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昨日25日(土)はどんぐりの会(老人会)グラウンドゴルフ部の忘年会だった。いつものように午前8時30分にいつもの公園に集合して先ずは公園の清掃から始めた。2年前に伐採してもらった大木が今年はそれにもめげずもうたくさんの葉っぱをつけていたのだが、初冬になって枯れ葉を散らし、また私たちを翻弄するようになり始めた。たった2年間の癒しだったのか。 現在のグラウンドゴルフ部の登録人数は11人だが、このところ参加者が少ないので今回は忘年会には必ず出ていただくようにお願いした。その結果、腰が痛かったりしていたメンバー二人の参加もあり9人が集まった。残りのご夫婦は通院日でもあり、会食には参加するとの連絡が事前にあっていた。 何より良かったのは、この日の天気予報では今シーズン最大の寒さになると聞いていたのが、公園に行ってみると集合時間には暖かい日差しが公園いっぱいにふりそそいでいたことだ。そして風もなくこの上はないというグラウンドゴルフ日和となった。4人と5人の二チームに分かれてそれぞれが1番ホールと3番ホールからスタートした。組み合わせはいつも箸に数字を書いたものを引く抽選なのだが、4人組は女性だけ、5人組は男性4人と女性一人という偶然とはいえ面白い組み合わせになった。いつもと同じで2ゲームやった後はお菓子をつまみお茶を飲みながらの休憩時間である。この時間は風論談発で皆自分の言いたいことを勝手に話して盛り上がる。休憩後再び2ゲームを楽しむ。いつもと同じパターンだが、この日は賞品もかかっているのでいくらかの慎重さがある。またそうでなければ大会の意味もない。 結果女性一人、男性一人が4ゲームを通じてそれぞれ3本の「ホールインワン」を決めて男性のIさんが優勝、女子のHさんが準優勝に輝いて3位と合わせて豪華な賞品? をゲットした。因みにクマタツジージはホールインワンを1本出したものの4位に終わった。昨年は2位だったと思う。 11時過ぎにゲームを終えてそれぞれ帰宅した後、同じ団地内の寿司屋に12時に集合。少し遅れてゲームに参加できなかったKさんご夫婦も到着し宴会が始まった。ビールやウーロン茶で乾杯の後、差し入れのワインや焼酎も出て大きく盛り上がった。途中表彰式もあり、ホールインワン賞の残りや、差し入れのお菓子のじゃんけんでの取り合いもあり、いい歳のジジ・ババが歳を忘れて盛り上がった。因みに日頃の公園清掃の御駄賃やホールインワンをした人が小さな郵便ポストに入れる@50円なども積みあがっていて、宴会費用や賞品、ご褒美の1人あて2000円のご苦労さん賃も全てひっくるめて自己負担0円で全ての事を賄うことが出来た。めでたし! めでたし!
2023.11.26
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昨日29日(日)は校区コミュニティ協議会主催の「元気づくり親睦運動会」だった。何しろコロナ禍による世間の動きから4年ぶりの開催であった。幸い絶好の秋晴れに恵まれて気持ち良く開会式から参加した。 まあ、この80歳をとうに超えた年寄りが運動会に参加? と思われる方が多いだろうが、これにはそれなりの理由もあった。私も数年前までは町内会長や体育部長などなど様々な役職を経験し、町内会の参加する校区の催しなどにもほとんど参加してきた。そして3年間の中止を経て、今年の開会となった。そこで3年前まではまだ最後の70代ではあったので、これまでのいきさつもあって何も考えず当然のように参加してきたのだ。しかし、今年は、参加希望の回覧が回ってきたときに体調もこれまで程快調ではないし、一旦はどうしようかと考えた。そこでグラウンドゴルフ仲間とも話し合ったが、町内会の会員数が激減しこのままでは町内会として運動会に参加できないかもしれないという話もあり、参加の方向で動くことにした。実際今回は大人28人(そのうちの大半がどんぐりの会という老人会のメンバーであった)、子供6人という校区にある6つの町内会の中で最低の出席人数であった。そのために私たちの町内会は今年からは運動会の華である「あいご会対抗リレー」や「町内会対抗リレー」のメンバーが足りず出場できない状況に陥っている。因みに私が町内会長を最後にやった6年前は参加者は8,90人くらいだったと思う。極端に人数が減ったのは子供が「あいご会」を抜ける年齢になると「もう町内会にお世話になることはない」という親御さんがいたり、あるいは「町内会を抜けてもゴミ捨て等にも何ら支障はないし、町内会に留まっても何らメリットはない」というような事柄が原因だと漏れ聞いている。しかし最大の原因は「町内会長初め町内会役員が各班に定期的に回ってくる」ということのようだ。そのため、過去に町内会長を経験された方々がほとんどと言っていいくらい町内会を脱退されるという残念な状況に陥っている。 ついつい話が逸れてしまったが、昨日の私は「ゆっくり急いで」という各町内会20人づつが出場して色水を茶碗で運び、一升瓶が満杯になるまで何回でも運ぶという競技に出場し、それは無事に終了した。不名誉な負傷を負ったのは次に出場した「ボーリング」であった。これも20人出場でペアを組みボール一個でビール瓶2本を倒したら次のペアに渡して、10組が早く終わるのを競う競技であった。私はTさんという女性と一番最初のスタートのペアになった。一人は手前からもう一人は20mくらい離れた反対側におり、中間に置かれたビール瓶2本を1本づつでも2本同時にでも倒したらスタート地点に急いで戻り次のペアに渡すという段取りである。Tさんが手前から私が20mくらい先でTさんが転ばしてきたボールを今度は私が拾って瓶に向かって転ばして2本倒せばいいという単純なものだが、それが思うようにはいかない。2,3回お互いに向き合って転ばしたが不発である。そして何回目かにTさんが転ばしたボールが見事に瓶に当たり2本とも同時に倒れたのである。喜んだ私は反対側からボールを一時でも早く次のペアに渡そうと瓶が倒れたところまで走った。そしてボールを拾って走り出そうとした瞬間に前につんのめってしまったのだ!なんという不覚。なんという様だ。一瞬顔に手を当てると血が付いた。しかし、あまり痛さはなかったので骨に異常はないだろうとその瞬間にも思った。 そこから救護の看護師さん二人のいる本部席へ連れていかれた。どなたが連れて行ってくださったのか血が出ていたのはわかったが、その時どのような形で、また周囲の人はどのように見ていたのか、全然覚えていなが、ただただ恥ずかしかったのは覚えている。看護師さん二人に手当てをしてもらっていると町内の体育部長のTNさんが冷たいお茶のペットボトルを持ってきてくださって一息つくことが出来た。その後、近所のNさんも駆けつけてくれて、看護師さん共々世話をやいてくれた。最終的には、傷の場所に砂が少し入っているようだということで、水道で洗顔してから消毒をし、ガーゼを当てて絆創膏で留めていただいた。保険も利くので病院に行くときは申し出てください、とのことであったが、今朝私も絆創膏を外し、昨日その後ガーゼの表まで沁みてきていた血もすっかり止まっていた。傷の場所は鼻の上方で眉間の真下である。打ち所が悪く強い当たりであれば危険な部位でもあると思われるので不幸中の幸いであった。今日はもうカットバンだけで済ませるような状況だがカットバンが取れるまで用心のためもあり、一週間から10日くらいの自宅謹慎を自分に申し付けた。 教訓として、気分はいつまでも若いつもりでいた自分に歳の事を考えなさいという警告として受け止めることだと思った。グラウンドゴルフでも、次のホールまで仲間の忠告も聞かず走っていたが、今後はそいうこともやめて、ゆっくり動くようにしたい。
2023.10.30
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9月20日、私たちの町内の老人クラブ「どんぐりの会」はコロナ禍にたたられて久しく開催することが出来なかったバス旅行に4年ぶりに行くことができた。使ったバスは鹿児島市が無償で提供してくれる福祉バスである。目的地は南さつま市のりリヤス式海岸で次々と海の風景が開ける226号線を南下しながら見る綺麗な海沿いの美術館や史跡である。鹿児島市から九州自動車道をちょっとだけ使って市外へ。約1時間で南さつま市に到着し市街地を抜ける。海の雰囲気が漂い始めるとすぐに「くじらの館」に到着。運転手さんがトイレ休憩のため寄ってくれたようだ。ちょっとした道の駅である。 2002年1月、吹上浜(日本三大砂丘の一つ)南端の大浦町に14頭もの巨大なマッコウクジラが集団で座礁するということがあった。当時、テレビを始めマスコミが連日このことを取り上げたので私も鮮明な記憶として今も残っている。座礁当時はほとんどのクジラが生きていたため大しけの海を前に決死の救出作業が行われたが、救出できたのは1頭岳で13頭は死亡した。クジラが死亡した後も20~40トンもの巨体を動かすこともままならず、腐敗が進んで処理に苦労し、やっとのことで塊を付けてクジラを海に沈めるという世界でも例のない作業が完了したのは座礁から11日後のことだった。死亡した13頭のうち1頭は砂浜に埋められ、約10年後に掘り出して骨格標本が作製された。「大浦ふるさとクジラ館」に併設する(下の写真)「クジラの眠る丘」にはこの骨格標本が展示されている他、死亡した13頭を悼むモニュメントが設置されている。 クジラ館を後に、バスは坂道を必死に走り、次に着いたのは「笠沙美術館」。ここは当地・笠沙出身の画家・黒瀬道則さんの美術館である。私たち一行は美術館上からの眺望を楽しんだ後、下に降りて行ったのだが、管理する女性の方がおられて、無料鑑賞ができるとのことで、絵をたくさん見ることができた。絵は撮影禁止とのことだったのでここでは披露できないが、ここの風景にもマッチした素晴らしい絵の数々だった。 海に向いた窓から海に浮かぶ島を写すと一幅の絵になった。この島はジェームスボンドの「007は二度死ぬ」の撮影が当地であった時にロケ地として使われた。 笠沙美術館を後に南に向かって走るバスの窓からこの記念碑は見える。この10mくらい先には次の目的地・鑑真和上の上陸地があり記念館がある。 ここは鹿児島県南さつま市坊津町秋目浦。鑑真記念館があり、「鑑真大和上」の石像がある。鑑真和上と言えば、まず頭に浮かぶのは、ここ秋目浦の次に「奈良の唐招提寺」である。 肝心記念館は入場料@200円也。皆で入館して歴史資料と動画を見ることができた。いただいたパンフレットの表紙に次のようにある。鑑真のもとに二人の日本僧が訪ねて来た時、鑑真は日本の長屋王が唐の僧へ贈った袈裟に「山川は域を異にすれども、風月は天を同じくする。諸仏子に寄せて、共に来縁を結ばん」という意味の四句が刺繍されていたというエピソードなどを挙げて、日本は仏法興隆に有縁の国であると述べた。とある。 このように日本に関心を持った鑑真は日本で戒律を広めようと日本に渡ることを決意するが、様々な障害に会い、6回目にして初めて日本に渡来することができたという。その第一歩が坊津の秋目浦だった。後に奈良の京(平城京)に迎えられて奈良の仏教の興隆に専念、唐招提寺の開山となる。 鑑真記念館前からの眺めも素晴らしい。赤い小さな花はハイビスカス。南国らしい風景だ。 鑑真記念館を後にして、40分走って、この日の昼食場所の「枕崎おさかなセンター」へ。着いたのは予定した午後1時ぴったりだった。会長の私は、訪ねる場所と時間のスケジュール調整に頭がいっぱいだったが、食事時間の1時に「枕崎おさかなセンター」に着くためには、余裕があれば行きたいと思っていた「丸木浜」や「坊津歴史資料センター・輝津館」などは残念ながら訪ねることはできなかった。私はこのコースは大好きで、車の免許のあるころは毎年のようにドライブしていてほとんどまわり尽くしていた。それだけに皆さんにも見てもらいたいという思いが強かったのでこのコースを選んだのだった。 私が選んだのは「かつおたたき膳」、わがチームで一番人気は「ぶえんかつお膳」だった。頭のでっかいあら炊きが美味しかった。 「枕崎おさかなセンター」の売店も充実していて、食事の後、我先にと買い物をしていたが、帰りにもう一ヶ所、南九州市の「道の駅・川辺 やすらぎの里」に寄ってここでもせっせと買い物をすることだった。
2023.09.21
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この数年、グラウンドゴルフでお世話になっている公園の落ち葉の清掃に手こずっていた。この公園でグラウンドゴルフをするようになって10数年になるが、土曜日はゲーム開始前にこの公園の清掃をするようになっている。数年前には上の写真の左にある下の公園部分のカナダ紅葉2本の剪定をしてもらって暫くの間は落ち葉も少なくまあまあで経過していたが、ここ数年、すべり台のある上の公園の2本も含めて、12月から1月にかけてはその4本のカナダ紅葉の落葉だけでも45L入れのビニール袋で多い日には30袋近くなる日もあり、グラウンドゴルフに集まったのか、落葉の清掃に集まったのかわからないように日が続いた。そしてそれだけで疲労困憊という有様だった。ただ夏はこの木の下にある2番と6番のホールに行った時、陰になって涼しい風にあたる唯一の場所であり、また秋にはきれいに紅葉して心和む場所ではあった。 しかし、それよりもグラウンドゴルフをする人数も体調不良などにより10数年前に始めた当初と比べると半減した人数での清掃の困難を考慮して、今年は市の公園緑化課に連絡して思い切った剪定をしてもらうようにお願いした。 (剪定前の上の公園の2本) (剪定前の下の公園の2本) 11月4日(金)市役所依頼の造園業者さんによる作業が開始された。 見事に剪定された上の公園の2本のカナダ紅葉 見違えるようになった下の公園の2本のカナダ紅葉 剪定後の上下4本の木。一番上の写真と比べるとむしろ寂しいような気もする。 11月5日(土)スッキリした公園でスッキリした気持ちでグラウンドゴルフを楽しむメンバー。
2022.11.06
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(先ずはラジオ体操) 今日は4月2日、予定していたどんぐりの会の総会を青空のもとに咲く桜の下で開催した。毎週土曜日はグラウンド・ゴルフの日でもある。朝8時から公園の清掃を行い、ラジオ体操の後、ゲーム開始である。今日のグラウンド・ゴルフの参加者は9名。くじ引きで4人組と5人組の2チームに分かれてゲーム開始。くじ引きの結果、私は女性3人の中の黒一点の4人チームに属することになった。私たちのチームは全般ゲームは1番ホールからのスタート。 別のチームは女性一人に男性四人の組み合わせで、このチームは3番ホールからのスタートとする。毎回くじ引きなのでこういうことはよく起こる。 1ゲームは8ホールで、スタートからの距離は15m,25m,30m,50mが2ホールづつの合計8ホールで1ゲームは成り立っている。今日は9人中4人がホールインワンを出した。面白いのは50mのホールでも時々ホールインワンが出ることだ。今日は50mでのホールインワンは出なかった。因みに私は15mで1本出すことだできた。 グラウンド・ゴルフが終わって11時から総会開催。もちろんグラウンド・ゴルフ部以外の会員も参加である。現在老人クラブは24人だが、体調不良や所用で休む人もあり今日の参加者は13名。残念ながら年々メンバーも参加者も少なくなっている。 いつものようにブルーシートなど準備したものの、最初に会長の私が挨拶とコロナ禍でこの一年間もほとんど行事も行えなかったことなど報告し、簡単な会計報告など10分くらいで済ませた。その後は、グラウンド・ゴルフ部以外の人たちとは久しぶりに会うことまあって、20分くらい言いたいことなど雑談形式で話し合って合計30分でお開きとなった。用意した「花見弁当」はお茶やみかんなどと持ち帰ってもらった。欠席した人には後で報告の書類を届ける時に今日の弁当代と同じ「商品券」を届けることにした。 今日一つ残念だったのは、グラウンド・ゴルフも常連の90歳のSさんが躓いて胸を強打されて医師から安静するように言われれて欠席されたことだった。というのも、昨年「卒寿」を迎えられたSさんの「卒寿祝い」を今日皆で祝おうと計画していたからだ。いつもだったら新年会のときにお祝いをするのだが、この2年間、新年会も開けていないので延び延びになっていた。御本人欠席ということが事前にわかったので、どうしようという話になったが、これ以上延ばす事もできないということで、帰りに有志でご自宅に届けようということになり、ささやかではあるが「花」を準備して5,6人で届けることができた。ご本人にも大変喜んでいただいた。
2022.04.02
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今朝は昨日雨で清掃作業ができなかったグラウンドゴルフを楽しむ公園にウォーキングの途中で立ち寄ってみた。昨日グラウンドゴルフができる天気であれば、今朝はこのような木の実の散乱するような不様な姿は解消していたのだが・・・。以前にも書いたが、私たちの老人会・どんぐりの会のグラウンドゴルフ部ではこの公園を最低でも月に3回清掃する有料ボランティア契約を市と結んでいる。称して「公園愛護作業」という。契約内容は「清掃」(落ち葉)、「除草」、「整地」、「空き缶・ちり拾い」、「遊具点検」などとなっている。実際には毎週水曜日と土曜日にグラウンドゴルフをするので、一番参加者の多い毎週土曜日を清掃作業の日として、天気が良ければ毎週するので、月に4回、時には5回の清掃作業を行っている。万が一、土曜日が雨続きであれば水曜日にも作業は行い、最低3回は欠かさない。ところが、冬から春にかけては落ち葉と、落ち葉が終わりかけた今頃になると「木の実」がものすごい量で落ちてくる。落ち葉だけのときは45L入の袋にギッシリ入れても、大した重さにはならないが、「木の実」の時期になるととてつもなく重たい。女性では公園下のゴミの集荷所までは運べない。数少ない年寄の男性軍はここでフル活動してゲームの前に疲れてしまう有様だ。歳はとりたくないものです。しかも、これがグラウンドゴルフのゴールポストを置く場所にまで落ちているので、その分は水曜日にも作業しないとグラウンドゴルフの球が当たってとんでもない方向に曲がってしまうのでこの時期は水曜日にも「木の実」の除去作業をしないといけない。しかしこれは自分たちのためなので仕方がない。先々週の土曜日は史上最高? の27袋の収穫? があった。これが「栗の実」だったらなあと思うことだった。 公園は遊具のある上の公園とグラウンドゴルフをする下の公園の二区画ある。その両方に「落ち葉」と「木の実」が大量に落ちる「カナダ・・・」という木が本づつ植栽されている。 その公園にも桜が6本ある。今朝見たら6,7分咲きだった。 公園の上に見えるのは市立中学校。
2022.03.27
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ブロ友・長崎のローズコーンさんのブログで「山茶花」の写真を見た。それが頭の中にあったのか一昨日グラウンドゴルフの時、いつもプレーする公園できれいに咲いた山茶花が目についた。歌心ならぬ花心もない私の視野に山茶花が見えたのはローズコーンのブログで見ていたからだろう。「よし、写真に写そう」と思って帰り、昨日のウオーキングの時に写したのが上の写真である。 山茶花は今を盛と咲いているのだが、もう一つ今を盛りと、今度は私達グラウンド仲間を悩ますものがある。それは下の写真にある4本の大木の落葉である。2019年12月17日にもこの落葉のことは書いているが、グラウンドゴルフをするためにこの公園を使わせてもらっていることもあって、鹿児島市と「公園奉仕作業」の契約をしているのだ。月に3回以上の清掃(草取り、整地、空き缶やゴミ拾いなどなど)をすれば良い。そして市から幾ばくかのお金が振り込まれてくるのだ。金額はお茶菓子代くらいのもではあるが、助かる。 それはともかく、11月中旬から1月の上旬にかけては紅葉した葉っぱが枯れて落ち始め作業する私達にとっては正に地獄の様を呈する。この2,3年は近所の人で田舎に畑を持っていて野菜をつくられる方が落葉を集めて肥料にするため自分で持っていかれていたので私達が掃除をするときは少ない糧しか残っておらず、助かっていた。ところが今年は全然その様子がない。他のメンバーからの話によると、「今年は腰を痛めていて、落葉集めができそうにない」との話があったとのことで私達もガックリ。昨年までは毎週土曜日だけ清掃していたものを今年は水曜日の人数の少ない日もやることにした。これまで一番多かったのは45L入るビニール袋に23個分あった日だ。昨年までの最高は20袋だった。この時期は草は一本も抜く暇はなく落葉清掃に専念するのだが、最近次々と体調不良で出てこれなくなったメンバーを除く最高8人のメンバーでこれだけの作業はきつい。グラウンドゴルフの前のこの清掃作業ですっかり疲れてしまう。しかし、そうも言っておれないので、黙々と皆で作業するばかりだ。 下の写真は水曜日に落葉をきれいに掃き取って、木曜日の朝 写した。いち1週間経つと地面は見えなくなっている。
2021.12.24
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「どんぐりの会」とは私たちの町内にある老人クラブのことである。10数年前に町内の老人の有志が発起人となって、それはつくられた。元々、同じ町内には185世帯くらいしかなく、それも世代的に大きく二分されている。 私が山口県の徳山市(現在は周南市)から鹿児島市に帰ってきたのは、1981年のことだった。帰ってきたときは現在の住所のすぐ近くに借家住まいだったが運よく歩いて5分くらいの場所が住宅分譲地として売り出された。そこを買って家を新築して引っ越したのが、1982年の年末のことである。75軒くらいの規模で、ほぼ同年代の人々の団地となった。そこで小さいながらも町内会をつくろうということになり、有志数人で全戸数に呼び掛けて、町内会集会所もない中で提供してくださる個人の家を交代で提供してもらいながら話し合いを繰り返し、町内会の形が出来上がっていった。 団地の分譲業者から集会所用の土地は無償提供されていたので、町内会の中に「集会所建設「プロジェクトチーム」みたいなものも出来て数年後には集会所も完成した。そういう活動の中で、一緒に苦労した人たちと仲良くなっていったのは必然のこと。 それから20年くらい経って、私たちの住む団地の隣接地に新しく110軒くらいの団地ができた。そこの住人は私たちがこの団地に引っ越してきた頃よりも一段と若い年齢層の人々が多かった。その若い住人たちと話し合いの結果、私たちの町内会に入会してもらうことになり、一気に若返りと共に活気が出てきた。校区の運動会などの成績も上がり、優勝する年もあった。 しかし、年月の経過は残酷なもので、やがて住人一期生の私たちに定年・退職という日々がやってきた。そこから、昔つくった一期生の縁が復活し、「老人会をつくろう」という気運が生まれ年齢もちょっと低くして60歳以上の住人で「どんぐりの会」の結成に至るのである。戸数も少なく、また資格はあっても当然参加しない人も多くおられるので、夫婦8組くらい入れても30人弱の老人会になった。年間行事は、新年会に始まり、総会、花見、日帰りバス旅行、校区の運動会やグラウンドゴルフ大会への出場などである。メンバーの中でグラウンドゴルフ部なるものも作って毎週水曜日と土曜日に練習ゲームを楽しむ。土曜日は練習の前に使わせてもらっている公園の清掃を行う。しかし、グラウンドゴルフを始めた10数年前には10数人参加していたメンバーも病気などで最近では7人くらいという寂しいことになっている。いわゆる二期生になる新しい住人の中にもご老人はおられるので、たまにチラシなど入れて参加を呼び掛けるが、捗々しい成果は上がらず、このままではジリ貧になっていくのは免れない。今年度、会長職にあった私はコロナ禍のために集まることも叶わず、仕事もしていないので出来たら来年度も会長をと思っているが、来年度は「どんぐりの会」の行く末に一つの結論を出さなくてはいけない時期にきているのかなと思っている。
2021.02.02
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今日は国勢調査に励むクマタツジージを励ますためにKくんがお兄さん制作の「とって置きの一枚」を贈ってくれました。「クマタツジージとその仲間たち」決定版です。 先日のネット情報によると、「国勢調査」の締切日を10月7日、回答締切としていたものをコロナ禍などもあるので、先延ばしにするということが掲載されていた。回答率もネットが37.6%、〒が26.0%で合計63.6%だという。総務省の予想よりも悪いそうだ。 私の住む鹿児島市からは調査員の私に昨日、予想通りというか1日早くというか、指導員から私の受持地区の7日までの回答戸数が取り敢えずということで電話で入ってきた。私は、念入りに何回も訪問してお願いして回った後だけに、まるで学校の中間試験の結果を待つような気持ちでそれを待っていたので、突然の電話に驚いてメモした。 詳細は省くが回答率は76.6%であった。全国平均と比べるといくらか高い回答率だが、数回訪ねて結局お会いすることが出来ず、最終日に止むなく郵便受けに入れて帰った戸数が8戸だったことを考えると未回答34戸は多すぎる気もする。しかし、一回もお会いできなかった8戸の中で4戸からは回答が届いていた。お会いした中で30戸が未回答というのも寂しいし、世の中様々だと思うことだ。 そこで、指導の手順に従って、午前中に未回答の34戸の郵便受けに規定の文書に自分の言葉を添えてチラシを投函してきた。このチラシを見たら必ず回答いただけるという願いを込めて。すると、今一本の電話が入り、「4日に投函しました」とのこと。すぐに反応いただいて嬉しさ百倍、元気百倍である。
2020.10.09
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グラウンドゴルフの定例日は私にとっては毎週水曜日と土曜日の週2日である。10数年前に始めた頃は土曜日の一日だったのだが、5年くらい前にメンバーの一人が人工透析をしなくてはいけなくなり、月・水・土が通院日だという。そこから彼のためにメンバーの中の有志で水曜日にもやろうということから二日になった経緯がある。 彼は私より4歳年下だが、好人物で何故か私とはウマが合う。ゲームの途中でも他の仲間には言わないような冷やかしの言葉を二人で言い合ったりする仲でもある。彼が元気な頃は、土曜日以外にも二人で、いつもの公園でゲームに打ち興じたものだった。 今回はたまたま水曜日(9月30日)が雨で、その代替日として金曜日を設定していたのだが、今朝集まったのは水曜日レギュラー5人の中で、彼と私だけだった。私は少し早めに出かけて、ホールやスタート台を並べ準備が終わり誰かが来るまでの間、公園の草取りをしていた。15分位遅れて当のTさん登場。しばらく待つが他の仲間の姿は一向に見えない。 私「久っかぶい ふたいですっな」(久しぶりに 二人でしようか)Tさん「そげんすっが やろかい」(そうしましょう やりましょう) 二人でスタート。今日は私が4ゲーム全て点数を記録することにした。いつもは、2ゲームの後、休憩を入れるのだが、1ゲーム終わって小休憩。2ゲーム目の7ホールで私にホールインワンが出る。 2ゲーム終わって休憩し、いつものように「おやつ」を食べる。いつもよく食べる彼が大きなクッキー状のものを1枚でいいという。聞くとお腹の調子が悪いという。そこで私は2ゲームでやめようかと言ってみたが、彼は大丈夫という。ところが 3ゲームを終えるやいなや彼が公園内のトイレに駆け込んだ。 トイレから出たきた彼に再び、これでやめようか、と問うたが大丈夫とのことで最後の4ゲームまで、いつもと同じだけやることができた。ゲームを終わると彼はベンチに横になってしまった。用具などの片付けもできそうになく私に「すまんなあ」という。私は「よか運動! 運動」といいながら大したことのない後始末を終了。久しぶりのTさんとの二人のゲームも何だか消化不良みたいな気分で終わったが、彼は相当にきつかったのではなかろうか。そのせいもあろうか、二人とも成績は散々だった。
2020.10.02
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今日は10月1日。国勢調査の回答もいよいよ大詰めである。 私たち国政調査員に配布された「調査員のしごと」という冊子によると、今日10月1日から10月7日までの1週間に写真にある通りの表裏の文書を受持の全世帯に配布するようになっている。10月7日までの回答を促すためである。 私は今朝10時過ぎに家を出て、割り当てられた2区画・約150世帯の配布を済ませた。今回の配布は面会の必要もなく、各世帯のポストに入れるだけでいい仕事である。当たり前のことながら、一戸建152軒は各世帯に一軒一軒訪ねてポストに投函した。しかし、公営住宅の4棟は各棟とも3ヶ所の入口に5階までの郵便受けが付いているので、そこに入れ込むだけで済んだ。配布の時の苦労が嘘みたいに感じられて、ルンルン気分で1時間30分くらいで配布を終えることができた。 しかし、油断は禁物! 10月8日以降には未回答世帯の連絡が指導員からくることになっている。そこまで待たないと、まだまだ仕事は終わらない。もし、未回答世帯があった場合は再度訪問したりといういろいろな手続きが待っているので、これからはそれをジッと待つことになる。
2020.10.01
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6月14日(月)から20日(日)までの配布と決められていた「国勢調査調査票」の配布が期限ギリギリの20日までかかってやっと終わった。説明会の時には私たちに配られた「調査の手引」に「不在の世帯があった場合や判断に迷った場合など」という項目に「日、時間を変えるなどして少なくとも3回訪問し・・・」とあったのだが、説明の時には「今回のコロナ禍に鑑み今回は2回にしてください」という説明があった。 ところがである。調査書を配布するには世帯の代表者名と男女別の同居者の数をつかんで自分の手持ちの控えに書き入れなければならない。しかし実際やってみて2回訪問したくらいでは、自分担当の半数の家庭にも届けることができないということがわかった。そこで次の手段として留守の家庭には「連絡票」を配布して連絡を待つということになっているのだが、連絡票を見て返事があったのは1/3にも満たなかった。そのため、再々度、夕方から出かけて数軒と会えて配布。金曜日までに未配布家庭が約150軒中30軒ほどに到達し先が見えてきた。残りの30軒を1軒でも減らすために休日になる土曜日(19日)を狙って昼間も夕方も訪問し、残り8軒となった。それでも諦めきれず日曜日(20日)昼間最後の訪問をしたが、結局1軒も会えず、最後に許された留守宅にメモを付けてポストに投函する方法をとった。それでも一段落という気持ちにはなれないが、あとはどれほどの人が調査書を出してくれるか待つしかない。10月の10日頃、指導員から来る未着家庭の連絡を待って再度聞き取りなどの出かけて完成しなければならない。前途多難か。 そういうバタバタした中に、息子が職場の人から沢山の魚をいただいてきた。いつも息子と釣りに一緒に行く人が今回釣に行って大漁だったという。我が家の息子は足の筋を痛めてこの1ヶ月以上釣に行けない状態が続いていて、久しぶりに魚にありついた感じである。クーラーの大きさが内径の長さが70cmはある大型なのでその大きさは想像していただきた。ハマチが3匹、その他にタイなど10匹くらいが入っていた。我が家だけでは消費しきれず近所の皆さんにさらにおすそ分けして喜んでいただいた。我が家でも連日ハマチの刺身、しゃぶしゃぶ、煮付けなどで堪能した。
2020.09.23
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今朝は「昨日の天気予報だと今日はグラウンドゴルフができるかなあ」という気持ちで起きだした。新聞を取りに玄関先のポストまで行って空を見上げると、限りなく雲は低く厚い。でも何とかいけるのでは、という見立てをして、7時45分には家を出た。グラウンドゴルフの会場は昨日の「私の散歩道」にも書いた歩いて5分くらいの近所の公園である。 いつものバッグの他に傘も持っていざ出陣!公園に着くと、IW先生が先に着いておられて、作業用具を出しておられた。私は先ず8本のゴールポストを並べることから始めたが、途中Iさん、我が家のつれ合も到着。4人でそれぞれ草取りや清掃。終わってラジオ体操。そこへKさんも登場。この日は雨を予感したのか数人が欠席。5人の1チームでスタートとなった。 遅れてきた男・Kさんが早速ホールインワンの一番乗り。途中、雨がパラついては止んだりを繰り返していたが、1ゲームの最終ホール8番にきたところで、一転空から大粒の雨が降り出した。どうにか全員最終8番ホールを終わって屋根の下にベンチもある休憩所へ駆け込んだ。ここまではなんとかセーフの状態だった。 ところが5分、10分と時間が経つうちにますます雨足は強くなり、風も出てきて8ホールのうち半分くらいのゴールポストが倒れてしまうような状態となってきた。その上、私たちの足もとにも遠慮会釈なく水が押し寄せてきた。ここまで来てもうしばらく雨の止むような空ではなくなってきたし、例え止んでも公園中が水浸しでゲーム再開は不可能と判断して、ゴールポストを片付けて引き上げることに決定。強雨とズブズブの公園の中に飛び出して片付けを始めた。 もう何もかもびしょ濡れである。しかし、何とか片付けも終えて帰ることになった。そこで、思い出したのが今日はにわか雨ではなかったが「本降りになって出て行く雨宿り」という川柳である。この句は川柳の創始者・柄井川柳(からいせんりゅう)だ言う。実にうまい表現をしたものだと今日の自分たちの行動を振り返って思うことしきりである。
2020.06.27
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今日の鹿児島市は最低気温9°C,最高気温22°C。 快晴である。毎週水曜日と土曜日は、どんぐりの会(老人会)の定例グラウンドゴルフ。今日は最高のグラウンドゴルフ日和となった。 現在水曜日は5人、土曜日は10人くらいで定例のゲームを行う。今日は5人。これまでよりも着るものも少なくして行ったが、今日は少ない衣類を途中で脱ぐほどの陽気になった。ラジオ体操の後、気心の知れた5人で先ず8ホールを一回まわるゲームを2ゲーム。そしてお茶休憩。続いて2ゲーム。スコアカードは交代で書く。4ゲームで32ホールをまわり所要時間は2時間弱くらいか。老人には最高の遊びである。1ホール目の第一打を順番に打って行くが、1打目で入れば見事「ホールインワン」点数は1点で最後にトータルから「ー3」ももらえる。入らなければ2打目、3打目・・・と打っていき、入るまでの回数が点数になる。ゴルフみたいにパーというのはないが、点数はゴルフと同じようにつけて、点数の少ないほうがいい。メンバーで月単位、年単位でパソコン管理をして、年末の忘年会では楽しみな表彰もある。 私たちのどんぐりの会グラウンドゴルフ部は設立10数年経つが、病気などでメンバーが減ることはあっても、現状増えることがない。町内に高齢者は多いが、なかなか新規に参加する人はいないのが実状である。来たれ元気な高齢者! 因みにこの4月から私はまた どんぐり会の会長である。
2020.04.08
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私の住む町内会の老人クラブ・どんぐりの会では、毎週土曜日の定例練習日のゲームを始める前に公園の草取りや整備をすることにしている。始めて10年以上経つが、公園の清掃を始めたのはちょうど10年くらい前からである。公園は2段になっていて、写真で見る様に上の段には、子供用の遊具などが置かれており、グラウンドゴルフは下の段でプレーする。 上の段には土曜日でも天気のいい日には、近所の保育園の子供たちが先生に連れられて遊びに来たりする。私たちは下の段で最長50mのコースも2本取れるので、そこでゲームする。 そこで厄介なのが、この公園の清掃である。6月と12月には、市の公園課からの派遣で業者さんが来て、草刈や溝の清掃などをしてくれるが、日頃の芝生の中の草取りやゴミ拾い、タバコの吸殻、ときにはマナーの悪い愛犬家? が放置していく犬の糞まで綺麗にしなければならない。公園の設計がどうなっていたのか分からないが、公園の全てに芝生が綺麗に敷き詰められているわけでもない。芝生の部分はもちろんのこと、そうでない土むき出しの部分は雑草が生え放題、石ころも多く、球がそれ等に当たって、とんでもない方向に飛んでいったりするのは日常のことである。 草取りも辛いが、一番大変なのは、落ち葉の掃除である。いつも冗談で言うのだが、一年中、順繰りに落ち葉があって、私たちをこき使ってくれている。中でも、一番落ち葉に苦しむのがこの時期である。上に2本、下に2本、カナダの木だろうか、この時期に紅葉し、11月中頃から1月まで落葉が続く。 先週の土曜日に上、下合わせて45L入りのビニール袋・8袋分(その前の週は9袋)を集めて捨てたのだが、今朝散歩に行ってみると日・月二日間でこの有様である。今週の土曜日が思いやられる。土曜日には地面はほとんど見えなくなっているはずだ。トホホ! そういう私たちの気持ちをこの時期、慰めてくれるのが「山茶花」である。しかし、言いたくはないが、いずれ落葉の時が・・・。桜も、その他の木々も・・・。 いやいや、今日はついつい弱音を吐いてしまった。
2019.12.17
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今日は「どんぐりの会 忘年ゴルフ大会」だった。どんぐりの会というのは、町内会の老人クラブである。 小さな町内会であり、適齢期? でも参加しない方も多いので、現在のどんぐりの会は26名である。そのどんぐりの会の中に「グラウンドゴルフ部」があり、そのメンバーは現在12名。今日はその中の10名が参加して、忘年グラウンドゴルフ大会となった。先日も書いたが、毎週土曜日にこのメンバーで競技している。更に5名は水曜日にも集まって週2回のゲームを楽しんでいる。それに飽き足らず、毎日の様の他のクラブにも行く人もいる。 いつものようにラジオ体操に始まり、5人ひと組で2組に分かれて、それぞれ一番ホール、3番ホールからスタート。チームは組んでも、この日はチーム対抗ではない。あくまでも個人の点数を競うものだ。簡単なルール等については、11月20日の当ブログ「グラウンドゴルフの珍記録続出す」に書いたので興味のある方はご覧ください。 私は1ゲーム目 20点(ホールインワン1本) 2ゲーム目 18点(ホールインワン2本)3ゲーム目 21点 4ゲーム目 19点 4ゲーム合計 78点ここからホールインワン1本につきー3点の特典があるので3本分の9点を引いて69点。他の9人は、8人に1本づつのホールインワンが出たが、(こんなに出るのも珍しいこと)1人は一本も出ずじまいだった。2位の人が77点だった。 終わって正午から近所の寿司屋でゲームには参加しなかった2人も加わって合計12人の忘年会を開催した。優勝の賞品の商品券や参加賞などをもらえる表彰式もあり、2時間くらいの宴席となった。 先日のブログにも書いたが、グラウンドゴルフを初めて10数年経つ。しかし優勝は初めてだ。もう一つ嬉しかったのは、1ゲームで3本のホールインワンをだすことを「ダイヤモンド」というがこれも今年2回達成していて表彰を受けたことだ。ほかに1回出した人が2人いた。 こうして今年のグラウンドゴルフのイベントは終わったが、年末ギリギリまでゲームは行うことになっている。かんばって有終の美を飾りたい。
2019.12.04
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グラウンドゴルフについては、これまでも何回も書いてきた。以前のブログに遊び方やルールなど詳細に書いたこともあるが、きょうは改めて簡単に書いてみる。 競技をする場所は公式のグラウンドゴルフ場も最近いくつも出来始めたようだが、そういう場所には私たちは無縁である。グラウンドゴルフを始めて10年以上経つがそういうところで競技をしたことは一回もない。良くて芝生の綺麗な広い公園とか、学校のグラウンドなどである。もっともそういう場所を使えるのは、競技会の時くらいのもので、いつもは近所の公園である。近所の公園では土曜日の競技の前に毎週草取りや清掃をしてから始めるようにしている。その公園は一部は芝混じりの雑草が生えている場所と土むき出しの場所があり凸凹、小石やタバコの吸殻、犬の糞などもあり、それはそれは悲惨な場所である。球を打つと小石に当ったり、凹凸に邪魔されて球の方向が変わって思わぬ方向に転がっていくことなどは日常茶飯事。それを乗り越えてひたすら打っていく。逆に変な動きに助けられて思わぬ幸運につながることもあるので、もう全くの運任せということにもなる。 ホールの数は8ホールである。内訳は15m2ホール、25m2ホール、30m2ホール。50m2ホール。これを組み合わせて、1ゲームになる。1ホールが何打で入ったか、それを8ホール足して合計点数を出すのだが、ゴルフと一緒で数が少ないほうが勝ちである。ゴルフと違うのは、ホールインワンを出せば合計点数から3点引くことができることだ。2本でたらさらに3点引く事になる。私たちは通常一日4ゲームをこなしている。4ゲームやると、5、6000歩を稼いでいる。しかもホールごとに立ち止まって周囲を歩き回ったり、人の球に当たらないようにいろいろな動きをするので思ったよりもたくさん歩く事になる。 そこで最近の私の珍記録を二つ。11月6日(水) 4ゲーム中、全てのゲームで1本のホールインワン。(私は初めてのこと)11月20日(水) 4ゲームやって4本のホールインワン。そのうち2本が50mのホール。 (50m2本の記録は2014年8月6日にも出している。但しこの2本のみ) こういう記録を楽しみながら元気に続けていきたい。そういう動きからして年寄りにはちょうどいい運度になるのではと私は思う。
2019.11.20
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どんぐりの会(私の住む町内の老人会)では毎年、鹿児島市の無料の福祉バスを利用して研修旅行を行っている。皆さん高齢化して身体が不自由になったり、また逆に仕事で忙しい人など会員26人中、11人の参加と今年は寂しいものとなった。 それでも9月30日、参加者は9時20分に集会所前に集合し、9時30分出発で「桜島フェリー」に乗船し、錦江湾を横断し一路桜島へ。先ず「道の駅 たるみず」へ。私たち鹿児島市側に住む者にとっては、いつもと違う角度から桜島を展望する。ここには、長い長い「足湯」もある。 どこの道の駅にもあるような物産に加えて、新鮮魚類などが多いのが特徴か。併設のレストランではカンパチの料理などが出される。 そのカンパチの養殖を営む垂水市漁協は、単一漁協としてはカンパチの日本一を誇る。養殖筏が海上に並んでいるのを見ることができる。 ここで、おもいおもいにお土産などを買い込む人が多かった。 そこから再び、桜島港の方向へ引き返す。飽きもせず今度は「道の駅 桜島」に立ち寄る。ここでも買い物。(笑) ここで買ったみかんは甘くておいしかった。 そのあとはお待ちかねの昼食のため、「国民宿舎 レインボー桜島」へ、温泉に入り、レストランで「カンパチづくし」の定食をいただく。平日のせいか、日本人は私たちだけである。周りは外国人ばかりだった。こういう時に、最近の観光産業は外国人に依存するところが大きいというニュースを実感する。 そのあと、この日唯一の研修? のため「桜島ビジターセンター」へ。同じ会員である鹿児島大学名誉教授・I先生の教え子の先生から特別にガイドをしてもらった。初めて知ることが多く、特に印象に残ったのは、桜島に何カ所も測定器などが埋こまれていて、瞬時にそのデータが送られてくるようになっていることだった。それにより、爆発の予測などかなりな精度でわかるとのこと。一安心である。 こうして、午後4時30分には無事集会所まで帰着した。
2019.10.09
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平成29年度の町内会長の任務が終わった。メデタシ! メデタシ!いやいや 大変な一年だった。でも終わってみればアッと言う間のことだったような気もする。先日、新会長への引き継ぎも終わって、やっと開放感に浸り始めた。でも、30代の現役の若い会長にこれから一年間ご苦労をかけると思うと何だか申し訳ない気もする。(会長は毎年、次の班に回っていくので私がお願いしたのではなく、班で決められたものなので私が特別に気遣いをする必要はないのだが) 学校を卒業して、すぐ県外へ赴任。その後、転職し20年ぶりに地元に帰り、仕事を始めて70歳まで現役で過ごしてきた。帰ってきて36年。その間新しい団地に家を建て、有志の皆さんと町内会を立ち上げた。そこから会計や町内会長、体育部長などいろいろな役職をやってきたが、今回は後期高齢者にもなっているため最後の社会への恩返しと思って一年頑張ってきた。以前は「校区公民館審議委員会」という上部団体であったものが、丁度29年度はそれが発展的に解消し「コミュニティ協議会」が発足して一年目であった。そのため、町内会会員のみならず、全住民にアンケートを実施するなど大変忙しい一年になってしまった。 しかし、そういう物理的な忙しさは時間のたっぷりある私にはそう大きな負担にはならなかったが、町内会からの脱会者の問題には参ってしまった。今年も10数戸の脱会者があったが、それぞれの理由を言われるともう会長としてもお手上げであった。その度に気力を失ったものだ。 正直言うとそれが一番辛かったので、もう脱会者が出ることを直接的には知る立場から抜けられたというのがこの開放感なのかもしれない。 いずれにしても、町内会を脱会するという動きは今後も止めようがないような気がする。(どこの町内会も同じような状況だと聞く)人々の考えが多様化する中でこういう流れを止めることができるのか、今後行政はもとより、我々一人一人が考えていかなくてはならない課題だと思う。 そういうことで、やっと終わりました。今後はこれまでより少しでも頻度を上げて更新をしたいと思います。今後共よろしくお願いします。
2018.04.13
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4月8日、正式に町内会長になって2週間あまり、久しぶりに現役時代のような責任のある仕事の煩雑さと多忙さに追われた。 会長を引き受けて、これから曲がりなりにもがんばろうと思っている時に気持ちを萎えさせるようなことがいろいろあったが、一番のショックは家族調査書を集めていただいている班長さんたちから「○○さんから退会したいという申し出がありました」という電話であった。結果、数少ない会員の中から4世帯の退会申し出があった。もうこれは私個人の力ではどうにもならないことだが、大変な脱力感を感じる出来事である。28年度当初より15世帯の会員が退会された計算になる。 町内会の加入世帯の減少は日本全国どこでもある現象のようで、よくマスコミにも取り上げられることではある。しかし、それを目のあたりにすると、残念の一言である。 その原因は様々だろうが、身近で見聞きするのは、役員になり手がないので各世帯に順番に役員が回ってくるように総会で決めているので、それを避けるために退会するという人が多いように聞く。もちろん別居している親御さんの介護で遠くに出かけなければならないという気の毒な動機の方もいらっしゃる。 この問題は私たちが30数年前にこの団地に移り住んだ時からのもので、一朝一夕にはできないということはわかっているつもりだが、何かいい解決方法はないものだろうか。この一年間周りの方々とも話し合ってみたい。
2017.04.24
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この度29年度の町内会総会において町内会長に選出されました。 私たちの町内会はそれまであった大きな団地に続く場所に30数年前新しく団地が開発され60戸くらいでスタートしましたが、更に十数年前に隣接地が開発され、そこの住民の方々も私たちの町内会に加入されて現在は町内会加盟戸数は140軒くらいになっています。未加入の方々の呼び込みが今後の課題です。 町内会役員については、過去にも会長や会計、体育部長なども経験しているものの、この歳になっての会長職にはいささかの不安を覚えています。文書類は全てパソコン処理のため、好きなようにしかパソコンを動かせない私は、これからまだ勉強をしなくてはならないことも出てきそうです。 現在、年度始めの官庁等への書類作成や、第一回の役員会に向けての書類作成に追われています。長崎~北九州~下関~熊本へのドライブ旅行について書き始めたばかりですが、しばらくブログを休みます。一段落したら更新したいと思います。
2017.04.12
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今年のどんぐりの会(町内の高齢者で組織)のグラウンドゴルフ部の忘年会は初めて一泊二日で開催された。場所は日本三大砂丘の一つ、鹿児島県日置市吹上町である。私たちの住む鹿児島市の団地まで「吹上砂丘荘」の車に迎えに来てもらって大助かりである。 余談だが、今朝のBSプレミアム・火野正平の心旅に偶然にも「吹上砂丘荘」の名前が出てきたが、まさにその吹上砂丘荘に私達は宿泊した。 砂丘荘の玄関前には「海ガメのふるさと」の碑もあり、私たちを歓迎してくれた。 グラウンドゴルフは行った日に4ゲーム、翌日4ゲームを楽しんだが、これまで経験したことのない難コースで私たちを苦しめた? いや楽しませてくれた?松林の中を縫うように造られたコースは起伏に富み、珍プレー続出で嘆声と笑いが交錯した。当然スコアは日頃の倍とまではいかなかったものの、ホールによっては3倍以上叩いたりホームコースとの違いに驚いた。下の2枚の写真は比較的平坦なコースのものである。難しかったコースでは今 考えると写真を写す余裕もなかった? のか。 「こんなところに日本人」じゃなくて「こんなところに外国人」という思いがしたのが、グラウンドゴルフのスタート地点。聞けばマレーシアからの旅行で来たとのことでそのコースにグラウンドゴルフ体験も含まれていたのか、備え付けのスティックでコースを回って楽しんだようだ。偶然にも宿泊も吹上砂丘荘だった。 追記 BSプレミアム 上記「心旅」夜7時30分からの30分番組を見た。 南九州市から吹上まで自転車走行。途中、「人生下り坂最高」を謳う火野正平氏が坂道でハアハアε=(・д・`*)ハァ…したり、田の神さあに会ったりで、一度他の番組で泊まったことがあるという「吹上砂丘荘」に到着。私たちが泊まった12月6日のどれくらい前の出来事だったのだろうと思うことだった。その後、私たちは今回訪れなかった砂丘に出た正平氏がサマになっていた。
2016.12.09
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どんぐりの会の研修旅行の続きが大変遅くなってしまった。その間、おじさん合唱団の行事が二つあったりで忙しかったことやサボり心も出て遅くなってしまった。その一つは「県民文化フェスタinかごしま2016」で、踊りや太鼓などの競演があり我がおじさん合唱団はトリをつとめた。もう一つは「めぐみコーラス第十八回定期演奏会」への賛助出演だった。 さて、研修旅行第二幕の本題に戻ろう。平川動物公園は鹿児島市営のため、市内在住の70歳以上の老人で敬老パスを所持していれば、無料で入ることができる。(熊本市、福岡市、北九州市からのご老人も年齢を証明できるものがあれば無料) 動物園の説明については、以前も当ブログに書いたので、今回は動物写真の羅列に終わってしまいます。
2016.12.03
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町内の高齢者で組織する「どんぐりの会」の今年の研修旅行は「鹿児島メガソーラー発電株式会社」と「鹿児島市平川動物公園」に決まって16日(水)に行ってきた。 9時30分、市の福祉バス(無料)で団地出発。1時間もかからず鹿児島市南部にあるメガソーラー発電現場に到着した。ここはIHI(石川島播磨重工業)がもう何十年も前に造船所を建設するということで鹿児島県から買収した場所である。しかしその後、造船不況などもありIHIが建設に踏み切らずすったもんだした場所でもある。そしてIHIはここに小規模な機械工場を建設していたが、こちらも現在稼働していない。 私の会社は現役時代その機械工場立ち上げの前から安全保護具やユニフォーム販売のため出入りしていたため、久しぶりに訪ねて懐かしく昔のことを思い出すことことだった。 まず、「鹿児島七ツ島ソーラー科学館」に入り、パネルを前に綺麗なお姉さんの説明を受けた。 ここは、2013年11月1日起動したが、当時は太陽光発電所としては日本一の規模だったそうだ。現在は他にも大規模発電所が建設されたため日本で4位だそうである。総投資額は270億で京セラ製高出力太陽電池モジュール(242W)を約29万枚設置してあり、土地面積127㎡(東京ドーム約27個分)あり、発電量は70MW,発電電力量(年間予測)約78、800MWh(一般家庭の約22,000世帯分に相当)し九州電力に売電をしているとのことで、夏よりも春、秋の方が発電量は多いとのことである。日頃、原子力発電にいつも疑問を抱いている私としては今回の見学は大変考えさせられることが多く、大変有意義であった。企画された現どんぐりの会会長のI先生に感謝! 団地から現地までの交通渋滞もなく、早めに現場に到着し、スムーズにことが運んだので、12時の昼食予定を早めて11時30分からにして食事処「こんぴら丸」に行った。ここの料理も抜群においしく皆大満足だった。そのあと童心に返って「平川動物公園」へ向かう。
2016.11.18
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台風13号も肩透かしの感じて過ぎ去った9月7日、鹿児島市の健康の森公園で「第五回すこやか長寿まつり グラウンド・ゴルフ大会」2日目が開催され我が町内の「どんぐりの会」も例年通り参加した。この長寿まつりは6年前までは「長才まつり」(おせまつり)として開催されていたが、5年前より、よりポピュラーにといことだったのか現在の「長寿まつり」と名前を変えて開催されるようになったと記憶している。6日と7日の2日間にわたって開催されるこのグラウンド・ゴルフ大会には今年は340チーム(1チーム5人)の1700人参加の長寿まつり最大の人気行事だそうだ。(上の写真は開会前の自由練習の模様) 鹿児島市主催でこの他にもゲートボール大会や高齢者の作品の展示会など文化的行事も併せて開催されている。 この日は開会セレモニーに市内の「はなぶさ幼稚園児」による「はなぶさ太鼓」が披露されて大会を盛り上げてくれた。このはなぶさ太鼓はテレビに流されるテレビコマーシャルにも使われており、鹿児島では知名度も高い。 開会式での森・鹿児島市長の挨拶 ゲームは日本グラウンド・ゴルフ協会のルールにのっとり、2ゲームづつ行う。1ゲーム済ませて他のチームが戦う間の1時間くらいの間に昼食を済ませて2ゲーム目を戦って終わり。この日は34度を越し、湿度も高く9月とは思えない暑さの中であったが、幸い救急車の音も一回も聞くことはなかった。 相手チームには辛うじて勝つことが出来たが、上位10位までの入賞には程遠く、試合終了後は大会本部や皆さんには悪かったが早々に引き上げた。
2016.09.08
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私たちの町内会の老人有志でつくる「どんぐりの会」。会員20数名の小さな団体である。その中でグラウンドゴルフする者、13名が通称「どんぐりの会GG部」を作って6~7年。毎週2回近くの公園で楽しんでいる。対外試合には年に2、3回しか出場しないという健康維持のために楽しみながらやっている団体である。ただそのどんぐりの会GG部最大のイベントと言っていいのが恒例のグラウンドゴルフ忘年会である。 毎年、いまごろ日置市伊集院町にある「花水木」で開催している。ここは、以前から夏の「ソウメン流し」や「鯉料理」で有名だったが、10年くらい前に「温泉」を掘り当てたことから、俄然脚光を浴びて、一年中賑わうようになった。露天風呂や食事処もあり、孫たちが小さい頃はよく通ったものである。そこに「グラウンドゴルフ場」もあると知ってもう5、6年忘年会は「花水木」となってしまった。 今朝は8時に「花水木」のマイクロバスに来てもらって、団地を出発。8時40分現地到着。今日はこれまでで最高と言っていいほどの好天に恵まれて、2チームに分かれて、それぞれのコースをスタート。いつもやっている公園とは大違いで、山岳コース? のため面白いのだが、成績はさっぱり。公園でやる時と同じ4ゲームをこなすことができた。 グラウンドゴルフ場は紅葉がきれいで、近くに川も流れていて、絶景である。 プレー場面は少しだけ。我がチームの精鋭たち。 終わって、温泉入浴、あと賑やかに忘年の宴。3時過ぎにマイクロバスで送ってもらい帰着。楽しい一日、いや一年であった。
2015.12.09
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一ヶ月くらい前のある日、私の住む団地の一つの団体が主催する研修旅行に参加した。この日の目的地は「薩摩藩英国留学生記念館」と国家地下石油備蓄基地の「ちかび展示館」である。 薩摩藩英国留学生記念館に行くのに薩摩川内市の九州電力川内原子力発電所の前を通って行くという。10数年前までは仕事で何回も川内原発に行ったことはあり、当時から入構許可を得て中に入っていた事などを思い出しながら雨に煙る二基の原発を写真に写した。 当時はまだ福島のような大きな事故もないころで、気持ちの揺れもなく、普通の感覚で見ていた原発も今となっては正直なところ、複雑な心境で遠くから眺めることだった。 その後1号機の核燃料の装填も終わり、昨日は再稼働の手順などもテレビで公開されていたようだが、見る気はなく、全部スルーした。
2015.07.15
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町内会の有志でつくるどんぐりの会・老人クラブで鹿児島市の吉野公園に花見に行った。毎年恒例の行事だが、これまで自家用車に分乗して行ったものを交通安全を考えて今年から路線バス利用に変更した。会員26名中、今年は未だ現役の人や入院中の人などを除き15名の参加となった。 各人が分担して、敷物、焼酎、お菓子などをバスに乗せて行き、弁当は現地に届けていただき助かった。また乾杯のビールは公園内の売店で調達。何の支障もなく乾杯できた。 公園と桜の眺望も見事だが、公園の一番高いところに少し登ると、錦江湾(鹿児島湾)と桜島が望める絶好のロケーションである。ただこの日は花曇りでもう一つという眺めではあった。 花見弁当を食べながら話にも花を咲かせていると、広場の方でイベントが始まる様子。しばらくすると、様子がわかってきた。鹿児島で大活躍の、いや全国的にも有名な少年少女のジャズバンド・NPO法人のリトルチェリーズである。私が指導者のO先生に聞きに行くと14時30分演奏開始とのこと。しかし、実際には14時20分には演奏が始まり、「茶色の小瓶」など15分くらい聞くことができた。周りにはいつの間にかたくさんの花見客が集まり、手拍子を打ったり大賑わいだった。とても子供とは思えないビートの効いた演奏で楽しめた。帰りのバスの時間もあり、後ろ髪を引かれながら公園をあとにした。
2015.04.02
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校区の子供たちの安全を守るためにボランティアで始めた「青パト」隊に入って4年目が終わろうとしている。主力部隊は夜間に車で青のパトライトを回しながら公園などを主体に巡回するのだが、私達高齢者は子供たちの下校時に校門から帰宅する主な道路をパトロールするようにしている。 5日はその日である。午後3時前に写真の反射直帰など一式を身に着けて学校に向けて出発。子供たちの通学路になっている道路を歩いていると、道路の向かい側のバス停に一人のおばあさんが立っておられる。優に80歳は超えておられるようだ。杖をついたそのおばあさんが私の姿を見るやいなや信号もないその道路をいきなり私の方向に向かって歩いて近づいてくる。左右から車はひっきりなしに走ってくる道路をだ。その時、左からトラックが、右からは乗用車が近づいてきたが、両方とも止まってくれて大事には至らずにすんだ。多分それらしき服装をした派手な私を見て、用心しながら走っていたのだろう。 そのおばあさんは、私のいる歩道側の金属製の柵に阻まれて歩道に上がることもできないまま、私に問う。「〇〇二丁目は何処じゃんそかい」私「この辺ごあんど、じゃっどんこっちは谷になっちょって、ないもごわはんで、又向こう側に渡いやはんないっもはんど」(この辺りですが、こちら側は谷になっていて人家はないので、又向こう側にわたらないと、いけませんよ) おばあさん「そいなあ、△△バス停はどこじゃんそかい」私が説明する。その間にも道路端にいるおばあさんの前は車がひっきりなしに通過して危ないこと、この上ない。やっと車が途絶えたところでおばあさんは道を横切り、最初いた歩道にたどりついた。 私がおばあさんに教えたそのバス停と私が行く小学校は同じ方向だったので、車の通る大きな道路に沿う右側の歩道をおばあさんは歩き、私は左側の歩道を歩き道路を挟んで平行して歩く形で進んで行った。 小学校の門前まで来ると、ちょうど信号機がある。そこで私がおばあさんに信号に従って私の側に再び来るように呼びかけたところ、今度は渡る歩道の信号は赤なのにいきなり渡りはじめて、肝を冷やした。ここでも私の服装を見たドライバーの皆さんが徐行してくれていたので、事なきを得たのだった。 こちら側に渡ってきたおばあさんは「あいがとしゃげもした」(ありがとうございました)の挨拶を何回もくりかえされてこちらが困惑するほどだった。こういう挨拶は薩摩独特? のものだと私はおもっているがこのおばあさんに限らず、この辺りの年齢の方までは丁寧で、そして長い。これは美徳の一つだろう。 そして次におばあさんが発した言葉に私は訳が解らず戸惑った。「あたいげんお父さんも競輪選手ごわしたとお」(我が家の主人も競輪選手だったのですよ」 私無言で「?」何のことだろう、いきなり。「はあ?」 おばあさんは同じ言葉を2、3回くりかえしたが、私は訳が解らないので聞こえない真似をしてやり過ごした。 そこからおばあさんの行くと言うバス停を繰り返し教えて小学校の門前で別れた。しばらく見送っていたら、私が教えた通り次の信号から左折して行かれた。杖をつきながらゆっくり歩いて行かれるおばあさんの無事を見届けられなかったが多分大丈夫だっただろう。 小学校一年生が出てくるまでの間、おばあさんのセリフ「競輪選手」という言葉が何故出てきたのか考えてみた。「そうだ! この反射チョッキが競輪選手の服装に見えたのだ」やっと私なりの結論が出た。昔、北九州時代に何回か行った競輪で見た競輪選手の服装は見方によってはこんな風に見えるかもわからないと思い、一人笑いを噛みしめることだった。
2014.03.05
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毎週水曜日と土曜日にグラウンドゴルフを楽しむ公園には、桜の木や山茶花の木が植えてある。その中に、一際大きな木がある。 そう上の写真の木だ。これからの季節この木だけが、沢山の落葉をもたらして、毎週掃除をする私たちを翻弄する。 と言うのが、桜の落葉はほぼこの時期には終わってしまうのだが、公園に4本あるこの大木だけは、これから紅葉し、2月位まで、ゆっくり落葉する。 夏は私達に唯一木陰を提供してくれて、秋にはこのように美しく紅葉するのだが、それが落葉を始めたらもう大変である。先週も大きなビニール袋に5つ。これから少しづつ落葉し2月くらいまで続くのだ。おかげで、グラウンドゴルフの前に体が温もり、いい準備運動にもなって、私達年寄り身体のためになっているのだろうと思いながら掃除に励んでいる。 周りにある山茶花はまだこれからである。
2013.12.17
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食事処の薩摩明治村をあとに、バス3台は鹿屋市串良町の「串良ふれあいセンター」に向かう。そこには、休みにもかかわらず、鹿屋市をはじめ沢山の出迎えの人々がいて、大歓迎を受けて感激した。上の写真は歓迎の挨拶をしていただいた鹿屋市長。 そこで、串良に伝わる民俗芸能のビデオを見る。そのあと、串良の各集落に伝わる棒踊りを見学。先ず「堂園地区」の棒踊り。 続いて「生栗須地区」の棒踊り 最後に「馬掛地区」の棒踊り この棒踊りと、下に紹介する「鉤引き」は山宮神社の春祭りに奉納されるもので、400年の歴史があるそうだ。この他「田打ち」というのも奉納されるとのこと。 棒踊りのあと、手作りのお菓子やお茶の「おもてなし」を受けた。とても心温まるおもてなしで心がほっこりなった。 歴史好きの私は次のイベントとの合間をぬってふれあいセンター内にあった「串良歴史民俗資料室」を見学。古墳時代の墓、生活の道具としての石の道具、鹿児島県に一つしかないと言う1500年前の「象嵌装大刀」などの歴史を見学した。 そのあと、雄木と雌木を掛けて引き合う「鉤引き」を皆さんの厚意で体験させていただいた。バスの1号車、2号車、3号車ごとの戦いで大いに盛り上がった。ほんとに楽しいイベントだった。 串良の人々に見送られて帰路についた。途中「鹿屋市観光物産センター」に寄りお土産など買う。 帰りはフェリーは使わず霧島市国分回りで途中から高速道路に乗り、鹿児島市内に帰った。最後に寄った「垂水道の駅」から見た桜島もきれいだった。夕焼けの中に桜島の噴煙も見えた。
2013.12.03
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7月に行った日中友好協会主催の花瀬のキャンプに誘ってくれたKくんに誘われて11月30日今度は「国際交流探訪」に行ってきた。鹿児島に住む21ヵ国の外国人、日本人も含めて大型バス3台に130人くらいの参加である。 コースは大隅半島が主体である。先ずフェリーで桜島に渡り、「みかん狩り」をする。桜島に渡っても山は遠くにある。だから人も住めるのだ。 みかん狩りを楽しむ参加者。 11時には食事場所に入り、食事を摂る。私は「ぶり丼」にした。 バスに乗ると全員に珍しい「けせん団子」の差し入れが配ららた。 この「けせん団子」の材料は、よもぎ、けせんの葉、砂糖、塩で作られている鹿児島によくある餅菓子の一種である。ラベルには「『けせん』とは、南国でしか育たないニッケの一種。『けせん』の葉に包まれた団子は、懐かしい香りと素朴な味。手作りの美味しさが口いっぱい広がります」とある。まさんびその通りで、私たちの年代のものにとっては懐かしい味である。子供のころ他所の家にあるこの「けせん」の木の根っこを切って食べるとニッケのなんとも言えない味が口いっぱい広がることを楽しんだものだ。しかしその家の人に見つかると木が枯れてしまうと、怒られるので大急ぎで逃げ出したものだった。 この後、鹿屋市の串良町に向かって大歓迎を受けるのだが、そのことは、後日書きます。
2013.12.02
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このところしばらく行っていなかったクッキング教室が今年は今回が最後と言うことで、誘われた。最後だから何か特別な料理を作るという。 クリスマスの洒落た料理でも作るのかなと思って行ってみたら、これまでよりも日々の生活にすぐ役立つという意味で特別な料理だった。しかもこれまでは会費500円だったのが、500円玉を出すと200円のお釣りまである。先生曰く「この冊子に20種類のレシピがありますが、その20種類の中の料理を作れば特別な援助金が出ますので、今日は300円ということです」 なるほど。そういうことか。これまでの料理と違い、いざという時に男性にでもすぐ作れる、つまり生活に直結した料理という意味で特別ということだったのだ。 カンペを渡されて、20分くらい作り方のお話を聞く。今日は男性10人。それに先生2人、加勢人2人。これが2グループに分かれて料理開始である。 先ず冷まして味もしみこませた方が良いということで「さばのみそ煮」と「きんぴらごぼう」から作り始める。次に「ほうれん草のおひたし」を作り、最後に「かき玉汁」。それに「ごはん」を加えて5品の料理完成。 10時半から始めたが、料理が出来上がったのが11時半。盛り付けて食卓について11時45分から試食会開始。 料理の詳細は省略するが、全て素晴らしい? 出来上がりで全部おいしくいただいた。
2013.11.15
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昨夜はキャンプファイヤーの後、バンガローに戻り、同宿5人が交代でシャワーを浴びたり、懇談したりで、寝たのは午前1時だった。にもかかわらず、年寄りの悲しさか目が覚めたのは誰よりも早い午前5時である。同宿の皆に迷惑はかけられないと30分くらいはベッドで静かにしていたが、もう堪らない。5時半には起きだして、一人川沿いに散歩に出かけた。 鹿児島市で熱帯夜を連日経験した身には、Tシャツ、半ズボンで歩くのが初めは少し肌寒さを感じるくらいで、心地よい。夏もこんな朝をいつも迎えたいものだと思いながら、川を覘きながら歩くと、ハエ(ハヤ)がスイスイ泳いでいる。昔、北九州に住んでいたころ、お客さんにハエ釣りの好きな人がいて、よく大分の耶馬溪を流れる山国川に釣りに行ったことなど懐かしく思い出していた。そのうち、各バンガローからも起きだしてきて、川沿いを三々五々散歩をする。 今朝は朝食抜きだ。今日訪問する「花の木農場」のレストランに朝昼兼用のカレーライスを頼んであるとのことで、それを楽しみに腹の虫を抑える。 10時出発。昨夜着いた自家用車組の鹿児島在住の中国人夫婦とお子さんの3人も加わって65人で花の木農場に向かう。 障害福祉サービス事業所・セルプ花の木と障害者支援施設・セルプおおすみのある花の木農場に到着。施設概要について説明を受ける。ここでおいしいカレーライスを食べて一同、元気回復。留学生の皆さんもおいしいと言いながらたちまち皿は空っぽになっていった。 この日は、休日のため、入所者との交流は出来なかったが、休日にもかかわらず、沢山の職員の皆さんが出社されており、説明や施設案内をしていただくなど大変お世話になった。 その後、12時からは中村隆重理事長がみえて挨拶をいただいた。この花の木農場だけでも東京ドームの6倍の広さがあり、施設全体では実に20倍の広さがあるという。お茶の栽培・加工・販売、養豚、花卉、食肉加工(手造りハム、ソーセージ、惣菜、精肉他)など手広く行われていて、私営としては、日本でも有数であるという。将来は中国にも食品類を販売したいと意気軒昂であった。 そこからこの日の最後の予定地「神川大滝公園」に向かう。 入り口の近くの左側にある小滝 小滝を左に見ながら進むと前方に大滝が見えてきた 神川大滝を後に、国道220号線を鹿児島に帰るべくひたすら走り続ける。すると前方に桜島の昭和火口の噴火が見えてきた。折しも鹿児島市で「世界火山学会」が開かれている。世界中から集まった1000人の火山学者もこの噴火の模様を見ているのだろうかと、思うことだった。 近来まれにみる猛暑の中での2日間だったが、一件の事故もなく国際交流が出来たことは大変嬉しいことだった。誘ってくれたKくんありがとう。
2013.07.26
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7月20日から21日にかけて鹿児島(県)市日中友好協会に所属する高校時代の友人・Kくんに誘われて南大隅町の花瀬公園のキャンプに行ってきた。同期でKくんと一緒に活動しているTくんももちろん一緒だ。 鹿児島大学、鹿児島国際大学、志学館大学、九州日本語学校に留学している中国人学生50人と協会関係者(中国人も数人)など62人で、大型バスとマイクロバスを使っての大キャンプツアーである。私はKくんとTくんの友人と言うことだけで、協会にも入っていないが、キャンプの会計を頼まれてやることになった。それでも当日動くお金だけでも30万くらいにはなるので、ポシェットを用意して、肌身離さず持ち歩いた。 13時鹿児島大学大学前を出発。高速道路を使い国分まで行き、そこから一般道を使って南大隅町の花瀬公園へというルートだが、途中道の駅「たるみず」でトイレ休憩。皆ソフトクリームなど買って寛いでいた。有名な足湯に入る時間もなく、次を急いだ。 写真は道の駅たるみずの足湯といつもと違って横から眺める桜島。 予定の15時着より約一時間遅れて、着いたのは16時前だった。途中道路が混みあったわけでもないが、大隅の遠さを実感する。 男性の若い留学生は少し手前のテント村に宿泊したが、女性や協会関係者はこのバンガロー村に宿泊した。 バーベキュウの晩ごはんまで童心に返って河原で遊ぶ 有名な花瀬の石畳 男性陣が陣取るテント村近くのキャンプファイヤー場に全員集合しバーベキューの準備 一つの班が9人でバーベキューを楽しむ。私たちの3班は日本人はTくんと私、志學館の女子留学生2人、鹿児島国際大学の留学生女子3人男子2人のグループである。現役時代は高校の先生であり、退職後鹿児島市の姉妹都市・中国の長沙市の日本語学校の先生の経験のあるTくんが「先ず、あなた方の出身地と現在の専攻学を教えてください」という質問をし、そのあと、私が将来進みたい道を聞くことなどして会話が始まった。 話が展開してくると、もう留学生も日本人も分からなくなるくらいお互いに親しみ話題が展開してほんとに楽しい時間を過ごすことが出来た。 そして、楽しいキャンプファイヤーの時間となり、留学生は出身地同志が集まり、歌を披露しあった。私達日本人はあの ♪♪春のうららの 隅田川♪の「花」をハーモニーをつけて歌ったが、唯一アンコールがあり、「ふるさと」を歌った。その後、スイカ割などもあり、夜は更けていった。
2013.07.23
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7月も12日になって今月初めての更新とは自分でもその怠慢ぶりに驚くばかりだ。若いころは暑さに強いのが自慢だったクマタツのジージもさすがにこの連日の暑さに家籠りの連日だった。それでも週2回のグラウンドゴルフには精勤である。 そこに久しぶりに料理教室への誘いがきたので、近所の仲間4人で福祉館に出かけた。この日はおじさん生徒10人に先生4人であった。先生が多いので申し訳ない気分である。さて料理は「ごはん」「豚肉のみょうが巻き」「オクラの長いも和え」「モロヘイヤのとろとろ卵スープ」そしてデザートの「みかんヨーグルトかん」であった。 10時過ぎから初めて11時30分には出来上がり賑やかな試食会になった。次は9月12日とのことで、その日が待ち遠しい。 そして今日。昨日のヘルシーな料理で元気をもらったクマタツのジージは妻を誘って鹿児島市南部の谷山まで行き、慈眼寺(じげんじ)を訪ねた。久しぶりに珍しい写真を写してきたので、少しづつでもアップしたい。
2013.07.12
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今年最後の「男(ダン) クッキング教室」が開かれた。今年から不定期に福祉館で開かれてきたのだが、今日の生徒はは7人である。 メニューは 1、ごはん 2、ひき肉のコーン蒸し 3、よごし 4、ころころ野菜スープ 5、紫芋かんてん の五品である。 ところがこの五品に加えて、先生の家で収穫されたという「里芋」の差し入れなどがあり、「芋の田楽」も食卓を飾った。その上「紫芋」も沢山あったので、「紫芋団子」まで出来てこれまでで最高の品数になった。これまでも、ほとんどの野菜は先生宅で生産されたもので、いつも新鮮でおいしい野菜を提供されるのでそのおいしさは抜群である。 10時から始まった説明のあと、料理が12時に出来上がり、先生やスタッフを入れて12名での賑やかな食事会となった。 あまりに沢山の料理数と量に食べきれなかったデザートは各人で持ち帰った。玄関口には先生宅で出来た沢山の紫芋と隼人瓜が置いてあり、それもいただいて帰ることだった。隼人瓜は我が家ではこの時期からは毎年味噌漬けなど漬物にするので、沢山いただいて帰った。
2012.11.15
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昨日は午前10時から、近くの福祉館で「男 クッキング教室」が開かれた。毎回毎回呼び名が変わるがレシピ表には「〇〇メンズキッチン」と書いてある。まあ いつもと同じで料理を作って、それを身皆でおいしく食べるということなので、あまり名称にはこだわらないことにする。 結論としては、上の写真の通りの料理が出来上がっておいしくいただいたということだ。 メニューは 1、ごはん 2、鶏肉ときのこのクリーム煮 3、ひじきのイタリアンサラダ 4、スープジュリエンヌ 5、豆腐のティラミス の5品である。 さて食事をしながら今日の料理は何料理かということになったのだが、1、は当然日本料理、2、は何故かフランス料理、3、は名前からイタリア料理、4、はジュリエンヌとは先生から“せん切りの切り方”を言いますとの話があったので、メンバーのなかの知恵者が「ジュリエンヌは語感からしてフランス語じゃろ」という発言でフランス料理ということに衆議一決。5、はちティラミスの中に味噌も入れたので、国籍不明のデザートということにした。あえて言えば、和洋折衷というしかない。 まあ こういうお遊びの方が多い料理教室であるが、どの料理も塩分や糖分控えめで野菜たっぷりである。食べ始めのときは味が少し物足りない気がするが、食べ進むうちに野菜の味が新鮮に思えてきたりして食べ終わったあとは、なにか体にいいような気がしてくるから不思議だ。 料理教室に参加したのは生徒が6人(欠席が2人あった)、先生をはじめ地域のボランティアを入れて女性が6人でいわばマンツーマンという贅沢な料理教室だった。 ただ、食事時間には館長やもう一人男性の参加もあり、14人でなごやかな食事となった。全体的な感想としては全てに申し分なく、今回もおいしくいただいた。
2012.10.11
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6月に引き続き、昨日7月11日 福祉館において第3回目の「“男”クッキング教室」が開かれたので、いつものメンバーで参加した。ただ我が町内会のどんぐりの会の常連の内、2人は都合が悪く4人での参加となった。他の町内会からも2人の参加しかなくて、生徒6人のいささか寂しい教室となった。一方教えてくださる方は先生と助手2人という豪華メンバーである。 今日の料理はお盆も近いということで、「鹿児島の味」というテーマである。鹿児島のお盆には欠かせない「かいのこ汁」をメインに、これ又鹿児島ならではの「がね」、「地鶏の煮物」「さつまぼうろ」である。それに加えて今回も先生のご自宅で収穫されたキュウリを使った和え物、大きなアロエの刺身? まで加わって豪華な料理が出来上がった。 写真の上の真ん中は「がね」である。材料は、さつまいも、にんじん、ごぼう、にらの野菜類と卵、小麦粉、もち米粉、揚げ油である。それに砂糖、酒、塩、薄口醤油などを少量加える。いうなれば「てんぷら」であるが、鹿児島ではサツマイモをせん切りにしたものを中心にして大きな形で揚げるがその形が“蟹”に似ていることから、方言で「がね」と呼んでいる。「がね」は県内の惣菜屋や道の駅などでも売られており、おかずとしてもだが、おやつとして食べられることも多い。 写真の右下は「かいのこ汁」である。我が家では現在もお盆の8月14日と15日の朝は必ずこれを食べる。一言で言えば「具沢山の味噌汁」であるが、特徴としては大豆(3倍量の水に一晩つけておく)を沢山使うことである。そのほかの材料として、干し椎茸、昆布、ごぼう、こんにゃく、なす、油揚げ、かぼちゃ、さといも、みがしきなどを入れる。 「がね」も「かいのこ汁」も上記の材料は基本的なものであり、各家庭でいろいろアレンジされているようだ。 アロエは大きな葉の品種を使って、皮をむいて、醤油を少しかけて食べるのだが、ネバネバしていかにも身体に良さそうだった。 次回は9月に開かれるとのことで、楽しみである。(作ることよりも、食べることが!)
2012.07.12
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今年の2月8日に続いて今日2回目の「男の料理教室」が開かれた。前回と同じ地区の社会福祉協議会の主催である。今日のおじさん生徒は8人。指導の先生を入れてスタッフ5人という豪華な助っ人で総勢13人で始まった。 今日のメニューは 1、ご飯 2、きびなごのゴマ揚げ 3、簡単お煮しめ 4、野菜の酢漬け 5、簡単ブラマンジェ(デザート) 10時開始で30分くらい食事バランスの重要性やメニューの説明があった。 そして料理開始。私は主に野菜の酢漬けの各種野菜を切ったり、味付けを担当した。全部漬け込んで混ぜ合わせた後も、少し時間を置いて、何回か混ぜ合わせることなどを学んだ。何回か味見をしたが、大変おいしいものが出来た(拍手)その後、きびなごのゴマ揚げにも挑戦。特別にアオサ入りの揚げも作った。全部出来上がって盛り付け、配膳も終了。 いつの間にかKさんが冷えたビールを買ってきていて、Kさんおごりのビールで乾杯。どの料理も大変おいしくいただいた。ただこの写真にはデザートの「簡単ブラマンジェ」は写っていない。今日の料理の野菜など大半の材料は先生の自家製のものだそうで、大変贅沢な食事となった。簡単ブラマンジェにかけるジャムも梅ジャム2種類、苺ジャムとも先生の手作りだそうだ。食事の後も、40分くらい食物談義などに花が咲き大いに楽しむことが出来た。
2012.06.13
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退職して約2年半、かみさんの手荒れが酷いので、家での茶碗・皿洗いは毎日してきたが、料理は「インスタント・ラーメン」を作るくらいで、何もしてこなかった。ところが、今回地域の福祉館で開催されるという「メンズキッチン」に誘いを受けて、今日それに行ってきた。私たちの町内会からは、どんぐりの会のメンバー4人の参加である。その他から10名と先生やスタッフ5名を含めて総勢19名。10時から説明があり、二班に分かれて料理開始。 メニューは 1、ご飯 2、ミルク入りひじきバーグ 3、青梗菜(ちんげんさい)ののりおかか和え 4、きんぴらスープ 5、チョコチップクッキー エプロン、三角巾、マスクをつけて、先ず一斉に手洗いから始まった。私は、しばらく野菜を洗うことに専任していたが、流れからハンバーグの具材を練り上げることになった。レシピ通りの材料は皆でワイワイ入れて、初めての練り合わせに戸惑いながらも何とか役目終了。その後はモゴモゴするうちに12時には、予定通り出来上がる。 それぞれの食器に盛って部屋に運び、待ちに待った会食が始まった。塩加減が薄く、初めは「ん?」と戸惑ったが、先生から「皆さんの年齢に合わせた味付けにしましたから、少し物足りないかもしれませんが、これくらいがちょうどいいのですよ」という説明がある。よく噛んで食べるうちに「なるほど」と納得する。不思議なことに、だんだんおいしく感じるようになってきた。私は健康体で、通院もしていないし、入院の経験もないが、いい勉強になった。 終わって先生から自分の家で作ったという7,8kgもあろうかという「桜島大根」の寄付があり、希望者でじゃんけんをしたが、一緒に行ったどんぐりの会のメンバーがゲット。帰ってから、その人が1/4カット分を届けてくれた。感謝! 初めての料理教室だったが、楽しく終わることが出来た。機会があれば、また参加したい。
2012.02.08
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今朝は校区の小学校に行ってきた。例年、校区の高齢者と小学校4年生とが昔の遊びや、碁、将棋などを一緒になって楽しむ行事である。私は70歳の昨年から誘われていたのだが、都合が悪く今年が初参加であった。9時半に学校に着くと、もう子供たちが体育館に集合している。4年生の子供が二つに分かれて一つのグループ40人くらいは、近くの養護学校に行って交流をし、もう一つのグループ40人くらいが、高齢者30人くらいの我々と交流するのだ。子供たちの司会で始まった開会式は、立派なものだった。その後、子供たちが自分の好みで選んだ碁(五つ並べ)、将棋、お手玉、カード、竹とんぼ、メンコ、独楽まわしなどのグループに分かれて、それぞれに高齢者がつくのだ。私達の「メンコ」のグループは、子供8人、大人2人というちょうどよい組み合わせだった。グループに分かれた後、今度も子供たちの進行でお互いの自己紹介や子供たち8人が笛の演奏で歓迎の曲・オーラリー (ラブミーテンダーの原曲)を吹いてくれて、私たち大人2人の遊び方の紹介で遊び始めた。私達の教え方が良かったのか? 子供たちが興にのり、あっと言う間に1時間半の時間は過ぎていった。最後は子供たちから「師匠」「師匠」と言われ我々二人もゲームに引っ張り出されて楽しんだ。終わって、再び体育館に集合し、閉会式が行われ、最後にそれぞれ一緒に遊んだ子供たちからお礼の手紙を渡された。私たちのグループは大人2人だったので一人で4人のお礼の手紙をもらえて感激だった。子供2人に大人7人というグーループもあったようで一通のお礼状ももらえない人もあり、少し気の毒な気もしたが。これはやむをえないことだろう。最後にその手紙を一通紹介したい。「今日はいろいろなことを、おしえてくれてありがとうございました。楽しかったです。このまま元気だといいですね。このことをずっとおぼえてますのでおぼえててくださいね。お大事に長いきしてくださいね。長いきするようにやさいをたべてがんばってください」
2011.11.02
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土曜日の今日ははどんぐりの会の定例グラウンドゴルフである。 8時過ぎに公園に一番乗りをして、清掃の準備をしていると、三々五々皆さん 集まってくる。実はこの公園の清掃は市役所から どんぐりの会が委託を受け てやっている。そのため何がしかの“お駄賃”が毎月振り込まれてくる。 その委託料と町内会からの年間3万円の補助 会員一人当たり年間500円の 会費で運営するささやかな親睦団体である。参加資格は同じ町内に住む60歳 以上の人は誰でも入ることが出来る。 今日は6時から総会があり、そのあと親睦の夕食会である。 今日の参加者は20人とのことで、世話役のうちのかみさんが中心になって、 4時から我が家でデザートに“おはぎ”も作るようだ。 会長がカラオケも準備するようで、我が家の小型テレビを集会所に持ち込むこと になった。大賑わいになりそうだ。 さて今日のグラウンドゴルフ。9人で2チーム。5人と4人。 ライバルTさんとは別のチームになった。 私はホールインワンを1本出して4ゲームで81点。目標の平均20点には惜し くも届かず。Tさんは悪かったようだ。
2010.03.13
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