・6616ヤード、パー72)の最終日、3日間ノーボギーできた勝みなみは、この日もノーボギーで通算22アンダーの226で今季初勝利を飾った。4日間72ホール競技でボギーなしの優勝は、記録が残る1990年以降でツアー初の快挙だという。(地元の南日本新聞) 勝みなみちゃんは高校一年生で出場した2014年の「バンテリン女子ゴルフツアー」史上最年少の15歳293日で優勝し、高校卒業までアマチュアで通し2017年のプロテストに合格した。そのアマチュア時代の優勝も含めて今回で通算7勝目である。下の写真は、パーオンできなかった17番ホール(パー3)で4mのパットを沈める。(以下動画より) (上の写真はyoutubeより) 最終日の昨日、私はコーラスの練習のため13時15分には家を出て仲間の車に同乗させてもらって会場に向かった。それまでの時間はネットで公式ページのスコアを見たり、youtubeで放送されるちょっと時間遅れの動画を見て一喜一憂していた。私が家を出たのは14ホールの時で、2位の稲見選手とは6打差あったのでまず優勝は間違いないだろうという思いであった。帰ってパソコンの前に座り、公式ページを見ると2位の稲見選手に5打差つけての優勝であった。何はともあれホッとした気持ちで、みなみちゃんのおじいちゃんで同期生の龍作おじいちゃんが大喜びしているだろうなと思った。今朝は同期生の皆さんへというおじいちゃんからのお礼のLINEが入った。 次は8月4日からのメジャー、AIG全英女子オープンに向けて今日旅立つ。 最後の18番ホールもパーで終わって優勝。 戦い終わって2位の稲見萌寧選手とお互いの健闘を称え合う。 3位入賞の同期生で同じ黄金世代の小祝さくら選手とハイタッチ。 熱烈な応援団の御一行。 勝みなみ選手の4日間の成績。 最終日のプレーについて勝みなみ選手は「攻めているつもりだったが、パットがショートしているのは、ノーボギーをどこかで意識して体がついてこなかったのかな」伸ばして終わりたい。最低でもパー。そんな欲求が伸びやかさを奪った。「正直いいゴルではなかった」という。それでも取りこぼすことはなかった。(南日本新聞) 表彰式ではキリッとした表情をみせていた。 楽天の常務から優勝トロフィーをもらってにっこり。 続いて「ベンツ」の贈呈。 最後の勝みなみ選手の挨拶。
2022.08.01
コメント(18)
私達の高校の同期会は老いて益々盛んである。卒後30年記念同窓会、同じく50周年同窓会などその他にも数回全国的な規模の同窓会を開催してきた。又全国の同期生から原稿を募り「八期通信」や「記念誌」なども発行してきた。その中心にいるのは同期会のH会長など鹿児島在住者が中心だが、中でもKくんの存在無くしてこの会がここまで発展して今日まで続くことはなかっただろう。同期生も南は鹿児島から北海道まで散らばっているが、(海外在住者もいると聞く)コロナ禍以前までは還暦を記念して行ったアメリカはロスアンゼルス・ラスベガスの旅を始め海外にも何回か行き、国内旅行も「飛鳥の里」や「高野山」など毎年のように行っていた。 その関西方面への旅のコース設定や宿泊先など一切の面倒をいつも見てくれるのがKBくんである。彼は大学時代の同期生との交流が今も続いていて、鹿児島にもよく帰ってきていたが、コロナ禍以来、その交流もできていなかったらしいが、久しぶりに帰ってくるという連絡があった。今回の帰鹿に合わせて久しぶりに会おうということになり、5月28日(土)いつもお世話になるMくん宅を今回もその会場としてお願いした。称して「歴史と国際情勢について語ります昼食会」。Kくんが名付け親である。会場となったMくん宅は、これまでも書いてきたように「横山安武・森有礼成育之地」として歴史に残る屋敷跡であり、鹿児島市教育委員会発行の「鹿児島市 史跡めぐりガイドブック」にも紹介されている。そのような屋敷跡にあるMくん宅もここに紹介している写真の通り、広い庭があり、「水神」「地神」の石碑が残る。私たちが歴史的な会合を開くにふさわしい屋敷である。(笑) 今回集まったのは、「八期歴史旅歩き会」のメンバーであるMくん、Kくん、Nくん、特別会員である同期ではあるが、かの有名なT高校卒の 本○どん、遠来の同期生KBくん、それに他に用事があって昼食会には間に合わなかった私・クマタツジージの6人である。この会のランチ会などは、いつも会費制でやっているが、座元のMくん宅には奥様も含めていつも、いろいろお気遣いをいただき恐縮している。ありがとうございます。 私が別な会のランチを済ませてMくん宅に着いたときは、ランチが終わったところだったが、デザートや本○どん宅で育ったビワの差し入れなどでますますお腹がいっぱいになった。帰りには私たちもビワをたくさんお土産にいただいた。早速、家でジャムをつくった。これまたありがとうございました。 肝心な歴史的会談? の話をしよう。KBくんが最近の「ウクライナ危機問題」の全62ページに及ぶ冊子解説書を全員につくってきてくれていていただいた。まだ全部を読破していないが、現在のマスコミで流されているものとは一味違って読み応えがある。もちろんよもやま話が中心の久しぶりの楽し集まりであった。
2022.05.31
コメント(14)
昨日1月15日は小正月だった。だからというわけではないが、高校同期生5人でがMくん宅でささやかなランチ会を開いた。この集まりを開こうとなったのは、今年になって「八期歴史旅歩き会」というLINEでもつながっている高校同期仲間が今年になって未だに顔を合わせていなかったことと、ゲスト会員の「本○どん」が鹿児島市内の「西田文化協会」主催の歴史懇話会でこの日第一回目の講演をされる予定だったのが、急速なコロナ患者増加により延期になったことにより、参加する私達にもいきなり空白の時間ができたことなどによるものだった。懇話会は計画によると「薩摩島津家の770年」というテーマで1月から隔月で11月まで6回にわたって開催の予定である。 話題は談論風発で修まるところを知らず。「本○どん」の今回の講演の概要など説明があったが、大変なご苦労であることが伺えた。そういう話が終わると、小学校入学が昭和21年という終戦翌年のことであり、幼稚園どころではなかったことや、それぞれが食べたいものもなくて、代用食を食べたこと。芋のツル、かぼちゃの花など何でも食べたことなどで盛り上がった。本○どんから「あのころからいも(さつまいも)ばかり食べたので、もうからいもは見たくもないという人もいるが、今もからいもは大好き」という話など他愛ない話が尽きず、11時半から始まったランチ会は16時まで続いた。もちろんMくん宅の玄関で手の消毒をしてから家に上がらせてもらって、マスク着用での話である。こういう集まりは駐車場にも何台も車を停めることができて、家も広いMくん宅ならでは出来ないことであるが、いつも奥様にはお世話になっている。寿司などは出前でとってもらって会費制だが、お茶、コーヒー、お吸い物や、和え物、漬物などいつも心を尽くして接待していただく。感謝! 感謝の他なし。日置市に帰られる本○どんが私を車で送ってくださるということで、帰りはお世話になった。 家に帰ってみたが、この日は初釣りに出かけた息子はまだ帰っていなかった。しばらくすると、家の前に車が停まって息子のご帰還である。この日の一番の釣果は縦縞入の「マハタ」である。高級魚である。65cmのまあまあの形であった。 下の写真は鱗をとったところである。
2022.01.16
コメント(10)
このYouTubeは2020年10月、宮崎県は宮崎市佐土原と都城を訪ねた歴史旅である。撮影と編集は、いつものようにKくん。ご覧いただければわかるが、この歴史旅でもいろいろな方々にお世話になった。感謝! 感謝の他ない。
2021.10.20
コメント(18)
2021年10月8日 南日本新聞に一面広告が掲載された。これで一面広告は3回目である。改めておめでとう。 ゴルフの第54回日本女子オープン選手権は9月30日(木)栃木県の烏山城カントリークラブで開幕した。途中2日目の10月1日(土)、第二ラウンドは2時間15分遅れの9時に第1組がスタートしたが44分に中断し10時6分に悪天候によるコースコンディション不良のため競技は中止となる。しかし、10月2日、3日、4日と好天に恵まれ、勝みなみプロは第三ラウンドの終了時に9アンダーでトップに立つ。最終第4ラウンド1番、2番ホールで難しいところに落ちしたりしたが、これを無事にパーに収めると3番ホールでバーディを出して、その後は途中からほぼ独走状態となり、終わってみればただ一人、4日間60台をマーク、通算14アンダーパーとし、2位に6打差をつけて大会初優勝を飾った。国内四大大会は初制覇である。 彼女をプロゴルファーに育てたおじいちゃんは、私達と高校の同期生だが、当日も烏山城カントリークラブで応援していた。同期生のLINEでは時々の成績などが行き交って大変な賑わいであった。優勝が決まると、おじいちゃんから同期生の応援に対するお礼や写真が送られてきた。私達同期生も皆大喜びである。今後も大いにがんばって私達を楽しませてほしいものだ。 (写真は3枚ともNHKテレビを私が写したものである)
2021.10.06
コメント(24)
5月27日~30日の4日間、愛知県で開催されたリゾートトラストレディースで優勝を飾った。実に2年ぶりの優勝でみなみちゃんのおじいちゃんと同級生の私たちが待ちに待った優勝である。昨日は同級生でつくるLINEに朝から情報が行き交きかい、優勝が決まると「おめでとう」の声があふれた。それだけおじいちゃんの同級生たちにとっても待ちに待った優勝だったのだ。これで15歳のアマチュア時代に優勝したのを初めとし、プロになって4勝目、通算5度目の優勝である。 上の写真にあるように今回は「父子鷹」(おやこたか)ならぬ「母子鷹」としてお母さんがキャディを務めておられた。 17ホールを終わって2位に3打差をつけて18番へ。18番の1打目が自分の思う通り飛ばなかったのか、それでも余裕の苦笑い。 最後のパットを決めて優勝決定。 二年ぶりの優勝にも涙はなく、笑顔でインタビューに答えていた。 優勝取りフィーを受けるときも笑顔のみなみちゃん。 優勝賞金は18,000,000円也。 優勝を手土産に6月3日から開催される「全米女子オープン」に出場のため、今日には渡米するそうだ。今後も多忙な日程が続くので、身体には十分気をつけてがんばってほしいものだ。おじさん、おばさんたちの夢も乗せて・・・。
2021.05.31
コメント(14)
高校の同級生だった中村隆重くんは「知的障碍者は農業に向いていると確信し、農作業に従事することにより自立し、生きる喜びを得られるのではないか」と農業と福祉の連携を追求し、福祉活動を行ってきた。だが、これは「社会福祉に従事しながら知的障碍者を使って金儲けをしているとんでもない野郎!」という非難を40年以上浴び続けてきた。ところが、ここ数年、時代の要請で彼の理念と成果が諸政府機関や関係者たちに受け入れられ、中村は「ノウフク」(農福)のパイオニアとして認知されるようになった。そして、本年2月には「ノウフク・アワード全国グランプリ賞」が授与された。明治維新の時、薩摩の武士たちが新しい時代を迎えるべく奮闘し、多くの実績を残した。それらの多くの成果は薩摩藩というバックがあって成し遂げられたものである。 一方、今回の「ノウフク」は何のバックもなく、中村隆重くんは一貫して信念を曲げることなく、半世紀近く孤軍奮闘して成し遂げたものである。新分野を切り開いた同じ高校の大先輩の京セラ・稲森和夫氏にも見劣りしないくらいだ。(同級のSくんの推薦文が素晴らしかったので、大意を使わせてもらった) 昨日、今日と24日(土)、25日(日)の4日間、JR鹿児島中央駅アミュプラザ・紀伊国屋書店で本人の出版記念サイン会もあると知り、今日午後から妻と一緒に行ってきた。偶然、Kくん、Nくんと会場で出会って、妻も一緒に4人でコーヒータイムを持つこともできた。(写真は本人と「ジャルダンの大地」 なお写真撮影のためマスクは、はずしてもらった) サインをする中村くん 下の写真は「過疎地に光を 彫刻のある農場 花の木農場写真集」から借用した「花の木農場全景」場所は鹿児島県大隅半島の南大隅町根占。広さは東京ドームの約10個分にもなっており、東京ディズニーランドに迫る面積になっているという。 私はこれまでに6、7回訪れている。最初は「花の木農場」で毎年5月に開催される「チャリティーコンサート&新茶祭り」に私の所属する男声合唱団「楠声会」が2010年5月に招待されて演奏をした時である。私は打ち合わせを含めてこのとき3回訪問したと思う。その時はゲスト歌手の小柳ルミ子と同じステージに上がり「瀬戸の花嫁」を一緒に歌って、観客よりも我が合唱団のおじさんたちの方が大喜びしたのを昨日の事のように思い出す。その後、2013年7月、日中友好協会の役員を務めるKくんに誘われて日中友好キャンプに留学生と一緒に行き、2016年5月に「花の木ファーム」竣工祝賀会、同じ11月には高校同期会喜寿同窓会で貸切バス2台で行ってお世話になるなどいずれも大歓迎を受けている。 下の写真は喜寿同窓会で行った時、ちょうどバザーが開かれていて近隣の人でにぎわっていた時の様子。 鹿児島市にあったザビエル教会の初代の建物を農場内に移設し「ザビエル記念広場」として保存されている。 (2016年撮影) 買って帰って2,3ページしか読んでいないので、いずれ日を改めて感想は書く予定です。
2021.04.21
コメント(10)
鹿児島市出身の女子プロゴルファー・勝みなみちゃんは1月7日、「鹿児島西警察署一日署長」を務めた。みなみちゃんに一からゴルフを教えたおじいちゃんは私の高校の同期生である。これまでも何回かみなみちゃんのことについては当ブログにも書いたことがあるが、私たち同期生もいつも陰ながら応援をしている。彼女の試合の日には同期生のLINEは大賑わいだそうだ。(私は携帯は使ってないので不参加である) 今日はいつものゴルフウェアーではなくて警察官の服がよく似合っていた。インタビューでは本人もお気に入りの様子だった。 昨年はコロナ禍で女子プロゴルファーも皆さん大変だったようだが、彼女も苦労したと思う。それでも全英女子オープン、全米女子オープンにも日本だ表として出場してするなど、目覚ましい活躍をした。今年は今日の笑顔を見ると、新しい年への希望の笑顔のように見えた。応援するおじいちゃんの仲間たちにも元気を与えてくれるようにがんばって欲しい。いつも応援していますよ。 (写真は全てテレビKKBから写したものです)
2021.01.07
コメント(12)
昨日12月2日 友人二人と街に出た。3人で昼ご飯を食べて最近出版された「上井覚兼日記」新名一仁氏による現代語訳の本をkくんと私の二人が買った。 その後、3人で鹿児島市長田町にあるmくん宅を訪ねた。mくんを入れた4人が最近は「宮崎県えびの市」を訪ねたり、一泊で宮崎市佐土原町や都城の史跡巡りをする仲間である。 mくん宅のことは、当ブログの2018年4月2日に「横山安武・森有礼兄弟生育之地」で書いた他、数回登場している。ここは鹿児島市の「史跡めぐりガイドブック」にも掲載されており、時々訪ねてくる人もあるそうだ。 ハイビスカスも今を盛りのように咲いていて綺麗だった。 久しぶりに訪ねたのだが、冬の入口にもかかわらず花々が綺麗に咲いていて目の保養になった。なお、一番上の写真はmくんが自ら写してメールに添付してくれたものを本人の許しを得てここに披露することにした。
2020.12.03
コメント(10)
友人のKくんからびっくりするような面白いイラスト入りのメールが届いた。上段左から Mくん Hくん 散歩中の人は謎 メールをくれたKくん Nさん下段左から Kさん Fくん Nくん Hさんと高校の八期会の仲間たちの名前があり、次がクマタツジージと書いてある。 クマタツジージのイラストを見る前に、Kくんの書いてくれた上の名前とイラストを見比べると思わず吹き出すくらいにそれぞれの仲間たちの特徴が描かれていてもうビックリ! 更に主役? のクマタツジージのイラストを見て、もうびっくり仰天。なんと八十路のクマタツジージがいとも軽やかにサーフィンボードを操っているではないか。顔もそっくりに描かれている。 私はKくんに折り返し次のようなメールを入れた。大傑作!!誰が描いたの?皆んなそっくりだ。大した才能だなあ。 するとKくんから「2歳上の兄がリハビリを兼ねて写真を見て描いているんだ」と返事がきた。私は一回だけお会いしたことがあったが、下のイラストのメガネをかけた方がお兄さんだと。左はKくん。 感激した夜だった。
2020.10.07
コメント(6)
地元の南日本新聞に「ひろば」という読者の投稿欄がある。ほとんど毎日「ひろば」は読んでいるのだが、今朝は「母が作った『最後』のぜんざい」というのが目に飛び込んできたのでその投稿を真っ先に読んでみた。一読して同じ年代の投稿者であることもあり共感する。そして、何気なく名前を見ると友人ではないか。元教員で伊作(現在の日置市)も合っている。驚いてもう一回、二回読み返した。 終戦1年前の母上のつくられた「最後のぜんざい」に思いを馳せ、空襲から終戦を経験し食糧不足に困り果てた私たちの世代だった。今、お互いに八十路を生きながら、「小さい子供まで巻き込む戦争は二度と起こしてはならない」という彼の言葉に今年も8月15日が近い日にようこそ投稿してくれたものと思うことしきりである。 彼とは高校の3年生で同じクラスになり、大学も4年間一緒だった。大学4年間は彼はバスケット部、私は男声合唱団に所属と全く動と静といっていい別な活動をしていたが、よく一緒に遊び、話をした。お互い似たような境遇にあり、当時から平和についても話をした記憶がある。 私も当ブログにいくつかの悲惨な戦争を繰り返してはならないという思いでエッセイを書いているのでカテゴリで「エッセイ」をクリックしてみてください。
2020.08.09
コメント(6)
2017年2月9日、当ブログに「ガイさん手作りのステンドグラス」ということで2枚のステンドグラス作品を紹介した。その時のブログと、2019年9月6日、男声カルテット「フォーガイズ」を見ていただけるとわかるのだが、ガイは私の約60年近く前からの北九州在住の友人である。 私は昭和37年鹿児島の地元銀行に入社したのだが、初任地が当時の小倉市(現在、北九州市小倉北区)だった。学生時代、男声合唱団で歌っていたので、好きな合唱を続けようと小倉で見つけたのが混声合唱団・小倉市民合唱団(現在、北九州混声合唱団に発展)だった。 そこで出会った一人が同じ歳で今日の主役のガイである。やがて、他の男声仲間からセカンドテノールにナイスガイのけんちゃん、バリトンにタフガイで私の同僚だったMクン、バスが本物のトリガイ、トップテノールが問題ガイの私ということで結成したのが、四人の野郎ども「フォーガイズ」だった。私は銀行に8年近く勤務の後、転職をしたが、北九州には12年在住した。その後、長崎、山口県徳山市(現在、周南市)を経て、20年ぶりに郷里・鹿児島に帰り仕事を続け70歳まで働くことができた。一方、ガイは有名セメント会社勤務で全国を転勤族として勤務し、退職後、北九州市に帰り奥様共々、悠々自適の生活をおくっているようである。 私の妻の郷里も北九州であり、私たちも北九州に行ことがあるので、行った時は、時間をみつけては、ガイ夫婦や当時の他の仲間たちも集まって食事会などするのが恒例になっている。 さてさて余談が長くなったが、その後もステンドグラス作成に奥様共々情熱を注いでいるガイから久しぶりに、作品の添付メールが届いたので紹介したい。 作品紹介 上の作品は『浮世絵』#1 H115cm×W45 2019年1月制作 2019年 日本ステンドグラス作家協会展入選作品 東京都美術館出展 初期の浮世絵師「懐月堂安度」の肉筆画をアレンジしたもので、単純な構図の中に清楚さと艶やかさを表現しました。花の幾何学風模様は強調したい部分です。(本人談) 作品紹介 下の作品は『浮世絵』#2 H115cm×w452019年10月制作 2020年 日本ステンドグラス作家協会展入選作品 出展は中止 中期の浮世絵師「鳥居清長」の錦絵。小野小町を浮世絵風十二単にアレンジしました。(本人談) 本人から聞いた話では、作品 #2は今年、東京都美術館に展示される予定だったものが、今回のコロナ騒ぎで中止になったとのことである。ど素人の私がいうのもなんだが2017年の作品も素晴らしいものだったが、今回の2枚の作品はさらにそれに輪をかけた素晴らしい作品に仕上がっているように思う。ブロ友の皆さんの忌憚のない感想をいただければ、どういう言葉でも彼の励みになると思うのでよろしくお願いします。
2020.05.30
コメント(8)
3年くらい前から島津家関連のブログで知り合いその後、親交のある日置市吹上町永吉在住の「本○どん」からメールがあり、「今年は我が家の山の筍が豊作だから掘りに来ませんか」とお誘いを受けた。私は車の手配がつかず、「筍は大好きだけど、今回はちょっと・・・」とお断りのメールを返した。それから数日過ぎた4月20日(金)夜、本○どんから電話をいただいた。「明日午後2時、鹿児島中央駅の西口駐車場に仲間たちが筍を取りに来るので、良ければクマタツさんも来ませんか。今日昼間、山に行って沢山掘ってきました」との有難いお誘いである。 翌日、午後2時、我が家に来合わせた娘夫婦の車に便乗して、いただいて帰ったのが上の「筍3兄弟」。本○どん、ありがとうございました。 料理上手? の連れ合いがその日のうちにアク抜きなど下拵えをして翌日の食卓に載ったのが「筍ご飯」、「茶碗蒸し」「筍の酢味噌」 本○どん! 美味しくいただきました。感謝です。 次の日は「筍の煮染め」これまた、うまし! 春の香りと味を満喫しました。 いただいたのは、「孟宗竹」の筍孟宗竹は薩摩藩・島津氏が当時の琉球王国を経由して清代の中国から輸入し、島津家別邸・現在の仙巌園の庭に植栽されるようになった。そういう歴史的な背景もあり鹿児島には孟宗竹の竹林が多い。孟宗竹はイネ科の大型の竹であり、高さは15m~20m、経は20cm。筍は食用、皮は紫褐色の毛が密集し食物を包むのに用いた。鹿児島では現在でも5月の節句に食べる「あくまき」を作るのに重宝されている。
2020.04.28
コメント(8)
鹿児島市の南の郊外に吉野大地が広がっている。(上の写真は寺山公園から錦江湾の向こうに桜島)4月6日、友人たちと吉野公園の桜を見た後、同じ吉野大地の奥にある「寺山公園」の大崎鼻展望台を訪ねた。私の記憶では学生時代に一度、30歳の頃一度訪れた記憶がある。学生時代に訪れた時は、現在 タイに永住しているSさんとその友人Nさんと3人で、我が家から片道8kmの道を歩いて行った。当時から歩くのは苦にならなかったのだろう。歩いて往復した。二度目は30代の初め頃、帰省したとき義兄の車で連れていってもらった。 その後、鹿児島で仕事をすることになり、帰ってきたのだが、その頃には吉野公園が県立公園として整備され桜の名所としても有名になっていたので、寺山公園を訪ねることがなくなってしまっていたのだ。 下の写真の真ん中に見える町並みは姶良市方面 下の写真の右下は霧島市方面正面に微かに見えるのは霧島連山 吉野で有名なものに西郷隆盛が創設した「吉野開墾社」がある。下の写真は当日は訪問することは叶わなかったがネットから拝借した「南洲翁開墾地碑」である。 明治6年(1873)朝鮮半島への使節派遣において、意見を異にし参議の辞表を提出し鹿児島に帰った西郷は、翌明治7年に私学校を設立する。明治8年には「吉野開墾社」をつくる。これは地域の産業振興と人格形成に資すべく設立したもので39ヘクタール(1ヘクタールは縦横とも100m)の土地に150人の生徒で米、粟、さつまいも、桑、茶などを栽培した。しかし、明治10年(1877)西南戦争で中断してしまう。
2020.04.23
コメント(6)
4月6日(月)快晴この日は友人たちと4人で花見に行く日だ。3人はMくん宅に集合としていたので、バスで出かけた。バスを降りて待ち合わせ時間まで30分くらいの余裕があったので、先日、当ブログにアップした「鹿児島城(鶴丸城)御楼門復元完成現場」を見学してからMくん宅に向かった。途中、鹿児島城の右側を通っていると、「木曽川改修」で有名な「薩摩義士碑」の横を通ると桜がきれいに咲いていた。 森くん宅からは先に着いていたKくんと私がMくんの車に同乗して吉野のNさん宅に向かう。途中、母校の桜を見に行くことにして、G高校に寄る。ここは昭和38年に8期生として私たちが卒業した高校である。向かって左の桜が私たちが、卒後50周年を記念して2008年10月18日に記念樹として植えたものである。 学校内から写したものだが、日頃の手入れもしていないので、花付きはあまり良くない。 その後、吉野に住むNさん宅へ。ここで手作りの心のこもった昼ご飯をいただく。煮染めに豚汁、赤飯などなど・・・。とても美味しくて皆完食。美味しかった。おやつに手作りの「ふくれ菓子」も作ってくれていた。 Nさん宅から4人で「関吉の疎水溝」へ。 「関吉の疎水溝」は2015年7月に行われた第38回世界遺産委員会において「明治日本の産業革命遺産、製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の構成遺産の一つとして世界文化遺産に登録された。 鹿児島市下田町の稲荷川・関吉(標高132m)から集成館のある仙巌園・島津氏別邸(標高124m)まで高低差わずか8mを利用し水を漏らさぬ水路を8kmにわたって築き上げたものである。薩摩藩主・第11代藩主島津斉彬の集成館事業の推進のため1852年に水車動力として使用するために作られた。機械も動力もない時代の大事業の一つであったと思われる。 下の写真は左が稲荷川源流で柵の向こう側に仙巌園への水路がある。 仙巌園への水路 稲荷川から分かれた水路の上に桜並木がある。桜並木の下に水路があり、水が流れている。 関吉の疎水溝を見て鹿児島の桜の名所の一つ・吉野公園へ。人出は少ないかと思っていたが、駐車場はほぼ満車。そこそこの人出である。 先に見えるのは桜島。 いつもの年だったら、物凄い人出で賑わうここ吉野公園も小グループが芝生の上に憩う。ただ酒盛りをするグループは目に付く限り一組もない。桜とツツジの見事なコラボ。今年も桜を満喫した一日だった。
2020.04.13
コメント(8)
姶良市であった「関ヶ原合戦と島津義弘」(講演者・東京大学史料編纂研究所 山本博文教授)を聞いて、その後、姶良市歴史民俗資料館で開催中の「島津義弘公没後四百年記念特別展」を見学した。午後4時に終了し、少し時間があったので、我々を迎えてくれたNくんが「重富海岸」を案内してくれるという。私は、3,4回訪れたことはあったが、来たのは初めてというメンバーもいた。私も何回訪ねても風光明媚で楽しめる場所である。場所は錦江湾を望むいいところにある。いまどき珍しい白砂青松の残されたところである。 錦江湾の向こうに見えるのは桜島。いつも鹿児島市内から見ている私たちには、これも嬉しい風景である。 桜島を見た方向から左を見る。低い山脈の奥の右側に微かに見えるのは霧島連山の高千穂峰。その左側にさらに霧島連山が見える。一番高い山は、韓国岳か。 こうして一日は終わり、鹿児島市から運転して連れて行ってくれたMくんの車に乗って市内に着いたときはすっかり夜になっていた。みんなありがとう。
2019.11.18
コメント(9)
近所の友人から赤いりんごをいただいた。北の方に住む人から毎年この時期になると送ってくるのだという。 その中の一個に葉っぱが一葉ついていた。りんごの生葉を見たことは、生まれてこのかた80年近くの中であったのか。記憶にはない。それとも、過去のことは、忘れてしまったのか。 りんごは、真っ赤な「紅玉」である。この赤色がまた素晴らしい。南国に住む私は色の対照に息をのんだ。食べるのはもったいない気がした。しかし、食い意地の張った私は、いずれその美しさを腹に飲み込んでしまうだろう。
2019.10.19
コメント(18)
「キョウヨウ」「キョウイク」について朝日新聞の「天声人語」に書かれたことを、以前当ブログに書いたが、「今日、用がある」「今日、行くところがある」ということが「百歳になっても脳を元気に動かす習慣術」として大事だというのだ。 そういう意味で言えば、昨日8月31日の土曜日は夏の終わり? の多忙な一日となった。朝7時30分、定例のグラウンドゴルフのため、いつもの公園に集合。先ず、公園の清掃をする。しかし、最近は13名のメンバー中、体調やその他の事情で集まりが悪く、この日も7名で清掃をする。7名の中の1名は用事があり、清掃のみにわざわざ出てきていただいたようで清掃終了後は帰宅。結局6名でラジオ体操。3人ずつ2組に分かれてゲーム開始。1ゲームの途中で心配していた雨が降り出して一時中断。2ゲーム目の最終ホール(8ホール)の第一打を打ったところで強烈な雨に見舞われる。中断してしばらく様子を見るがグラウンドがぬかるんできて、遂には水たまりが出来始める。中止やむなし。2ゲーム終わっていつものお茶タイムをするのだが、この日はお茶を飲んだあと、傘をさして用具の片付けをして、終了。 自宅に帰り、雨の合間を縫って近所のスーパーに歩いて行く。午後1時36分発のバスで映画「ロケットマン」を観るため天文館へ。妻曰く「おじいさんになった男の人達が、つるんで映画見に行くのは珍しいね」「それだけ高校の同期生の絆が強いということさ」(笑)久しぶりに映画館で観る映画は迫力がある。ほとんど音楽なので音響にも圧倒される。内容は、エルトン・ジョンの半生をミュージカル・ファンタジー風に描いたもので、主役のタロン・エガートンの演技が素晴らしい。シンガー・ソングライターのエルトン・ジョンが、作詞家のバーニー・トーピンとのコンビで次々とヒット曲を生み出していく。おっと! 内容紹介はこれから見る人のためにこの辺りで留めることにしよう。 終わって、城山ホテル鹿児島で開催される母校・G高校の同窓会総会と懇親会へ。700名ほどの出席で盛会。驚くのは私たち8期卒業生は、現在69期を数える卒業期に対してシングルなので、昨年から広い会場の最前列に席が設けられるようになったことだ。先が短いことを痛感する日でもある。(苦笑) まあ、それはともかく、この日は三つの行事をこなすことができた。健康に感謝の一日でもある。
2019.09.01
コメント(16)
おめでとう。 LPGA女子プロゴルフ、中京テレビ・ブリヂストン・レディースで勝みなみちゃん優勝! 大会初日4アンダー、2日目は大会コースレコードの10アンダーとし、迎えた3日目の最終日を、まさに我慢のゴルフで同世代の競り合いを制し通算14アンダーで2位に2打差をつけて優勝した。 写真は南日本新聞の一面掲載から拝借。 なお、日刊ゲンダイによると、今回の勝利で世界ランキング50位以内入りが確定し、今週のメジャー「全米女子オープン」30日開催の出場権を手にして急遽渡米するとのこと。健闘を祈るのみである。
2019.05.27
コメント(6)
今朝の南日本新聞を見て驚いた。先日の「パナソニックオープンレディス」で優勝した勇姿が一面ぶち抜きで掲載されていた。昨年、プロ初優勝の時も同じように掲載されたので、これで2回目である。 ところが、残念なことが一つ昨日から始まった「ワールドレディスチャンピオンシップサロンパスカップ」の初日にイーブンパーで回り、首位に4打差の好位置につけて2日目の今朝、体調不良のため棄権をしたとのこと。長いゴルフ人生ではいろいろなことがあるだろうが、これにめげずにがんばってほしい。
2019.05.10
コメント(5)
女子ゴルフのパナソニック・オープンレディースは、5月3日から千葉県浜野GCで開催されていて、5日最終日を迎えた。この日、彼女は7位からのスタートだったが、7バーディー、2ボギーの67でまわって、通算12アンダーとし、全 美貞と並んでトップで競技を終えた。 途中、悪天候による約2時間半の中断もあり、プレーオフは午後6時を過ぎるという悪条件での戦いとなった。しかし、プレーオフの18番、1ホール目でパーだった全 美貞に対し、バーディーを奪って見事優勝した。しかも、令和での戦いの初戦での優勝というおまけ付き。まさに、歴史的な優勝となった。 ご家族の皆さんにも合わせて「おめでとう」と言いたい。(画像はネットから拝借した)
2019.05.06
コメント(4)
南さつまの大浦、笠沙、秋目、坊津からの海岸線や景色を楽しみながら、途中、展望台や黒瀬の美術館、輝津館など見学し、枕崎市に入った。枕崎といえば日本でも有数のカツオの漁港である。「お魚センター」でカツオのたたき定食を食べて、番所鼻公園へ。上の写真に見るとおり「薩摩富士」と呼ばれる「開聞岳」を眺める絶好の地である。 前にも拙ブログに書いたが、ここ南九州市頴娃町別府には伊能忠敬の石碑がある。江戸時代に日本地図を編纂した忠敬が「天下の絶景なり」と賞賛したという場所で、私も開聞岳を眺望する一番のスポットだと思っているので、遠来の客をこれまでも案内してきた。 次に指宿方面に向かって226号線を走ると南九州市頴娃町長崎の「瀬平(せびら)公園」に到着。ここはカーブを描く道路、風情ある松や奇岩、その向こうにそびえる開聞岳というここの景色も素晴らしい。次々に車を止めて観光客が降りてくる。そういう場所だ。 昭和4年(1929)与謝野鉄幹、晶子夫妻も訪れて歌を詠んだという。歌碑もある。 更に進んで九州一大きな池田湖へ。私も数年ぶりに訪れたのだが、名物の「オオウナギ」の展示場も無くなっており、遊覧ボートも岸に引き上げられていた。見たところ復活は難しい? ような様子だった。観光客が少なくなってしまったのだろうか。寂しいことだ。 ただ、一昔前、ネッシーなど同じような形で騒がれた「イッシー」の像はそのまま残されていた。このあと、指宿経由で鹿児島市に戻ったのだが、久しぶりに250km以上のドライブになっていた。
2019.01.02
コメント(9)
新しい年、2019年の夜明けおめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。 10月16日~19日の高校同期会の長崎の旅から帰って2日後の10月21日、今度は大学の同期生で男声合唱団で一緒に歌ったSさんが永住地のタイから学部の最後の同窓会ということで帰ってきた。彼は熊本出身で、学部は水産学部、私より年長だったが、同じ男声合唱団で歌う中で意気投合し歌以外でもよく一緒に歩いたり、ハイキングに行ったり、彼の下宿に泊まったり、また彼も私の家に泊まりに来たりする4年間青春を謳歌したものだった。 その彼から春頃にメールが入った。水産学部の同期生最後の同窓会が秋に鹿児島で開催されることになったので、クマタツとも久しぶりに会いたいのでよろしくとのこと。彼とは卒業後も連絡を取り合い、彼の東京の自宅を訪ねたり、またあるときは、彼が訪ねてきてくりたり、最後に会ったのは、ちょうど30年前、鹿児島で私たちの男声合唱団・楠声会の第一回の演奏会の時東京在住だった彼が歌いに鹿児島に帰ってきた時だった。その後、ジェトロに出向して外国回りが始まったようで、その後の演奏会には帰ってこれずじまいだった。 その後、何回か連絡を取り合い、彼が久しぶりに訪ねたい場所など打合せを重ねたのだった。そして、10月21日(日)デパート・山形屋前で11時に再会。事前メールで彼が自分はドジャースの紺色の帽子を被っていると書いてあったので、余程の変化があったのかと思っていたが、30年前、いや学生時代と変わらない風貌であり、逆に驚いた。久しぶりの鹿児島のラーメンを昼食にしたあと、彼のリクエストでその日は私の歴史散歩コース、即ち島津家の菩提寺など回り、昔私の住んでいた家など巡ることだった。夜は鹿児島市の繁華街・天文館で「豚しゃぶ」などを食べて、彼の泊まるホテル行きのバス停まで送って別れた。 明けて10月22日(月)この日は私が車を運転してホテルまで出迎えに行った。この日も彼のリクエストで指宿方面に行きたいとのことだったので、コースは私に任せてもらって、遠回りではあるが、東シナ海を望む私の大好きなリアス式海岸を通り、指宿方面に行くことにした。南さつま市の226号線を行くのである。(一番下の写真の地図) 沖秋目島この一帯は秋目港を中心に「007は二度死ぬ」の撮影が行われたところとして有名である。 後に奈良の唐招提寺で教えを広めた鑑真和上が奈良時代の753年にここ秋目に上陸した。当日はちょうど休館日で記念館は見学できなかった。 南さつま海道八景の一つ 「双剣石」周辺
2019.01.01
コメント(10)
「キョウイク」も「キョウヨウ」もあるクマタツおじさんは「土・日おじさん」の名に恥じず、いつも忙しい。先週の金曜日・7日(金)は高校同期生の忘年会、そのあと2次会でカラオケへ。私は翌日の予定もあり、午後10時には早退したが、残った連中はこの歳でありながら、午前様だったそうだ。 8日(土)は親族20数名が集まって義兄の「米寿のお祝い」。 9日(日)校区コミュニティ協議会主催のグラウンドゴルフ大会。ホールインワン一本出したものの、集計時間が思ったより長く掛かり、待っている時間が長かったせいか、月曜日の朝起きると喉が痛い。どうやら一人前に風邪にかかってしまったようだ。昼頃から鼻水も出る。しかし、秘薬があるので、病院に行こほどではない。この秘薬をいつもは2服飲むと治るのだが、今回は4服飲んでやっとまあまあの状態に。 10日(月)はやんごとなき用事があり、外出し、1時間ほど歩き回る。 11日(火)は完全休養。半日は寝て過ごす。 12日(水)大相撲鹿児島場所観戦のため、鹿児島アリーナへ。 その間、ブログ休止、今日に至った。 大相撲観戦のチケットはコーラスの先輩で遠縁にあたるWさんからのプレゼントで二人で一緒に行こうということで、私としては小学生時代以来の大相撲観戦である。 早朝8時の開場ということでその時間に間に合うように出かけた。既に相撲好きの人が列をなしていた。 黒の締め込みの幕下以下のおすもうさんの稽古が始まっていた。自由な取り組の稽古のようで、一番終わるごとに、次の出番を争う声が響き、活気に満ちていた。しかし、土俵の下には白の締め込みの十両以上のおすもうさんも少しづつあつまってきており、準備運動やゆっくり歩き回ったり、それぞれの動きをしている。 今一番の人気力士はなんと言っても「貴景勝」。貴乃花部屋がなくなり、「千賀ノ浦部屋」への移動など、ある意味悲劇の主人公でありながら、見事九州場所での優勝という栄光に輝いたことでもわかるように今、正に時の人でもある。人気が出ないわけがない。土俵下の真中あたりで赤いタオルを持っているのが、貴景勝。私もしばらく貴景勝の動きを追ってみた。 貴景勝が運動のため? 歩き回るたびに周りには写真を写す人や、サインをねだる人などでたくさんの人が集まる。貴景勝もいやな顔を一つも見せず、丁寧に応対していた。 途中、この日の横綱は白鵬のみ。けっこう早い時間から土俵下に表れていろいろな体の動きをしていた。やがて十両や幕内の稽古が終わる頃、土俵に上がった白鵬。 やがて、同じ宮城野部屋の「大浦」を相手に稽古が始まった。休場明けなのだからか、大浦を一一方的に押す稽古で土俵下には別な力士が座布団を持って、大浦が飛ばされてくるのを受け止めていた。これを数番繰り返していた。 一通り稽古が終わり、序二段 5番、 三段目 14番、 幕下 10番の取り組みがあり、相撲甚句初切、櫓太鼓打分 と続いた。下の写真は初切。 続いて十両土俵入り。髪結実演 モデル明生関(鹿児島県大島郡瀬戸内町出身) 続いて十両取組 9番 綱締実演 第六十九代横綱 白鵬関 十両取組 残り3番 中入幕内土俵入横綱土俵入ご挨拶 鹿児島県知事他 幕内取組 14番 是より三役 3番 弓取式 千秋楽 ということで午後3時に大相撲の一日が終わった。本場所みたいな真剣勝負をもともと期待していっていなので、気楽な見物で、おすもうさんの実物を間近に見たりで貴重な一日だった。大相撲界もこの一年いろいろあったが、また相撲が好きになりそうだ。願わくば、相撲協会はもっと私たちから見える経営をしていただきたいものだ。
2018.12.13
コメント(14)
勝みなみちゃん プロ転向後の初優勝おめでとうございます。11月15日(木)から18日(日)までの4日間、愛媛県松山市のエリエールゴルフクラブ松山で開催された「大王製紙エリエール・レディース オープン」で念願の初優勝を果たした。 今朝の南日本新聞には、1面に「勝 プロ初優勝」 女子ゴルフ国内ツアー の見出しで優勝杯を持つ勝みなみ選手が紹介されたほか、19面には上の写真(最終日、17番でグリーン手前のラフからピンに寄せる勝みなみ)と記事。25面にはお母さんと、8歳からみなみちゃんにゴルフを教えて、ここまで育てた祖父・私たちの高校の同級生・市来龍作くんの喜び溢れる写真が掲載されている。 17日の日本女子プロゴルフ協会のホームページの記事に「OB2発から首位へ 勝みなみが来た」と表題で、37位タイ→17位タイ→1位タイ 真打ちは、最後に登場するものだ。と書かれ、18日には「プロ初V 勝みなみの新たなる世界」と紹介されている。 他にもネットで見るとスポーツ報知は「黄金時代の真打ち」 勝みなみプロ初V 衝撃15歳Vから4年半、「黄金時代」筆頭がついに・・・などなど賛辞が絶えない。 これを糧に今後も頑張って欲しい。応援するおじさん いやおじいさんたちかな? の切なる願いでもある。最後にもう一回、ほんとにおめでとうございます。
2018.11.19
コメント(10)
兵庫県で行われたLPGAリゾートトラストレディス最終日の今日、2日目を首位と2打差のー7の5位タイでスタートした「勝みなみ」ちゃんは、7バーディ、1ボギーのー6、通算ー13で岡山絵里と並んだ。そしてプーレーオフの結果、惜しくも敗退し、プロになってからの初優勝は持ち越しとなった。しかし、2位はすごい! おめでとう。あまりプレッシャーになってはいけないが、近々の優勝を祈りたい。 みなみちゃんは、2014年4月、熊本空港カントリークラブで行われたKKT杯バンテリンレディスオープンにおいて、女王・イボミを抑えてアマチュアながらLPGAツアー史上最年少となる15歳293日での優勝を果たした実績の持ち主である。 昨年のプロテストに一発合格、黄金時代の一人というよりも先頭を走っていると言っていい。彼女は私たちの高校の同期生の孫で、おじいちゃんが育てたプロゴルファーとしても有名である。 上の帽子は今年の春、「プロ合格祝賀会と後援会発会式」の時にいただいた、サイン入の帽子。
2018.05.27
コメント(8)
十二単のステンドグラス『十二単と花』 (H115cm×W45×2面) 御所車のステンドグラス『御所車と牡丹』 (H115cm×W45×2面) 上の2枚の写真「十二単のステンドグラス」と「御所車のステンドグラス」は北九州の友人・ガイさんの力作である。 今回の北九州は戸畑の「クローバーコンサート」におじさん合唱団の賛助出演が叶って行ったのだが、それを機会に、懐かしい友人たちと昨年3月以来の旧交を温めることができた。私が社会に出て初任地だった北九州小倉で合唱団を探していって初めて出会った仲間でその中でも特別に気が合い50年経った今でも付き合いがあるガイ夫婦とヒロ夫婦である。北九州に行くたびに3組の夫婦でいつも食事をしていて、北九州でも今も歌い続けている彼・彼女たちのコーラスの話などいつも話題は尽きずアッと言う間に時間は過ぎてしまう。そういう中で10年近く前からガイ夫婦がそれぞれステンドグラス制作に熱中しているという話を聞いていた。それは年賀状でも見ていたのだが、今回ガイから「我が家に見に来ないか」という誘いがあった。 ヒロ夫婦ともどもガイ宅を訪問、先ず入口の白っぽいステンドグラスの優雅さに驚く。通されたリビングルーム、ダイニングルームの窓一面に作られた8種の花のステンドグラスもまた目を見張るばかりだ。いつの間にこういう細かい精密なことができるようになったのだろうと思い、てげてげ(鹿児島弁でいい加減なという意味)な私にはあと100年あっても追いつけないと思った。 一方奥さんのYさんは、ガイより2年前から然るべき先生につくべく教室に通い始めたそうだが、窓ガラスなど板ガラス系一辺倒のガイと違い作品は大小のスタンドなどまた趣の違うもので、その色使いの微妙な美しさに皆感嘆することだった。 そして最後に通されたのが、上の二つの作品の窓のある部屋であった。どうですか、この微妙な線刻や色使いの美しさ! 奥さんの作るステンドグラスの美しさ楽しさなど2年間見ていたガイの血が騒ぎ出し、「よし、自分もやってみよう」と一念発起、先生にもつかず、ネット情報などを頼りに心血を注いで作り上げた現段階での最高の作品であろうと私は思った。(これらは私の推測で本人はどう思っているかは不明であるが・・・) まだまだあるガイや奥様の作品を紹介したいのだが、当日私がうっかりデジカメを忘れて行ったので、写すことができていない。当ブログをご覧になった皆さんの意向によっては、また写真を借りることが出来ると思うので、率直な感想をコメントしてください。
2017.02.09
コメント(22)
全34件 (34件中 1-34件目)
1