17 今こそ人間性回復の時
「おまかせ体質」は大問題!!
一般に日本の社会では、協調性が重視されます。組織、グループで仕事をするには確かに協調性は大切なのですが、これも、時と場合によりけりであり、また程度問題でもあります。
たとえば、連れ立って食事に出かけ、「何にする?」と聞かれた時、「あなた(みんな)と同じでいい」と答える人が少なくありません。一人がカレーライスを注文すると、みんなが同じカレーライスを注文するのです。
レストラン、厨房としては、楽かも知れませんが、せっかく「ごちそうしてあげよう。あなたの好きなものを注文して」といっているのに、「何でもいい、あなたと同じでいい」と答えるのはかえって失礼なことです。こんなところにも私たちの主体性のなさが現われています。
食事の注文ぐらいなら問題はないのですが、たとえば、会社や国の重要な方針を決めるのに「おまかせします」では、自分の責任を放棄していることになります。
選挙などでも、同じ候補者が、無競争に近い形で当選することがよくあります。その候補は、汚職で灰色であっても、無批判に投票する人々、あるいは棄権が多いことも、間接的に支持していることになります。はなはだしい場合は、有罪判決を受けていても楽に当選する場合があるのです。
みんな、「おまかせ」体質 ――
自分で、考えようとしない人々の無責任ぶりが、あらゆるところに現われています。
ある国際企業のオーナーHさんから、こんな話を聞いたことがあります。
Hさんは、英、米、豪、日本にそれぞれ会社をもっているのですが、それぞれの国の若い社員たちに、業績向上について議論してもらったそうです。すると、英、米、豪の若者たちは、ケンケンガクガク、活発に討議しアイデアを出すのです。ところが日本の若者からだけは、アイデアが出てこない。議論もあまり燃え上がらないのです。あげくの果てに、
「特に、アイデアも意見も出なかった。指示があれば、その通り動きます」ということだったそうです。
Hさんは、はじめ彼らが、知識が乏しく、頭が悪いのかと思いました。しかし、そうではなく、むしろ他の三国の若者とくらべても、記憶力、計算力などいわゆる知能の面では優秀な若者だということがわかりました。
ただ、彼らは「自分で考えろ」「知恵を出せ」といわれると戸惑う。そういう訓練を受けていないために、自分の考え、意見、アイデアが出てこないことがわかったといいます。
日本人はいつの間にか工夫しない人間になった
Hさんのこのコメントに、私は、ガツンと一撃食らわされた思いでした。
少し前までは、日本の職場では、一社員、担当者までが、自分で考え、工夫する、それが日本の経済・社会発展の原動力だといわれていたように思われます。
それがいつの間にか、マニュアルで育てられ、偏差値で競う教育の中で、何も自分で考えようとしない人間になってしまった。これは、日本の教育、いや社会そのものの歪みに外ならないと思われるのです。
そういえば、ある米誌に、「日本人は考えない」という特集が組まれていたことを思い出しました。Hさんに指摘されていた点が、国際社会でも、大きな問題としてとりあげられていたのです。
これからは、こういう社会、教育の歪みを正し、自分で考える力をもった人材を育てることが必要です。
教育というと、学校教育だけを連想しますが、家庭においても、社会においても、結果だけを求める要領のいい人間を歓迎するのでなく、新しい問題、課題に挑戦し、自分で考え、工夫する能力のある人を育てる環境づくりをして行かなければなりません。
日本の社会、教育がこのように結果ばかりを求めるようになった「元」はどこにあるかといいますと、そこには、第一章でとりあげた行動主義の影響が色濃く感じられます。
彼らの主張は、データ、数字、結果だけを求め、人間をモルモット視する傾向があります。そういうコンセプトの人から学んだ人々が、社会の中核に坐り、人を育てるシステムをつくったのですから、そこから、モルモットやロボットが育つのは無理もありません。
肉体的には人間の血が流れていても、精神的に血の通わない人間が多くなり、そういう人々が世の中を動かす社会 ――
それは何と恐ろしい社会ではありませんか。
そういう社会に、今、日本はまさになりかけているのです。
こういう動きにストップをかけ、脱・指示待族を育てることが、今こそ必要なのです。それには、一人ひとりが自分の考えをもち、主体的にモノを考え、行動するよう心がけることが人間性回復の第一歩となります。
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